母
目が覚めた時、窓から夕陽が差し込んでいた。ここに戻ってきたのが昼を少し過ぎた程度だったので、あれから五時間以上気を失っていたという事になる。
剣崎は未だに引き摺る倦怠感の中、体を起こしたところで気付いた。
うつ伏せ倒れた筈が、仰向けの状態で起き上がった。そして、自分に薄い毛布を掛けられていた。毛布を取ると寝間着に着替えられており、変装用の服が見当たらない。この時点で分かるのは、誰かが自分を着替えさせたという事だ。
背筋が寒くなり、部屋から出ようと立ち上がった時、自室のドアが開いた。
「あ、葵? 起きたのね」
美紀だ。
「お……母さん……」
「良かった。大丈夫そうね」
美紀は剣崎の前で両膝を着くと、頬を撫でる。
この状況に慌てふためく様子がないという事は、母が自分を着替えさせてくれたのだろう。しかし、知られたくない人に知られてしまった。こんな体になってしまった娘をどう思うのか。それが途轍もなく怖い。
「……あのね」
「話はあとでいいから。何か食べたいものある?」
そういえば、腹が空いた。美紀の言葉に返事するように、腹の虫が鳴る。
「……ハンバーグ」
「あら、丁度ハンバーグ作ろうと思ってたから良かった」
「お父さんは?」
「仕事に出ちゃってる。お父さんに言われたから帰ってきたのよ。葵が戻ってるからって。そしたら、あなたが部屋で血塗れで倒れてたからびっくりしたわ」
やはり、変装した姿を見られてしまった。警察関係者である宗司にばれていない事が不幸中の幸いといったところだが、それでもショックは大きい。
「服も洗濯してあるから、あとでばれないように乾かしておくわね」
「うん」
「今日はお父さん帰ってこないから。ゆっくりしましょ」
「……うん」
「じゃ、落ち着いたら下に降りてらっしゃい」
美紀がそう言い、立ち上がろうとしたが、剣崎はそれを止めた。
美紀は娘に手を掴まれ、少し間を置いてもう一度座る。
「どうしたの?」
聞きたくないが、胸を圧迫するこの思いを吐き出したい。遅かれ早かれ直面する問題であり、受け入れなければならない。それが親なら尚更だ。
剣崎は震える深呼吸をすると、問う。
「こんなになって……気持ち悪くない……?」
しばらくの沈黙。その間が怖く、母の顔を見られなかった。いつも通り振る舞っても、化物じみた体になった娘を前にして、内心では気味悪がっているのかもしれない。
恐る恐る彼女の顔を見ると、呆れた様子でこちらをじっと見つめられていた。
「どうなろうと、葵はお父さんとお母さんの大事な娘」
美紀は笑みを浮かべ、優しく頭を撫でてくれる。
「そんな事よりも言う事あるじゃない。あんな事があったんだし」
彼女の言葉に、抱え込んでいたものが崩れ去ってしまい、涙が溢れてきた。何度拭っても流れる涙が止められず、美紀に抱きつく。
辛かった。痛かった。
「怖かったぁ……っ」
やっと弱音を吐く事が出来た。誰にも吐き出す事が出来ず、溜め込んできた日々が漸く終止符を打てた。今日だけ。今回だけでいいから、全てをぶちまけてしまいたい。
嗚咽を漏らし、美紀の服を濡らす。それでも、母は何も言わず、ただ頭を撫でてくれた。
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