決意
決意してから翌日の夕方。
食卓にはハンバーグとポテトサラダが並べられ、剣崎と母親が他愛のない会話していた。その会話を父親が聞き、興味に触れた話に入ってくる。食事のみ、父親の仕事について聞く事はしない。
だが。
「昨日、カツアゲにあった中学生が居てな」
突然、動かしていた箸を止め、事件について話し始める父親に、剣崎は彼をジロッと見る。
「御飯の時は仕事の話はしないって、お父さんが言ったんだよね? 自分からそれを破るのはどうかと思うんだけど」
娘の冷たい言葉に数秒黙るが、構わず話す。
「通り魔について情報が入ってな。お前たちにも、注意をいつも以上に持ってほしくてな」
「最近音沙汰なかったのに、今頃?」
美紀が宗司に向けて首を傾げると、彼は頷く。
「男性と思われていたが、女性の可能性が出て来た。その中学生を助けたと言うのだが、真意が分からない。周囲の人間に警戒を解くつもりなのかもしれないが、何人も誘拐している分際で腹立だしい。あいつは何を考えているのかは知らん、お前たちも気を付けるんだぞ?」
そう言い切ると、父親が一言。
「すまん、食べよう」
止めていた箸を再び動かし始め、ハンバーグを口に持っていく。それを見て、美紀は軽く笑うなり別に構わないと言いたげに首を振る。
「一八〇くらいの女性って事? まるで葵みたいね」
「目付きが悪いだそうだ。葵はそんな目はしていない、全く逆だ」
「まぁ。それは優しい目をしてるって褒めてる?」
「う、うるさい……」
夫婦で間の抜けた会話をして、美紀が宗司をからかい、からかわれた彼は彼女から目を逸らす事で御飯を食べるスピード上げる。しかし、咽てしまい、置かれていたお茶を慌てて飲む。それを、また彼女がからかう。
一方、剣崎は。
やばいやばいやばい。
ずっと動かしていた箸を止め、変な汗が体を僅かに濡らしていく。
たったあの一回で父親の耳に届いている。その上、通り魔の犯人と疑われてしまう始末だ。
こんなつもりでは無かったのだが……。
剣崎は一気に食欲が失せ、少なく残った御飯を残し、席を立った。
「御馳走様」
「お粗末様。もういいの?」
美紀がこちらを見上げて問い掛けてくるのに対し、剣崎は顔を引き攣らせた。
「ちょっと体重増えたから、少し抑えないとね……」
「その身長なんだから、逆に食べないとだめだと思うけどねぇ。六〇キロもいってなかったわよね?」
「……とにかく、御馳走様」
剣崎は父親を目だけで見る。彼は母親との会話に興味を示さない様子で黙々と御飯を頬張っている。右から左へという様な状態だ。先程話した事件について考え事をしているのだろう。
リビングから廊下へと出て、自室に続く階段に足を乗せた時、父親の声が良く聴こえるようになった剣崎の耳にはっきり届いた。
『少し太ったからと言っても、あいつはお前に似て……』
『なに、可愛いって?』
『…………』
『その言葉に続く言葉はそれくらいしかないんじゃない?』
『それは……』
『うわ、自分の娘は可愛くないですって? 葵、可哀相ぉ』
『ぐ……。葵は……親という立場を抜いても、綺麗な方……だ』
『ぷぷ、正直で宜しい』
『勿論、お前もだ』
『……ばっかじゃないの』
何だあの両親は。娘が出て行った途端に、気恥ずかしい言葉を発し、お互いに照れ始める。聴いているこちらが恥ずかしくなるではないか。特に父親だ。嫁と娘を、言葉を詰まらせながらも褒めるなど、良く出来たものだ。
途轍もなく顔が熱くなりながらも、階段を上がり、自室へと戻る。そして、ベッドに腰掛けるなり、顎に手を当てて考える。
犯人の容疑を掛けられるのは最早、仕方のない事だ。犯行はいつも夜の事だ。そんな中で、高身長の人物を男性と即座に判断するのは当たり前だ。自分で言うのも嫌だが、男性顔負けの身長を持った女性はこの日本には頻繁に見られるものではない。この身長だけで、犯人と疑われるのは、これ以上に無い最悪な気分だ。
このままジャージ姿であの様な行為はもう出来ない。父親が出てくれば、いずれは正体がばれるに違いない。そうなってしまえば、最悪なシナリオを辿る事となる。それだけは避けなければならない。
どうすればいい。
『全くの逆だ』
先程言っていた父親が言っていた言葉の一部を思い出した。
「そうだ、逆になればいいんだ……」
普段の自分とは逆の、掛け離れた存在になればいい。内気、人見知り、威圧感の無い口調、身長を少しでも低く見せようとする猫背、地味な服装、地味な見た目。全てを今の自分から遠ざけた存在になればいい。そうすれば、誰も、『正体は剣崎葵』と思考にはならない筈だ。
当てていた手を離し、剣崎は笑みを浮かべる。
私は自分が嫌いだ。
だからこそ、嫌いな自分を時間限定で殺し、違う剣崎葵を作り上げる。
もう一人の剣崎葵として。
剣崎は小さく笑う。
瞳を右に青、左に黄色と染めて。
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