第8話 迷宮入り

 岸川刑事と田畑刑事は畠山家の前にいた。そこは、事件の日に偶然雨宿りをした場所だった。「偶然と言っていいのか。まるで引き寄せられたみたいだ」

呼び鈴で来意を告げたところ、出てきたのはうら若い女性だった。警察手帳を見て、怯えた表情に変わったのを岸川は見逃さなかった。

「ご当主はご在宅ですか」「ご主人様は、昨日、お戻りになったところです。応接室にご案内します」若い女性は、この家の使用人だった。屋敷は塀と樹木に遮られて外からは全景が見えなかったが、近づくにつれて相当な広さがあることが分かった。通された応接室に揃えられた調度品も高級な物ばかりだった。

「まったく驚いたな。玄関だけでも我が家より広い」田畑刑事は嘆息した。

「上を見たらきりがない。それにこんなに広い家だと居心地がかえって悪い」

若い女性がお茶と菓子を持って現れた。

「突然の訪問だったので、ご主人様は着替えていらっしゃいます。しばらくお待ちくださいとのことです」当主はなかなか現れなかった。二人がしびれを切らして、立ち上がりかけた時に応接室のドアが開いた。

「大変お待たせして、申し訳ありませんでした。事前にご連絡いただければ準備をしていたのですが」向かい側に座った初老の男は丁寧な話し方をした。

「由紀子さんのことでお話を伺いに来ました」頭髪に白いものが目立ち始めていたが、五十代半ばのはずだった。畠山家の当主は、畠山義継という名前だった。

「由紀子のことは本当にショックでした。妻は本当の娘のように可愛がっていたので、今は寝込んでいます。刑事さん、犯人を必ず捕まえてください」

「気を悪くしないでほしいのですが、由紀子さんは誰かに恨まれるようなことがありましたか」「由紀子は気立てにいい娘で、誰からも好かれていました。ですから思い当たることが本当にないんです」

「由紀子さんのご両親の事件と今回の事件と関連があると思いますか」岸川の質問に畠山の穏やかな表情が一瞬で険しいものに変わった。

「あのおぞましい事件は迷宮入りしました。当時、本家が経済的に苦境にあったことは知っていましたが、人に恨みを買うようなことはなかったと断言できます。岸川さんはなぜそう思うんですか」

「両方の事件は物取りの犯行ではありません。犯人には明確な意図があるように思えるのです。刑事の勘というやつです」岸川刑事は渡邊刑事から送られてきた捜査ノートを読んでいて、畠山家の系譜や関係については、ほぼ把握していた。

「本家が経済的に苦境だったということですが、分家のこちらから援助したりしたことはありますか」「無いですね。本家の誇りというのか、面子が許さなかったんだと思います」畠山義継は嘘をついていた。捜査ノートには本家が義継から多額の借金をしている証拠の借用書が発見されたことが記されていた。

「五千万円という金額にご記憶がないですか」義継の顔にわずかな変化が現れたことを岸川刑事は見逃さなかった。

「ああ、今思い出しました。五千万円を貸したことがありました。忘れていたくらいですから、私にとっては端金です。まさかそんな端金で私が事件に関与していると考えているんですか」

「気を悪くしないでください。刑事の仕事柄、事実関係を確認しないと気が済まないのです」田畑刑事がフォローするように話に加わった。

「借用書があるんですよ」

「本家から一時的にお金を貸してほしいと申し出があったので貸したと記憶しています。借用書も私は必要ないと言ったのですが、本家の当主畠山正継は律儀な男なので、仕方なく判を押したのです。貸した金はすぐに戻ってきたはずです」

「それはいつ頃のことですか。経済的に困っていたはずなのにそんな大金がすぐに返済されたことを不思議に思わなかったのですか」「さっきも言ったとおり、五千万円は私にとっては端金です。覚えていないですね」

「貸したお金は現金ですか」「金庫の中にある金を渡しましたよ」

「そんな多額の現金をいつも手元に置いているのですか」

「商売のコツは安く買って高く売ることです。タイミングが大事です。そのためにはいつも現金を持っていなければ儲けられませんよ」

「返金は現金でしたか」「現金だと思うが、さっき言ったように覚えていない」「おかしいですね。それならなぜ本家の方に借用書が残っているのですか。貸し借りが無くなれば借用書は廃棄するはずですね」「確かにそうだが、私は借用書は必要ないと言ったくらいなんだ。それがそんなに大事なことなのかね」

 岸川刑事と田畑刑事はさらに質問を続けたが、畠山からは目新しい情報は得られなかった。

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