第2章 剣士

 午後四時。学校が早く終わる日に、剣崎は自宅の玄関で長方形の段ボールを抱え、慎重に自室へと運んでいた。


「分けて買えば良かったかな……?」


 自室に入り、段ボールを置くと、胸を高鳴らせながら封を開ける。段ボールの中には、革製のパンツと手袋にジャケット、胸だけを隠すチューブトップ。それらが数種類入っていた。


 本来ならば、このような服を買おうと思わないのだが、今回ばかりは別だ。


 衣服を段ボールから取り出し、ビニール袋を破き、床に並べる。一式になるように並べて初めて、自分が着ようとしている服装が、普段自分がする服装とかけ離れているのかが分かった。黒のレザージャケットの下にはチューブトップのみで、腹が露出している。ジャケットも、腰にまで伸びているものではなく、脇腹あたりまでといった短めな物であり、ほぼ上半身裸なのでは、とさえ感じた。


「やりすぎたかな……?」


 今になって、後悔、という二文字が脳裏を過ったが、頭を振ってすぐさま消去する。今更、どうとか思っても仕方ない。一度は決めたのだから、やりきってしまおう。それに、これらの衣服も決して安くはなかったのだ。簡単には捨てられない。


 段ボールの傍に置いていた財布を手に取り、中を覗き込む。受け取るまでは札が何枚も入っていたのだが、今となってはほんの三枚しか入っていない。勉強机の引き出しにまだ入っているには入っているものの、今までの額を考えると、寂しいものとなってしまった。ここ数年、親戚に頂いたお年玉や月に一度に貰える小遣いをこつこつと貯金し、引き出しに保管していた。浪費する様な趣味も無く、買うとしても好きな少女漫画の単行本、好きなオレンジジュースを買うくらいしか使い道が無い。日向達と遊びに行ったとしても、そんなに使わない為、嫌でも溜まる。


「あとは……模擬刀かな」


 白い日本刀は、人を斬る事は出来ない。だが、加減しつつも相手を叩く事が可能な物が必要だ。鞘で叩くのも考えたのだが、少しは外見を気にした方がいいと思った。


 そして、チューブトップだ。テレビでモデルの女性が着ているのを見てきたが、いざ自分がするとなれば気が引ける。


 意志を固めるのに数秒掛けてから、剣崎は制服を脱ぎ捨て、身に着ける。それは少し特別製で、胸の下を押し上げてくれ、本来の胸よりも大きく見せてくれる仕様となっていた。


「おぉ……谷間が出来てる」


 自分の胸を見下ろして呟く。

 剣崎の胸は大きい方ではなく、胸と胸の間に谷間は出来ない。だが、逆の自分を作るのであれば、大きな胸が必要だ。すぐには胸が成長する事は有り得ないため、矯正する事で偽物の胸の大きさを表現という考えへと纏まった。


「こうでもしないと谷間作れないなんて……」


 感動と共に、現実を押し付けられ、また別の絶望のため息を吐いた。


 夜。

 剣崎は親にコンビニ行ってくると伝え、外に出ていた。出る際に、父親に引き留められたが、近くのコンビニという事で母親に了承を得る事が出来た。外に出てすぐに自室の窓へと跳び、中に入ると、着替えの入った中学の時の家庭科で作った手提げ鞄を手に、再び外へ飛び出した。その後、近くの公園にある公衆トイレに入り、着替えを始める。上の服を脱ぎ、チューブトップ身に着け、その上にジャケットを羽織る。上半身はそれだけで、胸だけを隠した露出度が高い恰好となった。次に、履いていたスカートを脱ぎ、刀を差せるように細工した黒い革製ズボンを穿き、ベルトを巻き、白い日本刀を差した。

 そして、履いていたローファを脱ぎ、底の浅いヒールブーツに履き替える。次に素性を隠すマスクだ。鼻柱から喉にかけて伸びるマスクを頭から被る。最初は手頃な物が無く、悩んでいたのだが、サバイバルゲームやバイク乗りが愛用しているフェイスマスクという存在が、剣崎にとって探し求めていた代物だった。マジックテープによって強弱が付くので、しっかりと顔のラインが出て、万が一マスクがズレ落ちるという事態を少しでも防ぐ事が出来る。


 後は髪型だ。


 耳を澄ませ、誰も入ってくる気配が無いと確認し、トイレから出て手洗い場へと向かう。そして、ジャケットに忍ばせておいた男性が良く利用する整髪料を取り出し、皮手袋を外してから、蓋を開け、セットを始める。


 普段の髪型は前髪を右に流すようにしている。だが、変装するに当たっては全て逆に専念する。なので、右に流していた前髪を左に流し、固定する。分け目も逆にするなり固定していき、後ろ髪も丁度いいように立てていく。バランス良く髪を立て終えると、手を洗ってから整髪料の蓋をきつく閉めた。


 最後に、目元に力を入れ、垂れ目を引き上げる

 完成だ。


「うわ、誰これ……」


 鏡に映る自分に眉を潜める。だが、これでいい。自分でもそう思える程、掛け離れた存在になったという事だ。


 鏡から視線を外し、脱いだ服を手提げ鞄に押し込み、公衆トイレから出る。そして、跳躍し、近くにあった建物の屋上に降り立つと走りだす。次に向かう場所は、武器屋。勿論、本物を扱っている店ではない。鎧や甲冑なども取り扱っており、あらかじめ、ホームページで位置は確認済みだ。


 数分跳び続け、件の武器屋の前に着地する。閉店間近で店員らしき男性が戸締りを始めているところだった。その男性が何処からともなく現れた剣崎に驚き、一歩たじろいだ。


 剣崎は男性を見ると、軽く咳払いをする。

 普段の自分から離れる為のもう二つの方法。


 人見知りをしない。強気に、はっきりと喋る、だ。


「すまない、欲しい物があるのだが」

「は、はぁ……。でも、もう閉めるんですけど……」

「一〇分で終わらせる、筈だ」

「わ、分かりました……。どうぞ」


 男性店員が閉じられていたドアを開け、剣崎に入る様に促す。剣崎は彼に軽く頭を下げると中に入る。入ってすぐに洋風の甲冑に目が入り、『おぉ……』と声が洩れた。自分にとって場違いな場所に来たのだと、改めて思いながらも奥に置かれている、何種類もの日本刀が置かれているコーナーへと歩を進めた。


「え……四万円もするの……?」


 真剣では無いから安いと安易に思ってはいけないものだ。最初に目に入ったのはその値段をする模擬刀で、その下に小難しい名前が掲示されていた。他の模擬刀にも目をやるも、どれもが万単位である。


「えぇぇ……」


 現在の所持金は六万円程。これら買うと、貯金していた金どころか、今月過ごす金までも失ってしまうような金額だ。剣崎が求めている模擬刀の本数は三本。白い日本刀含む、左右に二本ずつ差すつもりでいる。白い日本刀では、物が切れても人を叩くような事は出来ない。鞘で叩くのは出来るのだが。相手側に印象を持たせたいという女子らしからぬ願望がある。


 後ろで警戒の目で見てくる男性店員を気にしながら、なるべく金額の低い模擬刀を探す。

 そして。


「あ、七九八〇円。す、すみ……すまないっ」


 鞘が黒く、ドラマなどで良く見る様な形の模擬刀を見つける事が出来た。刀身の長さも、白い日本刀と同じくらいで丁度良さそうだ。

 剣崎は男性店員を振り返り、呼ぶ。


「……どうなさいました?」

「これ、三本あるか?」

「えぇ、まぁ……奥にございますが……」

「では……三本頂きたい」

「分かりました、レジでお待ちください」

「ありがとう」


 剣崎は彼に言われた通りに、レジの前まで移動し、彼が模擬刀三本を持ってくるのを待った。


 慣れない口調に内心ドキドキ+申し訳ない気持ちになる。見知らぬ人には、敬語で話す事が多い生活をしている為、罪悪感で胸が軽く締め付けられる。仕方のない事なのだが。


「お待たせ致しました」


 男性店員が模擬刀を持って戻ってくる。模擬刀を広いレジの台に置くと、金額を入力していく。


「二三九四〇円になります」

 剣崎は手提げ鞄から財布を出し、その中から三万円を渡した。


「恐れ入りますが、一ついいですか?」

「……なんです?」

「何のコスプレ、ですか?」

「こ、コス……」

「あ、いえ……何でもないです。こちら、六〇六〇円のお返しになります。ありがとうございました」

「夜分遅く、すまなかった」

「いえ、お気をつけて」


 口では明るめ返していたが、明らかに不審者を見る目だ。それに、この恰好をコスプレと言われた。そんなつもりで着た覚えはないのだが、他人からすれば、そうなのだろうか。


 剣崎は袋に入った模擬刀を受け取って店から出るなり、肩を落として項垂れる。

 コスプレと思って着るのであれば、気持ちのいいものだろう。だが、そのつもりもなく着た物で言われると少し傷付く。いや、変装とコスプレも一緒か。


「あぁ、もうっ。気にしないっ」


 頭を振って開き直り、その場から逃げるように跳ぶ。

 次は。

 剣崎が次に辿り着いたのは、一五階建てのビル。ここならば、障害物に邪魔をされずに人探しがしやすくなると考え、ここを選んだ。もう少し、高いビルから見渡せばいいと思うのだが、それはまだ怖くて出来ない。高い所では一〇〇メートルを超える。そんなところから飛び下りる程の根性はまだ持ち合わせていない。


「さてと」


 剣崎は屋上の縁側に座ると、荷物を置き、ジャケットの胸ポケットから携帯電話を取り出した。家を飛び出してから、大体三〇分。コンビニに滞在する時間にしては、少し長い。そう思い、アプリを展開すると、母親に対し、『中学校の友達と話をしているので、少し遅れます』とメールを送信。すると、三分も掛からずに母親から、『了解』と笑顔の顔文字で返ってきた。それを見た後、携帯電話をしまい、目を閉じて一つ深呼吸する。


 目を見開かせる。


 視界が拓け、米粒の様に小さな人達の顔が鮮明に認識出来る視力へ。次に、耳に意識を向け、段々と周りの音がはっきり届くまで聴力を向上させる。先日のような事にならない様に、加減を考え、制限を掛ける。


 人の話し声、音楽、車のエンジン音、クラクションなど。様々な音が剣崎の耳に届く。いくつもの音が混じれば、只の騒音。この中で、通り魔らしき人物、あるいは襲われる人物の声を聞き取らなければならない。だが、そう上手くは行かず、騒がしい音が聴こえるのみだった。


「すぐには来ないよね……。最近、襲ってないらしいし」


 自分を襲ったのを最後に、ぱったりと通り魔についての報道が無くなった。それは良い事なのだが、襲われた側にとっては苛立ちしか湧かない。


 だが、今日からは違う。勿論、通り魔を探しだすのは最終目的だ。その間にも、犯罪行為をする人間や危険な目に遭う人間が必ず居る。それらを捕まえ、助ける。この力を、その為に使う。私利私欲の為に使うのは、勿体無い。ならば、人の為に使えばいい。


「上手くいくかどうかは分からないけど、ね」


 その時だ。

 パトカーのサイレンが遠方から聴こえてきた。

 剣崎は音がする方角に目をやると、パトカーの前を何台ものバイクが蛇行運転をしていた。原動機付き自転車や中型バイク。原動機付き自転車が圧倒的に多い台数で、ほぼ全台が違法である二人乗りしていた。

 数は、およそ三〇台。


「最初の活動は、これかぁ……こわいなぁ……」


 がっくりと肩を落とし、買った模擬刀を刀が差せるように細工した穴に差す。荷物も置き、バイクの大群を追いかけ、建物から建物を跳んでいく。どのタイミングで彼らに接近しようかと観察するのだが、一部のバイクが頻繁に狭い通行路を利用する為、踏み切れない。強引に行けば何とでもなるのだが、事故を起こしかねない。あくまで、捕まえる事が目的だ。


「抜けろ抜けろ抜けろ抜けろ……抜けたっ!」


 バイクが狭い通行路を抜け、別れていた集団と合流。後方を走行するパトカーを蛇行運転する事で煽り、中指を立てたりなどしている。


 剣崎は数十メートル先にある長い橋に目をやる。おそらく、彼らはあの橋を渡る筈だ。警察側も、それを見越して追手を回す手段に出るだろう。しかし、見る限り、警察側は橋の先にまだ回り込めていない様だ。向かっている事は向かっているが、あの調子だと回り込む前に渡り切られてしまう。


「あそこだ」


 跳ぶ速度を上げ、バイク集団を先回りすると、渡るであろう橋へと跳ぶ。二、三〇メートル離れた距離を一度の跳躍で縮め、橋の前に着地する


 ハイビームで点灯されるバイクのランプに目を細め、彼らを見据える。すると、先頭を走行する男性がこちらの存在に気付いた様で、近くに居た仲間に声を掛けた。


『おいっ。あそこ、誰か居るぞ』

『あ? 関係ねぇべ。邪魔すんなら轢いちまえ』


 剣崎の耳に届いた言葉に、眉を潜める。

 轢いちまえ?

 その思考になる事に驚きを隠せない。人の命を何だと思っているのだ。暴走行為を若い内の青春と考えるのもいいだろう。それも一つの人生だ。暴走行為が更生した後に、反省しながらも良い思い出として保管されるのであれば、許す。だが、他人の命を奪おうとするこの行為は、許さない。良い思い出になど、ならない。


 マスクの中で歯を噛み締めると、白い日本刀を鞘から抜く。


「救済の余地はないよね」

『おい、日本刀じゃねぇかあれ』

『どうせ作りもんだろ』


 バイク集団が段々と近づいてくる。

 胸の高鳴りが止まない。怒りと恐怖。そして、興奮。それらの感情が入り混じり、日本刀を握る力が強くなる。いくつものライトが剣崎を照らす。近くになっても速度が落ちる事の無く、彼らが言っていたように、轢こうというのだろう。


 剣崎は一歩踏み出し、先頭にいる二台のバイクへと向かう。そのバイクと剣崎との距離が数メートルとなった。その時の彼らの顔は、一切の躊躇いも無い。それどころか、笑みさえも浮かべていた。


「後悔するなよ? 屑共」


 そう言って、剣崎は両手をバイクのヘッドへと突き出す。普通ならば、触れた瞬間にその両手は粉砕骨折を起こし、下手をすれば引き千切れてしまっているだろう。だが、現在の彼女の体では、それも不可能。


 剣崎の両手に触れたバイクは、凄まじい音と共に前が潰れ、後輪が行き場を失って勢いよく跳ね上がった。それにより、乗っていた男性二人が前方へと投げ出される。それを、剣崎がバイクを受け止めていた両手を肉眼では追えない速さで動かし、彼らの胸倉を掴むと、自分の目の前へと引き寄せた。


「こんばんは」


 突然の出来事に状況を把握出来ていない彼らは、呆然と剣崎の顔を眺めていた。その後ろを走行していた集団がタイヤを鳴らして止まり、彼女の存在にどよめく。


「なんだてめぇっ!」


 漫画で良く見る第一声に、思わず笑う。現実で言う人間の居るとは思わなかったからだ。


「通りすがりの者だ」

「答えになってねぇんだよ! そいつらを放しやがれ!」

「分かった」


 剣崎はそう言うと、掴んでいた彼らを集団目掛けて軽く放り投げる。放り投げられた男性達は地面を転がり、すぐさま立ち上がると、咳き込みながらこちらを睨みつけては怒声を上げる。

 いちいち元気なやつらだ。


「俺らのバイクを壊しやがったな!? ぶっ殺すぞ!」

「死人が出る前に壊れてなによりだ」


 その言葉が火に油を注いだようで、こちらに歩み寄ってくる。その途中、壊れたバイクの捥げてしまったアップハンドルを拾い上げる。どうやら、それで殴るつもりらしい。


「やめておけ、危ないぞ?」


 忠告するのだが、聞く耳を持っていない。あるいは、頭に血が昇って聴いていないのか。


 剣崎は模擬刀の一つを鞘から抜き取ると、彼に突きつける。しかし、怯む事も無く、突き進んでくる。そんな彼にため息を吐いた。

 男性がアップハンドルを剣崎の顔面目掛けて振るう。それを、剣崎は最低限の動きで避け、模擬刀を彼の腹部に叩きつける。模擬刀の刃が、男性の腹部にめりこみ、彼は呻き声を上げて地面に突っ伏した。そんな彼を一瞥すると、次にバイク集団へと目を向ける。すると、集団が一気にどよめきだし、後ろへと引き返そうとバイクの向きを変えるのだが、数台のパトカーによって遮られる。


「詰みの様だな」


 剣崎は模擬刀を見ながら、そう言った。

 集団の殆どが逃げる意志を無くし、バイクに座っているだけ。乗り捨てるという選択肢もあるのだが、それすらもしないようだ。逃げたところで、ろくに運動もしていない彼らが警察官から逃れられるとは思えない。


 手持無沙汰となった模擬刀で壊れたバイクを突き、タイヤとホイール叩く。叩いた時に鳴った金属音が剣崎の耳を刺激したが、不思議と不快に感じなかった。どうやら、バイク集団を制圧した達成感が不快感をも超えたらしい。


 すると。

 タイヤからホイールまでが金属が擦れる音を立て、当てた辺りが切り落とされた。


「……え?」


 間の抜けた声を上げ、剣崎は模擬刀を顔に近づけて刀身を凝視する。

 これは真剣ではない。刃もついていない只の模擬刀だ。切れる筈が無い。だが、なぞった部分が綺麗に切断されている。

何故だ。


 模擬刀の刃を自分の腕に当て、軽く引いてみる。しかし、肉をおろか、皮膚すらも裂かなかった。顔を近づけ、目を細めると、刃に僅かな膜が張られているのが確認出来た。


「まさか……斬れるように……?」


 模擬刀すらも真剣へと変えてしまうのか。物が斬れて、人は斬れない。それだけ見れば、白い日本刀だ。だが、直感的にこれは白い日本刀よりも切れ味は悪いと感じた。憶測では無く、確信だ。人が斬れなければそれでいい。悪い人間を懲らしめる為だけに、これを持っているだけなのだから。


「こ……殺される……っ!」


 誰かがそう言った。


「皆、逃げろ! そいつが持ってんの本物だぁ!!」


 その叫び声を合図に、バイク集団がバイクを乗り捨て、一心不乱に逃げ出した。だが、それをパトカーから降りてきた警察官に悉く取り押さえられる。そして、警察官の一人がこちらを睨むように見ると、ホルダーに備えつけられた拳銃を抜き取ってこちらに向けてきた。


「それを捨てろ!」


 突然の事に、剣崎は慌てて両手を上に挙げた。


「ちょ、ちょっと待ってくれ。これは模擬刀だ」

「嘘を吐くな! 模擬刀が斬れる筈が無いだろう!」


 ごもっともだ。

 拳銃をこちらに向けるも、引き金を引く様子は見られない。何故なら、今、発砲する様であれば、剣崎の後ろに居る者達に、当たってしまいかねないからだ。それに、海外とは違い、上からの許可を得なければならない。無許可で発砲してしまうと、最悪の場合、解雇となってしまうからだ。


 剣崎は後ろを僅かに確認すると、膝を曲げ、一気に跳躍する。十数メートルを後方に跳び、停車しているパトカーの上に着地する。そして、もう一度後方へと跳ぶべく、膝を曲げた。


 その時だ。

 拳銃の独特な渇いた音が響いた。

 拳銃を構えていた警察官が剣崎に向けて発砲したのだ。撃ち出された銃弾は、剣崎の左胸に向かって亜音速で駆け抜ける。亜音速を肉眼で視認する事など不可能であり、人間に向けて撃ち出された時には、肉を抉り、突き抜けられていくのを、死と同時に受け入れなければならない。


 しかし、剣崎には違った。

 銃弾が銃口から撃ち出される瞬間を視認する事が出来、その銃弾が自分の左胸を貫こうと向かってくるのが分かった。その銃弾に対し、剣崎は白い日本刀を鞘から抜くと、銃弾に向けて振り下ろす。白い日本刀の刃に触れた銃弾は、綺麗に二つに切断され、左右に分かれて剣崎の間を抜けていった。


 剣崎は発砲した警察を睨みつける。


「……撃ったな?」

(何考えてるのあの人!? 危うく死ぬところだったよ!?)


 冷静に言葉を発するも、心臓は通常以上に高鳴らせている。今の出来事で寿命が数年縮んだとも思えた。彼らから見れば、異質な存在なのかもしれない。しかし、連行を目的としているのであれば、心臓を狙うのはどうなのか。


 睨まれた警察官は、怯えた表情を浮かべると、体を強張らせる。そして、こちらに向けていた拳銃を僅かに下ろし、剣崎を見る。


「次は撃つな? 私はこれで失礼する」

(怖いから)


 剣崎は警察官に背を向ける事はせず、後方へと跳ぶ。跳躍を何度か繰り返し、パトカーから十分の距離を取る事が出来ると、漸く背を向けて荷物を置いていた建物へと足を運ぶ。荷物を置いた建物の屋上に降り立つなり、その場に蹲ってしまった。


「はあぁ……怖かったぁ……」


 まさか、発砲してくるとは思わなかった。

 つい先程まで普通の女子高生をしていた彼女に、衝撃的で絶望的な出来事だったのだ。その危機を脱したが、生きた心地はしなかった。


「……着替えないと」


 辺りを入念に見渡し、人が居ない事が確認出来ると、着ていた服を一気に脱いでしまう。荷物の中に入れておいた制服を取り出して、袖を通していく。全て着替え終えるまでの時間は、およそ二秒。身体能力の向上による早着替えが出来るようになり、複雑な気持ちを持ちながらも、便利に感じた。


 着替え終えた剣崎は、荷物を肩に掛け、その場から跳躍する。建物を次々と跳び移り、家へと歩を進める。だが、その前に嘘を本当にする為に行きつけのコンビニでオレンジジュースと買う必要がある。コンビニが近くなったところで、近場に人が居ない事を確認し、コンビニの裏側に降り立った。


「ふう……平常心、平常心……」


 荷物を物陰に隠し、自分にそう言い聞かせると、普段通りの物腰で店内に入店する。普段通りの手付きでオレンジジュースと菓子を手に取ってレジへと向かう。店員が商品のバーコードに機械で通し、ディスプレイに合計金額を表示させる。その金額を財布から丁度取り出し、店員に渡すと、レシートを受け取らずに店を出た。


「よし、大丈夫だった」


 普段通りの自分を演じられた事に小さくガッツポーズをした後、物陰に隠していた荷物ウィ手に持ち、スキップをしながら家へと向かった。家の前に辿り着くと、音も出さずに自室の窓へと跳ぶ。窓の僅かの縁側に足を掛け、ゆっくりと開けると、ベッドへ荷物を放り投げる。そして、窓をゆっくりと閉め、飛び降りる。


 飛び降りた後、深呼吸をし、何事も無かった様な素振りを何とか作ると、玄関のドアに手を掛け、引こうとした。


その時だ。


 力を込めていなくともドアが開かれ、険しい顔をした父親が出て来た。


「……お父さん」

「おかえり。少し出てくる。例の通り魔らしき女が出たという連絡が来た」

「そ、そうなんだ……」

「葵も気を付けるんだぞ。じゃあ、行ってくる」

「行ってらっしゃい」

「あぁ」


 父親はそう言うと、剣崎の肩を数回叩き、歩いて行った。


 剣崎は彼の後ろ姿を見届けた後、家の中に入る。靴を脱ぐが、決してリビングへと入る事はせず、そのまま風呂場へと向かう。整髪料で粘ついた髪を母親に指摘されるのが面倒だからだ。整髪料を使用するような髪型でもないし、使用もした事もない。それを急に、使用としたならば、指摘されないとおかしい。


「ただいまぁ。汗かいたからお風呂入るねぇ」

「おかえり。はいはぁい」


 リビングから母親の声を聞き流しながら、脱衣所に入る。ドアをしっかり閉め、制服を脱いでいく。全て脱ぎ終えると浴室に入り、シャワーのハンドルを捻って温水を顔に浴びせ掛けた。


 十分に髪を濡らした後、シャンプーが入ったボトルを数回押し、頭を洗い始める。整髪料を付け過ぎたせいか、指が髪に引っかかり、僅かに痛みが走る。


「付ける加減を考えないと……」


 そう呟きながら、剣崎は黙々と粘つきを取る為に洗い続けた。


 これからは、もう一人の剣崎葵としてこの活動を行っていこう。だが、最大の目的は自分をこの体にした男を見つける事。そして、白い日本刀で叩き斬る。


 あの黄色い眼を思い出すだけで、今まで味わった事が無い感情が湧き出る。


 殺意。


 剣崎は無意識に歯を噛み締め、左右違った色に染めさせていた。

 そして、


「斬り捨ててやる……」


 そう呟いた。

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