束の間の日常
朝。
「葵、もう行けるのか?」
私服姿の宗司が玄関から声をかけてきた。剣崎はソファに置いていた鞄を手に取り、向かう。
「うん」
二人は外にあるガレージから出され、横付けとなっている車に乗り込んだ。宗司が一目惚れで購入した青のセダンはかれこれ一七年とそれなりの年季が入っている。母によれば、自分が生まれた時に購入してきたということと、名前と色をかけているとの事だった。普段は厳格な印象を受けているが、その時は相当浮かれていたのだろう。正直、恥ずかしい。
「あの子達には連絡してあるのか?」
「うん、葉菜ちゃんとこだけでいいよ。貴美子ちゃんもそこにいるから」
「わかった」
宗司はそう言い、アクセルを踏み込む。
しばらく走っていると、彼は助手席、後部座席周りをミラー越しに見始める。
「どうしたの? ちゃんと前見て」
「いや、お母さん、また物増やしたと思ってな……」
確かに日に日に物が増えてきている。助手席の台には小さなぬいぐるみ、バックミラーは有名キャラクターのものに替えられていた。後部座席にも、自分も好きなキャラクターの中サイズのぬいぐるみが数体置かれており、女性向けのものとなっていた。
車の使用度は母である美紀の方が圧倒的に多い。彼女が買い物などに必要ということもあり、仕事場には基本電車で向かっているので、宗司が運転するのは一緒に出かける時くらいだ。
「車で署に行くのは気がひけるなこれでは……」
「もう一台買ったら?」
「一台で不自由ないなら必要ない。お前も免許取ったら話は別だがな」
「来年、か」
「取るなら取りなさい。この先必ず必要になってくるからな。ただ、内装には気を使え、俺みたいな気持ちになられたら可哀想だ」
「それは誰に対して?」
「……誰だろうな」
「彼氏とか?」
「知らん」
「まぁ、あの人なら大丈夫だと思うけど」
「……なに?」
「嘘。いないよ」
いたずらに嘘をついてみると面白いくらいに食いついてきた。嘘だと分かるとホッとしたように息を吐くのも聞こえた。交際している人はいないが、この先どうなるかは分からない。現時点で好意を抱いている人はいないが、もしかしたら出来るかもしれない。そうなった時の彼の反応がきっと面白いに違いない。
そうこうしていると、緑原の自宅の近くとなった。自宅前には緑原と日向が立っており、こちらに気づくなり大きく手を振ってきた。
彼女達の前に停まると、二人は後部座席に乗り込む。
「おじさん、おはっようございますっ」
「おはようございます。お休みなのにありがとうございます」
朝からテンション高めな日向とは逆に落ち着いた口調で挨拶をする緑原。
「おはよう。昨日、あの近くにいたそうじゃないか。大丈夫だったかい?」
「私達が来る頃に解決していたようなので大して危ないということはありませんでした。あとニュースの映像で、お見かけしましたよ?」
「妻にも言われたよ。服装で分かったと言われてね。君にも一度だけ会ったと思うが、よく覚えていたね」
「記憶力はいい方なので」
事件関連の話は家では話さないようにするというルールは外では解禁。それはいいのだが、友達の前で自分から話題に上げるのは少し驚いた。
「犯人はどんは感じな人だったんですか? やっぱり怖い人? どんなの使ってたーとか」
日向が身を乗り出して問いかける。
「犯人はみんな怖い。だが、それ以上は言えないな。詳しい話は話しちゃいけないルールがある」
捜査情報を一般人に話すのは規律違反で済まされない御法度のものだ。ドラマなどで一般人につらつらと述べるシーンがあるが、父からしては警察官として控えなければならない行為であり、立場として厳しく処罰する対象になると言っていた。
「ですよねぇ……」
「まぁ、ニュースでやっていた事がほぼ全てと言っておくよ。殺人事件とかになれば、口が裂けても言えないが」
「やっぱり、そういうのに出くわしたりしました?」
「そうだね。二十年も続ければ――」
殺人事件とか重い話はあまり聞きたくない。
「お父さん、そういうのは聞きたくない」
「ん、あぁそうだな」
バックミラーで日向をみると、彼女は申し訳なさそうに片手を立てた。
「それじゃあ、剣士さんの事ですけど、会ってみた感じどうでした?」
本人の身としては、その話題も嫌だが、そこも遮ってしまっては怪しまれそうで怖い。宗司 は顎に手を当て、言葉を選んでいるようだったが、すぐに口に出した。
「悪い人間ではないのは確かだ。多くの人を助けたからね」
「やっぱり? そうですよねぇっ」
「だが、逮捕の対象である。銃刀法違反だからね」
「えぇぇ……」
ショックを受けている日向の横で、緑原は総司に同意するように深く頷く。
「当然じゃない。いい人でもダメなものダメよ」
「葉菜ちゃんの言う通り、人を助けたからといって見逃してたらそれはそれで問題でもある。良くも悪くも平等だからおじさんは彼女を追うんだ」
剣崎にとって非常に耳が痛い話だ。あの男を誘き寄せるために善行で行っていることだが、警察側からしたら得体の知れない存在なのは変わらない。同じ人を守る者と認識してくれているも、犯罪の枠にはまっている微妙な立ち位置が扱いづらい存在とも言える。
「世知辛いなぁ……」
「それが法律だよ」
「でも、あの人がいい人なら、通り魔ってだれ?」
日向のその一言で車内が静まりかえった。
彼女も失言と気付き、しまったと顔を歪める。
「……それも今も捜査中だ。現在進行形だから、何も言えない。さぁ、着いたよ」
車が停車し、校門を指差す。
「あ、ありがとうございまぁす!」
「ありがとうございました」
二人は頭を下げ、降りる。
「お父さん――」
「さっきも言ったが、通り魔の事件は言えないぞ。ただ、彼女は犯人ではないのは確かだ」
「うん。いってきます」
「あぁ。終わったら電話してきなさい。迎えにいくから」
「わかった」
剣崎も車から降り、走り去っていく彼を見送る。その横で日向は大きく手を振り、緑原は深く頭を下げる。
「貴美子、あなた空気読みなさいよっ」
緑原は隙を見せた日向の脇腹を突く。
「はうっ。ごめんってばぁ……」
「葵もごめんね、お父さんお休みなのに」
申し訳なさそうにこちらに目を向ける緑原に、剣崎は笑いながら首を振った。
「ううん、大丈夫。家だと仕事の話すると怒るけど、自分から話すんだから特に気にしてないと思うよ」
「精神使う仕事だもんね」
「まぁね。ただ、家で自分から話すときはイラッとするけど。自分からルール破ってるし」
「……葵もイラッとする時があるのね」
「え、私も人間だよ?」
「怒るとか縁のないと思ってた。怒ったとこ見たことないし」
「そう、かな……?」
言われてみれば、二人の前で怒るといった行動をとった事がない気がする。いつもは二人の軽い喧嘩を眺めているのが殆どで自分が介入する機会がない。
そこで、日向が腕を組み、しんみりと呟く。
「葵は将来、仏様になれるね」
「えぇぇ……」
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