最後の覚悟(2)

 こんな時に、一体誰だ。


 剣崎は痛みに顔を歪めさせながら、手を内ポケットへと伸ばし、携帯電話を取り出した。携帯電話のディスプレイは右半分が割れてしまっており、液晶が洩れ、黒く染まっていた。液晶が生きている部分には、発信者の『日向貴』と途切れた状態で表示されていた。


「う……っ」


 通話ボタンを押し、ゆっくりと耳元に持っていく。


『もしもし!? 葵っ!?』


 繋がったと同時に、彼女の焦りが含まれた声が聞こえてくる。


「あ……貴美子ちゃん……」

『大丈夫?』

「うん。ちょっとだるいだけだよ……」


 嘘だ。

 日向に悟られない為に、なるべく声の調子を普段通りに心掛ける、しかし、どうしても声が途切れてしまい、不自然となる。


「今、お母さんと中継……見てるんだ……」

『私も……。剣士さん、動かない……』


 やはり、あのヘリコプターはテレビ局の物か。


『大丈夫かな……。まさか――』

「大丈夫」


 剣崎は彼女の言葉を遮り、そう言った。


「あの人は、大丈夫……。街を護るって約束してくれたもん……」


 電話の向こうの友人が怯えている。希望を願っている。その希望も、見せつけられている光景に打ち壊されようとしている。恐怖し、絶望しようとしている。


 それは、他の人もそうなのだろう。誰もが、今の光景を見て、希望を砕かれようとしている筈だ。防衛機関だけではどうする事も出来ないと、誰もが理解している。もう、女剣士だけにしか、希望を抱く事が出来ない。だがそれも、崩れ去ろうとしていた。


(私が……)

「絶対……勝ってくれるよ……」


 そうはさせない。必ず、護ってみせる。


『そうだよね……。信じないとね……。信じる事しか出来ないもんね……』

「うん。きっと大丈夫」

『ありがと。ごめんね、しんどいのに』

「いいよ……。じゃあ、切るね。ちょっと、やる事あるから」

『分かった。じゃ、またね』

「うん。電話してくれて、ありがとう。貴美子ちゃん」

『当り前よ。友達だし』


 電話越しの日向が小さく笑うと、通話を切った。


 剣崎は耳から携帯電話を離し、内ポケットに戻す。


「……よし」


 一つ深呼吸をし、全身に力を込める。


「あああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」


 激痛が体の隅から隅まで駆け巡っていく。まるで、刃物で体が滅多刺しにされているかの様に錯覚してしまう程だ。意識が何度も奪われそうになったが、歯を食い縛る事で奪いに来る鬱陶しいものを薙ぎ払う。


 ここで倒れれば、誰が木塚を倒す。居ないだろう。


(私が、叩き斬るっ!!)

「せいやぁっ!!」


 体を起こし、白い日本刀を支えに立ち上がる。痛みに膝が大きく震え、何度も膝を着きそうになった。握力が弱まり、柄から手が外れそうにもなった。しかし、力を込め、きつく握り締める事で、それを防ぐ。


 剣崎は足を引き摺りながら、離れている木塚の下へ歩く。四本の触手がこちらの様子を窺う様に蠢き、木塚に意見を求める動作をする。それに対し、彼は鼻で笑う。


「……先生」


 マスクを下ろし、彼に言う。


「私は……先生に言いたい事があります……」

「あ?」


 木塚の顔が僅かに歪む。


「皆を……護る力をくれて……ありがとうございます……」

「……はぁ?」


 こちらを訝しげに見据え、眉を潜める。そして、忌々しそうに歯ぎしりをし始めた。


「どういう意味だ……」

「言葉の……通りです。この力が無かったら、私は……お父さん、葉菜ちゃんを護れなかった。何も知らずに、二人を失っていました。自分の意志で護る事が出来ました……。今までの自分が……周りに流され続けた私が、自分の意志で護る事を考えられました。そして、今。皆を、自分の意志で護ろうとしています。昔の私なら、絶対に逃げ出していました。例え、この力を持っていたとしても。けど、皆の願いが、私の力になります」


 私は自分が嫌いだ。


 身長が一七八センチ。自分の意見を発言する事も出来ない。極度の人見知り。必死にやってきた事は、交友と勉強だけ。何の面白味の無い生活を送ってきた。この先、大学行き、就職し、素敵な人と出会って結婚し、子供を産むのかもしれない。命を懸けて護る存在が出来るのは、一〇年も先だ。それまでは、浮き沈みの無い平凡な生活をしていくだろう。


 だが、あの日から変わった。


 人間離れした力に怯える日々が始まった。一時は善に使うと考えたが、いつの間にか、自分の感情に流されてしまい、暴走した。挙句の果てには、敗北し、敵から逃げた。人が危険に陥ったのにも関わらず、躊躇った。友人の助けを聞き、漸く戦う意志が湧いた。正体がバレ、止められた。初めて、母親に反抗した。そして今、全ての根源を前に、街を護ろうとしている。


 最初に思い描いた人生が一八〇度変わった。それと共に、自分が変わったのも実感した。


 親に、友人に寄り添ってきた自分。今度は、自分が寄り添わせる役目を果たす。


 恩人達へ恩返しだ。全ての力を持って、護る。


「私は……自分が嫌いです……。あのままだったら、ずっと自分を好きになる事はありません」


 けど、と剣崎は続ける。


 口の端を小刻み震えさせながら上げ、出来る限りの笑みを浮かべた。


「今の私なら、少しだけ……好きになれそうです」


 その言葉に、木塚の顔が明らかに変わった。怒りに顔を引き攣らせ、わなわなと体を震わせていく。足を振り上げ、足場の地面を踏みしめて大きな亀裂を描かせた。


「なぁにがありがとうだぁ……? オレはその目、その顔を見たくてやったんじゃねぇよ……。怒って憎んで怯えて……オレから逃げ続ける事を望んでやったんだよっ!! てめぇは、ガタガタ震えながら机にへばりついときゃいいんだよぉっ!! 正義の味方面してんじゃねぇぞ糞餓鬼がああああああああああああっ!!」

「先生の教え子として、宣言します」


 剣崎は白い日本刀の先を、彼に向ける。


「もう、負けません」

「やってみろよ……。切り刻んでやるからよぉ!!」

「無理です」


 目を伏せ、模擬刀を優しく撫でた後、抜く。模擬刀を持った手でマスクを上げ、伏せていた視線を木塚へと向けた。


 両目を蒼く染めて。


「私がお前を斬るからだ」


 地面を強く蹴り、彼の下へと駆ける。

 あれ程抱いていた怒りや憎しみが嘘の様に無くなっているのを感じた。憑き物が落ちた様に体は軽く、今なら何でも出来るのではないかと思える。


 その事に笑みを浮かべ、駆ける速度を上げた。


 四本の触手が、木塚の怒号と共に、こちら目掛けて高速で迫ってきた。限界を知らない伸縮に、剣崎は舌を巻く。だが、今の彼女にとって、もはや脅威に感じなくなった。


 白い日本刀と模擬刀を振るい、触手の斬撃を受け流していく。一つ一つ重い斬撃が、剣崎の傷を広げさせていき、止まろうとしていた血が再び流れ始める。


「その……程度かっ?」


 腕に力を込め、触手の斬撃を弾く。それでも、触手は体勢をすぐさま整え、攻撃を仕掛けてく。だが、剣崎にとって、その一瞬のロスに勝利を確信した。


「今度は私からだ」


 模擬刀を大きく振りかぶり、二本の触手を地面に叩きつけた。次に、もう二本の触手目掛けて白い日本刀を振るい、同じように地面に叩きつける。黒い血が僅かに空中に四散し、地面に落ちた。しかし、触手が動かなくなったのは、ほんの数瞬であり、剣崎を下から串刺しにしようと突き上げてきた。


「読みやすい攻撃だな」


 剣崎は後方へ、身を捻りながら跳ぶ。それにより、触手の攻撃は空を切り、空を大きく仰ぐ形となった。


「そこ、弱点だろう?」


 白い日本刀で触手の下部分を差す。そこは刀の刃の下辺り。先程血が四散した場所が、刃が付いている部位よりも下だったという事を、剣崎は見逃さなかった。


 剣崎は着地するや否や、触手が反応出来ない速度で四本の内、一本の下部分へ白い日本刀を振るった。すると、まるで豆腐を切るかの如く、あっさりと切断する事が出来た。


 切断された触手は刀の形を形成する事が出来ず、黒い液体と化して地面を濡らした。それだけでは止まらず、木塚の体へと延びる部分までも、連鎖的に液状化していく。


「な……な……っ」


 形を保つ出来なくなり、地面に落ちた一本の触手を見下ろした木塚が狼狽える。それを後目に、残り三本の触手目掛けて白い日本刀を振るう。しかし、危険を察知した触手達は剣崎から離れ、木塚の下へと戻っていった。


「惜しいな」


 白い日本刀に付着した血を払い、残念そうにため息を吐く。


「クソ餓鬼の癖に……調子乗ってんじゃねぇよ……」

「そのクソ餓鬼にやられている奴がそれを言うか?」


 再び地面を蹴り、木塚の下へ駆ける。一瞬遅れて木塚も怒声を上げながら、地面を蹴った。ものの数秒で二人との距離が縮まり、お互いの斬撃がけたたましい金属音を立ててぶつかり合った。それは、何度も街に響かせていく。剣崎は眉を潜めながらも、木塚の五本の斬撃を弾く。触手の斬撃は受け流せられるが、木塚自身の斬撃だけは肌を軽く触れてしまう。それにより、僅かに切り傷を作る。


 しかし、決して剣崎が押されている訳では無い。むしろ、押している。


「て……めぇ……っ!!」


 顔を歪めて刀を振るう木塚は、目を離す事無く見据える剣崎を睨みつける。そこで、一本の触手が剣崎の足を払う様に動いた。このまま触手の斬撃を受ければ、間違いなく両足は切断されてしまうだろう。剣崎は地面を蹴り、跳躍する。跳ぶ先は彼の背後。残りの触手、木塚の斬撃が跳び越えようとする彼女を襲った。それを、身を捻る事で避け、触れると思われる斬撃は軽く弾く事で、僅かに出来た触手達の隙間を通過する。


「馬鹿の一つ覚えかよ、あぁっ!?」


 背に面した木塚の声が耳に届く。そして、触手が彼の体を貫き、剣崎へ向かう。


「それはこっちの台詞だ」


 剣崎は振り向き様に模擬刀を振り上げる様に振るった。一本の模擬刀で三本の触手を弾いた事で、粉々に砕ける。刀身を失った模擬刀を手から離し、もう片方の手に握られた白い日本刀を、手首だけの動作で投げ渡すと、そのまま振り下ろした。


 三本の触手が白い日本刀によって切断されて液体へと変わり、地面に落ちる。その光景に目もくれず、残り一本となった模擬刀を抜き、白い日本刀を共に木塚へと振るう。


「調子に乗んなよクソ餓鬼があああああああああああああああっ!!」


 木塚が怒声を上げ、こちらに振り向きながら刀を力任せに振るってきた。お互いの日本刀がぶつかり合い、再びけたたましい金属音が響き渡る。ぶつかり合った刀の中で、剣崎が持っていた模擬刀が粉々に砕け散った。破片が剣崎と木塚の顔に傷を付け、傷口から血を流す。剣崎の傷はそれだけでは終わらず、模擬刀を砕いた疑似の日本刀が剣崎の肩へと突き進む。柄だけとなった模擬刀で斬撃を何とか防いだが、浅く刀身が肩へと切れ目を入れた。


「ぐっ……」


 剣崎は顔を歪め、木塚の腹部へと蹴りを放つ。しかし、それを木塚が後方へと跳ぶ事で避け、十数メートルの距離を作った。


「はぁ……はぁ……」

「まさに息も絶え絶えだな、剣崎」


 木塚は笑みを浮かべ、彼女を皮肉る。


「もう負けないんじゃなかったのかよ?」

「心配するな、二本で押される相手に負ける理由などない……」

「……ほぉ」


 そう言ったのはいいものの、剣崎には時間が残されていない。普通の傷なら、今頃は殆どの傷が塞がっていただろう。しかし、受けた傷は黒い日本刀によるものが多い。その為、傷の治癒が遅く、血を流し続ける。実際、剣崎の意識は朦朧とし、少しでも気を抜けば、膝から崩れ落ちてしまう状態だ。


「これで終いだ。楽にしてやるよ」

「……それは有難いな」


 剣崎は白い日本刀の柄を両手で握り締めて構えた後、目を閉じ、数回深呼吸をする。


 目を開け、地面を蹴る。


 その瞬間、木塚との距離が殆ど無くなった。木塚は二本の刀を、剣崎の胸、腹部へと振るわれる。二本の内の一本を白い日本刀で弾く事が出来たが、腹部を襲う黒い日本刀だけは防ぎきれなかった。刀身は剣崎の細い腹部に切れ目を入れていく。このまま振り抜かれれば、彼女の上半身と下半身は綺麗に切り離されてしまうだろう。


「もういい、死ね」


 木塚の口からその言葉が告げられた。生かす事を放棄した言葉だ。刀の振るい方で、告げられる言葉が真意だという事が伝わってくる。


 だが、恐怖は無かった。


「いいや、死なない」


 片足を軸に体を捻り、木塚の傍をすり抜ける。


「私の方が速いからだ」


 木塚に告げ、白い日本刀を彼の体へと叩き込む。先程の事があった為、彼の体を斬ってしまうと思ったのだが、今まで操られた人を斬ったと同じ様に感触は無かった。剣崎は顔を顰めさせながら白い日本刀を納め、彼を振り返る。


「……はぁ」


 振り返ると、黒い日本刀を地面に突き刺した木塚が、こちらを僅かに振り返り、呆れた表情を浮かべていた。


「お前に負けるとは思わなかったな……」

「……あっ」


 木塚の体から黒のモヤが宙へ舞った。それは、黄色の瞳の主が力を失うのを物語っているようで、彼の瞳が元の黒色へと戻っていく。


「まぁ……こうなるわな……」

「まさか……ぐっ……」


 突然、頭痛に襲われ、剣崎は顔を顰めさせる。


 白い日本刀を持った男性が、黒い日本刀を持った男性を斬り伏せている光景。斬られた方は、地面に倒れたまま動く事は無く、力を失っていく自分の体を見つめては情けないと言わんばかりの笑みを浮かべていた。


 黒い日本刀に自身を委ねた結果、という事だろう。残酷で非人道的な力を失った者の先に、一体何があるのか。法律という掟によって裁かれ、牢獄へと向かう。過去の使用者全てがその道を辿る。


 それは、悪の道を歩む者の末路だ。


 そして、操られた人間を、あの感覚から救う。


「……同情はしないからな」


 頭を押さえながら、木塚に告げるが、彼はそんな彼女に対して鼻で笑った。


「されてたまるか。剣崎、一つ教えといてやる」


 木塚がこちらに指差し、笑みを浮かべる。


「お前はその力で人を助けると言ったがよ。全員が全員、お前を称えると思うな。必ず、お前を怖がり、妬む奴が出てくる。非難する奴だって出てくる。一切感謝しない奴らに、お前は耐えられるか? そんな風船みたいなメンタルでよ」


 確かに、この力に怯える人間は存在するだろう。最初にこの力を得た自分自身が、恐怖したからこそ分かる。いくら人の為に行動していようと、誰かが自分を敵として認識するだろう。それでも、人が危機に瀕したのであれば、全力で救ってみせる。


「そうだとしても、人を助けられるだけで十分だ。支えてくれる人が居れば、私は幾らでも耐えられる」

「……そうかよ」


 呆れた様子でため息を吐いた木塚は手を下ろすと、突き刺していた黒刀を抜く。そして、背負っていた鞘に納め、こちらに投げ渡してきた。


「じゃあ、刑務所でお前のご活躍とやら見といてやるよ。精々足掻け」

「言われなくても、そのつもりだ」


 剣崎がそう答えると、木塚は『どうだかな』と首を傾げ、笑みを浮かべた。



「じゃあ……オレは少し寝かせて……もらう……」


 そう言い残し、彼はその場で膝から崩れ落ちてしまった。


「……あっ」


 体から力が抜け、剣崎も膝から崩れ落ち、座り込んでしまった。両手を地面に着き、項垂れる。途轍もない疲労感と痛みにその場から動く事は出来なくなり、その唐突の出来事に思わず笑ってしまった。


 そこからどれくらいの時間が経っただろう。


「おい……おいっ!!」


 どこからともなく男性の声が、頭上から降ってきた。


 剣崎は勢いよく頭を上げ、声の主を見上げた。


 宗司だ。


「大丈夫かっ!?」

「お……宗司か……」


 ただ項垂れていたと思っていたのだが、気を失っていた様だ。


 後方には彼が乗ってきたらしきパトカーが停まっており、運転席には來原が不安気に眺めているのが見えた。


 気を失っている間に、ある程度の傷が塞がっているが分かった。そのお蔭で、何とか立ち上がる事が出来、深く息を吐く。


「終わったぞ……」

「あぁ……犯人は?」


 宗司の問いに、剣崎は倒れている木塚を指差す。


「……お前の娘の教師、だそうだ」

「……嫌な情報だな」


 宗司は肩を竦ませると、木塚の方へと歩み寄り、手錠を掛ける。


「警視なのに……ご苦労だった……」

「お互い様だ。ところで、それは?」

「これは……私が持っておく。誰かの手に渡れば、またこの様な事が起きるだろうからな」


 そう言うと、模擬刀が納められていない鞘を適当に捨て、黒い日本刀を差す。それに対し、宗司は眉を顰めながら、腰に差された黒刀に視線を落とした。


「信用出来ないか?」

「いや、信用する。だが、これは普通の奴には荷が重すぎる」

「……分かった。好きにしろ」


 剣崎は宗司の額を突くと、彼の脇をすり抜けていく。


「では、私は失礼する。流石に疲れた……」

「……おい」

「何だ?」


 首だけで振り向くと、彼は深く頭を下げてきた。


「街を救ってくれて、ありがとう」


 剣崎は僅かに目を見開かせた後、小さく笑う。


「当たり前だ。好きな街だからな」

(お父さんもだけど)


 最後の言葉を心の中で告げ、跳躍する為に強く地面を蹴った。

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