夜を駆ける(2)
「あぐっ……うぅ……」
不良高校生に殴られ、公園の地面を転がる男子中学生は、鼻血を出しながら呻き声を上げる。そんな彼をまるでボールの様に腹を蹴り、ケラケラと笑う。
そこに、剣崎が彼らより少し離れた所に着地した。敢えて勢いを殺さず、地面に着地した為、彼女の周りの土が舞い上がり、砂利が数メートル上空に飛んだ。
剣崎は立ち上がり、不良高校生を見据える。すると、呆気に取られていた二人が彼女に向けて怒声を上げた。
「んだ、てめぇ!?」
男性の怒声に体を震わせる。今まで怒鳴られた事が無かった剣崎にとって、男性の怒声は恐怖を煽るものだった。彼に向けていた視線を逸らし、日本刀を握り締めていた手を、さらにきつく締め、小刻み震わせる。
「よよよ、弱い者から金を、ままま巻き上げるなんて……ゆるさない……」
緊張の余りに、上手く舌が回らなかった。その為、不良高校生が聞き取れなかった様で『はぁ?』と言いたげな表情を浮かべた。
不良高校生の標的が、男子中学生から剣崎へと変わり、ゆっくりと歩み寄ってきた。
「部外者はひっ……でけぇなお前」
近くまで来た時に、一人が呟く。二人よりも数センチ高く、彼らが僅かに剣崎を見上げていた。そして、顔から徐々に下へと視線が下がり、鼻で笑う。
「女かよ。でけぇ女も居たもんだな」
「でけぇだけで、何が出来んだよ」
二人が馬鹿にするように笑う事で、剣崎はカチンと来たのだが、深く息を吐く事で何とか落ち着かせる。自分はあの男子中学生を助けに来ただけで、彼らを退治に来た訳では無い。それに、彼らは見ていなかったのだろうか。地面をあれ程舞い上げる人間に、平然と喧嘩を売るものなのか。そして、手に持っている日本刀に目に入らないのか。おそらく、玩具くらいにしか思っていないだろう。
「か、かりぇに謝罪、すすするか、私に倒されて警察に行くか……ど……っちにする?」
最初の単語を噛んでしまったが、その台詞を吐く。その言葉が彼らの逆鱗に触れた様で、顔を険しくさせる。
「調子こいてんじゃねぇぞおい。女の癖によぉ」
一人がそう言うと、剣崎の胸を掴もうと手を伸ばしてきた。しかし、それを剣崎は掴み、捩じ上げる。
「触らないで、変態」
「いででででででっ!」
痛みに顔を顰めさせ、悲鳴を上げる。それを見ていた片方の不良高校生が剣崎に怒声を上げ、殴りかかってきた。だが、剣崎は彼の拳を意とも容易く避けると、彼の胸倉を空いた手で掴んで二人同時に後方へと放り投げる。
地面を受け身も取れずに転がった二人は、呻き声を上げる。直ぐに立ち上がるなり、不良高校生の一人が転がっていた自分の物であろう金属バットを手に持ち、身を低くしながら構える。
「それは人を殴る物じゃないわよ?」
圧倒的な力の差を感じたのか。緊張が薄まってきたため、言葉を噛む事も無く発言出来るようになった剣崎は、彼に忠告する。
しかし、彼はその言葉を無視して金属バットを振り回し、襲い掛かってきた。
忠告を無視した彼にため息を吐き、手に持っていた白い日本刀を両手で水平に持つ。
そして、金属バットが白い日本刀の鞘に向けて振り下ろされた。
凄まじい金属音が公園に響き渡り、剣崎は顔を顰めさせる。だが、それだけで、鞘は傷一つ付かずに金属バットを受け止めていた。それどころか、金属バットが触れた部分がへこんでいた。すると、金属バットを握っていた不良高校生が呻き声を上げて放し、両膝をついて蹲ってしまった。
「すごい……」
剣崎は白い日本刀を見下ろして呟いた。
普通であれば、勢い付けた金属バットにやられれば、折れる筈だ。それすらも返り討ちに合わせる程の強度を持っていた。どの様な素材を使ってこの日本刀を作成したのだろうか。あるいは、あの陰陽道の男性が何かを施したのか。
「てめぇ!」
片方の不良高校生が再び怒声を上げた。剣崎は彼の方を見ると、ナイフをこちらに向けていた。その手は、がたがた震えており、恐怖を抱いている様だった。
彼の気持ちは良く分かる。得体の知れない人間が目の前に現れ、軽々しく放り投げ、金属バットを日本刀で受け止めたのだ。
自分でも、自分が怖い。変化した体を持った剣崎葵がとても怖い。
「まだ……するの?」
「う、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
彼は声を荒げ、剣崎の下へと駆け出した。ギラリと光るナイフが彼女を狙う。それだけで相手を死の恐怖へと陥れる事が出来るのだが、今の剣崎にはそれを一切感じなかった。
「諦めてほしかったな」
振り上げられたナイフが、剣崎の顔面を貫く為に振り下ろされる。それを剣崎は白い日本刀を顔の前に持っていき、少しだけ鞘を抜いた。鞘から少しだけ顔を出した刃がナイフを受け止める。そして、鞘から全て抜く事で、ナイフを弾くと彼の手から離れ、どこかへ飛んで行ってしまった。
「お仕置き、です!」
そう言い、白い日本刀で彼を斜めから掬い上げる様に斬りつけた。斬られたと思った彼の口から断末魔が漏れた。しかし、生憎、この日本刀では人を斬る事は出来ない作りになっている。はっきり言って、最大級の脅しの為に使っただけだ。これ以上、このような悪さをしない為の。
剣崎は黙って日本刀を鞘に納めると、深く息を吐いた。
生まれてから今まで、他人と争い事をした事が無かった剣崎にとって、精神的に疲れが尋常なものではなかった。この数分間で、一〇キロマラソンを完走したくらいの疲れが彼女の体に倦怠感が重く圧し掛かってくる。
斬られたと思い込んだ不良高校生が立ったまま気絶してしまった様だ。その証拠に、目が上を向き、体が絶妙なバランスを保ってゆらゆらと揺れている。
このまま置いておくのもどうしようもないので、蹲って呻き声を上げている不良高校生と共に、警察へと連れて行こうと考える。いくら学生と言えど、年下をカツアゲし、人を殺そうと凶器を振り回したのだ。未遂に終わったとしても、野放しにしておいては再び犯行に及ぶかもしれない。その為に、一人を嘘であるが斬ったのだが。
剣崎は気絶している高校生を抱きかかえようと手を伸ばす。
服とズボンが一閃した箇所より下がずり落ちた。
「ぶっ!!」
最悪にも、ベルト辺りも斬ってしまっていた様で、ストンといった風にズボンが地面へと落下した。それだけでは終わらず、彼が履いていた下着すらもゆっくりと落ち始める。
「ひ、ひぃっ!」
悲鳴を上げ、慌てて後ろへと体を向ける。もう一度、彼を向けば、下半身を露出した状態を見てしまう結果になる訳で、振り返らずに彼の体を押した。そうする事で、力無く地面に倒れる音が数秒経って聴こえてホッとする。こうすれば、下を向かない限り、彼の半裸を見ずに済み、安堵の息を吐いた。
「あ、あの!」
不意に声がし、剣崎は声がする方向を振り返る。その方向は半裸になった高校生が倒れている方向の為、下を見ずに声の主を見るように心掛ける。
「た、助けて頂いて……ありがとうございます!」
男子中学生がこちら向かって深く頭を下げてきた。彼は顔を上げると、垂れた鼻血を拭う。
「あ、あの……その人達をどうするんですか……?」
「……警察に連絡しておいてくれないかな?」
「え、あなたが連絡すれば……」
「いや、色々と都合が悪いのよ……」
「わ、分かりました……」
自分の携帯電話で警察に連絡をすると、確実に父親が出てくる。このような事をしているのがばれてしまえば、通り魔に襲われた事実までも知られてしまう。それだけは避けなければならない。
「じゃ、よろしく」
剣崎は男子中学生に軽く手を振ると、その場から跳躍した。一瞬にして、公園から離れ、家路へと向かう。ここまで来たように、建物から建物へと跳んでいく。
十数分経ってから、自宅が見えてくる。そして、そのまま窓が開けられた自室に勢いを殺して侵入した。だが、勢いを殺し切れなかった様で、床に着地する事が出来ず、仕方なく壁に足をつけて着地した。音も無く、壁に着地した後、ゆっくりと床に落ちる。
「あうっ」
短い唸り声を上げた剣崎は、腰を摩りながら立ち上がる。着ていたジャージを脱ぎ捨て、下着姿になった後、マスクを外し、深く息を吐く。
自室から出ると、一階に下りては一直線に風呂場へと向かう。脱衣所に入り、付けていた下着を全て脱ぎ去って風呂場へと入る。シャワーのハンドルを捻り、温度調節した後に、頭から湯水を被った。
「ふ……ふふ……」
人助けをして感謝された。この異常な体のお蔭で人を助ける事が出来た。普段の自分だった場合、関わりたくないとして知らぬ振りをしていただろう。万が一、関わったとしても、一方的に暴力を振るわれる以上の事をされていただろう。
剣崎は湯水に滴る手を見た後、ひび割れたタイルを見る。
この力は、通り魔に対する復讐にだけ使おうと思っていた。だが、今回で他の使い道を見つけ出す事が出来た。あの男子中学生のように自分の力では解決出来ない争い事、事件、事故。これらを自分が出来る範囲に助ける事が出来るのかもしれない。いや、出来る。
「ふふ……ふふふふふふ……」
笑いが止まらない。
嫌悪するこの力を利用し、人助けをする。
あの通り魔が悪にその力を使うのではあれば、自分は善に使う。手掛かりが殆ど無いが、時間を大いに掛かっても必ず見つけ出す。そして、その善を全力で振るい、あの男を見つけ出して、全力で叩きのめす。
剣崎は見下ろしていた手を握り締め、目を細める。
「明日から色々と考えていかないと……」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます