剣士 剣崎葵
(良かった……間に合って……)
剣崎は手に持っていた白い日本刀を鞘に納め、宗司を振り返ると、彼の目が突然の出来事に呆気に取られた様子で見開かれていた。
「待たせてすまなかった。思った以上に時間を食ってしまってな」
話しかけられた事で我に返った宗司は、眉を細めるなり彼女を見据える。
「もっと早く来てほしいものだな……」
「それはすまなかった。私も忙しいんだ」
そう言葉を濁している為か、彼の眉が一層に潜められた。しかし、それはすぐに元に戻され、深く息を吐かれた。
「まぁいい……。そこまで聞くつもりはない。今は、この状況をどう打破するかだ」
慌て慌てふためく一般人に目を向け、顔を顰めさせる。
「犯人の事もあるが……。これ以上、人員を割く訳には……」
先程、他の警察官が逃げ出しているのを見かけた。今、ここに居る警察官は宗司と來原、少し離れた所に数人のみ。この少人数で何十倍の数の一般人を、的確に避難させられるとは思えない。その上、驚異的な力を持った犯人を逮捕するという。避難と逮捕。現状から考えて分かる。不可能だ。無理に二つを遂行しようとするものなら、もれなく破綻してしまうだろう。
警察が両方を出来なければ、一つを引き受ければいい。
自分にしか出来ない事を。
「お前達は避難を優先させろ。敵は私が引き受ける」
「なんだと……?」
宗司は剣崎を振り返り、目を驚愕に見開かせる。
「本気で言っているのか?」
「まぁ、引き受けると言っても、殆ど斬ってしまったがな」
ここに来る途中、何人もの黄色の瞳をした者を斬ってきた。勿論、その場に放置する訳にはいかなかった為、安全な場所へと移動させるという事を繰り返していた。何十人を相手にするのは、やはり骨が折れ、時間が掛かってしまった。その結果、宗司達の元に辿り着くのにギリギリの時間を要した次第だ。
「お前一人で大丈夫なのか?」
「大丈夫だから言っているんだ」
剣崎は宗司に指差し、
「避難はお前達にしか出来ない。私がやったところで、失敗に終わるのが目に見えているからな。だが――」
自分を差した。
「私は、私にしか出来ない事をやる。適材適所というやつだ。分かるだろう?」
的確の事を言われ、それ以上、宗司の口からは心配の声を発する事は無かった。
「そういう事だ。では、私は行くぞ。あとは任せた」
そう言い、背を向けるなりこの場から去ろうと、身を屈めた時だ。
「待て」
宗司に呼び止められ、屈めた体勢を改め、彼を振り返る。
「なんだ?」
「犯人を必ず倒せ。これ以上、奴の好きにはさせるな」
「……当然だ」
木塚はやり過ぎた。親友、学校の人達。そして、街の人達。ただの暇潰しで済ましていいレベルをとうに超えてしまった。勝てないから逃げ続けるような事はもう、したくない。
今なら、臆することなく挑むことだって出来る。
宗司は來原を振り返ると、周辺に目を配りながら指示する。
「來原、俺達は誘導を徹底するぞ。逃げ出した奴を見かけたら、引き摺ってでも連れて行く」
「は、はい!」
來原が背筋を伸ばし、声高らかに返事をする。そんな彼に、剣崎は目を向け、僅かに頷く。
「頼んだぞ、來原」
「お、おう。頼まれた」
緊張した様子で頷き返し、近くに停められたパトカーへと駆け足で向かって行った。
剣崎は去っていく来原を見送った後、落ち着きのない宗司に目を向ける。
「では、行ってくる。落ち着いてやれ」
「言われなくてもそのつもりだ……頼んだぞ」
「あぁ、頼まれた」
剣崎は來原が言った言葉を真似すると、地面を蹴った。
あっという間に宗司との距離が遠くなり、三分程度で五キロ以上離れる事となった。人の気配を感じない、荒れた道路で脚が止めると一つ息を吐いた。
ここまで、黄金色の瞳をした者を斬ったが、操られている矢倉だけ見掛けなかった。ショッピングモールで気を失っていると思っていたのだが、目を覚ましてどこかへ隠れたのか、あの男の傍にいるのかもしれない。どちらにしろ、あのまま放っておくわけにはいかない。どうにかして、救わなければ。
目を閉じると、耳に意識を向ける。その瞬間、ここより数キロ離れた人の声が彼女の耳に届いた。一般人の悲鳴と困惑の声、子供の泣き声、警察官の誘導とまちまちだ。その中で、宗司の声が聞こえ、役目を果たしてくれている事に胸を撫で下ろす。
そこで、一つだけ周りとは懸け離れた音が届いた。それは、剣崎との距離が極端に近い。およそ、数十メートル程度。そして、足音が一つ。
「やっと見つけた」
目を開けるなり、前方と睨みつける。
視線の先には、霧の様なもので顔を覆った男、木塚。
「ククッ」
黒刀を背負い、カジュアルな服装をしている。あの時と変わらない風情に、眉を潜める。
「決着をつけるぞ」
白刀と模擬刀を抜き、構える。
「勝敗は決まってるが、やる気なんだな?」
「そんな事、私が決める」
地面を蹴り、二本の刀を木塚へと振り下ろす。それを木塚は黒刀で受け止める。二本の圧力を片手で、それも顔色一つ変えずに受け止められているのに、腕力の差を思い知らされる。
押し込もうと、足に力を込める。僅かに押し戻す事が出来たが、日本刀が二本から離れた瞬間、下から掬い上げる様に振るわれた。それにより、二本の刀が上へと弾かれ、体が大きく仰け反ってしまった。
「紙切れかよ」
木塚は口の端を上げ、振り上げた日本刀の照準が剣崎に向けられる。
剣崎は仰け反った体をそのまま後方へと重心をずらす。両方の手を地面につけ、地面を力強く蹴る。所謂、後方転回だ。それにより、両足が男性の顎を二回に渡って蹴り上げ、彼の体は宙を舞わせた。
「これで終わると思うなっ!!」
転回が終わった直後に地面を蹴り、白い日本刀を男性目掛けて振るう。しかし、それを黒い日本刀で受け止められ、押し戻される。剣崎はそこで終わらせる事はせず、間髪入れずに模擬刀を男の脇腹目掛けて振るった。
「その程度かよ」
木塚は鼻で笑い、模擬刀の刃を空いた手で受け止める。そして、こちらに目を向けるなり、口の端を吊り上げさせる。
「それでいい」
剣崎はマスクの下で笑みを浮かべると、模擬刀から手を離し、拳を握り締める。その光景に、木塚の表情が僅かに変化し、目を細められた。
「歯を食い縛れ」
その言葉と同時に、剣崎の拳が木塚の頬に叩き込まれた。
木塚の体は後方へと凄まじい勢いで吹き飛んだ。三〇メートル程、宙を舞った後、地面を何度も叩きつけられ、転がっていく。体が完全止まるまでに到達した距離は、およそ四、五〇メートル。
剣崎が殴った手を振り、振り返った時には男は起き上がっており、首を大きく回していた。殴られた頬を摩り、口から血を吐き捨てる。
どうやら、口内を殴られた事で切った様だ。親指で僅かに垂れた血を拭うと、ゆっくりと立ち上がる。
「…………」
黙ってこちらを見つめ、目を細める。その目は、怒りを向けている様子では無く、感心と少しばかりの驚きが含まれているのを感じた。
「お前にしちゃあ、上出来じゃねぇか」
「褒めてもらうために戦っている訳じゃないですよ」
その言葉に、剣崎は眉を潜める。
「……優等生の言う事が違うな」
木塚は呆れた様子でため息を吐くと、手を顔の方へ持っていき、撫でた。撫でた部分の黒い霧は晴れ、肌が露出した。交戦し、激しい攻撃をしたのにも関わらず、一向に晴れる事の無かった霧が彼の手一つで容易く消え失せる。
笑みを浮かばせてはいるものの、目は一切笑っていない。今の状況が面白く思っていない証拠だ。一般人の声が遠くなっていくのが二人の間ではっきりと木霊する。つまり、彼が行おうとしていた事が為されていないという事を意味している。
「優等生なんて関係ない。私は皆を助けたいだけです。知ってる人も知らない人も、先生のせいで壊される街を救いたいからここに居るんです」
「手駒を全員斬っちまう上に、その駒候補も綺麗に逃がしちまったのか。やるじゃねぇか、あぁ? オレに勝てねぇくせに勝とうしてんのかよ。大人しく俺の指示に従っとけよ。逆らうなよ。お前の親友に手を出した時、いい顔見せてくれたな。オレに会った時の顔、最高だったぞ? それがなんだ? 今は皆の為に死ぬ気で来るってのか?」
愉快に喋っていた口調が、段々と怒りが込められていく。
「恨み続けろよ。逃げてんじゃねぇよ。復讐に駆られろよ。逃げるお前の為に、わざわざこんな事したんだろうが。知り合いが傷付けられて、怒りに任せて挑んでくる。それを待ってたんだよ。それがどうよ。お前は何て言った? 人を助ける? 街を救う? そっちじゃねぇだろ!? 復讐だろうがっ!! 他の奴なんて知るか、私はあいつをぶった斬る、だろうが!! 正義語ってんじゃねぇぞ糞餓鬼がっ!!」
木塚が両目を黄色に染め、こちらを睨みつける。
恨みを買い、復讐させようとした。それも、暇つぶしとして。そんな詰まらない事で、自分の体を異様なものに強制的に変え、普通というものから掛け離れさせられた。普通の人生を送ろうとしたのを、跡形も無く崩された。彼に人生をめちゃくちゃにされてしまった。最初は確かに恨んだ。
「くだらないですね」
剣崎は言った。
くだらない。
「確かに私は恨みました、絶望しました。けど、今は違います。先生から無理矢理渡されたこの力で、この街を救う事が出来るんです。生まれ育ったこの街を救うというのは、誇らしい事ですよ」
「……何だと」
「木塚先生、あなたは私にとって復讐する相手でした。ですが、もう違います。あなたは、街に危険を及ぼす敵Aです。ただ、それだけです」
「あぁ?」
「私はこの先も、この街を護り続けます。その最初の踏み台なってもらう……雑魚です」
「オレを……雑魚だと?」
片目を見開かせ、顔を引き攣らせる。
「やってみろよ……。雑魚なら、この街を護って見せろよこのクソ餓鬼がああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
「言われなくとも」
剣崎は下ろしていたマスクを上げ、目を閉じる。そして、再び開けた。
瞳を青と黄色に染めて。しかし、それはいつもの眼光では無かった。黄色の瞳が少しずつ、青色に染まっていく。徐々にだが、確実に。
「そのつもりだ」
口調を女剣士のものに戻し、言い放つ。
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