第5話 ひとり
峯岸は原チャリでひとりきり。
どこに行くでも無く走っていた。
いつも一緒の立川は今日はいない。
立川はおじさんのところで働く事になったのだ。
「おやじの店がね…」
経営がうまくいっていないようだ。
立川のピンチなのだから、何らかの手助けが出来ないものか考えた。
でも。
「俺の事だから」
そりゃそうだ。しかも正確には立川のおやじさんの話しだ。
こんな小僧に助けられるいわれもない。
学校やらで会う立川は元気そうだ。
いつだって元気そうによく寝てる。
働くっていうのはそういうもんらしい。
”働くと疲れるぞ”
おじさんの言葉だ。この前聞いたやつだ。
きっといつかわかるだろう。
だとしたら今慌てても仕方ない。
峯岸はデタラメに路地を駆け抜けると、駅前のコーヒースタンドに入った。
カウンターでコーヒーのあったかいやつを頼むと、一人で席に着いた。
ひとりで過ごす時間も悪くない。
なんて思ったりしたけど、そんな時間はあっという間に持て余してしまった。
時間といい、金といい。
与えられた分だけ持て余してしまうとはどういうことだ?
いわゆるこれが若さの特権なら、そんな時代なんてさっさと飛び越えてしまいたいと峯岸は思っていた。
それはともかく、あまりにも手持ち無沙汰なため峯岸はおじさんに貰った聖書を開く。
1ページ目から丁寧に紐解いた。
その分厚い本は、それだけで目眩がするのに、その中にはもう容赦のカケラもないくらい小さな文字が並べられていた。
峯岸は怯む事なくそれらを目で追った。
そしてそのまま、地球創造の物語に没頭していった。
神様というやつは、思ったよりも人間に寛容だ。
峯岸の知る神様は、簡単に世界を沈めたりもしてしまう物だった。
確かにそんな審判は下されたりもした。
でもそれより、神様だったり、神の子だったりが与える言葉は優しさそのものだった。
そんな言葉のひとつひとつを。
守り続けていけば自分は正しいじぶんになれるのかも知れない。
そう考えると、これからの人生が驚くほど簡単に感じた。
しかしそう感じる事で、今度は神様の言葉が急に色褪せて感じた。
たぶん、これらの言葉はそんなマニュアルなんかじゃない。
峯岸は、すぐにそれを思う事ができた。
これらの言葉は、自分が自分で感じなければいけない言葉だ。
あるいはそれが神様の存在を感じるという事なのかもしれない。
辺りは、たっぷり暗くなっていた。
すっかり冷めたコーヒーをゴクリと飲みほすと痺れた喉にしみるような感覚が残った。
店を出ると峯岸は原チャリに乗り走り出す。
ひとりで操るその原チャリは、二人の時よりもちろんスムーズで、うんざりするくらいスピードがでた。
「まあ、いっか…」
緩めようとしたそのスピードを更に加速させ、峯岸は路地を進む。
やがて、仕事が終わったおじさんがいる公園にたどり着いた。
「おお、相方なら帰ったぞ」
「いえ、別に用事無いっすから」
峯岸は、言い捨てると辺りをキョロキョロ見回した。
「どうした?」
「いえ、べつに」
おじさんは訝しげに峯岸の顔を覗き込むと更に続けた。
「ひとりはつまらないだろ?」
「ええ、まあ」
「お前も働いたらどうだ?」
「いや、いいス」
時間が余ってるのだから有意義に使う事も考えたが、金と一緒で目的も無しに使うのは少し違う気がした。
あと、ちょっと重い。
「あいつは、親父さんの為だって?」
「そうッスね」
「いいよな、そんな風に働けるのは」
「いいッスね」
だったら自分はどうなんだ?とも考えたが、そんなもの捻り出す答でもない。
「おじさんは…」
何の為かと聞こうとしてやめる。
おじさんも聞かなかった事にしてくれた。
「俺は、遠くに行ってみようと思います」
「そりゃいい。どこ行くんだ」
「とりあえず海へ」
別に決めてた訳じゃない。
たった今。思いつきで決めた。
でも、すごくいい事な気がした。
この町には海がない。海に行くには何キロも走らなくてはいけない。
だからいいのだ。
時間が余ってるなら、そんな事に使うのがちょうどいい。
「海か。俺も行きてえな」
「行って下さい。いつか」
「そりゃそうだ」
峯岸とおじさんは肩を震わせて笑った。
「そうだ、これ」
峯岸は持っていた聖書をおじさんに返した。
「持ってろよ」
「いや、いいス」
「重いか?」
「そうッスね、それに…」
「それに?」
「まずは、自分で見てきます」
おじさんは目を丸くして聞いていた。
「見るってお前。神様をか?」
「ですかね?」
言葉をなぞっても今は無意味だ。
だから、海へ行くのだ。
「ずいぶんとまあ…。でかくでたなあ」
「ですかね?…ですね」
「だとしたらまだ持ってろ」
結局、聖書は峯岸の手に戻ってきた、
そんなこんなで礼を言い。峯岸は海へ向かった。
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