第13話 堂々めぐり

 山本の女は池袋のスナックのママだった。夜の9時過ぎだというのに店には客は一人しかいなかった。薄暗い店内でも女が厚化粧をしていることは分かった。老いとともに深まる皺を化粧は隠しきれなかった。たった一人の客を相手に初老の域に入りつつあるママは自分の人生は不幸と不運の連続だったと嘆いていた。

 ウイスキーを注いだグラスは客のためではなく、自分が飲むためだった。入って来た二人の男が客ではないことをママは直感で見抜いたようだった。

「あんたたち、お客じゃないね。何か聞きたいなら、金を出しな」岸川と木下は警察手帳をママによく見えるように顔の前にかざした。

「ふーん。刑事かい。手帳見せたからと言って、はいはいと答えるあまちゃんじゃないよ。聞きたいことがあるなら、先に注文しな」木下は参ったなというように肩をすくめると唐揚げとポテトを注文した。

「酒は頼まないのかい」「仕事中だ。ウーロン茶でいい。腹が減ったから追加でピザもくれ」昼から何も食べていなかった岸川の腹は空腹で鳴っていた。この強欲な女がいくら請求してくるのか今は考えないことにした。

「ところで聞きたいことって何だい」

「山本が今どこにいるかを教えてくれ」「山本、あいつは最近店には顔を見せないね。金欠でアパートにしけこんでいるんじゃないのかい」

「山本のアパートに行ってみたがいなかった」

「最近、さっぱり連絡がないし、行先なんて見当もつかないよ」

「奴とは切れたというのか」「若い女の所にでもいるんじゃないのかい」

「奴から連絡があったらすぐに知らせてくれ」木下は電話番号を書いたメモを渡した。「ねえ。ボトル入れていかない。そうしたら気にかけておくから」下卑た笑いを背に受けながら二人は店を出た。

 ゆっくりと歩きながら岸川は木下の方に顔を向けずに独り言のように言った。

「くそ、一万円も吹っかけてきやがった」

「あの女、何か知っているな」「俺もそう思う。張り込んでみるか」

「そうだな。今日は長い夜になるな」スナックにいた最後の客が帰ったのは深夜2時を過ぎていた。二人は木下のカローラの車内にいた。署に戻るよりも木下の車を持ってくる方が早いと判断したからだった。

「いつ車買ったんだ。だいいち車に乗る暇があるのか」「車でデートするのが若い頃からの夢だった」「肝心の彼女はいるのか」岸川の質問に木下は苦笑いで返した。

「出てきたぞ」ママは不安そうにしばらく辺りを見回していた。そして、安心したのか路駐している客待ちのタクシーに乗り込んだ。都内有数の繁華街も深夜になると車の往来が少なくなっていた。接近し過ぎると尾行に気付かれる恐れがあった。木下はタクシーと一定の距離を保ちながら車を走らせた。タクシーは池袋から明治通りを南下するコースをたどっていた。

「新宿の方に向かっているな」岸川がそう言った時、タクシーが急にハザードを点滅させて路肩に停車した。急停車すると気付かれるので、木下はタクシーを追い越して行った。

「見失う。その先で止めろ」岸川は後ろを振り返って言った。岸川は急いで車を降りたが、すでに降車したママの姿は無かった。岸川は慌てて走り出した。

「今、降りた女はどっちに行った」岸川は運転席の窓越しに聞いた。タクシーの運転手は警察手帳を一瞥すると路地の方向を指差した。

「同僚がすぐに来るので、ここで待っていてくれ」そう言うと岸川は薄暗い路地の方に向かった。そこは狭い路地で小便の臭いが漂っていた。路地の先に黒い影が薄っすらと浮かび上がっていた。話し声が聞こえた。直後に女の悲鳴が上がった。岸川は路地の奥に向かって全速力で走った。街灯の明かりの輪の中でママが両目を見開いて、仰向けに倒れいていた。左胸から血が噴き出し、地面に広がり始めていた。走り去っていく足音の方に目を向けると男の後ろ姿がかすかに判別できた。

「しっかりしろ。誰に刺されたんだ。山本か」ママの顔から見る見る血の気が引いていくのが分かった。岸川は噴き出す血を両手で必死に押さえていたが、指の間から鮮血が溢れ出てきた。ママは何かを話そうとしていたが、耳を近づけても聞き取れなかった。岸川は追いかけて来た木下に救急車を要請するように大声で言った。胸の刺し傷は心臓に達しているようだった。

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