脅威(1)
登校早々、剣崎がした事は一つ。帰宅だ。
緑原と日向には手洗いに言った後に教員に用があると嘘をつき、誰にも見られないように足早に跳んだ。
変装用の服と刀を置いておくのが非常に気掛かりだった。勝手に自室に入るという事は絶対にないのだが、万が一の事を考えると近くに置いておきたかった。娘を心配しての行動はありがたくも、立場的に面倒でもあった。
自宅に着き、誰も見ていないのを確認して窓を開ける。リビングには総司がテレビを見ているのが耳に届く。物音を立てないように慎重にクローゼットから服を鞄へと詰め込み、ベッド下の四本の刀を抱えようとする。しかし、流石に四本とも持つのは無理がある悟り、今回は模擬刀と白刀の一本ずつ持っていくことにした。残りの模擬刀を元に戻し、目に入らぬように服を適当にかけた。
「早くいこ」
教室から出て、そろそろ二〇分になる。流石に二人も遅いと感じ始める頃合いでもあり、ホームルームが始まる。
剣崎は窓から出て、閉めるなりすぐに跳んだ。
着替えと刀は屋上のさらに上。出入り口の上に置く。この位置はどの視点からも見えず、上がれる場所もない。そもそも屋上自体、学生が入れないように普段は施錠されているので、隠すにはうってつけな場所だ。
その後、三階の端にある人通りの少ない窓から入り、教室へと向かう。ホームルーム開始五分前になんとか着き、胸を撫で下ろす。
「結構時間かかったのね」
緑原がこちらに気付き、軽く手を振ってくる。
「うん。話が長くなっちゃって……」
「あの先生、話長いもんね」
彼女は眠たそうに剣崎の机に突っ伏す日向の後頭部を突く。
「さっきまで元気だったのに、急にどうしたのよ」
「学校って何故か眠たくなるよねぇ……。あたし、もうこのまま寝たい。葵に膝枕してほしいな」
「一番勉強しないといけない子が寝るなっての。ただ、葵の膝枕はいいわね…。気持ち良さそう」
二人が太ももに視線を向けてくるので、剣崎は手で隠す。
「見ないでよっ。そんな良いものじゃないよ!」
「いや、肉のつき過ぎずなさ過ぎずのそれはバランスが良いはずよ。高さも丁度いいと見たわ」
「分析しなくていいから。膝枕なんてしないからねっ」
席に座り、二人から見えないようにすると、彼女達は残念そうに息を吐いた。
予鈴のチャイムが鳴り、数秒後に国語教員の木塚が教室に入ってくる。
「席につけよぉ。朝っぱらからうだうだする程の頭してねぇだろ?」
「あれ、何で木塚先生がこの時間に来るの?」
前の席に座る日向が首を傾げながら質問すると、彼は少し困った様子でため息を吐く。
「本田先生は急病で休みみたいでなぁ。副担の先生も新婚旅行でいないから、若いオレが出てんの。華があっていいだろ?」
「若いって言っても、先生も二七歳でしょ?」
「あん? 世間から見りゃまだ若いっての。そんなのいいから、ホームルーム始めんぞぉ」
木塚は僅かに頬を引き攣らせながら、手に持っているプリントに目を落とす。
ホームルームも滞りなく終わり、一限目二限目と消化していく。自身の体について悩むところはあるが、隙間なく進む授業によって幾分か気を紛らわす事も出来た。今日は七限の日という事もあり、流石に疲れる日だ。しかし、今は少しでもマイナス思考を避けておきたいのでありがたい日でもある。
三限の数学も三〇分が経過する頃、前の席に座る日向の頭がゆらゆらと揺れる。いつもなら昼食後にあの状態になるのだが、今日は少し早い。進学校に通う者にとって、授業中に寝るのはあまりないものだが、彼女は少し違う。勉強よりも趣味嗜好を優先している節がある。他人から見れば、進学校に通うに値するのか疑問に思うかもしれないだろうが、この学校に合格するくらいの学力は持っている。少し、彼女自身の水準を上回っているが。
少し離れた席で、緑原がムッと表情で消しゴムの破片を的確に日向の頬に数回当てる。それにより、彼女はハッとして黒板に書かれた数式を書き写していく。
剣崎はその様子を見て、口角を上げる。
『ここは関係者以外立ち入り禁止ですけど、親御さんか何かですか?』
ふと気になる声が聞こえ、剣崎はそちらに意識を向ける。声からして、体育教師のものだ。誰に話しかけているのかまでは分からない。この教室から見えるのは、グラウンドから校門までだ。彼が居るのは、裏手にある体育教員用の職員室だ。つまり、裏門だ。
『もしもし。聞いてますか?』
『う……あぁ……』
相手は女性。しかし、声が掠れている。
『誰の親御さんなのか言えないなら、帰ってください。ったく、裏門から入るなんてマナー違反だぞ……』
『……ヒヒッ』
小さく笑う声が聞こえ、剣崎は裏門の方に目を向ける。
来訪者じゃない。意思疎通の出来ず、掠れた笑い声。最初に自分も経験したものだ。
操られた被害者がここに来たというのか。この時間帯に現れるのは非常に拙い。全校生徒がいる中で抜け出して戦う事なんて出来ない。自分の正体をさらけ出す事になる。おそらく、奴はそれを狙っている。
「……あいつってここの――」
「剣崎さん、どうしました?」
数学教師がこちらに問いかけてくる。
「いえ、別に……」
周りは離れた所で起きている事には気付いていない。ここで変に行動するのは得策ではない。だが、生身の体育教師が女性を無理矢理外に叩き出そうとしようものなら、確実に怪我どころでは済まない。
「あ、その……お手洗いに行って――」
『フフフッ』
次は男性の笑い声が聞こえてきた。
「えっ」
それも、近い。
剣崎は声の主がどの位置にいるのか把握する為に、探っていく。そして、気付く。
自分の居る教室の――窓側。
その瞬間、窓ガラスが大きな音を立てて粉砕する。それと同時に窓の方へと視線を向けるも、視界には男性の大きく開かれた手によって阻まれる。
「ぐっ!」
宙を浮き、そのまま教室の外に連れ出される。その際、廊下側の窓、仕切りを突き破られる形になってしまい、背中に激痛が走った。
「葵っ!!」
日向の悲鳴が聞こえる中、校舎外にまで投げ出される。剣崎の顔を掴む男性もガラスによって切り傷いくつも作っているが、不気味な笑みを一つも崩さない。以前、戦っていた時にも思ったが、操られている以上、痛覚は極端に薄いようだ。
「この……っ」
剣崎は彼の手を引き剥がすと、それを軸に彼よりも高く身を翻させる。そして、彼の肩を踏み台にし、跳躍する。行く先は着替えや刀を置いている屋上だ。
屋上に降り立つなり、状況を把握する為に目と耳に意識を集中させる。先程は突発的な察知が出来た事が幸いだけに、詳細まで把握出来ていなかった。
裏門付近に一人、校舎に一人。それがベストだった。しかし、実際は違い、正門にも一人が居た。それどころか、学校を囲うように合計八人居た。
「何でこんなに……」
一人や二人程度なら、一般人が居ようがどうにでもなっただろうが、この人数は多すぎる。学生に怪我を負わせず、被害者を倒すのは至難の業だ。正直、自信がない。
「無理、じゃない……」
弱音を吐いている場合ではない。やってもいないのに、最悪の事態を考えていては最高のルートを辿るのは出来ない。やるしかない。
自分の頬を叩き、瞬時に着替える。
そして、同じように屋上に降り立った被害者の男性を振り返る。彼は黄色の瞳を小刻みにゆらしながら、不気味に笑いかけてくる。
「私が護らないと……っ」
最短で最善のルートで全員を倒す。
剣崎は白刀を抜き、自分を奮い立たせる為に叫んだ。
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