第13話
ケガをした時は本当にショックだった。
左足は、スパッと切れてしまったせいなのかそれとも寒い場所だったせいなのか、痛みはそれほどでもなかったけれど、血がいっぱい出て怖かったのと、大丈夫だって見せなくちゃって思って歩こうとすると、周りにいたコーチや他の選手たちが、それこそ死ぬんじゃないかってくらいの勢いで私が動かないように止めてきて。
…ああ、そうだ。名前もよく覚えてないけど、私に衝突したあの子、大丈夫だったのかな。最後に見た時はすごく青ざめた顔をしてて、次のシーズンでは見かけなかったから、その後どうしているのか結局分からなかった。
もし私がスケートをやめたことを自分のせいだと思っているのなら、悪いことをしたな、って思う。
あなたのせいじゃない、って誰か伝えてくれないかなあ。
・・・・・
「メッセンジャー…というと、何か伝言でも持ってきたのか?」
「違うってば。あたし別におとーさんにもおかーさんにも何も言われてないよ」
「うそ。だったらどうしてさっき、一度くらい家に電話しろ、とか余計なこと言ったのよ」
「それ言われてたわけじゃないもん。あたしが思ったこと言っただけだもん」
「ああ、待て待て二人とも。ネノもマキノも感情的になりすぎた。どうもわたしが来る前から喧嘩のようになっていたが、わたしが話を聞くからまず二人とも黙っていろ」
「…はぁい」
「…ごめん」
遊びにきたはずなのに、何故か姉妹喧嘩を仲裁する羽目になっている。
とはいえターナも、こんな立場にウンザリするというより何か懐かしくなくもない。
自分の姉とのことではない。姉は妹の自分に接する時は、言葉を荒げたり感情的になったりは一切しなかった。ほめるのも誹るのも、いつも物静かに、だったからだ。
だからターナがこうやって、気の置けない者同士の間の仲裁をしたのは、決まって他の竜の娘の家系の姉妹に対してばかりだった。
その時のことを思い出して、
(…懐かしい、か)
と微かに寂しくも思うというのは、平気な顔をしている自分がその実故郷の風や空に焦がれているようでもある。
だがそれは今に対して誠実ではないと、そんな思いを振り払うように頭を振って、ターナは足を畳んで座り直した二人に向き直り、言う。
「マキノ。ネノは何か家族より言づてがあったように言っているが、そうなのか?」
「だから違うって。あたしは自分の都合で来ただけで、おとーさんたちは関係無い。音乃ちゃんに、家に連絡しろー、って言ったのはおかーさんがさ、すごく…その、心配してそーに見えたから…なんだけど…」
並んで座る姉の顔をのぞき込み、小さくなる語尾と共に話しかけている。
その姉たる音乃と言えば、妹から顔を逸らして聞く耳持たず、という様子だった。
「…ねー。音乃ちゃんいつまでそーしてるつもりなの?ケガしてスケートやめたこと、おとーさんもおかーさんも怒ってたりなんかしてないよ?」
「…怒ってないから余計に合わせる顔ないんじゃない。いっそ他の人とおんなじくらい怒ってくれたなら…」
「ネノ。それくらいにしておいた方がいい。あまりそう思い詰めるな」
どうも、今は何を言ってもいい方には捉えてはもらえないようにターナには見えた。
自分が来るまでどんなやりとりがなされたのか、想像するだけでも疲れを覚える。ターナの知る限り、これほど後ろ向きになっている音乃は、長くない付き合いとはいえ、初めてだった。
「…っていうかさ、音乃ちゃんも年下のターナにこーまで言われて少しは恥ずかしいとか思ったりしないの?」
「マキノも。そう追い詰めるな。あまり詳しいことは言えないが、ネノもいろいろあってな。心配させたくないという気持ちも汲んでやって欲しい」
窘める風に聞こえないよう、言葉を選び勉めて明るく蒔乃にそう言う。そもそもその「いろいろ」の中身を明かせはしないのだから、細かく追求されても困る。増して、そのことでの音乃の疲弊を目の当たりにした身では、なおのことだ。
別にターナに責のある問題ではなかったが、それでも無関係な顔をするのも何か違うように思うと、自然と音乃の肩を持つような空気になるのだ。
けれど幸いにして、蒔乃はそこまで気にすることもないようであり。
ターナが言うのなら、とでもいう風に肩をすくめると、しかし何か思い出したように俯き加減だった面を上げて言った。
「ん、まあそこまで言うなら……あ、そうだ。ターナ、ちょっとつき合ってよ」
次第にふて腐れてく様子の音乃は、妹の目から見ても楽しいものでもないらしい。一旦放置を決め込みでもしたのか、立ち上がってターナの腕をとると、背中を押して部屋を出て行こうとする。
「え?あ、ちょっと蒔乃?どこ行くの?」
「お買い物ー。泊めてもらうのに足りないものあったから買って来る」
「それなら後でまとめて…って、なんでターナまで連れていくの?」
「んー?妹の勘、かな。音乃ちゃんしばらく一人にしておいた方がよさそーだし」
「ふふ、判断が早いのだな。ネノ、わたしも少し外をぶらついてみたい。土産でも買ってくるから待っていて欲しい」
「いやあの、お土産なら既にもらってるんだけど…」
ターナの持ってきたフルーツバスケットをちらと眺めて、音乃はそうぼやく。正直なところ、一人暮らしでもらっても持て余す類のもので、同居人たちと分けるしかないか、とため息をついて、音乃はにわかに賑やかになって出て行く二人を見送った。
本音を言えば確かに蒔乃の言う通り、落ち着く間が欲しいと思っていた。
「…で、外に出たのはいいのだがな」
「うん」
屋敷内の廊下で、最初ターナを出迎えた末永という女性とすれ違い、「先程は」「どーもー」とだけ言葉を交わして門の外に出ると、二人はいきなり立ち往生した。
「…どこに行けば何があるのか、さっぱりわからん」
「だよねー…まああたしん家の周りと違って、歩いてれば何かあるでしょ」
「そういうものなのか?」
「そーいうものなのです。ほんと、うちの周りなんもないからねー。一度来てみるといーよ」
「ふうん…」
とりあえず右に向かって歩き出した蒔乃の背中を追って、ターナも歩み出す。
そんな機会が訪れることがあるかは分からないが、音乃の故郷、と聞いて興味が沸かないでもなかった。
「…でもこの辺もけっこー畑とか多いよね。東京ってもっとコンクリートとかで覆われて、あっち見てもこっち見ても人ばっかいるものだと思ってた」
「そうだな」
屋敷のすぐ周りこそ住宅ばかりだが、例えばターナも降りた駅の周辺などは、蒔乃の言う通り畑が広がり、遠くにはそれほど高いものではなさそうだが、山の折り重なる地平が覗けていた。
「デンマークもこんな感じなの?」
「さあな。わたし自身は行ったことがないからわからん。写真で見た限りでは、良さそうなところではあったが」
「そっかー。自分のルーツがある場所って、やっぱ行ってみたいよね」
「……そうかもな」
返事を渋ったのは、直接ウソを言ってるわけではないにせよ、どうしても虚偽を元にした説明に、後ろめたさを覚えざるを得なかったからだ。
ただ、蒔乃はそうとらなかったようだ。
「…やっぱりさ。音乃ちゃん、うちにはもう帰りたくないとか思ってるのかな」
並んで歩く蒔乃の顔を見る。
わずかにターナより高い頭の後ろで手を組み、天を仰いでいる。
半ば独り言のように聞こえたのは、自身を責めるが如き物言いだったせいなのか。
「結局どーなったって、うちは音乃ちゃんのうちでもあるんだからさ。やっぱり避けられたりするのは、ちょっとさみしーよ」
「どうだろうな。ネノとマキノ、それからお前たちが両親とどんな関係なのか分からないわたしに、答えようなどあるはずもないさ」
「……そうだね」
別に突き放したつもりはない。ターナとしては気休めになるような安易な言葉をかけるのも、何か違うと思っただけのことだ。
だが、姉に甘えることも出来ず、両親からも離れた地ですがれるものがない蒔乃にはきっと、そんなターナの態度が少し冷たいもののように写ったのだろう。静かになると半歩ほど距離を避き、黙って歩き続ける。
そしてターナは一度立ち止まり、むっつりとしている蒔乃の姿を目で見送ると、後からついていくように歩みを再開した。
一言も無く歩いていると、すぐに住宅街の外れまで到達する。ここから先は駅に向かう道になり、周囲は畑ばかりになる。
買い物をするのであれば引き返すべきなのだろう。だが蒔乃は、何のためらいもなく歩き続ける。
「………」
というより、考え事で周りが見えていないのか。そんな風に、ターナには思えた。
「マキノ。どこまで行く気だ?」
「え?」
歩きながら、やや後ろめから声をかけた。ようやく、といった態で蒔乃は周囲を見渡し、あれ?と首を傾げて周囲に畑しかない光景を眺めるのだった。
「…間違えて家に帰ってきたのかと思った」
「そんなわけがあるか。買い物に行くのではなかったのか?このまま進んでも店があるのかどうか、分からんぞ」
「んー、まあ、買い物は口実だったから別にいーんだけど」
だろうな、と思ったが口にはせず、軽く肩をすくめて、これからどうするのか、という意を伝えただけだった。
「…もう少し歩かない?」
「わたしは別に構わないが、音乃が待っているのではないか。放っておくのか?」
「そういうわけじゃないんだけどねー…」
「はっきりしないな」
ふと、後ろからパンパンパンと軽いリズミカルな音が近付いてくるのに気づく。
その方向を見ると、咥えタバコの老人が乗ったスクーターが近付いてきていた。邪魔になるかと思い、ターナは蒔乃の腕をとって道の端に寄る。
狭い道の真ん中を、オイルのニオイをまき散らしながらスクーターが走り去っていく。嗅ぎ慣れないニオイにターナが少し顔をしかめた様子をちらりと見て蒔乃は、
「あんな古いバイク、東京でも走ってるんだねー」
と、感心したように呟く。
それを耳にしたターナは、少し興味をもったようで、
「古い、のか?」
と、既に姿も点のようになっていたスクーターを目で追いながら聞く。
「そりゃーもー。2ストエンジンのバイクとかもう絶滅危惧種でしょ」
「つーすとえんじん?なんだそれは」
「…えーと、まあ説明がムズカシイけど、とにかく古いってこと」
聞きかじりの単語の披露だけではターナも納得しないようで、説明に窮した蒔乃がしどろもどろになったところに、追い打ち。
「説明にもなにもなってないぞ、それは」
「聞きたければマジメに調べて説明するよ?」
「それはいいな。是非頼もうか、説明を」
「……カンベンしてください。普通に面倒です」
こーさんしました、という態の蒔乃に、ついターナも顔がほころんだ。
「笑わなくてもいーと思うんだけど?」
「…すまない、馬鹿にしたわけではない。かわいいヤツだな、と思ってな」
「………そーか、そーやって音乃ちゃんたらし込んだのね」
蒔乃のその発言は何の気無しの一言だったのだろうが、ターナには意外に衝撃があったようで、
「たらし…い、いやその、もう少し穏やかな表現にしてもらえないか?いくらなんでもそれは…」
と、そこそこ動揺を見せるのだった。
「だってねー、音乃ちゃんすんごい人見知り激しいし、一度仲良くなるとやたらと親切だったりはするけど、どーでもいい人に対してはむしろ冷淡だったりするもん。それがなに?『キレイなコでしょ?』て紹介するとかちょっとあり得ないよ。ねー、ホントに音乃ちゃん東京に来てから知り合ったの?」
「本当も何も、まだ二週間くらいだぞ…知り合ってから」
「え…マジか」
「マジだ」
どの程度動揺していたのか、というとこのように慣れない言葉を使う程度には、だった。
「…むーん……なるほど」
「何がなるほど、なのだ」
「え?いやー、音乃ちゃんみたくバリア張ってるコにはターナみたいな接し方って効果あるのかな、と」
「何が言いたいのかよくわからんが、わたしは別にネノが相手だから接し方変えたわけではないぞ。出会い方が少し変わっていたくらいのものだ」
「そこんとこ教えて…と言っても無駄なんだろうね」
「無駄とまでは言わないが…おいそれと余人に言えるものでもない。身内なら尚のことだ。ま、聞きたければ直接ネノに訊けばいいさ」
話をするだけならネノのところに帰るぞ、とターナは先に立って来た道を戻り始める。
蒔乃もそれに異は唱えず、そだね、とターナの後ろに続いて歩き始めた。
そうして家々が畑よりも多くなった頃、ターナはふと思いついて少し後ろを歩いていた蒔乃に振り返って言う。
「…そういえば、結局マキノはネノのところに何をしに来たのだ?家族からの伝言を持ってきたのでなければ何か目的があったのだろう?」
蒔乃は「え?」と不意を突かれた顔になり、それから答えを探すように少し目を遊ばせていたが、うーん、と小さく唸ってからターナにこう答えた。
「…えっとね、人を探しにきたの。友だちがさ、東京に転校したんだけどちょっと前から連絡も出来なくなってて」
それはターナには少しばかり、予想外の返事だった。
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