第7話

 さて、おとぎ話には舞台というものがある。

 これは、世界の外に無数の世界が存在している、そんな舞台だ。

 一つの世界に住む人々にとって世界はただ唯一のものだし、それを前提にした暮らしが、人の数だけある。当たり前のことだ。


 だがあるとき、世界の外に別なる世界があることを識る者が現れた。

 その者は数多ある世界が分かたれていることを惜しみ、そのことを遍く知らしめようとした。

 いや、それだけではない。分かたれた世界を一つに束ねることで、人々を相通じて高みに導こうとした、という。


 …余計なお世話だ?

 いやわたしは必ずしもそうは思わないぞ、ネノ。

 例えばこの国の歴史を見ると良い。外つ国との交わりを禁じた歴史があったと聞いて、わたしはこの話のことを思い出した。その後どうなったかは、この国の民であるお前なら想像つくだろうな。


 まあそれはそれとしよう。

 ともかく、世界を通じようとした者が生まれたことに、あるいは世界の方は危機感を覚えたのかもしれない。

 …そうだな、この国の時間感覚で言えば六百年くらい前のことか。とあるところで、一人の赤ん坊が見つかった。


 見つけられた時その赤子の傍には、異形の剣が横たえられていた。そして赤子の見つかった土地には竜が棲むと言われていて、異形の剣もまた竜の牙を思わせるような、大きく例えようの無い形をしていたそうだ。


 赤子は…女の子だったのだが、そのために竜の娘と呼ばれて育てられた。これは発見された謂われだけからのことではない。長じるにつれて赤子は、人の身にあり得るベからざる異能を示し始め、その力を以てその生涯に渡って様々な事件…というか、戦争だの政争だの、そういうものの解決に尽力して、生涯を終えた。


 あー、まあ落ち着け。話はこれからだ。

 その竜の娘はだな、普通に子供を産んで、幸せかどうかはわからんがともかく人としての一生を過ごした。


 結局、世界にとって百年単位など些細な誤差に過ぎないのかもしれないな。実際に最初の話に関係してくるのは、その竜の娘が生まれてから百年ほどした頃のことになる。


 もしかして、その異世界統合の意思…ああ、わたしの世界では、数多の世界を束ねる意図を持つ存在をこう呼んだのだが、そいつは初代の竜の娘と時を同じくして生まれ、潜んでいただけなのかもしれない。


 …そう、最初からそのように対していれば、まだ話は簡単だったのだろうな。

 異世界統合の意思が本格的に活動を開始したのは、それこそ竜の娘の子孫の存在が忘れられかけた時期だったのさ。


 だが、竜の娘の子孫はやはり人にあらざるべき力を、まだ持っていた。それを駆使し、彼女は…うん、この話の主人公もやはり、娘だった。とにかく、異世界統合の意思は駆逐され、そいつが作っていた異なる世界を繋ぐ門は、その時代の竜の娘の手によって閉ざされた。…たった一つを除いてな。


 なに?何故一つを残したのかって?

 …あー、それはだな。この世界の住人であるお前には少し言いにくいのだが…異世界統合の意思は、駆逐されたといっても完全に存在を滅することは出来なかったんだ。

 それでも門を新たに作る力までは失わせるところまでは追い込んだんだ。そして竜の娘も、残ったヤツの本体をどうにかしようと、一つ残った門の向こうに放逐することで解決しようとした、というわけだ。


 そしてその、最後の門が…そんな嫌な予感と言われると立つ瀬が無いが。あー、まあネノの言う通りだ。この日本に、ある。わたしが通って来た「異界の門」は、その最後の一つのことだ。


 だからそういきり立つな。こちらの世界の時間で言っても五百年も前の話だ。その後何も起きなかったのだから、問題は無いだろうな……いやわたしに責任取れとか言われても。

 これはおとぎ話だと最初に言っただろう。そう怒るな…だからわたしの責任ではないと言っているだろーが。これ以上文句言うなら話は止めるぞ?


 …全く、話は最後まで聞け。

 その門が異世界統合の意思を放逐するのに使われた理由というのはだな、知られている限り半完成の状態の、たった一つの門だったからだ。つまり、一方通行。わたしたちの世界からは通れるが、こちらからは戻れない、という意味でな。


 それはまあ…ヒドい話だとわたしも思うぞ?

 手に負えなくなった世界の敵を押しつけられて文句を言いたくなる気持ちも分かる。けれどな、当時においてはそうせざるを得ない事情があった…と、聞いている。うるさい、わたしにだって分からないことはある。文句は五百年前に言え。わたしが知るか。


 …あー、うん。話を続ける。

 その後の話…は、わたしの出自の話になる。

 その時代の竜の娘は、四人の娘を産んだ。相手になった男の方の話は一切残っていないから、佳話だったかどうかは知らん。まあその四人の娘の末を見ると、それぞれに違う相手だったのかもな…いや、ロマンが無いとか言われてもな。


 ともかく、その四人の娘のうち、末の娘がわたしの祖先になる。

 面白いことに、というとやや語弊があるが…四人の娘の子孫は、いろいろあって竜の娘としての力を受け継いだ。長幼の順で力の大きさに違いはあったが、一応はわたしにもその力がある。

 どんな力か、だって?まあそれはそのうち…いや、あのな、おとぎ話だと言っている。あまり本気にするな。


 …ただ一つだけ教えれば、だな。異界の門の秘密、はわたしの生まれた四女家にのみ、伝えられていると聞く。わたしは知らないが。

 …仕方ないだろう。こういうのは長子……わたしの姉にのみ、口伝で伝えられるんだ。ずっとそうしてきたんだからな。

 ?…ああ、うん。まあ妹のわたしから見ても結構な美人だと思うぞ?というか、竜の娘の家系は大体そう…なんでわたしの姉の話になんか食いつくんだ?


 とにかくだ、いろんな制限はあったがそんな力を持った竜の娘の子孫は、やはり竜の娘と呼ばれて…あー、実はだな。その力というのは女子にのみ受け継がれて男の子供には一切発現しなかった。制限というのはそれも含むんだ。


 そして今度は、最初の竜の娘の時と違って、人々は世界に危機があったことを忘れなかった。いっそ忘れてしまってくれれば良かったのにな…というのはだな、四人の娘の子孫は、危機を救ったことと、大きな力を持つが故に祀り上げられてしまったんだ。

 功績を記す、なんていいものじゃない。いつか訪れるかもしれない次の危機に備えていいように扱われてしまう。わたしに言わせればそんな具合さ。




 「…それで、ターナはどうしたの?」


 一頻り話を終えたターナに、音乃はどこか倦んだような顔で問うた。


 「おとぎ話だと何度も言ったハズだぞ。まあいい。わたしはきっとこの話を聞いて、嫌になったんだろうさ。実のところ、異世界統合の意思の存在はまだ向こうでは感じられている。この世界にいて、何か力を保っているのは間違い無い。だからといって何か悪いことが起こるとは限らないし、もしかしたらこれから起こるかもしれない。まあ、そうなったらわたしの事情になるからな。力にはなろうとは思っている」

 「…そう」


 厳しい顔つきになって、音乃は押し黙った。

 話の最中、店内にいた客のうち半分ほどは帰ってしまったらしい。いつの間にか大分静かになっていた。


 「…のどが渇いた。何か飲むか?」

 「ん、そうだね。奢り?」

 「図々しいな。まあ、いいさ」


 呆れながらもターナは立ち上がり、一通り注文をこなして手の空いていた店長に声をかけに行く。

 その間、音乃は今聞かされた話のことを考えていた。

 嫌になった、と今ターナは言った。それは何に対してなのだろう。

 祀り上げられた立場についてなのか。それとも、放逐したという強大な敵の責任をとろうとしない、自分の故郷についてなのか。

 音乃から見て今のターナは、決して物事に飽いていたり投げやりになっていたりはしていない。今居る場所にドッカと据わり、日々を暮らしているように見える。

 ターナの話が事実であれば-おとぎ話だと本人は再三言っていたが-、彼女は自分の故郷に戻る手立ては無い。それは捨てたことになる、のか。

 そんな、想像するしかないターナの想いに、音乃はなんとなく自分を重ね合わせてしまう。


 自分は、縋った世界から拒まれて流れついたようにこの街に今居る。ターナはどうなのだろう。裏切られたのか、自分から見捨てたのか。どちらにしても、一つ事に背を向けたことに違いは無い。

 聞くべきことではないかも、と思いつつ聞いておきたいという自分の意志も否定出来ず躊躇するうちに、ターナが戻ってきた。


 「待たせた。店長の奢りでいいそうだ。その代わり、また来てくれだとさ」


 グラスを二つ、テーブルの上に置いてターナは席に着く。


 「うん、ありがと…って、店長さんに言うべきだよね」


 一杯目とはグラスの中の液体の色が違う。手に取って口に含むと、マンゴーの味が口に広がった。


 「…美味しい」

 「ふふ、それこそ店長に言ってやればいい」


 何の屈託もなく笑うターナに、音乃は彼女のかまけない性質を見て取って、頬を緩ませるのだった。




 「もうすぐ五月なのに、結構涼しいね」

 「そういう日もあるさ。寒いのか?」

 「ううん。どちらかといえば、気持ちいいくらい」

 「うん。わたしも、そう思う」


 店は繁華街と住宅街の境のあたりにあり、閉店の声を聞く頃合いに外に出るともう周囲は結構静かなものだった。月曜の夜のこととて、勤め帰りの人の姿も無くは無いが、その大半はもう家々に点る灯りの下に帰っているのだろう。

 家路を急ぐ人影に追い越されるような形で、音乃とターナはゆっくりと歩く。

 こんなに遅くなるとは思っていなかったから、ターナの部屋に置いてあった音乃の荷物を取りにいくのだ。


 「………」

 「…………」


 店を出た直後の、そんな他愛も無い言葉のやり取り以外に、道すがらの会話は弾むことが無かった。

 考えていることは同じなのだろう。つい先程に互いに見せ合ったものは、二人を考え込ませるのに十分だったと言える。


 音乃は、ターナが「おとぎ話」に擬して話したことが全て事実なのかは、分からない。

 からかっているだけなのかもしれないし、本当のことだとするには随分と荒唐無稽だとも思う。

 だがそれでも、ターナが何かを振り切ってこの街にやって来たことだけは間違いのない事実なのだろう。音乃自身が失ったものから目を逸らして逃げ出してきたことと似て非なるのか、傷を舐めあうような同病相憐れむ話になるのか、それはまた別として。


 「…はあ」


 そう思ったタイミングでため息が洩れる。

 ただ、それは自分のものと思えて実際には、隣を歩くターナのものだった。

 音乃は頭一つ分背の低い彼女の顔を見る。

 そういう位置関係になるのはターナの背が低い、というよりも音乃の方が平均以上に背が高いからだ。

 ぼんやりそんなことを考え、更に歩きながら横顔を眺めるという器用な真似をしているうち、それに気がついたターナはこちらを向くと、驚いた顔で「バカ、前!!」と短く鋭い声をあげる。


 「え?……いたぁっ?!」


 気がついた時には遅かった。前を向きかけた瞬間、目のすぐ前にあった電柱に、鼻から突っ込んで強かに打ち付けてしまった。


 「~~~っ、!!!っ、!!」


 声にならないうなり声。しゃがみ込んで、今激突した電柱を仇のように何度も叩く。


 「大丈夫か?」


 流石にターナは、心配そうに肩に手をかけて声をかけてきた。返事をする余裕は無かったが、鼻に当ててない方の手を上げて、問題ないとでもいうように力なく振ると、ターナも安堵したようなため息と呆れたような嘆息を同時に吐く。


 「ぼんやり歩いているからそうなる。人生もそうやってぼんやり過ごしていたら、あっという間に歳をとっておばあちゃんだぞ」

 「……そこまで言わなくてもいーじゃない」


 まだ涙目のまま、立ち上がってターナを睨んだ。ぼけっとしてた、という自覚はあるが、それくらいのことで人生丸ごと否定されて面白いはずもない。


 「そうはいくか。こういうのを何と言ったか…一事が万事、だったか?とにかくお前は足下をちゃんと見ることから始め…」

 「うるっさいな!自分だって逃げたんだか追ってきたんだかハッキリしないでいるじゃない!」

 「…ネノ?」


 何の前触れもなく怒鳴り声を上げた音乃に、ターナは面食らって戸惑った顔を見せる。

 見ようによってはドン引きした風な態度に、音乃は我に返って聞こえるような聞こえないようなくらいの声で、「ゴメン」とだけ告げた。

 それでもその意は通じたのか、ターナも「あ、ああ」と呟き、だが音乃からは一歩を避く。

 その距離はそのまま、近いようで近くはない、自分とターナの距離に倣うように思えて、音乃は憂慮の色を濃くするのだった。


 そしてまた、会話も無く歩みを再開する。

 二人の間からはいつの間にか緩みは去って、音乃は後悔したように前だけを睨み、ターナは思いあぐねるように調子の整わない歩を進めるのみだった。


 (やっちゃった…)


 そして音乃は後悔する。

 冷静に考えれば。

 自分のやってきたことターナの立場を勝手に重ねあわせ、言われたことは全部ターナ自身のことじゃないか、と根拠の無い駄々をこねただけ。

 みっともない、と自戒はするがそれを素直に態度に示せない。

 そんな子供と大人の中間のようなイライラを、忘れてしまいがちだが年下の、少女としか言いようのない相手にぶつけてしまった。

 シュンとしてしまったターナを横目でみて、そんな後悔に囚われる音乃だった。

 そしてそうしていると、こちらをチラと見るターナと目が合った。謝ろうと口を開きかけた時、ターナはまた驚いたように目を見張り、そして音乃の襟首を引っ付かんで制止する。


 「…まただぞ。本当にお前は……いや、なんでもない」


 再度電柱に激突するところを救われたのだった。

 音乃は顔のすぐ目の前にあったコンクリートを、確認するように拳を当ててからそれを避け、先に歩き出したターナの後に続くと、何か言いたいことのありそうなその背中に、


 「ありがと、ターナ」


 …と、ちゃんと届くだろうハッキリとした声で告げた。

 そしてすぐに追いつくと、横に並んで隣のターナの顔をうかがう。


 「…なんだ?」


 それは軽く眉根にシワを寄せたものだったが、見下ろすような角度からの視線に少したじろきながらも真っ直ぐに見返す視線を伴い、それからニコリと笑って「気をつけろ」とだけ、音乃に告げてきた。


 「うん。ありがとね」


 それだけのことでわだかまりは氷解する。今度は素直に礼を言えたことに自分で安堵すると、再び並んで歩き出した。



 ターナの部屋が視界に入る。

 ここまで黙ったままの歩みだったが、不思議と悪い気分はせず、また来たいな、と思っていると、


 「…どうする?寄っていくか?」


 と、はにかんだような声色で声をかけられた。


 「うん?…んー、今日は帰るよ。結構遅くまでいたしね」


 どうせまた来るから、とは言わなかったが、ターナもそれは同じ気持ちなのだろう。そうか、とだけ短く告げて止まった歩みを再開し、その古めかしいアパートの前まで来ると、


 「待ってろ、荷物を取ってくる」


 と、ひとり先にサビの浮いた階段を上がっていった。

 そんな様子を音乃は見上げ、静かな古い住宅街の様子に何故かほっとする。

 周りには誰もいない。

 東京は人ばっかりだ、と思っていたが、歓楽街をちょっと離れただけでこんな空間もあるんだ。

 故郷とは比べるべくも無いが、それでもこんなひんやりとした、けれどどこか人の気配のする静けさが、なんとなく好きになれそうな予感がした。

 二階にあるターナの部屋に灯りが点いた。何分もしないでまたターナが降りてくる。

 そう思って短く吐息をついた、その時だった。


 「……?」


 決してけたたましくはないが、閑静な町並みに相応しくないエンジン音をたてた白いワゴン車がこちらに向かってくる。

 自分の傍を駆け抜けようかという勢いの車を避けようとした音乃のすぐ目の前に、しかし耳障りなブレーキ音をたてながら、その車は急停車した。


 「え?」


 危うく、とまではいかないが安全に気を配った、とも言えない運転に音乃は面食らって動きが止まる。

 それと同時にワゴン車のスライドドアが勢いよく開き、その中から出てきた一対の腕に音乃は絡め捕られると、悲鳴をあげる間も許されず車内に押し込まれてしまった。


 「ネノ?!」


 扉が閉まる間際、ターナの叫びが耳に入る。

 それに応えようとした瞬間、音乃の口は大きい手で塞がれ、そして止まった時と同じ勢いで、車体は動き始めた。

 シートに体を押しつけられて身動きも取れない中、音乃は見たはずもない、ターナの驚いた顔が頭に浮かんでいた。

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