最後の覚悟(1)

「大丈夫か?」

「は、はい……ありがとうございます!」


 剣崎は娘を抱きしめ、座り込んでいる母親をゆっくり立たせるとほこりで汚れた衣服を叩いていく。


「子供を守るなんて、さすが母だ。私も見習なければならないな」

「そんな、あなたの方が……」

「誰かの為に身を呈する事なんてそう簡単な事じゃない。以前の私なら、そんな事なんて出来ない。だから、素晴らしい」


 母親の腕に抱き締められる少女へ視線を落とす、彼女の頭を撫でる。


「いい母親を持ったな」

「うん!」


 少女は大きく頷き、母親を抱き締める。

 人を助ける事は、その人達の絆も見る事が出来るので、良いものだ。親子ならどれだけ繋がっているのかも分かる。助けられた事で周囲に向ける意識が変わり、人命救助にも繋がる。全てが良い方向へ向かっていくなら、この行動も誇れるものだ。


「ここは危険だ。お前達は早く安全な場所に行け。ここを真っ直ぐ行けば警察官達が居る。そこまで行けば安全だ」


 木塚を吹き飛ばしたとは逆方向へ指差し、誘導する。彼女達には見えていないが、ここから一キロ先で警察官達が避難誘導をしているのが見て取れた。


『みすみす行かせると思うか?』


 少し離れた所から、木塚の怒りの篭った声が耳に届く。そちらに目を向けるが、彼の姿は見えない。そちらに意識を集中したいが、今は二人を逃がすのが先決だ。


「どうしましたか?」

「私の後ろにいろ。決して、私の先が見えるところには立つな」

「え、それってどういう――」


 母親が疑問の声を上げた時、前方から風を切る音が聞こえてくる。二秒後。その先には一台の車輌が、こちら目掛けて一直線に迫ってきていた。


「く、くるま!?」

「そう来ると思った」


 剣崎は迫り来る車輌へと駆け、白刀を納めると模擬刀二本を抜く。

 次に、模擬刀の腹、つまり刃紋や鎬の部分を車輌の底に当てた。そして、そのまま剣崎、親子よりも高くいなした。いつもの自分ならば力任せに軌道をずらしていたが、力を殆ど使わず、簡単に出来てしまった。


 どこをどのようにすればいいのか、瞬間的に見る事が出来、それに対して綺麗に反応出来る。一切の無駄がない。完璧な動きだった。


 後方で車が落ちる音を聞こえる中、少女が『すごーい!』と感嘆の声を上げる。

 一方で、砂塵の先で驚愕に顔を引攣らせる木塚の姿があった。


「てめぇ……いなしやがったのか……?」

「斬ってや叩き潰しては破片が二人に当たるかもしれないのでな」

「駒に気にかける暇があんのかよ?」

「あるからそうした。他に理由なんてあると思うか?」


 挑発する発言に、木塚の怒りが順調に溜まっていくのが目に見えて分かった。だが、それでいい。標的を自分にだけ向けてくれれば、後ろの二人を逃すのは容易い。


 剣崎は彼に見えないように、親子二人にここから離れるように手を振る。


 母親がそれを察し、少しずつ距離を取っていく音が聞こえる。


「今のうちに逃す考えだろ? 別にもう駒には用はねぇよ。オレは一番にてめぇをぶちぶちにしてやりてぇ」

「そうか。むしろ好都合だ」


 そう言い、親子に向けて大きく手を振る。それに母親は頷き、警察官達が居る方向へ娘を抱き抱えて走り出す。


「お姉ちゃんありがとう!」


 少女の元気な声に、剣崎は笑いながら手を振った。

「随分余裕じゃねぇかよ、剣崎ぃ?」


 苛立たしげに呟く木塚を振り返り、マスクを下ろす。


「はい、とても。なんであんなに腹が立ってたのか、焦ってたのか嘘のようです。今はただ、街の人達を悪い人から護ることだけ考えてます」


 あれほど木塚に対して怒りと憎悪ばかり感じてきたが、それらは一切感じなくなった。そのため、視界が広がり、目に向けるべきところにも向けられるようになったことが今の動きにも繋がっているのだろう。


 すると、険しくなっていた木塚の顔が一層歪んでいく。

「オレがやった目をどうしやがった……?」


 言っている意味が分からなかったが、剣崎は模擬刀の刀身を目の前に持っていき、鏡の要領で覗き込む。

 今まで蒼い瞳と黄色の瞳がそれぞれの目となっていたが、刀身に映し出されたのは蒼い瞳が二つ映っており、黄金色の瞳は存在していなかった。


「そうか。だからこんなに……」


 黒刀と白刀は相反する存在。その一部が一つの体に混在していれば拒絶反応を起こしていたからこそ、感情のバランスが崩れていたのだろう。それがなくなり、本来の形となり、視界と対峙する存在が鮮明に、明確に捉えられる。


「もう、邪魔になるものはありません。正々堂々、互角で戦ってみせます。いいえ、先生以上にです」

「やってみろよクソガキ。調子乗ってじゃねえぞ!!」

「短気は損気だぞ」


 剣崎は白刀に手を添え、マスクの下で笑みを浮かべさせる。


 表面上は余裕を見せているが、内心は恐怖心を依然潜ませている。身体能力が向上しても、木塚に勝てるかは分からない。しかし、木塚と対等に渡り合えるのはおそらく、自分しか居ない。勝てるか負けるかではない。戦うしかないのだ。


「開き直ったところで、オレに勝てんのかよ。あぁ?」

「心配には及ばない。さっきも言ったように、私が勝つ」


 模擬刀と白刀を抜き、構える。


 ここからは一切、気を抜く事は出来ない。一瞬の気の緩みは死へと繋がるだろう。

 全身に神経を巡らせ、脚力の方へ集中させる。


「調子に乗んなよ、クソ餓鬼ぃ……」


 剣崎と木塚はほぼ同じタイミングで地面を蹴った。僅かに、木塚の方が速く、距離を詰める形となる。そして、これもまた同じタイミングでお互いに日本刀を抜き、振るった。


 高速で抜き出された白い日本刀と黒い日本刀がぶつかり合い、甲高い金属音が街に響き渡らせる。剣崎は両手で握り締めていた片方を離すと、模擬刀へ手を伸ばす。


 柄に触れた瞬間、逆手持ちで抜き、木塚の脇腹を狙った。しかし、それを木塚が後ろに跳ぶ事で避けられてしまう。


「ちっ」


 舌打ちをし、追撃をするべく、地面を蹴ろうとした時だ。


 鈍く大きな音が聞こえた。


 木塚が先程したように、近くにあった乗用車をこちらに向かって蹴り上げたのだ。


「…………」


 白刀を振り上げ、乗用車を両断する。


 紙の様に二つに分かれた乗用車が、音を立てて傾き始めた同時に剣崎は模擬刀を僅かに出来た隙間へと、短い動作で放った。


 模擬刀を放った先には、直ぐそこまで接近している木塚が居た。どうやら、乗用車を切断した事で出来た隙を狙ってきたようだ。しかし、剣崎の姿を視認した時には、顔目掛けて模擬刀を放たれてしまい、目論んでいた事を塞がれてしまう形となった、


 木塚は舌打ちするなり、首を傾け、避ける。


「馬鹿の一つ覚えか?」


 剣崎は地面を蹴り、木塚との距離を詰め、首を傾けた事で僅かに体勢を崩した木塚へ、模擬刀を振るった。


「ちっ……」


 木塚が日本刀で攻撃を受け止めるが、体勢を崩している為、押し返す事までは出来なかった。


 勢いを殺し切れず、体勢を更に崩した木塚の体は、仰け反った。それにより出来た隙を、剣崎は見逃さず、すれ違いざまに白い日本刀を彼へ振るった。それを、木塚はその体勢から無理矢理地面を蹴り、紙一重で彼女の斬撃から逃れる。それでも、白い日本刀の剣先が胸に触れ、長い切り傷を作った。


 剣崎は地面を蹴り、大きく宙を舞う。彼との距離が十分に取れたのを僅かに振り返る事で確認し、着地する。そして、模擬刀が収まっていない鞘を腰から抜くと、後方へ向ける。


「おかえり」


 そう言ってから一秒を経たない内に、先程放った模擬刀が鞘に収まる。綺麗に収まった模擬刀を軽く撫でた後、腰に差し、振り返った。


 視線の先には、斬りつけられた胸を押さえている木塚。攻撃を受けた事で、怒号を上げると思ったのだが、とても静かだった。それよりも、小さくだが、彼の口から笑い声が聞こえる。


(なんなの……?)


 何故、笑う?

 先程からの戦闘から、攻撃を防がれれば舌打ち等をしていた人間が、斬りつけられてしまえば、怒りの沸点を軽々と越えしまうと思っていた。そうなれば、怒りに任せた攻撃で単調になり、戦いやすくなると予想していたのだが、何かがおかしい。


(……あ)


 そこで気付き、白い日本刀を見下ろす。

 この白い日本刀は、黒い日本刀により操られた人間を救う為に造られた物だ。人を斬るという役割は完全に放棄してしまっている。つまり、人を殺すという行為が出来ない。だが、木塚の胸には一筋の切り傷が出来た。


 顔を上げ、木塚の胸を見る。傷を押さえている彼の手から、血が溢れ始めていた。しかし、それは只の血ではなかった。


 黒。

 大量の血であれば、黒く見えるだろう。あの日本刀も、それによる黒色だ、だが、あれは違う。液体は液体でも、粘り気を帯びている。肌を伝う速度も遅い。その黒い血が、肌から離れ、地面に落ちた。落ちた後、粘液の様に糸を引き、再び落ちる。それが止まる事も無く繰り返していく。


「合格点をやるよ、剣崎」


 木塚は顔を上げ、笑みを浮かべる。浮かべた事で、口から黒い血が溢れ、地面へと落ちた。


「……嬉しくないな」


 眉を潜め、そう答える。


「成績優秀のお前には、当たり前の事だな」


 だが、と木塚は付け加え、


「次のは合格点が取れるか?」


 木塚は黒い日本刀を逆手に持ち、剣先を自分の胸へと向ける。


「まぁ、無理だろうけどな」


 そう言い、迷いも無く、自分の胸に黒い日本刀を突き刺した。鍔が胸に当たるまで、深く突き刺され、口から大量の黒い血を吐き出した。しかし、彼の顔は苦痛に歪む事は無く、嬉々とした笑みだった。


「なっ……なっ……」


 剣崎は目を見開き、その光景を呆然と見つめていた。


 木塚の首の辺りから顔に掛けて、黒く染まっていく。斑模様に染まっていくそれは、目元で止まった。次に、彼の瞳に変化が起きた。目の白い部分が同じ様に斑模様と化していく。黄色の濃さも増していき、禍々しい物へと変貌していった。


「何なの……それ……」

「さぁな?」


 木塚は黒い日本刀を胸から抜くと、血を払う。


 そして、突き刺した傷が塞がる。だが、それだけでは終わらない。彼の背中で何か黒い物が動いているのが見えた。その何かが背中を這い、顔を出す。


 黒い触手が四本。それも、先が鋭い。

 四本の触手は、背中から離れると、まるで踊る様に宙を彷徨い始めた。形は数十センチの刃の様な物。一目で分かる。刀だ。黒い日本刀四本が彼の背中から生えたのだ。


「めちゃくちゃだ……。意味が分からない……」

「現実だ。認めろよ」


 木塚が触手の一本を掴むと、引き千切る。それは形を崩す事は無く、彼の手に収まった。引き千切られた触手は、元の長さに戻り、再び黒い日本刀を形成した。


「まるで阿修羅だな」


 木塚は四本の触手を見上げ、嬉々として笑う。そして、ゆっくりとこちらを見た。


「二本と六本。次も勝てるか?」


 その言葉と同時に、地面が砕ける程の力で蹴った。


 それに合わせ、剣崎も地面を蹴り、彼との距離を一気に詰める。


 退いては駄目だ。退いてしまえば、防戦へと強制的に移ってしまう。


 攻めるのみ。


「あああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」


 剣崎は叫び、二本の刀を振るう。それに応戦するように、四本の触手が様々な動きで襲い掛かってきた。両手を高速で動かし、触手の斬撃をいなしていてく。しかし、それらの攻撃速度は常軌を逸しており、全て捌ききれない。その為、軌道は逸らすものの、肩や足を僅かに斬りつけられる。


「ぐっ……」


 このままでは押し負ける。


 剣崎は身を低くし、木塚の懐へと飛び込む。すると、次に木塚自らの斬撃が剣崎を襲う。


「串刺しだ」


 こちらを見、笑みを浮かべる。だが、それは一瞬だけ前方を見てからの動作だった。


 そこで、風を切る音が後ろから聞こえた。どうやら、四本の触手が背中を狙って放たれた様だ。


「大人しくされる筋合いはないっ!」


 木塚の二本の斬撃を、両手を交差させた後に左右へ振るう。白い日本刀が黒い日本刀を、模擬刀が疑似の日本刀を上へと弾いた。そして、膝を曲げ、彼の開かれた両足の隙間にスライディングをする事で潜り抜け、窮地から脱出する。


「これで終わりだっ!!」


 潜り抜けた瞬間、体勢を整え、木塚の背中目掛けて地面を強く蹴った。白い日本刀を大きく振り上げる。


 彼の背中は無防備だ。今から振り返ろうとも、遅い。振り返った時には、彼は斬られ、全ての力を失うだろう。失う筈だ。


 だが、


「やっぱ、合格点は遠いな」

「え……」


 その言葉が聞こえた時だ。

 

 四本の触手が木塚の体を貫いた。


「なっ……」


 剣崎は慌てて足を止め、後ろへと跳んだ。そして、迫ってくる触手の斬撃を弾く為に、刀を振るった。高速で動く触手をやはり捌ききれず、塞がりかけていた傷を深く斬りつける。遂には、模擬刀の刀身が折られてしまい、一本の触手が肩に深く突き刺さった。


「ああぁっ!!」


 痛みに顔を歪め、刺さった部分に目を向ける。


 だが、それがいけなかった。


 視線を逸らしてしまい、次に来る触手の動きが感知する事が出来なくなってしまった。それにより、両太ももともう片方の肩が触手に貫かれる。


「あああああ――」

「悲鳴を上げるには、早いんじゃねぇか?」


 触手を強引に引き抜かれ、その反動により、剣崎の体は大きく仰け反った。そこに、彼の声がすぐ近くで聞こえる。顔を歪めながら、木塚の方へ視線を向けると、疑似の日本刀を上空へ放り投げ、拳を握り締められるところだった。


「さっきのお返しだ、クソ餓鬼」


 その言葉と同時に、剣崎の頬に木塚の拳が減り込んだ。


「ぶっ……!!」


 剣崎の体は後方へ二十メートル以上、地面を着く事も無く吹き飛んだ。漸く地面に着いたとしても、何度も体を打ちつけられる。体が触れる度に地面を割り、彼女の位置を伝えていくように出来ていった。


 勢いが弱まり、剣崎の体は仰向けの状態で止まった。


「は……あ……っ」


 剣崎は体を起こそうと、動かすが、四肢から激痛が走る。貫かれた部分から血が流れ出る感覚が、延々と錯覚してしまう程に感じた。


 動けない。体に力が入らない。


 空には、少し離れた位置で旋回しているヘリコプターが見えた。もしかすると、テレビ局の物なのかもしれない。しかし、今はそんな事を、剣崎には考えられる余裕は無かった。


(勝て……ない……)


 これ以上、彼と戦う事は出来ない。


 皆を護る事が出来ない。


(そんなの……)


 すると、突然、内ポケットにしまっていた携帯電話が鳴った。

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