被害者
『期末テストの方は大丈夫?』
別の日の夜、高層ビルの屋上で変装し、マスクを下に下ろした状態で緑原と携帯電話で会話していると、その様な事を言われた。
中間テストが過ぎ、今はもうすぐ夏休みが近づいてきた。それに伴って、期末テストも迫ってきていた。期末テストの勉強はしっかりしている。中間テストがあの出来だった為、今、この時間を使って問題集をこなしている。テスト範囲も完璧とは言わないが、しっかり押さえているので、ギリギリという事は回避出来る筈だ。日向の方だが、中間テストが良い刺激なったのか、勉強をするようになった。順調に事を進む事が出来れば、目標の国立大学進学が叶う筈だ。出来るなら、三人で同じ大学に通いたいものだ。
「うん、今回は大丈夫だよ」
『そう、良かった。どっか遊びに行こうよ。最近、葵と遊べてないし」
「うん、ごめんね。いっぱい遊ぼう」
『そそ、いっぱいね。あれ? 今、外なの? ちょっと騒がしいけど』
その言葉にドキリとしたが、変に嘘をつくよりは正直に話した方が、事を順調に進めやすいだろう。ビルの屋上に居るという以外は。
「うん……ちょっとね。外で勉強してて……」
『え、危ないよ? 通り魔の他にも、悪い人はいっぱい居るんだよ?』
「今帰ってるところだから、大丈夫。えっと……、いざとなったら、あの女の人が助けてくれるよ!!」
『ピンポイントで助けてくれるとは限らないよ? 気を付けて帰ってね。じゃあ、また明日』
「うん、おやすみ」
『おやすみぃ』
緑原との通話が切れると、剣崎は携帯電話を内ポケットにしまった。
外で、この姿で話すのは緊張する。特に、友人や家族に話すのがだ。いつ、話の辻褄が合わなくなる事も心配になる。嘘がばれると、彼女達からの信頼が失われ、小学校の時の様に一人ぼっちに逆戻りになってしまいかねない。人の為に動くのは大切だ。しかし、目の前に居る自分が知っている人の方が大切なのだ。
「はぁ……」
片手でこめかみを揉み、溜息を吐いてから、視線を人口の光で彩られた街並みへと巡らせる。剣崎の耳に、エンジン音やクラクション、人の声が届く。意識を向けすぎると、頭に響いて頭痛を起こしてしまう。そうならない様に、加減をする。だが、今の沈んだ気持ちを少しでも忘れる為、集中する。案の定、頭痛を引き起こし、痛みに顔を歪める。
人の声の中に、一つの悲鳴が聴こえた。
『鞄取られた! 誰か、捕まえてぇ!!』
女性の悲痛の叫びに、剣崎はマスクを上に上げながら立ち上がり、高層ビルから数階低い建物へと飛び降りる。悲鳴がした場所へ、建物から建物へと跳び移る事で向かう。すると、歩道を四つん這いで蹲っている中年女性に人が集まっているのが視界に入り、そこへと飛び降りる。中年女性の前に着地すると、周りに集まっていた人だかりが戸惑いの声を上げたが、直ぐに携帯電話のカメラからシャッター音が聴こえてくる。
「どこへ走って行った?」
「む、向こうに……」
中年女性は剣崎の後ろを指差した。その方向を振り返り、眼に意識を向ける。視界が普段以上に拓け、行き交う人にぶつかりながら走り去っていく男性が見えた。状況を上手く掴めていない人は、ぶつけられた事で舌打ちや文句を言っている。
「分かった。私に任せろ。あと」
剣崎はシャッターを切る人だかりを振り返り、小首を傾げて目を細めさせる。
「これ以上は撮らないでくれ。携帯、壊すぞ?」
そう言った瞬間、シャッター音が一斉に止み、人だかりは一歩後ろに退いた。
我ながら酷い事を言っていると思う。だが、この姿の剣崎葵を演じるには必要な事だ。
その場から跳躍をし、走っていく男性を追いかける。男性は近づいてくる自分に気付き、慌てて路地裏へと曲がっていく。
「逆に不利になるのに……」
剣崎は再び跳躍し、男性が入っていった場所の出口と言える場所へと向かう。そして、男性が路地裏の道の半分を超えようとしたところで、数メートル離れた位置に降り立ち、行路を塞いだ。
「大人しくしろ。怪我したくないだろう?」
「くそっ……」
男性は顔を歪め、入ってきた方向を首だけで振り返る。
「諦めろ、戻ったところで捕まるのがオチだぞ」
その証拠に、遠くからパトカーのサイレンが聞こえてきた。それは、男性にも聞こえた様で、さらに顔を歪ませる。そして、彼は懐から折り畳み式のナイフを取り出し、刃を出してこちらに向けてきた。
「どうしてこういう奴等はナイフを持っているんだ……。不安なのか?」
呆れた口調で問い掛けるが、男性はその質問に答える事はしなかった。しなかったというより、余裕が無いという方が正解だろう。
「まぁいい。その鞄、返してもらうぞ」
剣崎は地面を蹴り、一瞬にして男性との距離を縮める。そして、日本刀を抜く動作で柄を相手の鳩尾に減り込ませる。それにより、男性の口から呻き声が洩れ、そのまま地面に蹲る形で頭を打ちつけられた。『あ……あぁ……』と呻き声を上げる男性を尻目に、奪い去った鞄を捥ぎ取って路地裏を出る。
「…………」
路地裏を出るとパトカーが数台、路地裏の入り口を囲んでいた。発光するパトカーのランプに目を細め、こちらを警戒する警察官に視線を巡らせる。
「鞄、届けたいんだが?」
鞄を見せるように上げると、パトカーから降りていた女性警察官が、こちらに拳銃を向けつつ、手を差し伸ばしてくる。
「こちらに渡し――」
「あ、私の鞄っ!」
女性警察官の言葉を遮る様に、先程の中年女性が人混みから大きな声で叫んだ。剣崎はそちらに目を向けると、彼女へと歩み寄っていく。警察官との距離が近くなるが、決して発砲する事も無く、銃口をこちらに向けてくるだけだった。一般人に被害が被らない為のものなのだろう。
「少し汚れてしまった。すまない」
「いえいえ、取り返して貰ってありがとうございます! 娘から貰った大切な物だったんです」
「そうか、それは良かった」
剣崎が鞄を中年女性に渡すと、彼女は深く頭を下げた。それを見て、マスクの下から笑みを浮かべると、一歩後ろに下がる。
「では、私は失礼する」
「ま、待てっ!!」
「待てと言われて待つ奴は居ないぞ」
そう言い、抜けてきた路地裏の隣に建っている建物へと跳ぶ。撃ってくるとおもったのだが、銃声は聞こえては来ず、屋上に降り立つ事が出来た。
屋上から警察官達や野次馬を見下ろす。警察官は銃口をこちらに向ける事も無く、呆然と見上げ、野次馬は相も変わらずシャッターを切るか、動画撮影を行っていた。そんな彼らに背を向け、剣崎は着替えを置いてきた高層ビルに向かって跳躍する。
「帰って少し勉強しないとなぁ」
そんな事を呟きながら遠くに見えるビルへと、飛び移っていく。途中、こちらの存在に気付いた住人が、『あっ!』と声を上げるのを耳にした。その声は他の位置からも聞こえ、空を見上げる何人もの人。その異様な光景に、小さく笑いながら目的地へと速度を上げる。
飛び移る建物が無く、仕方なく歩道の方に着地する。すると、近くを歩いていた人達が驚きの声を上げた。
驚かせた事に内心謝罪しながら、剣崎はもう一度跳ぼうと足に力を込める。
「ちょ、ちょっとまってくださぁいっ!!」
地面を蹴ろうとした時、後方から女性の声が聴こえてきた。振り返ると、スーツを纏い、マイクを手に持った女性と大きな撮影用のカメラを担いだ男性が、声を掛けたのにも関わらず、少し驚いた様子で駆け寄ってくる。
一目でテレビ局の者だと分かり、剣崎はため息を吐いた。
「……なんだ」
「今までの活躍について、お聞きしたい事があるのですがっ」
「私はお前達に話す事はないが?」
一刻も早くこの場から離れてしまいたい。長居してしまうと、親が心配して電話を掛けてくる可能性がある。それに加え、今日は宗司が非番で家に居る日だ。彼の許容範囲である時刻を越えてしまえば、引切り無しに電話が掛かってくるだろう。それでいて、無駄に長い説教。うんざりだ。
「お時間は取らせませんか」
「私には時間はない。失礼す――」
「なら、勝手に色々喋りますよ?」
言葉を遮って有耶無耶にしてしまおうと考えたが、取材側が発するとは思えない発言をされ、目を見開かせた。一般人の妄言なら、勝手にしろと言ってしまえる。しかし、彼女達は日本中の人達が見るニュース番組に出る者達だ。彼女が発した言葉は、全てが真実だと受け取られ、凄まじい批判へと繋がってしまう。現代のメディアはすぐに広がってしまう上、海外にまで一瞬だ。海外はともかく、日本で批判されるのは心にくる。目的の二の次ではあるものの、自分は悪い人間を捕まえているのだ。悪態吐かれる筋合いなどない。
「お前達は……職の誇りは無いのか……?」
「あるからこそ、貴方に聞きたい事があるんです」
「……分かった、話す。だが、ここでは不都合だ。近くの公園に場所を移すぞ」
剣崎はテレビ局の人間と噂の剣士、二つ存在に興味を示した野次馬が確実に数を増やしてきていた。このまま、無駄に時間を過ごすのは非常に都合が悪い。彼女達の要望をさっさと終わらせて、家に帰ってしまおう。
近くにある公園に場所を変え、剣崎はベンチに座り、片膝を着く形でマイクを向けてくる女性からの質問をただただ答えた。最初は警戒心を解く為か、好きな食べ物は何かなどの当たり触りの無い質問ばかりだった。答えやすい環境を作るという策略なのだろうが、時間を気にしている剣崎にとって逆効果であり、段々と苛立ってしまう。
「そんな無粋な質問なら、私は失礼するぞ」
「まままままってくださいっ。します、しますから!」
女性は慌てた様子で咳払いし、直ぐに真面目な顔をする。
「では、お名前は?」
「言うと思うか?」
「お歳は?」
「…………」
「あー、その刀は本物ですか?」
「いや、模擬刀だ」
「ですが、物が切れていた様ですが」
「それはノーコメントだ。ただ、模擬刀なのは事実だ」
剣崎は三本の内、一本の模擬刀の鞘を抜き、剣先を向ける。それに対し、女性が模擬刀の背をなぞった後、恐る恐る刃の部分に触れた。本当に刃が付いていない事に驚きを隠せず、動揺した様子でカメラマンの方を振り返った。
「だろ?」
「は、はい……ですが――」
模擬刀を鞘に納める剣崎を見ながら、新たに質問してくる。
「警察の方からきつく言われているのでは?」
「真剣なのではないのだから、連中に追われる筋合いは無い。何度も言っているのにだ」
「いや、模擬等も一応……銃刀法違反の対象になりますよ?」
「……え?」
銃刀法違反は、刃が付いている鋭利の物に限ったものだと思っていたのだが、そうではないのか。警察官がしつこく追ってきていた理由がようやく分かった。取り締まる以外の者を注意する為のものではなく、ただ銃刀法違反を堂々とする不審者を追いかけるという、職務を遂行していた立派な警察官達だった。
「もしかして、ご存知ではなかった?」
「え、いや……し、知っていたぞ」
早まる心臓の鼓動を必死に抑えながら、平静を装う。
女性が不信感を隠せない様子でこちらを見据え、小さく息を吐く。
質問が幾つか書かれた紙に目を落とし、短い沈黙の後、口を開く。
「この質問で最後にします」
「私は一向に構わない」
ようやく、この状況から抜け出せる。危うく酢を出してしまいそうになったが、何とかやり過ごす事が出来た。最後の質問をさっさと答え、この場から立ち去ってしまおう。
「では――」
女性は一つ深呼吸すると、先程とは打って変わって鋭い目つきでこちらを見据えた。
「この数ヶ月に渡って続いた通り魔及び失踪事件……貴方の仕業ですか?」
「……なに?」
一連の事件を自分がしていたとして、何故、人助けや悪者退治しているのだ。行っているのはまるっきり逆ではないか。彼女はどのような意図があってその様な発言をしようと思ったのだろう。
「言っている事が分からないな。私がやっている事は、完全悪の犯罪なのか?」
「はぐらかすのはやめてくれませんか?」
怒りの込められた瞳に、剣崎は内心たじろぐ。
この様な視線を、今までされた事もない。人の怒りの眼差しがこれほどまでに怖いものだったとは思わなかった。
「私には……婚約者が居ます」
女性が声を振り絞るように出した。取材の内容から掛け離れた発言に、カメラマンが『おいっ』と慌てた様子で肩を叩く。噂の剣士が目の前にして、編集カットといった方法をあまりしたくなかったのかもしれない、その為、ノーカットで映像を収められるように、市場を挟ませたくないのだろう。しかし、女性はカメラマンの手を振り払い、こちらを睨みつける。
「けど、一ヶ月前から行方不明になっています。彼が居たと思われる場所には、彼の血液が発見されました……。通り魔事件がなくなったと思ったら、次はあんたが現れて……私には、起こした事件から自分を除外させる為の人助けにしか見えなかった……っ」
途中から敬語すら失せ、恨み辛みを並べていく。カメラが回っているのにも関わらず、涙を流し、マイクを剣崎の胸に突きつける。
「どうなのよ……あんたなの……っ!? 彼を返して……返してよぉ……」
膝から崩れ落ち、縋るように呟く。
自分だけが嘆いているわけではなかった。目の前にいる彼女の様に、行方不明になった人の無事をひたすら祈り、犯人に対する激しい怒りを抱いている。
自分の事ばかり考え、他の被害者とその関係者の事までは考えていなかった。今までの質問の受け答えは、さぞ不快だっただろう。
「……そういう事だったのか」
剣崎はベンチから腰を浮かし、地面に片膝を着き、女性の肩に手を添える。
「今までの態度は謝る、すまない。その質問だが、関与していない。むしろ、私も犯人を追っている」
「……え?」
「訳あって、人の前から姿を消すような事は避けられたが、無事では済んでいない。こんな常識外れな体にされ、私は奴を許せない。捕まえて、叩きのめす」
「そうなん……ですか……」
「奴は私が倒してみせる。だから、お前は彼の無事だけを願っていてくれ」
「……はい」
目的が変わった。こんな恐ろしい体にされた復讐と考えていたが、彼女のように、行方不明者の無事を確認出来ず、不安に押し潰されそうになっている人も居る事を認識出来た。最早、自分だけの問題ではない。そんな人達の為にも動く必要がある。
自身の復讐は二の次と考えた方がいいだろう。
「時間は掛かるかもしれない。だが、私が必ず、奴を叩きのめ――」
全てが言い切る前。少し離れた所で今までしていなかった物音が聞こえてきた。発達した聴力によって、周囲の音を聞く事が出来るようになった。それであっても、今の音は既に居た何かが動いたような音でない。
突然、現れたものなのか。或いは、自分が気付かない程に静止していた虫か動物だろうか。
「ここまでだ。お前達は下がっていろ」
不自然な物音に警戒心を強めながら、彼女達に言った。その言葉に従い、彼女達は剣崎からも距離の取るようにして、少しずつ後ろへと下がっていく。
剣崎は両腰に差した模擬刀の一本に手を添え、茂みの中から現れる何者に備える。そして、何者かのぼろぼろになったズボンが視界に入った時、模擬刀を引き抜く。
「聡っ!!」
不意に後方から女性の悲鳴に近い声が聞こえ、思わず体を震わせる。僅かに後ろを振り返ると、女性は涙目で指差し、嗚咽交じりに言った。
「私の婚約者です……っ!! 聡です!」
その言葉で剣崎は再度、何者かを振り返る。
茂みの中から現れた男性は、長い間放浪していたのか、着ていた衣服も所々擦り切れ、肌を露出させていた。肌が見えている部分も、何かで切ったのか、切り傷がいくつか見受けられ、非常に痛々しい。
犯人から命からがら逃げてきたのか。もしそうならば、犯人の居場所を突き止める事が出来る。
「聡とか言ったな? 無事で良かった、今から病院……に……」
聡と呼ばれる男性が俯かせていた顔を上げ、ゆっくりとこちらに視線を向けてきた。正確には剣崎の向こう側。その目は何処か遠くを見ているようだった。そして、彼の目がしっかりと剣崎を見据えた――黄金色の瞳で。
「なにっ!? お前達、もっと後ろにさが――」
全て言い終える前に、聡が砂塵を巻き上げ、剣崎に向かって迫ってきた。剣崎は模擬刀を顔の前に構え、力を込める。
その瞬間、視界いっぱいに聡の顔が映り、思わず短い悲鳴を上げてしまう。それと同時に途轍もない重量感が手を中心に広がっていく。
「うっ……!」
模擬刀によって、聡の打撃を受け止めたが、僅かに爪先が剣崎の腕を擦り、切り傷を残した。
しかし、その切り傷はすぐに塞がり、元の肌へと戻ってしまう。
この数ヶ月で着地に失敗したり、物にぶつかったりしてきた。だが、その度に些細な傷はあっという間に癒えてしまう。
如何に自分の体が化け物染みた体へと変貌したのかという現実を突きつけられ、胸を締め付けられる。
聡の打撃を弾き、彼との距離を強引に作った後、癒えていく傷を見下ろしながら舌打ちをする。
剣崎は模擬刀を持った手とは逆の手を、白刀に添え、引き抜く。
謎の男が貫いてきた黒い日本刀が、相手の意識を奪い、この異様な行動をさせているのかもしれない。以前、脳裏を駆け巡った自分の記憶ではないもの。双方に、白刀と黒刀を握った男達が血みどろの戦い。黄色の瞳をした軍勢を率いている男性への対抗策としての日本刀。
彼を放っておいても、助ける事は出来ない。そして、彼を助けられる存在は、たった一人しかいない。
自分だ。
この白刀は、黒刀によって意識を奪われた人を助ける為のものだ。だからこそ、人を斬りつけても衣服といった『物』のみが切断されたのだろう。
「な、何をする気ですかっ!?」
剣崎は白い日本刀を中心に聡に斬りかかる。しかし、繰り出す斬撃を悉く躱す彼に舌打ちをする。加減をした模擬刀の打撃は当てる事が出来、悲鳴を上げるのだが、白刀の斬撃だけは必ず躱す。どうやら、白刀の性質は理解している様だ。
白刀は常識外れの切れ味を誇るが、人は斬る事は出来ない。何故なら、黒刀の人の自我を奪う能力を打ち消す為だけに作られた物だからだ。人を斬るという本来の使い道ではなく、人を救う道を、これには施されている。
打撃により、段々と動きが鈍くなってきている聡は、呻き声を上げながら襲い掛かってくる。それでも、先程よりも動きが鈍くなっている為、剣崎は振り下ろしてきた手を紙一重で避け、白刀を彼女の腹部を叩き込む。人を斬る感触は一切無く、傍から見ればすり抜けていった様に見えただろう。
聡は斬られた瞬間に倒れ込み、それを剣崎が地面を落ちない様に抱きかかえる。そして、ゆっくり地面に下ろし、彼の頬を軽く叩く。反応は無いが、気絶しているだけの様なので安堵に胸を撫で下ろした。
「良かった……。でも――」
一ヶ月以上経った今になって現れた事に、疑問を覚える。今までどこに居たというのだ。他の犠牲者は何処に居る。
剣崎は立ち上がり、辺りを見渡す。この女性を送り込んできた本人が何処かで見ているのかもしれない。しかし、それらしき人物は見当たらず、徒労に終える。
「とにかく、病院に」
「聡っ!!」
女性はマイクを投げ出し、横たわる聡の下へと駆け寄り、力強く抱き締める。
「良かった……良かったぁ……ありがとうっ」
剣崎に向けて深く頭を下げ、安堵のため息を吐いた。それに対し、剣崎は彼女の肩に手を置き、眉を顰めさせる。
「だが、衰弱してしまっている。早く、病院に連れていった方がいい」
頬もこけ、不健康そうな顔色をしているのは、誰が見ても一目瞭然だ。無事、取り戻す事が出来たとしても、安心は出来ない。ちゃんとした設備で彼の回復に尽力してもらいたいし、今まで何処に居たのか聞き出したい。
「そ、そうよね」
女性は携帯電話を手に取り、一一九番へ電話を掛け、居場所を伝える。その後ろで男性がファインダーから目を離し、呆然とこちらを見つめる。そんな彼に、肩を竦ませると、踵を返す。
「では、私は失礼する」
「待ってっ」
彼女に呼び止められ、剣崎は踏み込んだ足を止め、振り返る。
「なんだ?」
「……ありがとう」
「あぁ、彼と幸せにな」
剣崎はマスクの下で笑みを浮かべ、彼女に背を向けて跳ぶ。
ふと、後ろを振り返ると、気を失った婚約者を抱き締めている女性を見て、心の底からほっと出来たのと同時に、怒りがふつふつ湧き上がってくる。
自分だけではなく、他人の人生をも面白半分で壊そうとしている。
つくづく憎たらしい男だ。
剣崎はぶちまけようのない怒りに、舌打ちをした。
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