第10話 ライツ

「俺は…」


峯岸は、恐る恐る喋り出す。


形にならないものを口に出すことで壊れてしまうのではないかと、不安に感じている。


「俺は…」


「俺は?」


おじさんは、峯岸の口からこぼれるモノを待っている。


自分が形にできなかったモノを、目の前の青年が形にする事を。


夕暮れが当たりを包み、やがて夜が訪れる。


しばらく二人は、そっとしておく。


ひとまず、一旦話しを預かる。


確かにアガペーはある。


僕らは頭の良い生物だ。そのうち世界の謎を説き明かす。


そうやって、いつも何かの衝動に駆られている。


何かを手に入れる。欲求を満たす。


それは、時々ゲームみたいに無感情に果たされる。


僕らは頭の良い生物だから、簡単にそんな事を繰り返す。


だけども、それとは別にアガペーはある。


社会に存在するだけで、生きながらえる事ができる僕らは、意外に他人をほっとけない。他人をほっとけないだけじゃない。時には執拗に関わる。


きっと、利害だけじゃそれは出来ない。


損得抜きで、親は子供に飯を食わす。


微笑みの対価に命を差し出す。


それは、身体のどこかに在るのだろう。


身体中を転がり廻って、時々”ポンッ”と跳ねるんだろう。


そんな想いをしたことは無いだろうか?


アレはきっと、誰かに教えられてするもんなんかじゃ無く、確実に最初から埋め込まれている”何か”なんじゃ無いだろうか?


それを、何時でも確かめたい。


誰かの為に何かをしたい。


そんな感情が自然に沸き上がるんだったら、素直にそれに従いたい。


だけども、それだって邪魔をするのは意外に自分だ。


思った事を頭で考えて、結局何もしないままだ。


何時までそれを繰り返すんだろう?


きっと、何時までもだろう。だろうし、それでいいんだろう。


だけども、ちゃんと知っておきたい。


誰かの為に何かをしたい気持ち。


確かにアガペーはあると。


さて、そろそろ話しを戻す。


峯岸は、誰もいない世界にひとりきり。


ようやく何か見えてきたような、気がしてる。


正しい事は何?


結局それは解らない。


多分それは、何時か脳みそが死んだ時解るだろう。


だったら、今は何も考える事なんか無い。


思ったままに進めばいい。


「俺は…」


気持ちを言葉にしようとした時、誰もいない世界に隣人が表れた。


「おじさん」


「どうした?」


「俺は立川を助けに行きます」


「そうしてやれ」


「はい、そうします」


「餞別だ」


おじさんは、封筒をポイと投げて寄越した。


峯岸は、中を見る。


10万円入っていた。


「どうもっス」


峯岸は、ありがたく頂く。


「何か正しい事に使ってくれ!」


「そうします」


峯岸はそう言うと、原チャリに飛び乗った。


「あ…」


峯岸は、ふと思い出したように呟く。


「やっぱり、これ返します」


峯岸が差し出したのは聖書だった。



「考えても、しょうがないんで」


「そうか?…そうだな」


おじさんは、納得するとそれを収めた。


「それじゃあ」


峯岸は、挨拶をすると走りだした。


何処へ行く宛てがあるのか?あっという間に闇に消えた。



おじさんは、夜の公園で一人きり。


長かった自分の人生を思いながら今日も眠る。


去って行った少年の後姿を思い出し呟いた。


「じゃあな、クソガキども」



峯岸は原チャリでひとりきり。


たった一人で逃げている、立川を助けに走っている。


何が出来るか解らない。


ただ助けたいと思うから、今はそれに従う。


峯岸は、そうやって走りながら、海の女の子を思い出したりした。


きっとこんな風に、会いたいと思えば、何時かあの娘にも会えるだろうと思っていた。


身勝手だけどしょうがない。


そうする事が道標なのだから。


峯岸は原チャリでひとりきり。


ただひたすら走り続ける。正しい事って何?


それは結局、解らない。


ただ、こうやって走り続ける事で、それに向かっているような気がした。


一人で震えている立川へ向かって。


アイツが何処にいるか、それは正直解らない。


それでも峯岸は、確信的に真っすぐ進む。


その先には、でかくてまあるい月が浮かんでいた。


月の光に向かって、峯岸は走る。


だってそうだろう。


虫でも草でも。


みんなそれに向かうんだろ?




だとしたら”ライツ”



今はそれに向かって。









−終わり−

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ライツ 枡田 欠片(ますだ かけら) @kakela

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ