脅威(3)

 剣崎は誰も居なくなった校舎に戻り、教室を一つ一つ見回っていた。


 合計八人の被害者を白い日本刀で全員斬る事が出来た。ただ、体育教諭を無傷で助けられず、腕の骨を折られてしまっていた。それ以外はなんとか誰かを襲う前に終えられた。生徒達の避難は他の教員が慌てながらではあるが、順当に体育館への誘導をしてくれたのはいいが、校内での避難は決して安全とは言えない。


 そもそも、被害者達をここに送り込んできたのは一体誰なのかだ。自分がこの学校の生徒だという事を知っていたからこそ、このような手段に出たという事になる。この数週間でどこの学校に通っているか等を何処かで観察していたのかもしれない。


 もし、ここにあの男が潜んでいるなら、尚更早く対処しなければならない。それに、木塚の姿が見えない。彼を探しながらあの男も探すのは骨が折れそうだ。彼を護りながら戦うのは難しい。見つけ次第、安全な場所へ連れて行こう。


「どこに居るんだろ……?」


 あの男はいいが、木塚の姿が一向に見えない。耳に意識を集中していても、生き物の物音一つ聞こえず、静かなものだ。それが不気味さにも感じ、いつ、どこから何者かが襲ってくるか分からない緊張も重なる。


 そして、再びあの感情が芽生えてくる。


 殺意だ。


 親友を刺し、恐怖させた。それは決して許せないもの。あの男は倒すだけなんて生ぬるい。彼女達に行った事は万死に値する。


 剣崎は拳を作り、廊下側にある窓の仕切りを殴る。それにより、枠が大きくへこみ、ガラスが音を立てて砕け散る。


「絶対に許さない……っ」


 すると、それに応えるように後方から物音が聞こえてきた。動かしていた足を止め、音の主が誰なのか推測する。あの男だと思い込んで攻撃し、逃げ遅れた学生や教員だった場合、最悪だ。


 足音は廊下の突き当り。距離からして二〇メートル程度。誰であろうと対処出来る距離でもある。


 振り返り、正体を確かめる。と、思ったがそれよりも先に途轍もない速度で机が飛来してきた。それを横殴りで弾き飛ばす。机が地面に激突し、粉々になったのを耳に聞きつつも、全ての事件の根源を睨みつける。


「やっと見つけた……っ」


 男は剣崎の怒りの言葉にわざとらしく肩を竦ませ、笑う。


 今の今まで姿を見せる事もなく、一般人を襲ってきた男が何故、ここに現れたかは知らないが、探す手間が省けた。漸く、この手で倒すことが出来る。


「……お前は私の事を知っているな? あの日、神社で刺された者だ」


 男は数回頷く。


「こんな体をされた上、親友に手を出した事……絶対に許さない」


 剣崎は白い刀を構え、ゆっくり深呼吸すると、床を蹴る。


 が、それよりも早く男が物凄い速度迫ってきた。咄嗟の事に驚愕しながらも、本来動かそうとしていた筋肉に制御し、防御の構えを取る。筋肉から嫌な音が聞こえてくるが、男の斬撃を受け止める方が明らかに辛い。


「うっ……!」


 車よりも被害者の打撃よりも重い一撃に、口角が引き攣らせる。押し返すにもびくともしない事に、男の笑みが深まる。


「ああぁっ!!」


 全力を注ぎ、男の刀を押し返し、回し蹴りを腹部に叩き込む。彼の体が床を離れ、後方へと飛ぶ。宙を浮いた事はそれ以上の動きは出来ないのと同義であり、追撃の好機。剣崎はすぐさま彼を追い、模擬刀を振り下ろす。


 しかし、男は模擬刀の刃を人差し指と中指で挟む形で止められてしまう。


「なっ……」

「ククッ」


 笑い、身を捻って今度は自分が頬に蹴りを食らう。


 教室に放り込まれ、幾つもの机を薙ぎ払っていく。背中に痛みを感じ、叫びたくなったが、それよりも男からの追撃に備えなければならず、体勢を整える。しかし、男の追撃はなく、彼は教壇に立って笑みを浮かべていた。


 何とでもなるという意思表示だろう。それもそうかもしれない。先程の一撃で力の差を思い知らされた。今まで戦い方では到底倒す事は出来ないが、戦いながら変えられるものだろうか。


「余裕そうだな……」


 剣崎の言葉に数秒遅れで同意するように一度だけ頷くと、背負っていた黒い日本刀を抜き、遊ぶように振った。


 誰かの記憶の中では何度も見た黒刀。まともに見ると、全ての物を飲み込んでしまいそうな真の黒だ。何色かで濁すことも出来ず、白ですら受け付けない。そう思えてしまう程に、その刀の異常さが伝わってくる。


 心臓の鼓動が早くなっていくのを感じる。男を倒す事を宣言はしたが、その宣言が重くのしかかる。奴の動きは尋常ではないのは確かだ。目の前まで迫ってくる過程の動きを見る事が出来なかった。気が付いたら目の前にいた。銃弾すら視覚出来る視力を有しているのにも関わらず、男の動きを捉える事が出来なかったというのは非常に不味い。


 思考を巡らせている間に間合いを詰めてきた男に絶句しながら、剣崎は思った。

こいつに勝てるのか、と。


「ぐっ――!」


 狭い教室の中、一歩後ろに下がり、二本の刀を交差させ、男の斬撃を受け止めるが、彼の斬撃がやはり重かった。大して力を込めているようにも見えず、余裕の笑みすら浮かべているのが不愉快だ。


 一本の刀相手に対して、こちらは二本。攻撃を回数としてはこちらの方が勝っている。いくら速度が上回られていても、二本の斬撃を完璧に受け切れるとは限らない。


 剣崎は出来る限り左右の刀を動きが異なるように振るい、男の無防備である箇所へと攻撃を仕掛けていく。


 男は剣崎の攻撃を避け、受け流した後、鬱陶しそうに舌打ちする。


 嫌そうにしているという事は、効果的であるという証拠。このままいけば、何処かで隙を作る事さえ出来るだろう。


 そこまで考えたところで、男の横薙ぎに逢い、剣崎は二本でそれを受け止める。


 それでいい。完全に受け切った時、彼に隙が出来る。真剣ではないが、模擬刀でも全力で振るえば彼の肩を粉砕する事だって可能だ。先程は吹き飛ばされたものの、今回は脚に力を込めているため、そのような事は起こらない。


 万に一つ、情けをかけない。彼に化け物じみた身体にされたのだ。肩の骨を粉砕するだけで済ませていい筈がない。出来るのであらば、二度と動けないようにしてやりたいくらいだ。


 迫り来る瞬間に、剣崎はマスクの下で笑みを浮かべる。


――こい。こいっ。こいっ!


「ククッ」


 男の声が聞こえた時には、視界がぶれ、壁に体を叩きつけられていた。


「がっ――!?」


 肋骨辺りから嫌な音が聞こえ、体を動かす度に激痛が全身を駆け巡っていく。


「――――っ!!」

 一瞬、何があったのか分からなかった。奴の隙を突いて、模擬刀を振り下ろしたのだが、それよりも早く彼の蹴りが脇腹に直撃した、らしい。男が片足を上げ、挑発するように左右に振っていた。


「くっ……馬鹿にして……」


 脇腹を押さえ、ゆっくり立ち上がると二本の内の一本を拾い上げ、一歩踏み出す。幸い、骨折による激痛も引いてきたため、何とか動けるようだ。どれほどの早さで治癒するのか把握出来てきたものの、それまでの痛みが耐え難い。


 もう一本の刀も拾い上げ、地面を蹴る。今度は安易に隙を突くといった行動は取らない。自分の出せる全力を用いて、男の隙を捻じ込んでいく。小細工を重ねられるほどに剣術の技量も高くない。むしろ初心者だ。


 剣崎が振るい、男がそれをいなす。高速で交差する二本と一本の戦いなら、どこかで一本分の遅れが出る、そう思った。しかし、遅れが出るどころか、自分が振るう場所を分かっているように動く男に、不安が募る。


 まともにやりあっても埒があかない。

 上段の攻撃に下段への攻撃へと変更する。すると、男は少し驚いた様子で目を見開き、僅かに跳び上がり、下段の攻撃を避ける。


――ここっ!


 いくら自分よりも速く動けたとしても、地面から離れてしまえばどうする事も出来ない。相手は防御の一手しか打てないし、自分の全力の攻撃を受ければそこそこのダメージだって見込める。


「たぁっ!!」


 下段へ振るった腕を無理矢理戻し、両腕で二本の方を振り下ろす。風を切る速度が速く、周囲に強風が起きる。人口的に作り上げられた突風が剣崎の前髪を掻き上げ、乱れた髪が元の髪型へと戻りつつあった。


 これで決まれば勝ち。


 しかし、その幻想は容易く打ち破られた。

男は全力で振るった二本を片手で握った黒刀で受け取め、甘いと言わんばかりに舌を鳴らした。


「なっ――」


 そして、空いた手を剣崎の顎先目掛けて軽く振る。

 彼の拳の先が剣崎の顎に当たった瞬間、視界が大きくぶれ、全身の力が自分の意思とは裏腹に一気に抜けた。気付いた時には両膝が地面に着き、刀すらも無造作に落ちていた。

痛々しいという理由で格闘技を見ないようにしていた。その中でたまたま見かけたボクシングの試合で、顎に強烈なフックを食らった選手が人形のようにマットに沈んだ光景がとても印象的だった。


 その状況に今、自分がなった。

 完全に意識が飛んだ訳ではないため、剣崎は異様に重く感じる手で拳を作り、男に向かって振り抜く。しかし、体重も何も乗っていない只の打撃が彼に届く筈もなく、一歩後ろに跳ぶだけで最も容易く避けられてしまった。


 揺れる視界の中、二本の刀を拾い上げ、立ち上がる。


 先程とは打って変わって疲弊した身体が鉛のように重たい。格闘家達がこれを受けながらも何度も立ち上がってきたのは賞賛に値する。


 揺れていた視界が正常に戻った後、剣崎は一つ深呼吸してから地面を蹴る。


 次に仕掛ける算段はない。だが、ここで何もしないという選択だけは絶対にしてはいけない。今、彼を取り逃がしてしまうという事は、被害者が今後も出続けるという最悪な状況が延長される剣崎はこの体になって初めての倦怠感を感じながら、白刀を抜き、構える。


「あああああぁあぁああああぁあぁぁっぁぁっ!!」


 激昂し、二本の刀を闇雲に振り回す。一打一打を全力で振るうも、男は最も容易くそれらをいなしてくる。挙げ句の果てには、攻めの態勢に入っていたのに、いつの間にか守りの態勢に強制的に追いやられていく。


――なんで……なんでっ!


 こんなに攻撃しているのに、傷一つ付けられない。


「がっ――!」


 受け流されながら着実に打撃を加えてくる。自分なりにフェイントを掛けた攻撃をしかけても、それを上回る速度で避けられた。空振りと痛みに苛立ちが留まることなく湧き上がってくる。次第に刀の振りが大きくなり、振る毎に体の重心が大きく移動するのを感じた。


「くっ……! ああぁあああぁぁっ!」


 何度目かの斬撃を振り下ろし、それを男が受け止める。耳障りな金属に顔を顰めながら、彼の腹に前蹴りを仕掛ける。そこまで予想していなかったのか、簡単に男の腹部にヒールブーツの底が減り込み、呻き声を上げた。


 当たった、と高揚感を抱いた。しかし、彼は自身にめり込んだ剣崎の足を掴み、笑う。


「サービスだよ、優等生」

「えっ――あぐっ!?」


 男の口から初めて言葉が漏れたかと思えば、彼の拳が剣崎の頬を捉える。


 床を何度も打ち、廊下側の窓に激突する。以前に割られた破片が肌に突き刺さり、激痛が走った。深く刺さってしまったようで、自分を中心に血だまりを作っていく。


「んん……っ!」


 破片を引き抜き、男に向けて放つ。しかし、それを指で挟む事で止められ、適当に投げ捨てる。


 剣崎は傷口が塞がっているのを確認し、立ち上がる。


「お前……」

「お前って、そんな性格じゃねぇだろ」


 男はさも自分を知っているかのように喋る。


「私はお前なんて知らないぞ。知っていれば、その時に……」


 いや、知っている。


 口調、声。この数ヶ月で何度も聞いてきた。若い故に生徒から人気がある国語教師。


「……木塚、先生……?」


 剣崎の答えに、男は笑みを深めた。そして、顔を覆っていた靄のようなものに触れ、払う。


「正解だ」


 靄が消え、木塚の顔が現れた。


「流石に学校内の人間だとは思わなかっただろ? よっと」


 木塚は教卓に座り、黒板に黒刀を突き刺す。


「……その刀……どこで……」

「旅行先の古い神社でちょっとな。まいったね、手に取った瞬間あれだからよ。まぁ、良いの手に入れたから結果オーライだな。いい暇潰しになった」


 暇潰しという言葉に、剣崎はマスクを下ろし、歯を噛み締める。


「暇潰しって……。人を何だと思っているんですかっ!?」

「玩具。お前も同様だ。学校上位の秀才、内気の人見知り、マイナスの感情を表に出さない生徒。面白味に欠けるガキで注目してたよ。その身長だしな」


 だから、と木塚は付け足す。


「標的にした。この刀はマイナスの感情を促進する事が出来る。ある程度の期間、意識を持っていかせた後、自分の身に何があったのか自覚させ、犯人を恨む様に差し向ける。そう思ったのによぉ……。来なかったじゃねぇか。しかも、人助け。笑っちまうな」


 愉快気に手を叩き、笑う。


 この体になってから、やけに憤りを感じていた。今回に至っては暴力的にまでともいえる殺意だ。自分が自分ではないような感覚。不愉快の連続は、あの黒い刀のせいだったのか。


「まぁ、オレとしては観察出来て楽しかったけどな。すっかり正義の味方だな。先生は鼻が高いよ」


 人の為に動くのは悪くない。誰かを救う事が自分の、この体の存在意義に繋がっていると感じた。悪く言えば、正当化だ。この体だからこそ、救える命がある。しかし、度々襲われる己の常軌を逸した体に恐怖すら覚える。


 何から何まで嬉しいものはあり得ない。むしろ、嫌なものばかりだ。


 ただでさえ自分の事が好きになれないのに、一層嫌いになってしまう。


「何が鼻が高いですか……。私はこのせいでどんだけ――」

「けど、いい夢見れただろ? 感謝されたじゃねぇか。助けてくれてありがとうってよ」


 おそらく、先日の事件の事を言っているのだろう。一般人の感謝の言葉はテレビで流されていなかったので、現場の人間しか知りえないものだ。つまり、あの現場に彼が居たという事だ。


 嬉しかったのは確かだ。だが、この体になれて良かったなんて思っていない。


「いいわけないじゃないですか……っ。私はどんなに悩んだか分からないんですかっ!?」

「だからお前にしたんだろ? 察しろよ」


 何を察しろというのだ。

 会話をする度に憤りが募っていく。これも、あの刀の影響なのか。


「私をこんな体にして……葉菜ちゃんと貴美子ちゃんにまで……」

「足りなかったか? 他にも候補はいるぞ。例えば……」


 木塚は顎に手を当て、少し考える。


「お前の両親とかな。殉職の二階級特進ならどんだけいくんだ、お前の親父さんは?」


 そう言われた時、自分の思考よりも早く、剣崎は木塚に向けて模擬刀を振り下ろす。しかし、それは先程の同じように、今度は鞘で受け止められる。


 親友だけではなく、今度は両親を狙うのか。どこまで外道なのだ、この男は。人の道を外れた性格でよく教師になれたものだ。


「…………っ!!」

「良い顔してんじゃねぇか。指導の賜物か」

「し――」

「死ねってか? 優等生も一端の事吐くようになったな」


 誰が言わせているというのだ。

 でも、本当に殺す気で振り下ろした。白い刀は人体を斬る事は出来ない。黒刀に斬られた人を開放する為のものだ。だからこそ、直接叩き込める模擬刀を振るった。こちらも人体以外のみ切断出来るだけ。しかし、持てる力全て注げば、それくらい出来る筈だ。


「だが、まだまだ甘いな」


 木塚は鼻で笑うと剣崎の胸に蹴りを入れた。そこまで強く蹴ったようには見えなかったが、その衝撃は重く、後方の壁に叩きつけられてしまう。


「かはっ……!」


 だが、それだけでは終わらない。体が床に着く前には黒刀が右肩に突き刺さる。刀につるされる形になってしまい、次の動きが出来ない。今までのように痛みも引く事もなく、延々と傷口から血が滴り落ちていく。


「あぁ……う……っ」


 黒刀を引き抜こうとするも、掴んだ瞬間、悍ましい感覚に襲われる。


「触れねぇだろ?」


 手を放した剣崎に歩み寄りながら、彼は笑う。


「オレとお前は反発しあう人間だ。だが、オレの方が濃いってのがよく分かっただろ」

「強いって言いたいんですか……?」

「そうだな。お前じゃ、オレには勝てない。だから、一つ提案だ」

「提……案……?」


 木塚が黒刀を引き抜き、振る事で付着した血を払った。床に片膝で着く形で剣崎は降りると、傷口を押さえながら、睨みつける。


「今回、お前を見逃してやる。それで、この学校のヒーローにでもなれ。オレはこれからも駒を増やしていく。たまに散らばしてやるから助けてやれ」

「……何が言いたいんですか?」

「オレは手駒増やせて暇潰しになる。お前は行方不明者を助ける英雄になれる。お互いにウィンウィンだろ? そうすりゃ、お前も動きやすくなっていいじゃねぇか」


 それはただのごっこ遊びのようなものだ。一般人からすれば、自分は救出者として感謝するだろうが、そんなものは偽りでしかない。自分は今、この場でその問題を解決したい。そして、目の前の男を斬り捨てたい。


「ふざけないで……私は絶対に先生を……っ」


 白刀を抜こうと右手を動かすが、激痛が走る。いつもなら、とっくに傷口が塞がっているものだが、痛みは感じ続けている。人間離れの治癒力が黒刀によって妨げられているのかもしれない。白刀と対を成す刀だからこそ、反発しているのだろう。


 血が流れると共に着実に体力をも奪われていく。このまま戦い続けて、勝利する可能性も削られていくのが目に見えて分かる。長期戦に持ち込まれれば、間違いなく自分が倒れてしまう。


「お前に拒否権はねぇよ。これ以上、やりあっても勝機はねぇぞ」


 その時、遠くの方から数台の警察車両のサイレンが聞こえてきた。それは当然、木塚にも聞こえており、楽しそうに小さく笑う。


「おぉおぉ、正義の味方さんが来たな。お前の親父さんもいるかもな。親父さん、オレの事件関連に首突っ込んでるし、可能性高めだ。それに、娘が通う学校だもんなぁ?」


 確かに、宗司は事件に関与している。自分が関わっている時も、直接出向いている事が目立っていた。今回もおそらく、ここに来る。休みだとしても、娘の通う学校で騒動が起きれば、たとえ休暇であっても飛んでくる筈だ。


「遊びは終わりだ」


 木塚は刀を背負っていた鞘に納め、剣崎のジャケットを掴んで無理矢理立たせた。


「一緒に行こうじゃねぇか。先生を助けた剣士さん」


 剣崎は不敵に笑う木塚をもう一度睨んだ後、刀を納める。


 勝機が薄い現状で無理に動けば、劣勢の中で父を護り切る自信がない。拳銃を持っている警察官が操られる事になれば、犠牲者が出る可能性も浮上する。そうならないためにも、無理な抵抗はしない方が賢明だ。


 二人で教室を出、生徒や教師が居る体育館へと向かう。二つの足音のみが響き、それ以外はとても静かなものだった。


「余計な事はしない方がいいぞ。親友は死なせたくないだろ?」

「……分かってます」


 怒りに手が震える。


 彼がいる限り、学校の全員が人質という事になる。部外者なら、申し訳ないが背負うものが多少軽くなる。しかし、緑原や日向以外の友人、担任を含めた教師。知り合いが危険な目に遭うのは耐えられない。


 体育館に着くと、外で待っていた数学教師が到着した警察官に事情を話しているところだった。どうやら、彼女が連絡したようで、余計な事をするなと思ってはいけない事を口の中で毒づく。


「あ、木塚先生っ!」


 数学教師が木塚の存在に気付き、大きく手を振る。それに対し、木塚も手を振り、彼女に駆け寄る。そこで気付いたのだが、いつの間にか彼の背中には黒刀が背負われていなかった。いつ、どこで手放していたのか全く分からなかった。その動作にも気付けない程の速さ、という事か。


「良かった……無事だったんですね」

「はい。彼女に助けてもらったんです」


 木塚がこちらを振り返り、数学教師に気付かれないように笑みを浮かべる。その笑みがとても不愉快で、彼から視線を逸らす。


 すると、逸らした先に他の警察官に指示を出している宗司の姿があった。彼は、こちらに気付くなりこちらに歩み寄ってくる。


「また会ったな」

「……あぁ」

「今度は学生を護ってくれたみたいだな」

「だが、犯人は逃がした」


 正確には、目の前に居る。だが、それは言えない。


「通り魔の事か。ここに来ていたのか……。だが、今回も犠牲者が出ていないのは本当に良かった。娘がここに通っているから、気が気でなかったんだ。娘の友達から聞いたが、逃がしてくれたそうだな」

「あぁ、大した怪我がないから問題ない。今頃、家に着いている筈だ」

「そうか。妻にも家に帰ってほしいと伝えなければな……」

「後の事は任せた。もう、私に出来る事はなさそうだからな」

「分かった。二回目だが……娘を護ってくれてありがとう」

「……気にするな。それが私のやるべきことだ」


 剣崎は彼にそう伝え、その場から跳んだ。その際、視線を木塚へと向けると、彼は嘲るように手を振っているのが見えた。


 留まる事を知らない怒りと殺意が感情を支配しようと駆け巡る。不快な感情に気分が悪くなり、民家の屋根に着地した際には眩暈がした。それだけが原因ではなく、血を流し過ぎた事も原因の一つだろうと感じた。


 自宅に着き、窓から自室に入り、自分の血で張り付いたジャケットを床に投げつける。今では傷が塞がっているものの、若干、痕が残っている状態。それも放っておけば消えてなくなるだろう。


 生死を分けかねない戦いから解放され、緊張の糸が切れたのか、視界が揺れ始める。


「う……っ」


 体の力が抜け始め、立っているのもままならない。このままでは気を失ってしまう。早いところ、着替えなければならない。


 差していた刀を抜き、床に置く。

 だが、


「あ……だめ……」


 腰を折ったところで、自分の体重が支えきれなくなり、そのまま顔から床に倒れてしまった。受け身も取れず、頬が床を打ち、痛みが走る。


 起き上がりたいが、体が鉛のように重い。指を動かすのが精いっぱいだ。


 起きなければならないという意思に反し、瞼が視界を遮ろうとする。これを受け入れてしまった場合、完全に意識を失ってしまう事になり、非常に危険だ。父が母に帰宅するように連絡していたら、この姿を見られる。


「それだ……けは……」


 自分に言い聞かせるように呟くも、それは徒労に終わった。


 視界が完全に暗くなり、剣崎は気を失った。

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