世間
午後六時半を過ぎた頃。
剣崎は買い物袋を手に帰宅した。買い物をしている間は、あの事件を忘れる事が出来て、有意義な時間を過ごす事が出来た。
家の前に差し掛かった時、前方から疲れた様子で歩いてくる宗司の姿が見えた。彼はこちらに気付くと軽く手を振ってきた。
「おかえり」
「あぁ」
彼が先に入るように促すと、『ありがとう……』とため息交じりに行ってきた。そして、二人で玄関に入り、『ただいま』と言った。
「おかえりぃ。ご飯出来てるからねぇ」
リビングから母の声が聞こえてきた。確かに、玄関までカレーの匂いが漂ってきて、空腹を促進させてくる。
「はぁい。私、先に鞄置いてくるね」
「あぁ」
剣崎は階段を駆け上がり、自室へと向かう。自室のドアを閉めた後、変装用の服を取り出し、クローゼットの中に押し込む。その際、匂いを嗅ぐと、少し汗臭い。
「そろそろ洗わないとな……」
と言っても、洗うとなれば両親居ない時だ。幸い、共働きなので、親の目が付きにくい時間はいくらでもある。ただ、ジャケットの方をどうやって洗うかだ。革製なので、単純に洗う訳にはいかないだろう。後日、調べながら洗うしかない。
自室を出て、リビングに向かうと二人は既に席に座り、カレーを食べていた。剣崎も自分の椅子に座り、『いただきます』と手を合わせる。
「これ、葵が行ってたとこから近かったんじゃない?」
「え?」
美紀がテレビの方を顎で示し、剣崎もそちらに目を向ける。すると、そこにはニュースキャスターが、今日あった事件を真剣な表情で話しているところだった。そのニュースを聞いていた初老の男性コメンテーターが一つ咳払いし、厳しい表情で喋り始める。
『彼女がやっているのはあまりにも暴力的ですね。ほら、この映像から見て分かります』
昼に見た動画とは違う方角から撮られた映像を指差す。その映像は、自分が倒れている運転手の男を殴りつけていたところだった。
『今回は持っていないようですが、普段は日本刀を携帯しているんです。たとえ、犯人を捕まえたとしても、彼女も民間人にとって危険な存在には変わりません』
鋭い口調で言い放つ男性コメンテーターに、剣崎は目を細めさせる。
何が民間人にとって危険な存在だ。自分が目の敵にしているのは、悪い事をしている人間だけだ。罪の無い人に危害を加える気など毛頭ない。
「そうだね……貴美子ちゃんも言ってたよ……」
苛立っているのを表に出さないように慎重に言葉を紡ぐ。
『そうは言っても、この女性は被害が広まらないようにしていますよね? それだけでもすごい事ですよ』
一方で、若い女性が反論する。
『あのまま交差点に入っていれば、大惨事にもなっていましたでしょうし。むしろ、私は称賛しますよ。皆さんの命の恩人ですよ』
その発言に、周囲の人達も頷く。
『確かに乱暴の部分はあるかもしれませんが、凶悪犯には仕方のない行為です。私としては、これからの彼女の勇気ある行動に注目していきたいと思います』
それから別のニュースへと移っていく。
その光景を眺めていた美紀が、ひと呼吸入れ、呟く。
「非暴力で解決しない事件なんていくらでもあるのに何言ってんだか、あのおじさん」
「そうだが、全員が全員、そうは思ってはいないさ」
「あの日本刀の持った子も好きでやってる訳じゃないだろうし、そこまで言う必要ないわよ。ねぇ?」
「そうだな」
「まぁ、それはそれとして、さっき女の子と向かい合ってたのってお父さんよね?」
「……どうして分かった?」
「だって、あの服は私が送ったものだもん。分かるわよ」
「……そうか」
「警察官として、あの子はどう思うの?」
「少なくとも、警察や市民の敵ではない。だが、拘束しないといけないな」
「どうして?」
「銃刀法に違反しているからだ」
その言葉に、剣崎は気付かれないように小さくため息を吐く。
いくら人を助けても、父にとってはその見方をするしかない。至極当然なのだが、気持ちよく協力してほしいものだ。刀を持っている限り、それは無理だろうが。
「葵」
宗司はこちらに目を向ける。
「明日、俺が学校に送り迎えする」
「え、いいよ。学校までそんなに遠くないよ」
それに、着替えや刀の事を考えると、一人で行動している方が良い。しかし、変に断るのは危険だ。彼に疑惑の目を持たれるのがこれからの活動で一番の壁になってしまう。
「近いからこそ気をつけなければ駄目だ。あの子達も一緒に送っていこう」
「……一応、聞いとくよ。ご馳走様」
剣崎は手を合わせ、リビングを出て自室へと戻った。
トークアプリで先程の話についてコメントした。すると、一分ほどで二人から返事が返ってきた。
『了解。あたし、葉菜のとこに行くねぇ。その方がいちいち回らなくていいし』
『それが良いかもね。けど、寝坊するんじゃないわよ』
『わかってるようだ』
そのやりとりを見た後、『お父さんの事は適当に流しといていいからね』と返しておいた。
一息吐き、ベッドの上に座ると、服の袖を捲る。あれ程深く抉った傷が何度見ても見当たらない。あの傷の痛みを考えれば、有り難いと思う反面、正常な体ではないという現実にも直面してしまう。
やはり、自分はこの体を特別な力だと喜ぶ事が出来ない。この体だからこそ、救えた命があったのは、非常に嬉しい。だが、それ以上に一生付きまとうかもしれないとなれば話は別だ。
奴を倒したとして、その先に何がある? 白刀で元の体に戻らなかったという事は、方法が無いのを証明してしまっている。奴との蟠りが終わっても、『これ』は続くのだ。
一人。そして、冷静になれる時間になればこの感覚に陥ってしまう。
この体を、こんな自分を好きになれる日は来るのだろうか。
剣崎はこめかみを揉み、唇を嚙み締めた。
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