お魚令嬢の恋
佐槻奏多
第1話
「はぁ……」
鏡を見てため息をつく。
ここ最近のわたしの日課に、髪を梳かしている召使いは何も言わない。
最初は心配して気遣いの言葉をくれたけれど、自分でも解決しようのない問題だから、わたしが自分で止めたの。
だって、
「見事にブスよね……」
以前は太っていたから、子豚ちゃんと呼ばれていた。
子豚の子爵令嬢ミレリア。
けれど、伯爵家や侯爵家のお姉様方と仲良くなって、痩せるのにも大分協力してもらって、お腹周りも普通になった。
でも痩せてみたら、残酷な真実が鏡に映っていた。
「どう見ても魚顔なのよ」
けれどわたしも結婚適齢期だ。お婿さんを探さなくてはならないのに……現実はけっこう厳しい。
持参金も人並み程度の、爵位も微妙な家の娘。
美貌とまで言わなくても、着飾ればそこそこみられる容姿だったら良かった。
恋に落ちてくれる貴族の男性が、いるかもしれないもの。
……男性って、けっこう見た目重視なのよ。
お姉様方が色々な方を紹介して下さるし、話がはずんで仲良くなる男性もいたけど、やっぱり女性として見てくれる人は少ない。
彼らの心の中でわたしは「妹みたいな小魚ちゃん」であって、恋の相手や結婚の相手ではないのよ。
お姉様たちにも、お魚ちゃんと呼ばれているし。
「せめて、水槽で飼ってもいいと思って下さる方が、見つかればいいのだけど」
この魚顔を眺めて楽しむ余裕がある方が現れて「小魚ちゃん、僕の所で飼われないかい?」なんて甘くささやかれたら……たぶん私はころっといく。
それが一時の気の迷いだったとしても、いい。
跡継ぎを産んだ後は、他の女性に目移りしても、私が家にいて不愉快だと思わずにいてくれる人であれば。
だから私は決意した。
お婿さん候補を探す幅を、貴族以外の人にも広げることを。
まずは土地持ちの郷士や大商人がいるようなパーティーに出席することにした。
そのパーティーは、お父様に相談して招待状を手に入れてもらったものだった。
お父様は、そこまで結婚相手の階級を下げる必要はないと言ったけれど、こんこんと現状を諭したら、さすがにうなずいて下さったの。
しかし上手くいかない……。お姉様方がいたお行儀の良いパーティーとは違って、気を遣って話しかけてくれる方もそうそういない。
むしろ皆さん、商談や人脈作りに忙しそう。
それならそれで、商売にうちの爵位はいりませんか? 魚顔の嫁つきで良ければですけれど……と言いたくなる。
と、その時。
「あ、金魚」
というつぶやきが聞こえた。
魚なんて展示されていたかしらと思ったら、ちょっとくたびれた感じの青年と目が合った。
「もしかして今、わたしのことを金魚と……?」
「あ、すみません、女性のことを金魚だなんて……」
予想通りだった上、彼はうっかり屋さんでも礼儀正しい人だった。すぐに私に謝ってくれる。
「大丈夫です。だってわたし、本当に魚顔でしょう? むしろあの綺麗な魚に見間違えて下さって良かったわ」
魚って言われただけなら気にしたかもしれないけど、彼はひらひらと美しい金魚を連想してくれたのだもの。
何度か、貴族令嬢のお茶会で会うお姉様方にも『お魚ちゃん』と呼ばれてぎゅっと抱きしめられたりしていた私は、不快に思うよりは、親しみを感じてしまった。
私が怒っていないことがわかったのだろう。彼はほわっとした笑みを浮かべる。
笑うと細身で疲れたような表情をしていた青年の、人懐っこそうな内面が浮かび上がったような気がした。
「金魚はとても美しいですよね。赤や金の色も素晴らしくて、僕が集めたい魚の一つなんです」
そうして語る姿からは、金魚への愛しか感じない。わたしという同意者を得て、とても嬉しいようだ。
「わたしも、ひらひらとした尾や背びれの金魚が好きですわ。泳ぐ姿も優雅で。尊敬しているお姉様方を思い出すんです。せめてあんな風に優雅な動きができたらと」
「あなたも十分優雅でいらっしゃいますよ。それにドレスの袖が、金魚のひれのようで素敵だなと思います」
今日の私のドレスは、少し古い型のものだった。
でもこのレースと重ねて波打ちながら広がる袖が綺麗で、これを選んだのだ。
「まぁ、わたしも同じ意見なんです。ふわっとしたところが金魚のひれっぽいですよね」
うなずけば、彼も笑顔で応じてくれる。
「だからきっと、あなたのことを金魚に見間違えてしまったのかもしれま……あ、すみません。何度も金魚って」
いくら褒めているつもりでも、魚で女性を形容するべきではないと思ったらしい。青年がまた謝るので、わたしは再度気にしていないと言う。
それでも申し訳なかったのか、彼は何か思いついたようにポケットを探り、薄青の厚い紙を取り出して私に差し出した。
「お詫びと言ってはなんですが、金魚の展示会があるんですよ。招待状がありまして……よろしければどうぞ。貴族のご令嬢がいらっしゃっても大丈夫な場所と展示ですから」
「まぁ、金魚の!」
ぜひ見てみたい。
それにもしかしたら、そこに観賞に来ている金魚好きの紳士がいて、私の魚顔を気に入ってくれる可能性だってある。
ダンスに誘われることはなかったけれど、話し相手もいて、そこそこに楽しい会だった。
来てみて良かったわ。
彼がチケットをくれた展示会は、一週間後に行われた。
お父様に金魚を見に行きたいと言えば、侍女がついて行くのならということで許してもらえた。
場所は、王都の中にある植物園の一画だった。
金魚をどう展示するのかと思えば、ガラスの器に金魚や水草を入れて、木や植物の近くに台を置いて飾っていた。
植物の緑を背景にした金魚の姿は、まるで空中を泳いでいるようで、とても綺麗。
侍女は金魚にも興味がなさそうで、可哀想だけれどついてきてもらう。
そうして歩いていると、会場の出口の近くで、見覚えのある青年を見つけた。
今日はこの間よりも少し、びしっとした姿に見える。
濃紺の上着も、黒いズボンも、普通だと思うのに……。しばらく観察して、ようやくわかる。姿勢だわ、と。
あの日は疲れていたのかもしれない。
近づくと、彼も気づいて挨拶してくれた。
「ああ、来て下さったんですね」
「はい。今回は楽しい展示会をご紹介いただきありがとうございます。あなたも、展示を見にいらしたんですか?」
「私は違うのですよ。出品する方で……。申し遅れましたが、ファルステン商会のマティアスといいます」
彼、マティアスは商人さんらしい。
聞いてみると、特に魚だけを扱っているわけではなく、むしろ布やガラスを扱う傍ら、趣味で観賞用の魚を扱い始めたと聞いた。
「特に気に入っているのが金魚で……ああそうだ、先日のお詫びにこちらを差し上げます」
そう言って、彼が指さしたのが、近くのガラスの器の中で泳いでいた金魚だ。
赤くてひらひらとして、とても綺麗。
「本当にいただいてよろしいんですか?」
「もちろんです。重たいものなので、宜しければお屋敷に後で運ばせます。お名前をうかがってもいいですか?」
「はい、あの、ハイレシア子爵家のミレリアといいます。屋敷は東地区の三番街で……」
私は名乗って説明しながらも、その声が上ずってしまいそうだった。
だってこの方、金魚が特に気に入っていると言っていた。
金魚みたいだと言っていた私のことも、もしかして、嫌だとは思わないでいてくれるかしら? と期待してしまったのだ。
ふわふわした気持ちで家に戻る。
その頃には少し冷静になっていた。マティアス様が金魚のようだと言ったのは、あのパーティーの時だけ。しかも私は、金魚の尾びれみたいにひらひらとしたドレスを着ていたのだもの。
だから、顔のことじゃないわ。
だけど翌日、あの金魚と共にマティアス様がきた時には、どうしても胸がどきどきとした。
金魚の入った水槽を使用人に運ばせたマティアス様は、執事と私に、熱心に金魚の管理の仕方を教えてくれた。
わたしも執事もメモをとりながら聞いていると、彼はとても嬉しそうに微笑んだ。
「こんなに熱心に説明を聞いて下さる方のところなら、この金魚も大事にしていただけるでしょう。本当に幸せな金魚ですね」
彼の褒め言葉に、執事も思わず笑みを見せた。
「ええ、お嬢様のものですから。大切に管理させて頂きます」
「でも生き物ですから、何かの拍子にダメになってしまうこともあります。その時は報せていただければ、新しい金魚をご用意します。他にも何かご相談があれば、どうぞご連絡ください」
マティアス様は執事に、商会の住所らしきものが書かれたカードを渡した。
受け取った執事は、それを大事にしまってくれた。
あとでその住所を見せてくれるかしら……と思いながら、機嫌のいい執事が振る舞うお茶を、マティアス様と頂きながら少しお話しすることができた。
基本的に金魚の話。
合間に他の魚と、少しだけ他のご商売の話を聞く。
わたしは楽しく聞いていたのだけど、マティアス様は夢中でお話をされていたみたいで、我に返ったように謝って来た。
「もうしわけありません。魚の話ばかりでうるさいでしょう?」
「魚顔の親近感があるので、魚のことを聞くのはとても興味深いんですよ。マティアス様の話はとても面白いので、他にも聞かせていただければ嬉しいですわ」
彼はほっとした表情になって、ではまた今度、お話しましょうと言ってくれた。
なんだかその日はとても嬉しくて、食事時にも口の端が上がってしまう。
「ミレリアは、そんなに金魚が気に入ったのか?」
お父様に尋ねられたので、私はとりあえずうなずいておいた。
でも金魚の素晴らしさを話していると、どうしてもマティアス様のお話になってしまう。
もうそれだけで、お父様は何かを察してしまったらしくて。
後で、マティアス様のことについて調べさせたということを聞いた。
教えてくれたのは、度々家を訪ねてくれる叔母だ。
「え、調べたってどういうことなのですか?」
「どうもあなたが、その商人の青年をとても気に入ったらしいと思ったらしいの。それで人をやって、彼について調べさせたようよ」
「とても、気に入った……」
気に入ったのは間違いない。嘘じゃないけれど。
でもそういう形で身元を調べるのだから、おそらくお父様は、私がマティアス様に恋したと思ったのだ。
恋。
その単語を思い浮かべるだけで、なぜかものすごく恥ずかしくなる。
だってお魚みたいな顔の私が恋だなんて、ひどく申し訳ないような気持ちになるもの。分不相応というか……。
でも、お父様が調べさせたのなら、もしかしてお父様はあの方が結婚相手になってもいいと考えていらっしゃる?
そうならいいのだけど、それから一週間経っても、二週間経っても、何も言わない。
一方で、マティアス様の方は、金魚を並べた彼のお店に招待してくれた。
それどころか、本業である布のお店の方にも招待してくださって、気に入った布を贈って下さったりもした。
わたしは一月に一度はマティアス様に会えることが、とても嬉しかった。
でもマティアス様も、誘って下さるけれども……特に『そういう』お話はされない。
だから彼も、恋心なんて抱いてはいないんだわ、とわたしは判断した。
布は二度も下さったけれども、一度だってドレスとして贈りたいなんてことは言わない。
服として贈りたいと言うのなら、堂々と服飾品を贈れる立場……婚約をしたいという意味になる。
けど、マティアス様はそれを避けているように、私には思えたの。
お父様も何も言わないまま一月たち。
二月たち。
わたしはだんだんと、マティアス様をお友達と考える様に、不相応な望みを持たないようにと自分を戒め、それが当然だと思えるようになっていった。
そんなある日、仲良くしてくださる伯爵令嬢と侯爵令嬢のお姉様方が、私の館に遊びに来てくださった。
もちろんお二人には、自慢の金魚をお見せした。
綺麗、綺麗とおっしゃってくださって、わたしも鼻が高い。
その最中に、ちょうどマティアス様がいらっしゃった。
金魚の水草を届けに来て下さったそうで。執事が一応知らせに来てくれたのだ。
お姉様たちにお話すると、それなら交換する様子を見てみたいと言うので、マティアス様と使用人が、お庭で水草などを入れ替えてくれた。
マティアス様の説明を聞いていたら、お姉様たちも、いつもとはちょっと違う笑顔でそれを見守っていてくださる。
そうしてマティアス様がお帰りになった後、お姉様たちから質問攻めにされてしまった。
「さぁ私たちの可愛いお魚ちゃん。あの方とは、一体どうやって知り合ったの?」
ずっとお世話になり続けてきたお姉様に聞かれては、答えないわけにもいかない。
パーティーで金魚と言われたこと。
それが縁で、金魚の展示に招待してもらったこと。
その時いただいた金魚が、今飾ってあるものだということも、他に布もプレゼントされたことまで全部お話することになってしまった。
聞き終わったお姉様たちは、頬がゆるみっぱなしだった。
「あの方と、お父上はお顔を合わせたことはないの?」
「ええと、一度……。布を届けて下さった時に」
応えると、伯爵家のお姉様が眉をひそめる。
「お父上は何もおっしゃらないの?」
「叔母様の話によると、マティアス様のことをお調べになったそうなのですけれど……。調べたということは、そういうお相手として考えていらっしゃったと思うのですが、もう二月以上何も言わなくて」
話しながら、わたしはうつむいてしまう。
「たぶん、お相手としては考えられないと思ったのではないでしょうか?」
いくら私が売れ残りとはいえ、結婚相手に変な妥協をすると、お父様たちの評判が落ちてしまう。
それぐらいなら、修道院送りにした方が体面が保てると考えたら、マティアス様をお相手として選んで下さらないだろう。
「それにマティアス様も、私とはお話が合う相手、としてだけ考えていらっしゃるのではないかと思うのです。あの方も、特に……そういうお話もされませんので」
だから勘違いしないように、と思っているのだけれど。
「……なるほどね」
うなずいたお姉様方は、その後ご自身でマティアス様のことについて調査されたらしい。
一週間後、調べたことを私に教えて下さった上で、お父様がなぜ何も言わないか、という理由を推測してくださった。
「ずばり言うと、釣り合いがとれない、と思っていらっしゃるのでしょうね」
侯爵家のお姉様がそう話しはじめた。
「マティアス様のお仕事は順調そうよ。観賞魚の販売も、趣味の延長のようですけれど、かなり評判が良いそうですわ。顧客に貴族もそこそこいて、だからパーティーにも呼ばれるのでしょう」
良さそうな調査内容だが、ここからが問題だ。
「けれど、あの方が呼ばれるのは、あくまで平民の中で取り立てたい商人として。準爵士でもないし、勲章をいただいたわけでもない。そして勲章を頂けるような品評会には、まだ参加させてもらえないのでしょうね」
「あ……」
やはり身分だったか、とわたしは落ち込む。
せめて国王陛下から勲章をいただけるような功績があれば、とお父様は思ったのかもしれない。
けれど何もない平民と結婚をさせるのは、難しいと判断されたのだろう。
「たぶん、マティアス様も金魚といい布といい、贈り物をされるのですもの、お魚ちゃんのことを悪く思ってはいないでしょう。でも、それ以上は……と思っていらっしゃるのではないかしら。今の状況を改善してみないと、実際に恋心を持っていらっしゃるかはわからないけれど」
伯爵家のお姉様に言われて、納得とともにさらに私の心は沈む。
「やっぱりわたし……このまま修道院へ行く準備をした方が良さそうです」
家に居残っても、お兄様や弟の迷惑になるばかり。
好きな人のところへ押しかけても、全員に迷惑をかけることになってしまう。
だってマティアス様にもらってくれと強行したとして、怒ったお父様のお友達の貴族から、マティアス様は悪い評判を流されてしまう。そうなったら、彼の商売まで傾かせてしまうわ。
うつむくわたしだったけれど、お姉様たちはそうではなかった。
「大丈夫よお魚ちゃん。私たちができるだけ手をつくすわ」
顔を上げると、お姉様たちはにっこりと微笑んでいた。
しばらくして、わたしは王妃様とのお茶会に招待された。
沢山の人数を集めてのお茶会なので、お姉様方がわたしも、と勧めてくださったらしい。
ありがたいことだ。たとえ修道院行きになるとしても、こうして王妃様とご縁を強くできれば、お父様たちの助けになるものね。
でも王宮の庭へ来て驚いた。
お茶会をする庭に、沢山の猫脚の台と、金魚を入れたガラスの器が置いてあったのだから。
「今日は素敵な商売をしてくれている方を紹介してくれて、ありがとう、ハイレシア子爵令嬢」
王妃様に直接そう声をかけられて、わたしは目を白黒する。
どういうこと!?
すると、隣にいた侯爵家のお姉様が言った。
「本当に、ハレイシア子爵家で見た金魚がとても美しくて。私も教えていただいた商人から、急ぎ取り寄せましたの」
「私もですわ、王妃様。飼い始めると、やはりこれはお勧めしたいと思って、ミレリア様の手を借りて、王妃様に献上を打診したんですの」
「…………」
え、とか。うそ、とか言いたかった。
でもそれをすると、お姉様がたが嘘をいっていると、周囲で聞いている人や王妃様にわかってしまう。
わたしは戸惑いながらも口を閉じて、必死に同意しているふりをしていた。
もうここまで来たらわかる。
お姉様たちが、マティアス様を王妃様に紹介してくれたのだ。
予想を裏付けるように、集まったご令嬢方の前に王妃様は、近くで控えていたマティアス様を呼んだ。
今まで以上に上等な衣服を着たマティアス様は、微笑んで王妃様にお礼を言い、私にもお礼を言ってくれた。
「おかげをもちまして、王妃様に献上するという栄誉に恵まれました。感謝いたします。ミレリア様」
マティアス様はちょっと笑いそうになったので、これがわたしの仕組んだことではないとわかっていらっしゃったと思う。
その後の変化はすごかった。
王妃様が褒めた商人マティアス様から、金魚を買いたいという令嬢が殺到。
評判が広まったところで、元々魚釣りが好きだという国王陛下が、マティアス様を呼ぶようになり……。
その年、国王陛下のお声がかりで、観賞魚の品評会はかなり盛大に行われた。
これもマティアス様が広めたおかげだと、お魚を扱う協会からは表彰されたと、マティアス様が笑顔で話してくれた。
一方で、わたしはマティアス様と距離が離れて行くような気がした。
忙しいマティアス様が、いらして下さることは少なくなり。
一月に一度はお会いできるけれど、それまでのようにじっくりと話す機会も乏しくなった。
パーティーで会えるかと思えば、一代貴族や勲章をお持ちの家のご令嬢が、沢山マティアス様を囲んで離さないし。
……もう、わたしとは違う世界に行ってしまったような気がして、勝手に寂しくなった。
本当に入る修道院を決めようと、わたしは情報を集め始めることにした。
わたしのことを、綺麗な魚にたとえてくれる人がいた思い出だけで、十分だと思おう。
お姉様たちには止められたけれど、諦めた方がいいと思うの。
そうして、あちこちの修道院について聞いて回って帰ったある日、家にお姉様たちが慌ててやってきた。
「やったわ、お魚ちゃん!」
「あなたのマティアス様が、勲章をいただけるのよ!」
「え!? どういうことですか?」
あれから観賞魚を飼うのが趣味になった国王陛下。
それは外交にも影響を与えて、外国の大使が来た時に、おかげで取り引きが上手くいったらしい。
相手は観賞魚が好きな人だったらしく、王宮を案内する際、宰相様がマティアス様を説明役として同席させてから、外国の大使はとても感心して、交渉時にもよく耳を傾けてくれるようになったとか。
それが、最近不作になりつつある作物の輸入に関してのことで、なおさら国王陛下がお喜びになったらしい。
「そうですか……本当におめでたいですわね」
しばらくお会いできないうちに、マティアス様はそんなにも立派なお役目を果たされたのだ。
誇らしいけれど、同時にまた、手の届かない人になってしまった気持ちになる。
だって勲章を頂いたのなら、わたしのような末端貴族の次女や三女が、マティアス様に求婚の話をもちかけるでしょう。
彼女達はわたしよりもずっと綺麗で、かわいらしい人ばかり。
とてもかなわない。
マティアス様も、普通の綺麗で可愛い女性の方がお好きでしょう。
だから勲章を受け取る日、わたしはお姉様がたから出席できるように取り計らっていただいたけれど、胸が苦しくて、欠席してしまった。
そうして屋敷で、修道院へ行く時に持って行くものを選別した。
でもじっと作業し続けるのは辛い。
少しは息抜きをしようと思って、庭に出た。
そこになぜか、勲章の授与式を終えたばかりらしいマティアス様がやってきた。
式には出たのだと思う。
今まで見たこともない、上等な黒の衣服の胸には、金と真紅のリボンの勲章がつけられていたから。
でも、うちのお父様たちも授与式を見に行ったはずなのに、戻って来ていない。
そんな中、マティアス様は急いでここまで来て下さったみたいだ。
屋敷についてからも走ったのかしら。息を切らせていた彼が、ようやく落ち着いたらしく、一歩二歩と私の方へ歩いてくる。
「ミレリア様、授与式にいらっしゃらなかったと聞いて、驚きました」
わたしの方も、まさか出席しなかったわたしの所に、こんな風に急いで来て下さるだなんて思わなかったので、驚いていた。
「あの……その……」
どう言えばいいのか。
マティアス様が勲章を頂いたことを、喜んでいないわけじゃない。
ただ晴れがましい場面を見たくても、その後、きっと沢山の人に囲まれて、わたしなんかじゃ声もかけられない状況になるのが、とても嫌だった。
悩んだ末に、わたしはお祝いの言葉だけは口にすることができた。
「勲章、おめでとうございます」
「ありがとうございます。あなたのおかげです、ミレリア様」
「え? わたしは何も……」
何もしていない。ただ金魚が綺麗で。そしてマティアス様が優しくしてくださったから、ちょっと舞い上がっていただけで。
後はお姉様たちが取り計らって、その後はマティアス様ががんばったからこそ、評判を維持した上で幸運に恵まれただけ。
何かできたとしても、最初に金魚をいただいたことで、ささやかな踏み台になれたことぐらいではないかしら。
なのに、マティアス様は首を横に振る。
「いいえ。あなたのおかげ……むしろ、あなたがいたからです」
いつもは、数歩離れた場所で立ち止まっていたマティアス様が、今日はその距離を詰めた。
なんだか怖い気がして、後ろへ一歩下がりかけた私の手を、マティアス様が捕まえる。
「聞いて下さい。私は、どうしても急いで実績が欲しかった。商人らしい売り上げの実績は、ゆっくりと築き始めてはいましたが、それをのんびりと待ってはいられなくなったのです」
「実績……?」
「勲章ですよ。それぐらいの名誉がなければ、とても望めないようなものが欲しかったのです」
それは何ですか。
問いかける言葉が出て来なかった。マティアス様が、ぎゅっと強くわたしの手を握ったから、そのせいで胸が苦しくなって。
「私は、この世で一番手に入れたい金魚がいるんです。手に入れるためには勲章が必要だろうとわかっていました。それだけの功績があれば、将来一代限りの爵位くらいはもらえるでしょうから」
「一体、何を?」
何が欲しくて勲章が必要なのか。
問いかけながら、わたしはどうしようもなく心が揺れて涙が出そうだった。
もしかしたらという願い。
でも違うかもしれない、わたしが夢見がちなだけで、彼は本当に感謝の言葉を言うためにここに来ただけかもという気持ち。
辛くて、早く答えが聞きたかったわたしに、マティアス様が微笑んで言った。
「金魚みたいな子爵令嬢ですよ。ミレリア様……今なら言えます。どうか私とお付き合い……いえ、婚約していただけますか?」
聞いた瞬間は、幻聴かと思った。
胸がどきどきしすぎたのか、マティアス様の言葉を聞いた瞬間に頭が真っ白になりそうだった。
うそ、と言いたい。だって夢みたいだから。
でも本当なら、ここでそんなことを言ったら、本当にマティアス様は私から離れてしまうかもしれないと怖くて。
「あの、わたしでいいんでしょうか? 間違いじゃないですよね?」
つい確認をとってしまったわたしに、マティアス様が笑った。
「あなたがいいんですよ。私の好きなものを同じように好きだと言って、熱心に話しを聞いてくれたあなただからです。……返事は?」
二度目の言葉を聞いても、まだ私は夢心地だったけれど。でも今応えるべきだというのはわかった。
「はい。婚約、いたします」
答えた瞬間、マティアス様がわたしをぎゅっと抱きしめた。
その強い力に、ちょっと痛いなと思ったその時、ようやくわたしは実感したのだった。
自分の恋が叶ったことを。
お魚令嬢の恋 佐槻奏多 @kanata_satuki
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