第14話
「はぁ」
二人が連れ立って出て行った後、音乃は単に緊張感から解放された以上の脱力に襲われ、ぱったりと横になった。
畳敷きはむしろ好きなのだが、如何せんこの部屋は畳の年季も入っており、間近に見るとささくれも割と目立つ。
都内からは大きく外れているとはいえ大学は電車一本で通えるし、何よりも仕送りに期待するところの少ない音乃にとっては家賃が安いのが幸いだ。加えて朝食も出してもらえる。
まあそういうわけなので、少しばかり古さの見られる以外には音乃に不満は無かったのだが。
「樫宮、あんたの客たちが出てったけど。パシリにするにはちょいと勿体なくないかい?」
問題は、同居人たちが変人揃いだったことである。
「…末永先輩、まともに取り次ぎもしないで大概なこと言わないでください。なんですか、『天使が来た』って。またいつものように妙な幻覚でも見たのかと思いましたよ」
流石に横になったまま応対するのも、一応は先輩にあたる人物にするには失礼と思ってのことだったが、起き上がるのも億劫な音乃がどうにか身体を起こして見ると、件の先輩は襖に背を預けてタバコをふかしていた。
「…人の部屋でタバコすわないでもらえます?」
「今流行りの電子タバコだよ。煙は出ない」
「ニオイがイヤだって言ってるんです。大体自室以外禁煙でしょーが」
「…口うるさいコだね。おばちゃんかあんたは」
とは言いつつも一応喫煙は中断し、携帯灰皿にタバコを押しつけてポケットに仕舞う。
そんな様子をジト目で眺めていた音乃だったが、片付けが終わるのを見届けるともう用事は無いとばかりに再び横になった。
「ところで後から来た客の方、どんな知り合いだい」
…のだが、立ち去る気配もなく言葉をおっ被せてくる。
音乃も仕方なく、「友だちです」とだけ告げてもう出て行けーというオーラを背中から立ち上らせるのだったが、空気を読む気が無いのか読んだ上で嫌がらせをしているのか、今度は座り込んで片膝立てた体勢になると、電子タバコの器具を口に咥えたまま、問いを重ねてきた。
「えらいキレイな娘じゃないか。どこで見つけたのさ」
「…もうほっといてください!あとタバコ吸うなって言ってるじゃないですか!」
「咥えてるだけだよ。吸っちゃいない」
「そういう問題じゃありません!いいから出てってください!」
「なー、樫宮。相談にのってやろうって先輩に対してえらく邪険じゃないか」
「頼んだ覚えありません」
「つーてもな」
と、先方はパイプを口から外し、音乃に突き付け言う。
「んな辛気くさい顔晒されてるとこっちも気が滅入るんだよ。一応な、共同生活する場なんだから、機嫌の悪い時くらいあるだろうが…あんまり他人にそういうところを見せるな」
見せた覚えもないし、大体そっちが勝手に上がり込んできたんでしょーが。
…とでも言えれば良かったのだが、この先輩と口論して勝てる自信も全く無い音乃は、言い負かされた風でも装って黙り込むくらいが関の山だった。
学部は全く違うが、三年生ということで初対面の時は何かと緊張しながらアイサツはした覚えがある。
というのも、音乃は上下関係のやかましい部活動で名をあげたわけではなかったため、上級生、下級生という区別があまり肌に馴染んでいなかったからだ。
だから必要以上に緊張して、あるいは信頼や尊敬を寄せられる先輩であればいいな、とも思っていたのだが…それは最初の三日であっさり砕かれた。
とにかく、雑の一言。
いや言っている内容が適当極まり無い、というわけではない。後から考えれば真っ当なことを言っている、と思うこともたまにはあったし、音乃に困ったことがあれば先回りしててかえって困惑したことすらあった。
が、そういった説明や自分の立場を省みた言動というのが全く無く、もう少し回りくどいやり方をやってください、と申し入れたところで「…そう言われてもな」と頭を掻いてお終い。
ほとほと、音乃にはやりにくい先輩なのだった。
「わざわざやってきた妹に対してあの言い草だ。何があったのかくらい気になるってものだろう?」
とにかく、ひとの話をきかない。マイペース。そのくせいつの間にかそのペースに巻き込まれていいようにされてると思うことも再三。
「…別にケンカしてたわけじゃありません」
相変わらず横になったまま、憮然と応える。
そんな音乃に対して菜岐佐は、
「ケンカにもならない関係、ってのが世の中にはあるものなんだよ。ケンカになるのならまだ縁は切れていないんだ。遠くから訪ねてきたんだから、言葉を重ねるくらいのことはやってやればいい。私が言いたいのはそれだけだよ」
と、自分の言いたいことをだけ言って、あとは音乃を放置してさっさと言ってしまった。
「…あとな、樫宮」
が、すぐに戻ってきて襖の影から顔を出し、
「顔についた畳の跡ってのはなかなか消えないんだ。あんまり長くその格好してない方がいいぞ」
と、余計な一言を付け加えるのは忘れなかった。
音乃が顔についた畳の跡を必死で落として、どうにか消えたか?と手に持った鏡とにらめっこしていると、ターナと蒔乃が戻ってきた。
「音乃ちゃんなにしてんの?」
「…自分の肌はまだ若いって自信取り戻しているとこ」
「まだ十八だろうが。ネノも何を言っている」
「この中では最年長なんだけどね。おかえり、早かったね」
手鏡を中古で買った安物の鏡台に置いて、音乃は何事も無かったように二人を迎え入れる。
出て行った時のことを思うと、その機嫌はえらく良くなっていて、蒔乃とターナは音乃に知れぬよう安堵の息をつくのだった。
「結局どこに何があるのか分からない状態で出歩いても意味が無かったな。ああ、済まない、土産を買ってくるのを忘れた」
「別にいいよ。っていうかこれ以上食べ物増やされても困るし」
と、部屋の隅に片付けた果物の山盛りをちらと見て言う。
「ん、それは迷惑だったか?まあ自分で買ってきておいて言うのもなんだが、少々大仰すぎるとは思ったがな」
「多少多いくらいなら分ければいいから大丈夫だよ。それより高かったんじゃない?」
「音乃ちゃんそれはブシツケだと思う…お土産もらって値段の心配とかねー」
「あー、金銭面での気遣いなら不要だ。使う機会が無いから貯まる一方だしな」
「…いっぺん素で言ってみたい台詞だ」
「マキの無駄使いが過ぎるだけでしょ。私が高校生の頃なんて慎ましかったものだけど」
遠征だの用具代だの練習に通う交通費だのと、趣味にお金を使うことがほとんど無かった音乃が妹をたしなめる。
それはまあ、遊びたい盛りの現役女子高生であればさもありなん、なのだろうが、蒔乃から見ると姉もターナもそういう意味ではひどく浮き世離れしているように見えるのだった。
「…って、それは別にいいんだけどさ。何か面白いものでもあった?」
蒔乃が「一緒にすんな」とでも言いたげに不服そうにしていたので、音乃は話を変えようとターナにそう言ってみた。
「その、何と言うか。少し、妙な話になってだな。マキノ、言ってもいいのか?」
「あー、うん。ていうかそもそもあたしが何しにきたのか、って話になるんだけど」
「?」
何を今更、みたいな顔で妹の顔を見る音乃にしてみれば、妹が自分を訪ねてくることに特段の理由など必要ないのだろうが。
「結構悩んだんだけど、ターナも音乃ちゃんに話しておいた方がいい、って言うから。聞いてくれる?」
「それは構わないけど…でもマキが私にそんな改まってするような話なの?」
「ああ、まずは聞いてやってくれないか。といって、わたしも細かいことは聞いてないからな。一緒に聞かせてもらおう」
「うん、お願いするね。あ、音乃ちゃん何か飲み物出してもいい?」
「…台所行ってれいぞーこから好きなもの持ってくればいいでしょ」
とことん出鼻を挫く妹に呆れかえる音乃だった。
好きなもの持ってこい、と音乃が言ったのは、音乃の名前のついた飲み物ならなんでも好きなもの、という意味だったのだが、説明不足が祟って蒔乃が持ってきたものは、二年の
「…行方不明?それはまた穏やかじゃない…んだけど」
「そこまで大げさな話じゃないってば。単に連絡手段はあるけど、向こうから反応がない、ってだけなんだし」
「電話もメールも?」
「あとLINEも。既読にもなんない」
うーん、とうなる音乃。
まあ確かにこれだけ聞いて事件性を覚えろ、というのも無茶な話なのだが。
「…ちなみに、どんな関係だったの?転校前って」
「あ、音乃ちゃんも知ってるよ。羽月、覚えてるでしょ?
ああ、と首肯する音乃。
音乃とは親交がそれほど深かったわけではないが、蒔乃の比較的仲のいい男友達だったと覚えている。
といって特別な仲だったということもなく、どちらかといえば…音乃に馴染みのない表現をすれば「リア充」な友人の多い蒔乃にしては珍しく、犬の散歩に行くと飼い犬のシベリアンハスキーに引きずられて困った顔をしているような、どこかおっとりした少年だったから、逆に印象には残っていた。
「その子がどうしたの?」
「んと、三月に引っ越していってね。四月中頃まではこっちから連絡したりあっちから連絡もあったりしたんだけど、十日くらい前から音信不通になっちゃって」
それは仲が良かったにしても、転校していった男の子とそんなに頻繁に連絡なんかするもんだろーか、と音乃が思うのは対人関係が蒔乃に比べて淡泊な音乃だからであって、蒔乃からしてみれば稲生羽月は弟分のようなものだったから、遠くに行った子分であっても気に掛けるのは不思議なことでもない。
そこの辺の機微の認識は、姉妹の間でも暗く深い溝があったりはするのだが、それはこの際さておくとして。
「…半月足らず連絡つかない程度でわざわざ東京まで来るとか、マキも何考えてんのよ」
「本人目の前にしてそーゆーこと言う?」
「ああ、待てネノ」
と、ここで黙って話を聞いていたターナが口を挟む。放っておいたらまた目も当てられない口論になりそうだった。
「マキノの友人だけの話ではない。どうもその家族にも不審な点があるらしい」
「あ、そうそう。羽月のお母さんってあたしも面識あったんだけどね。家に電話してもなんか様子が変なの」
「ヘン?」
「そ。羽月と連絡とれないから、家の方に電話してみてさ。そしたらお母さんが出たんだけど…なんかね、そんな子はうちに居ません、っての。あたしが間違い電話したのかと思ったんだけど、羽月から聞いてた番号で間違い無いし」
「ほんとに?」
「ホントだってば。えーっと……ほら」
そう言って蒔乃は、自分のスマホを操作し、羽月から来たメールにあった電話番号と、自分の通話履歴を音乃に見せる。
「…間違い無いね。でも普通に羽月くんのメールの電話番号が間違ってたりとかは…」
「電話に出た時普通に『はい、稲生ですが』って言ってた。田中とか佐藤とかなら偶然ってこともあるかもだけど、稲生って苗字はそれほど被らないと思う」
「うーん………何か事情があって羽月くんをマキに合わせられないとかって可能性は…」
「例えそうだとしたって、羽月に直接連絡とれないのはおかしいーじゃん。あたしが羽月から嫌われてましたって、そこまでヒドイことした覚えないよ?」
「いじめっ子はじゃれてるつもりだけど、いじめられる方は深刻に捉えてる場合だってあると思うけど」
「あのさあ、音乃ちゃん」
蒔乃は流石にウンザリした様子で姉を睨む。
「あたしがそーいうことするように見える?もし実の姉にまでそんな風に思われてるよーだったら縁切る覚悟くらいあるよ?」
「あ、ごめん。確かにマキの面倒見のいいのはみんな知ってるもんね。それはないか」
菜岐佐に言われたことが引っかかっていたのか、縁を切る、という一言に音乃は慌てて取り繕うように言った。
「…というわけだからな。直接会いにいってみてはどうか、と思うのだが」
そして、黙って二人のやりとりを聞いていたターナが、ようやく口を開く。
「住所を聞かせてもらったところ、東京の反対側…チバと言ったか?そちらの方らしいので、一日あれば行けないこともないだろう。明日ならわたしも時間がある。仮に空ぶったとしても三人で出かけられたと思えばそう悪い一日でもあるまい?」
「そうね…って、私も数に入ってるの?」
「あたりまえじゃん。それともあたしとターナだけで出かけてもいいの?音乃ちゃんとしては」
うっ、と返事に詰まる音乃。
それはまあ、嫉妬するというのも筋違いな気はするが、かといって丸一日二人きりにさせておくのも、なんだか面白くない。
どうせ明日も休日で暇なことは暇なのだ。この際バイトの一つもやってなかったのを幸い、一日中ひきこもって変人の先輩連中の相手をしてるよりはマシだろうと、態度だけは渋々と、という格好で結局音乃も同行を承諾した。
「ふふーん、やっぱ可愛い妹が二人きりで誰かと出かけると心配、でしょ?」
「………あ、えーと、そーね。心配、心配。あはは」
「…ネノ?」
どうも、ヤキモチの方向を勘違いされていた風ではあったが。
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