第12話 失踪した男

 ジリジリするような時間が過ぎて行った。約束の時間を1時間過ぎても山本は二人の前に現れなかった。木下が3度目の電話をかけたが、応答はなかった。

「山本を家を知っているのか」「高円寺の木賃アパートだ。ここから遠くない」

「行ってみよう」岸川は店員に山本が来た時のために伝言を頼むと店を出た。体にまとわりつくような雨が降り始めていた。

 その木賃アパートは昭和の時代に建てられた年季の入った木造アパートだった。玄関を開けると共同の靴箱があった。廊下の右側に炊事場兼洗面台、突き当たりに共同の便所があった。

「山本の部屋は2階の突き当たりだ」二人はギシギシ音を立てる階段を上がった。2階も1階同様に薄暗かった。呼び鈴がないので、木下はドアを2回ノックした。部屋の中からは何の物音も聞こえなかった。

「山本、木下だ。いないのか」ドアノブに手をかけて、回すと意外にもドアに鍵がかかっていないことに気が付いた。二人の刑事の危険信号が灯った。ドアを開けると生ゴミのような臭いが鼻をついた。6畳一間の畳はあちこちが擦り切れていた。窓際に横向きに置かれたカラーボックスが机がわりのようだった。あちこちに漫画本と週刊誌が散らかっていた。パンやカップラーメンの食べ残しが机がわりのカラーボックスにのっていた。

「これを見ろ」畳の端に黒い染みが拡がっていた。

「血か」「そうだと思う」岸川は部屋を隅から隅まで丹念に見た。争った形跡がないか、盗難にあった物がないかを調べた。この部屋には必要最低限の物しかなかった。

「今まで山本が約束を守らなかったことはあるのか」「待ち合わせに遅れたことはあるが、すっぽかされたことはない。奴はいつも金に困っていた」

「危険を感じて逃げ出した可能性はないのか」「そこまで気が回る奴とは思わないが可能性はある。昨日はいつもと様子が違っていた」

「どういうことだ」「今回の件は相当やばいと思ったのか怯えているようだった」「そのことをなぜ言わなかった」「確信が無かった。すまない」「拉致、逃亡どちらだと思う」「部屋の様子からするとどちらもありえる」

「逃亡したとすると相当慌てていたな。奴が立ち回りそうな場所に心当たりがあるか」岸川は木下の方ではなく、薄汚い壁をじっと眺めているように見えた。

「奴の付き合っていた女を知っている。しけ込むとしたらそこだろう」

「木下、山本はアイドル好きなのか」壁には清涼飲料水のペットボトルを持ったアイドルのポスターが貼られていた。ポスターは数年前のもので端が茶色に変色し始めていた。

「山本は根っからの演歌ファンでアイドルには興味がないはずだ。カレンダーがわりに貼ったんだろう」

「アイドルに興味が無いなら、期限切れのカレンダーをいつまでも貼っているのは変だな」岸川はポスターの四隅を止めている画びょうの一つを外してみた。一枚の小さな紙が畳に落ちた。岸川は色褪せていない白い紙を拾い上げた。

「何が書いてあるんだ」「数字だけだ」岸川に手渡された紙を見た木下は首を傾げた。「何だか分かるか」しばらく考えた後に木下は首を振った。

「まったく分からない。携帯電話番号かと思ったが、頭の3桁が違うな」

「わざわざ隠していたのだから、大事な番号なんだろう。他に手がかりがないならその女の所に行ってみるか」この生ゴミの臭いが充満する部屋から岸川は早く出たかった。外に出ると雨が本降りに変わっていた。


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