第3話 雷鳴

 雷鳴が近づいて来ていた。岸川刑事は聞き込みをしていた田畑刑事を路上で見つけると声をかけた。

「どうだ。何か有力な情報があったか」田畑は額から流れ落ちる汗を拭きながら首を横に振った。「いや。何も無い。夫婦仲は良かったとか。奥さんはいつも挨拶を欠かさないとか。悪く言う人はいない。事件のあった時間に何か不審なことに気が付いた人もいなかった」

「手がかりなしか」雨がポツポツと降り始めていた。真っ黒な雲が頭上を覆い始めていた。「降ってくるぞ。どこかで雨宿りをしよう」大きな家の軒先に飛び込んだ時には土砂降りになっていた。叩きつける雨で道路脇のU字溝は溢れそうだった。「この事件どう思う」「謎が多いな。夫婦仲が良かったから心中は不自然だ。他殺にしても手が混み過ぎている。何か深い闇が隠れている気がする」

「俺もそう思う。気味が悪い事件だ」田畑がそんなことを言うのを岸川は初めて聞いた。軒先と言ってもまるで山門のような立派なものだった。番地のすべてが一軒の家の敷地だった。

「南荻窪では一番立派な家だな」田畑が独り言のように呟いた。

「お前この家が誰のものか知らないのか」「俺のような貧乏人の出身者には縁がないからな」「確かにな。俺たちが大金持ちになる可能性はゼロだな」

「見ろよ。大金持ちのお帰りだ」二人は黒塗りのベンツが近付いたきたので、門の両脇に避けた。ベンツを運転する男が窓から顔を出すと門から出るように声を上げた。その声には侮蔑の色が混じっていた。後席に座っているこの家の主と思しき男が運転手に何か声をかけた。男は窓を開けて、岸川の方に向かって言った。「失礼をした。この男は無作法で困る。何かご用かな」

「いえ。突然の雨で軒先を借りていました。申し遅れましたが、私は荻窪警察署の岸川と言います」「事件の捜査ですか。ご苦労様です」そう言うとベンツは広い敷地の中へ入って行った。門は家人によってすぐに閉じられた。田畑は背広のポケットから煙草を取りだすと火を点けた。発売されたばかりのフィルター付き煙草のハイライトだった。

「もうすぐ雨が上がりそうだ」岸川は一週間前から禁煙を始めていたが、田畑が美味そうに紫煙をくゆらせているのを見て、猛烈に吸いたくなった。

「禁煙しているんだろ。悪いがこれが最後の一本だった」岸川は田端の横っ腹を軽く肘でついた。

「今度、俺の前でそんな真似をしたら許さないぞ」そう言う顔は笑っていた。


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