第18話 危機
岸川刑事はサイバー犯罪捜査班の知り合いの山口刑事に脅迫メッセージの送り主の調査を電話で依頼した。
「上司にこの件を報告したのか」「いや。誰にも話していない」「お前に危険が迫っているかもしれないじゃないか」「俺の携帯電話は限られた人間しか知らないはずだ」「警察内部の人間を疑っているのか」「万が一の場合だ。だからこの調査の件は秘密にしてくれ」「分かった。何か掴んだらすぐに連絡する」
岸川刑事は監察医を待っていた。この日は司法解剖が立て込んでいた。この解剖室の隣にあるこの部屋はいつも血の臭いが漂っていた。
「岸川、何を調べているんだ」「ちょっと確かめたいことがある」
「ここに長居をするのはごめんだな。死の穢れを感じる」岸川刑事は木下刑事が無神論者なことを知っているだけに意外に感じた。
「木下、君は死の穢れを信じるのか」「無神論の俺だって、怖いものはあるさ」
監察医の無尽医師が息せき切って部屋に入ってきた。二人の刑事の顔を見て怪訝な表情を浮かべた。
「何の用だ。忙しいので手短にしてくれ」解剖が終わったばかりの無尽は寂しくなった髪の毛が生えるようにおまじないのように撫でた。それは無尽のいつもの癖だということを岸川は知っていた。
「先日の強盗殺人の件です」「死因が窒息死だったやつだな」「なぜ血液検査をしなかったんですか」「死因がガムテープによる窒息死と分かっているのに必要ないだろう」「写真を見ると足の指の間に小さな傷がありました。気が付きましたか」「岸川刑事、さすがだな。あの傷に気がつくとは」
「なぜ血液検査をしなかったですか」「窒息死が明白だったからだろ」木下刑事が話に割り込んできた。「上からの指示だ。経費の20%削減が今年度の目標だそうだ」「被害者の血液は残っていますか」「いや。残っていない」無尽医師は岸川刑事の顔に失望の色が浮かんだのを見逃さなかった。
「俺もあの傷が気になった。そこで廃棄する前に血液検査を内密で依頼した」
「その結果は」「意外なことに何も出なかった」「どういうことです」
「仮説の1は、注射された物質は時間が経つと消えてしまうだ。証拠が残らない毒物はあるが、実際は被害者は窒息死しているだから、毒物を注入する意味がない。仮説の2は、注入されたのではなく抜き取られたというものだ」
「何のためです」「さあな」「仮説の3として、偶然の単なる傷というのは」木下刑事は岸川がこんな小さな傷に固執する訳が分からなかった。
「この傷は新しいものだ。形状や傷の深さから見て、注射針と考えるのが一番可能性が高い」無尽は断言するように言った。「なぜ血を抜き取ったんだ」岸川の問いは独り言のようだった。
「岸川、単純な事件をなぜ複雑にするんだ」木下刑事は呆れたように首を振った。「この事件は単なる強盗殺人ではないという予感があるんだ。その証拠の一つがこの傷だ」「二人とも俺は忙しいんだ。質問が無いならもう帰ってくれ」そう言うと返事を待つこともなく、無尽医師は解剖室に戻って行った。無尽の無愛想はいつものことだった。
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