第9話

 「…っと……しかし前も思ったが、お前随分重いな」


 同世代の女性に比べて上背はあるし、だいぶ落ちたとはいえ筋力の重要なスプリント選手だったのだからそれは当然だろうが、その重い音乃を、アタマ一つ分低い身で軽々と持ち上げられるターナも何なんだ、という話には、なる。


 「ごめーん」


 それでも音乃は悪びれもせず、屋根に開いた大穴から引っ張り上げられると、ターナにお姫さま抱っこされたまま、屋根から飛び降りる。

 車のドアを開けて出ればいい話なのだろうけれど、そうしなかったのは車内で腰を抜かした男がドアを塞いでいたからなのか、ターナがドアの開け方を知らなかったからなのか。

 音乃は後者の方じゃないのか、と疑ってかかったけれど、折角開けてもらった穴だったのだし、何よりもターナに抱きかかえられて外に出られたのは、気持ちが良かった。


 「だから重い。自分の足で立て」

 「うん…っていうかあんまり重い重い連呼しないでよ。これでも乙女なんだから」

 「意味がわからん」


 本気でそう言ってそうなターナに口を尖らせながらも、優しく地面に下ろされる。

 そしてようやく自分の足で立った音乃が最初に気になったのは。


 「…ところでターナのその格好、なに?」

 「うん?」


 ということだった。

 音乃はあまり漫画やアニメーションの類とは縁が無かったが、それでもそういったお話に出てきそうな格好だと、一見して思う。

 表面がザラッとした素材は金属のようにも石のようにも見えるが、それらは細かく別れたパーツとして組み合わされ、上半身を動きの邪魔をしないように覆っている。

 だがそれは腰から上に限られていて、下の方はというと、ターナの動きに追従する様子も無いところを見ると、かなり重めの、革のような材質が前の開いたスカート状にふくらんでいた。

 そしてズボンも、上半身の鎧の隙間から覗く部分も、薄い焦げ茶色のスカートと同じような革のように見える。

 腕と脛を覆う腕甲と脚甲こそ鎧と同じ材質で出来ているようだったが、それ以外、首から下は全て皮革製なのだろう。革ジャンに拘りでもありそうだったターナの普段着を思い出して、なんとなく納得のいく音乃だった。


 だからそれは、いい。

 いやここが東京都下ということを考えれば少しばかり常軌を逸した格好ではあるが、まあ司直警察の手をわずらわせることもないだろう。声くらいはかけられそうだったが。


 「その、ソレ」


 声くらいで済みそうもないのは、音乃を抱えていた時も足を支えていた手に握られていた、今音乃が指さしているものだろう。


 「…どう使ったかは分かるんだけど…仕舞わない?」


 軽く引き気味に指摘するとターナは、ああそういう、と納得したように軽く掲げてみせる。

 刃渡り五十センチにやや満たないと思われる片刃の薄い剣は、柄にあたる部分から軽く反りが入っていて、日本の脇差しのようにも見える。

 だがこしらえはむしろ洋風であったから由来がよく分からない。つばにあたると思われる部分も日本刀のように刀身に対して直交しているのではなく、柄と一体化したような平たいものがあるだけだ。

 特徴的なのは、両手で握るとやや余りを見せる柄の先から尻尾のように下げられた紐だった。

 それが何に使うのかは分からないが、右手で刀を持ち、左手でその紐を握っているところを見ると、紐の部分を掴んで振り回したりするのだろうか。

 それから音乃が思ったのは、この短い刀で車の屋根をギコギコ切り裂いたんだから、どんだけ斬れるんだろ、ということで、アブナイものを見るような目になるのは当然なのだった。


 「……そうだな。まあこれは用事はあるまい」


 音乃の指摘にターナは、目の高さに得物を持ち上げると何かを呟き、そして刀は一瞬光ったかと思うと何か光の粒のようなものを残したまま、ターナの顔の前から掻き消えてしまった。


 「…え?」

 「……ん、ついでにこっちも。もう必要ないしな…ヴァーダ・リェリスーレ」


 そしてもう一度、今度は音乃の耳にもハッキリ聞こえるが意味の分からない単語を口にすると、鎧も今の刀と同様に光と共に消え、さっき見た時のままのターナの姿に戻ったのだった。


 「い…今の、なに?」

 「お前が仕舞えと言ったんだろうが。まあいい、後で説明する。今は、だな…」


 そんな光景に音乃が目を白黒する中、ターナは見るからに身軽に戻った身を翻し車に近寄ると、


 「…このクズ野郎をどうするか、だ」

 「…ぎひっ?!」


 ドアを開けて這い出ようとしていた男の鼻面を、少なくとも音乃から見た限りでは遠慮無く、ぶっ飛ばした。


 「全く、わたしにも人を見る目が無かった。こんな外道だとは思わなかったんだがな。こうなると知っていれば、足腰立たないようにしておけばよかった」

 「…あ、あが、あど…あどな……ぁっ?!」


 鼻を押さえた右手の指の間からは、血が洩れ出ている。その様子からすると結構派手に鼻血でも噴いているのだろう。

 その様は凄惨ではあろうが、音乃はそれがためではなく、引きつったような声を上げてターナから逃れようと後ずさりし、しかし音乃の脱出を防いだドアのない車の内壁に気付いて狼狽する醜悪な行状に、顔をしかめた。


 「お前ちょっと出てこい。ネノに何をしようとしたかは大体想像つくが、ついでに今まで何人の娘をこうしてかどわかしたか、白状してもらおう」

 「お、おばえおれおころすぎが…?!」

 「ほう、そんな気になるほどやらかしてきたというわけか。いいだろう、わたしとてまだ人殺しにはなりたくない。拐かした娘の数だけ指を折ってやる。さあ、何本指が残るかな…?」

 「ちょっ、ちょっとターナ…流石にそれは…」


 背中だけ見ても本気なのが分かって、音乃も止める気に…


 「なんだネノ、もしかして止めるのか?それともお前がとどめを刺したいのか?わたしは別に構わんが」

 「そうじゃなくって。その人がどうなろうが一向に構わないけど、ターナの手を汚させたくはないよ…」


 …全くなっていないようだった。


 「ねっ、ねのひゃっんだずげで…っ?!」

 「…やかましいな」


 それでも救いを求めた男の声を、ターナは目線で圧殺する。

 それから深いため息をつき、心底疲れた声で呆れてみせた。


 「…しかし一発殴られただけでその体たらくとは、何とも情けない話だな。お前の仲間どもはもう少し抵抗してみせたものだが」

 「あん?…お、おばえまざが…ごろじで…?」

 「そんなわけあるか。まだ人殺しはしたことがない、と言ったはずだぞ。あとの二人なら…ああもう面倒くさい。連れてってやるから、そこで旧交を温めるなり好きなようにしろ」

 「え?…へげえっ?!」


 最早抵抗の意志もなさそうな男の襟首を引っ掴むと、ターナはそのまま車外に引きずり下ろし、自分で歩くこともままならない様子の男を、車から少し離れた植え込みに引っ張っていった。

 音乃も三歩ほど遅れてその後についていったのだが、こちらを憐れそうに見上げる視線に嫌気がさして足を止めてしまった。


 「ほら。そこにいるからアイサツでもしておけ」

 「…やっ、やめ…あひぃっ?!……って、あれ?」


 意外に力のあるターナが無造作に片手で男を植え込みに放りこむと、音乃も目を凝らさないとよく見えない暗がりにあった二つの黒いカタマリと、男は対面したようだった。

 だがそれは、男の想像していたような無残な死体、などではなく情けなくもふん縛られた上に猿ぐつわまでかまされて座らされていた二人の男だった。


 「…~~~!!、っ!!」

 「!!、!!!」


 …まあ口をふさがれて、仲間の生存を感涙で喜び合う、というわけにもいかなかったようだが。


 「…構わんぞ。口を解いてやれ」


 自分を見上げる三人分の視線に、ターナはウンザリしたように適当に応える。

 見えるのがターナの背中だけになってようやく音乃も近付くつもりになり、予備の革ジャンのポケットに手を突っこんで立っているターナの後ろに歩み寄った。

 背が高い分、肩越しに三人の様子を見ることになる。あまり気の進まないことだったが、ターナの近くに居ようと思ったらそうせざるを得ない。


 「……ネノ?」


 ターナが傍にいるのだから大丈夫、と思っていた。

 しかし、三人がまとまっているのを見て、音乃は自分が掠われ、危うく暴行されるところだったという事実に思い至り、吐き気を催すと同時に抑えきれない目眩から、口に手を当ててターナの肩につい頭を預けてしまう形になった。


 「…仕方ないな。一度も二度も一緒だ。気分が悪ければ吐いてしまってもいいぞ」


 そんな音乃の肩を抱き、耳元で柔らかな声で言葉を告げるターナの気配は、とても柔らかく、暖かく、それだけで音乃の脳髄に響いていた悪寒は緩くなる。


 「……ご、め…急に怖くな…って、うぇ…う……うん、ごめんなさ……ひっ、ひくっ……ぁ、あぁぁ……」


 ターナの手の温度を感じて吐き気は収まったが、代わりに嗚咽が洩れ出た。

 それは音になるほどに止めどが無くなり、よしよし、と母親が子供をあやすように背中をたたかれると余計に泣き声が止まらなくなる。

 猿ぐつわを外された二人と、まだ鼻血の止まらない一人は、そんな光景を見ながら何も言えず、さりとて逃げだすことも出来ずに、音乃を宥めるターナの射殺すかのような視線に怯えていた。




 三人の姿から隠すようにターナから庇ってもらっているうちに、時間が過ぎた。

 不審な車が入り込んでいる、とでも通報されて誰か駆けつけてくるかと思ったが、不思議とそんなこともなく、音乃はようやく落ち着きを取り戻して、「もう大丈夫だから」とターナに涙のあとの残る笑い顔を向けるのだった。


 「そうか。まだ気分が悪ければ離れててもいいぞ」

 「ううん。ターナから離れる方が、なんかイヤだし」

 「…そうか」


 二度目の「そうか」には微かな間があった。音乃としては泣き顔ですがりついていたのが、いくら頼り甲斐があるといっても年下の少女だった、ということに気付いて急に気恥ずかしくなったのだが、顔を上げた時に見えたターナの顔は、少し残念そうでもあったのだ。


 「…さて、こいつらをどうするか、なのだが」


 それでも一応、反抗する意志も失せたかのような三人組に向き直る。

 白州に引き出された罪人よろしく無言の三人は、それぞれの表情でターナを見上げている。


 「な、なあ…反省してっからよ、もう勘弁してくれねえか…?」


 その中で最初に口を開いたのは、一番音乃にこだわっていた男だった。

 あとの二人はまだ手足の拘束が解かれておらず、なんとか身体を起こしてはみたものの、縛られた足が邪魔して結局横になっている、という状態だ。


 「反省?一体何を反省したというのだ」


 そしてターナの返答は、というと冷淡そのものであり、ようやく鼻血は止まったものの顔の下半分を自分の血で汚したままの男は、その返事を聞いてまた胆を冷やしたかのように身を縮めこませるのみである。


 「ネノを拐かしたことを言うというのであれば、命乞いはわたしではなくネノにすればいい。口を利く気になっているかどうかは知らんがな」

 「………」

 「……」


 憐れっぽい目を向けられて、音乃は顔を逸らす。

 正直、これ以上関わり合いにはなりたくなかった。


 「で、何を反省したんだ?」

 「そっ、そりゃまあ…音乃ちゃんにひどいことをしたからさ……」


 ターナの声色は露骨に不興を抱いている。それを理解してしおらしくしている、という具合なのだろう。


 「そうか。では、これまでに同じような真似を何度したのか?という問いにはどう答えてもらえるのだろう」

 「へ?……あ、いやそれは、その………ってか、テメェにはそんなこと関係ねえだろ?!」

 「…………ふん」


 大声で罵声を浴びせれば相手は萎縮するだろうという短絡的な反論は、ターナの冷笑で報われた。


 「…車の中で言ってた。これで三回目だって」

 「ほう」

 「あっ……あ、あのな、それはその…ちょっと脅しのつもりでな…?ひぃっ?!」


 けれど、ターナの後ろに控えた音乃の、恨めしげな呟き。それを耳にしたターナは、男の股間のすぐ直前を、地面が抉れそうな勢いで踏みつける。


 「…確かにわたしには関係のない話ではあるな。だがな、一応これでもわたしは、この街の平穏に力を貸すべき立場なのだ。警察ならざる身でそれを果たそうとしたわたしは、どう振る舞えばいいのだろうな」

 「………わっ、悪かった!確かに、その…前に二人ばかり…」

 「もういい!もう止めて!!」

 「ネノ」

 「聞きたくない、そんな話!私以外の誰かにも酷いことをしたなんて話、耳にもしたくない!!」

 「…ネノ、落ち着け。気持ちは分かる」

 「じゃあもうこんな奴ら、消しちゃってもいいよ!!」

 「そっ、そりゃねえだろ?!オレらちゃんと謝ったじゃんか!」

 「うるさい」

 「あがっ!」


 ターナの正面蹴りが男の顔面に炸裂した。

 余人が見れば一方的にターナがいたぶっているようでもあり、見ていて気持ちのいい光景ではないだろうが。

 再び出血した鼻を必死に押さえながら、男はうずくまって呻いている。


 「…くそ、お前ら覚えてろよ…後になって後悔すんじゃねえぞ」


 低く押し殺した、殺気ばしった声はまだ横になっている男の一方から聞こえた。助手席で散々煽っていた方だ。

 それを聞いてターナは、もう口を開く余裕も失せた方を無視して、その男の顔を踏みつける。


 「面白い。覚えていたらどうなるのか、聞かせてもらおうか」

 「くそ、てめえ…抵抗出来ない相手の顔を踏むとか人間のやることじゃねえぞ…?!」

 「それはそのままお前たちに言いたいことだがな。今まで抵抗出来ない人間に何をしてきたんだ?後学のために聞かせて欲しいものだ」

 「………」


 そのまま、男はターナに踏まれるがままになっている。言い返せる立場でもないという自覚くらいはあったのだろう。

 音乃は凄絶な光景に身を竦め、もう口出しをする様子もない。

 三人のうち一番元気な男はターナの足の下にある。

 運転をしていた男は諦めたかのように大人しくしていて、ただ一人拘束を逃れていた男はとうとう泣き出していた。


 「…どうにもならんな。おい、お前たち。警察に自首してこれまでの罪をあがなうつもりはあるか?」

 「…はあ?」


 気丈にも、まだターナの足で顔を押さえられていた男が、ため息とともに洩らされた提案に反応する。


 「ここは見逃してやる。だから、この後すぐに警察に飛び込んでお前たちのやらかしたことを全て詳らかにする気はあるか、と聞いている。どうなのだ?」

 「わっ、分かった!勘弁してくれるなら何でも言うことをきくよ!!」


 ベソをかいていた男が顔を上げ、やけに明るい顔で答えた。相変わらず鼻から血を垂れ流してはいたが。


 「ちょ、おいタクてめえ、ここまでされておいて言うことを聞くってのか?!っざけんな、こいつらまとめて後で女に生まれたことを後悔させてやぎゃっ?!」

 「下品な口を利くな」


 踏みつけていた状態から引き上げられ、そのまま前後に振られたつま先によって、したたかに鼻を打った男が悲鳴を上げる。


 「…どうもお前たちの間で意見の一致を見ないようだな。おい、そこの死んだふりをしているヤツ。お前はどうなのだ」


 ターナとしてはさして強く蹴ったつもりもないのだろう。そのまま静かになった男には見向きもせず、残る三人目にそう声をかけた。


 「……どうもこうも、こうなったら生殺与奪はお前に握られているんだろう。好きにしろ」

 「ふん、いさぎよいことだな。武人なれば賞賛の一つも言上奉ごんじょうたてまつるところだが、あいにく下衆ゲスを相手にしてのことだ。願い通り好きにさせてもらうぞ」


 賞賛も否定しない、と言った割にはこの場で初めて言外に嘲りの色を込めて、ターナはそう吐き捨てた。

 それから、こちらに背を向けたままの音乃のもとに向かい、こう言う。


 「音乃、こいつらはこれから先もお前と何か接触がありそうなのか?」

 「え?あ、う、うん。一人は同じ学校みたいだから、その…」

 「分かった。面倒がないようにはするから安心するといい」

 「…ターナ、まさか……」


 おののきを隠さない顔でターナの顔を見下ろす音乃。

 だがターナは、そんな音乃の危惧を苦笑でいなして、それから手を引いて元の場所に戻る。


 「あの、ターナ…」

 「済まない。少しだけ我慢していてくれ」


 引いた腕に抵抗の力を感じはしたが、ターナはやや強引にそのまま音乃と共に三人の前に立つ。

 そして音乃を気遣うように肩を抱き、一体何が始まるのかと息を呑んでいる男たちに、告げた。


 「…どうもな。殺すだのなんだのはまだわたしには早いようだ。お前たちの所業は許しがたいが、今のところわたしが一番大事なのは、この女であるらしい。だから…」


 そうして、戸惑う音乃の肩を、少し力を込めて抱き寄せ、


 「…わたしたちのことは一切忘れろ。そしてもう少し、人間らしくしろ」

 「え?」


 何を言っているのだ、と思って顔を向けた音乃の、その唇を、ターナは自分のそれで塞いだ。


 「…?………っ?!」


 何をされたのか。気がついて慌てて腕を回す音乃をターナは逃さず、そして唖然としている三人に横目をくれると、音乃の唇の上で何ごとかを口の中で呟く。

 それからゆっくりと、二人が深く繋がったところから自身の唇を離すと、


 「…く、ね」


 凛とした声でそのように、告げた。 

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