第9話 アガペー

「それで?どうなった?」


おじさんは、タバコを吹かしながら聞いてくる。


峯岸は、公園でおじさんと二人きり。


これからどうしたもんか?それを悩んでいる。


「それで…。よくわかんないです」


「そうか」


立川のしたことは、次の日の新聞で概ね知ることができた。


”暴力団事務所で発砲!未青年の容疑者は逃走中!?”


大袈裟に踊る文字は、しっかりその通りだ。


立川は、おじさんにもらったピストルで事務所に押し入った。


「でも、あれだろ?」


「はい?」


「怪我人はいないんだろ?」


「はい」


その通りだ。結局、素人の腕じゃ誰も傷つけることができなかった。


そして、そのまま逃げている。


立川は、親父さんの仇を討つことができなかった。


「まあ、よかったな」


「まあ。でも…」


「でも?」


おじさんに、聞かれて口ごもる。正しい事が解らない。


立川は、親父さんを失った。かけがえの無いものを失った。


だとしたら、立川の想いは果たされるべきだったんじゃ無いのか?


「確かに…」


おじさんは、何かを察したように話し出す。


「オマエの相方にしてみりゃ、良くないかもな」


「はあ。ですかね」


「でもな…」


「でも?」


「誰かを傷つけりゃイタいのは自分だしな」


それは確かにそうかもしれない。でも峯岸はなんだか腑に落ちない。


だとしたらアイツらは?立川の親父さんを追ったやつらは?


「イタいのは自分だけスか?」


峯岸が聞く。


おじさんは、黙って頷く。


「自分だけだ。結局」


「おかしいじゃないスか!」


峯岸は声を荒げた。


「タマは一個もアイツらに当たらなかったんスよ!痛くも痒くもない!」


おじさんは黙ってそれを聞く。


「アイツらは、そうやって繰り越すんだ。他人を痛め続けるんだ!」


話しているうちに、峯岸の心の中には怒りが込み上げてきた。


立川が叶えられなかった想いが自分の中に芽生えた事を、そのまま感じた。


言ってみれば、それこそが正しい事の様なつもりで。


「いや、アイツらだって痛い筈だ。ただ…」


「ただ?ただなんスか!?」


「麻痺しちまったんだ。繰り返す事で」


「それじゃあ!?」


「それは、アイツらの話しだ。オマエや相方には関係ない」


「…?関係ないって?」


「人を傷つける痛みが麻痺するような循環。入り込まないに越した事はない」


「…。」


「そんなのは、ただの不感症だ。それよりも…」


「それよりも?」


「もっと大事なモノを大事にした方がいい」


おじさんは、そこまで話すと昔話をしだした。


「昔、若い頃俺は…」


おじさんが始めた昔話は、それこそお伽話みたいで、峯岸は訳が解らなかった。


「世界を変えようと思ったんだ。正義で」


「世界を?どうやって?」


峯岸は聞く。


「どうやってって。いろいろとあるわな」


「いろいろ?どうやって?」


「まあ…。暴力で…だな」


そこまで聞いて、峯岸はテレビで見たような昔のニュース画像を思い出した。


ヘルメットとマスクをした大勢の人が、火炎瓶を投げているような。


「結構深くやっていたんだ。表で騒いでるのより深く」


「それは…」


「それは?」


「それは、正義だったんですか」


おじさんは苦笑いをする。


「まあ…な。その時は、そう信じてたな」


「その時?今は?」


「今か。今も信じてるかもな…」


おじさんの答えに峯岸は首を傾げる。


「正義なんてな…」


おじさんは続ける。


「正義なんて、人の数だけあるんだ」


「はあ」


「誰の正義だって、他から見たらただの主義主張だ」


峯岸は聞いている。おじさんの話しを不思議な気持ちで。


「そんな事より…」


「そんな事?」


「ああ。話しの続きだ。正義なんかより」


「はい」


「本当は正義なんかより、俺には守らなきゃならないものがあったんだ」


「守るもの?」


「ああ」


「なんスか?」


「数十年前。俺には家族がいた」


峯岸は、おじさんのテントで見た写真を思い出す。


”光”だ。


「そうやって、カクメイにのめり込んで行った俺は、その時持っていた家族を捨てた」


「捨てた…ですか」


「捨てられたのかもな。ハハ」


おじさんは笑ってはいるが、悲しい顔をしている。


「俺は…」


「はい」


「俺は思い出すんだ。アイツらの悲しい顔を。」


「はい」


「新しい世界なんかより、理想の社会なんかより…」


「はい」


「俺には、本当に守らなきゃならないものがあったんだ」


「は、はい」


「単純な事だと思わないか?」


「はい?」


「そうやって、大切なモノを守りたいって事」


「はあ…。どうですかね」


「アガペーって言うんだ。そういうの」


「アガペー?」


「そう。隣人愛って言うのかな?」


”汝の隣人を愛せよ”


聖書の言葉が頭を過ぎる。


「そうやって、自然に誰かを守りたいと思う事。それは最初から備わっているものなんだ」


峯岸の心がグラリと動く。


「それは、人間の正しい資質なんだ」


与えられたのは、答えだったかも知れない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る