ヒレヒメとウキヒメ

 如何程いかほど残念無念ざんねんむねんなら、あのような形相ぎょうそうに成るのであろうか…

 過程かてい考慮こうりょすれば惻隠そくいんの情をもよおす。だが…


 チョウ・セイは計り知れないほどの悔しさを込めて、眼前がんぜんの〝無念顔むねんがお〟をにらめ付けていた。


「ウワワァァァアイヤァァァー!!」


 木の後ろに隠れていたチョウの部下が、〝涕泣ていきゅうがお〟の右顔うがんに見つかり、細長い二本の右手に捕獲ほかくされた。


〝ブチッ〟


 いとも簡単に首をネジ曲げられ、事切れる。

 直後に遊び終わった人形のごとく放り捨てられた。

 

 一刻いっこく前まで三十数名の御供おともが居たが、残るは一人。


 そして今、〝絶叫ぜっきょうがお〟の左顔さがんに最後の一人が見つかって捕まった。


 チョウは五体居たうちの四体を倒した…

 だが残り一体に利き腕を無惨にも切り裂かれ、骨まで達してげかけている。

 両足もあらぬ方向に曲がり、もはや立つことも出来ない。


「ギャァアアアァァァアアアァァ…!!」

 大量の血飛沫をまき散らしながら、森中に断末魔の悲鳴が木霊こだまする。


対不起ドゥイブチー…」

 チョウは大樹にもたれながら、最後の仲間の首がねじ切られる所を見つめていた。

 唇を噛み締めながら言った謝罪の言葉は、殺された仲間達と自国の太守たいしゅに宛てたものであろう。


「ゴォ…ウゴォゥゥゥウゴォ…」

 喋ったのか、鳴き声なのか分からないが、真ん中の〝無念顔むねんがお〟がチョウを見ながら何やら発した。

 人間の顔だが人間では無い。

 身体の大きさが人間の三倍は有る。

 何よりも顔の数と手足の数が違う。

 怪物は鉤爪かぎづめが付いた四本の手を伸ばし、食べる訳でも無い獲物を捕らえようと動いた。


死怪物シグァィウー…」

 チョウ・セイは既に死ぬ覚悟は決めていた。

 だがの武官の意地。最後まで抵抗してやろうと身体を無理矢理動かそうとした時…


「ョッ…うごいたらあかんョ…」


 どこからかかすかに女の声がした。

 回りを見渡したが誰も居ない。

 もたれている大樹の後ろか?


「すぐ…治すョ…待ってて…」


 違う…

 声は上からだ。

 木の上に誰か登って居たのか…

 そう思って上を見る。


 いや…違った…

 木の上では無かった…

 空中だ。


 木の横、十尺ほど上空に、年端も行かぬ少女が宙に浮きながら生気せいきの無い眼を下に向けている。

 無表情な上に手足もダランとしているので『首を吊った死体か?』と、チョウは最初まず疑った。

 いや、喋るから死体で有るはずが無いのだが…

 余りにもみょうでチョウは混乱していた。


 小さな丸を作ったみづらから見ても、まだ十歳位か…

 衣服は素朴な貫頭衣かんとういだがたすき掛けした桃色の長い布は、絹では無いのか?

 結び目が少女の後ろで羽のようにヒラヒラしてるが、だからといって空中にたたよう道理は無い。

 如何いかなる仕組みで浮いているかは分からないが、道連れにするには忍びないとチョウは思った。


「お嬢さん…早く、逃る…」

「ョッ…もう大丈夫…」

「え?」


 チョウは少女に前方を指され、視線を前に戻す。


 …無い。


 さっき睨め付けていた怪物の三つの顔が無くなっている。


 いや、正確には三つの顔は黄色い布におおわれていた。


 怪物は藻掻きながら四つの手で顔の布を剥がそうとしているが、その鋭い爪をもってしても布は破れないでいた。


「???」


 チョウは何が起こっているか理解出来なかった。


 怪物は急に動きを止めると、手がダラリと下がり、地面に四つの膝を付いた。

 刹那__

 布が外れたかと思うと、血とは思えぬどす黒い液体を飛ばしながら三つ顔の頭が弾き飛んだ。


 怪物の巨体はそのまま前倒しになり〝ドスン〟と音をたてながら地面に突っ伏す。

 同時に怪物の後ろから人影が現れた。


 人影は別の少女だった。

 上空に漂う少女よりは年上だろうが、まだ少女と呼べる位の年齢だろう。

 朱色の上着に黄色い帯、足結あゆいを巻いた白袴を履いていた。

 束ねた髪を尾花のように括り、頭上に鮮やかな木櫛きぐしを付けている。

 頭や首に付けた勾玉まがたまの飾りからも、それなりに身分が高い少女だとうかがいしれる。

 何よりも印象的なのは、その整った顔の吊り上がった大きな目だ。眼光から気が滲み出ている。


「仙術…?」

 チョウは大気のタオから何かを感じた。


 大きな目の少女は先ほど怪物の顔をおおっていた黄色い布を〝パンッ!〟とひと振り鳴らすと、何事も無かったかのように首に巻いた。


「ごめんなさい…追い剥ぎみたいなことするけど許して…」


 誰に言ったのか分からないが、大きな目の少女はそう言うと、右手を横にかざした。

 翳した場所には先ほど怪物に殺された遺体が有ったが……


「ハヤスセリテマジコレ…」


 何かをつぶやくと同時に…

 動いた!

 いきなりかざした先の首の無い遺体の上半身が、持ち上がったではないか!


 まだ生きている?!


 いや、首が無いから生きてるはずが無い…死後硬直か?


 だが、そうでは無かった。

 よくよく見ると動いていたのは遺体では無い。

 遺体が着ていた衣服だった。


 衣服はなぜか独りでに動き出し、まとっていた主人を見捨てるかのように勝手に脱げ、大きな目の少女の元に〝ふわふわ〟と飛んで行く。

 少女は飛んで来た服を掴むと、〝ビリッ〟と引き千切りながらチョウの元に駆け寄った。


「トヨ!どう?助かりそう?」

「ョッ…うん…」

「良かった。ごめんなさい…貴方以外はもう無理みたい…もう少し早く来ていれば…」


 目の大きな少女はそう言いながら破った服をチョウのもげそうな腕に巻きだした。


「謝謝…ありがとう。この怪我。私もう無理」

「大丈夫。トヨが何とかしてくれる。ジッとしてて」


 腕にしっかり布を巻きつけると、血が止まりだした。


 上空にいた少女がいつの間にかチョウのかたわらに来て、傷口に手をかざしている。

そして羽虫の音ほどの小さな声で何やらつぶやく。


「ョッ…トヨウケメグミテマジコレ…」


 すると直後にチョウは身体に何かが流れる感覚に襲われて驚愕きょうがくした。


「凄い!気流れる。何だ、この気は?仙術?いや、これ鬼道きどうか?」


鬼道きどう?ああ、それは禁厭まじなひ。〝霊力〟を〝る〟術。そういえば大陸ではって言うことも有るって、猿じぃが言ってた」


禁厭まじなひ?」


「そう。さっきの三面宿儺みめんすくな禁厭まじなひで、死体と荒御霊あらみたまで作られたものだよ。のろひとも言う外道の禁厭まじなひ…」


「うむ。分からない…だが仙術と同じ、神奇的しんきてきな力分かった」

「変わったなまりだけど…貴方どこの国の人?」

「ああ、失礼。私、魏の使い。チョウ・セイです」

「魏の国!ずいぶん遠い所から来たんだ!」

「はい。有る任務、遂行すいこうする為、言われて来ました」

「へぇ~…」


 目の大きな少女は更に目を大きくして、興味深げにチョウの服や剣をマジマジと見だした。


 傍らに居た幼い少女の方は興味が無いのか、治療が済むと寝起きのようにボゥーとした顔でフワフワ浮きながら何処かに行った。


「この片刃かたはの剣は鉄?なるほど…薄くして軽くしたのか…細工も綺麗だね…」

「興味有るならお礼だ。差し上げよう」


「いや、私は剣や弓矢を持たない。ものあやかしは殺しても人は殺さないと決めてるんだ」


「アイヤ!そうだ!貴女どうやってあの怪物の首、落とした?武器持って無いのに?」


「ああ。これだよ!」


 少女は首に巻いた布を指差ゆびさす。


「布?」


 確かに怪物の顔に巻かれていたが…

 あんな怪物がこの何の変哲も無い普通の布に倒された?


「これは〝ヒレ〟。を宿したきれのことを言う。私の禁厭まじなひぬのを宿して意のままにあやつることが出来る」


「布…操る…」


「そう!私はヒレ使い。根の国のスセリだ!よろしくチョウ!」

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