第二章

第一節

「九月になってもなぁ」

 残暑真っ只中の昼下がり。

 営業所からもらってきた今日の新聞を団扇替わりにパタパタと仰いでいると……。


ピンポーンっ!


 チャイムが鳴り、手を止めずに新聞で風を起こしながら、玄関に顔を向けた。

……はぁ……暑……。

 玄関に向かうこともなく、座ったまま新聞を仰ぎ続けて、視線の先にあるドアを眺める。

 気怠い暑さのせいで、腰が重たくなっているようだ。


ピンポーンっ!


 初めのチャイムからあまり間隔も置かずに、再び、お決まりの呼び出し音が狭い室内に鳴り響いた。

……誰だよ……まったく……。

 このまま居留守を決め込もうかとも考えたのだが、新聞をテーブルに置いて、のそりと立ち上がり玄関へと向かった。


ガチャっ!


「加藤、憲太、くん……で、間違いないかな?」

  無言で玄関のドアを開けるや否や、目の前の男がしゃがれ声で、そう尋ねてきた。

「はぁ……そうですけど、何か?」

 頭を掻きながら質問で返すと、男を見据えた。

 おそらく、五十代ぐらい。

 中肉中背、七三に分けた髪には白髪が混じっていて、柔和な雰囲気を漂わせている。

「おっと、失礼……えー、と……ん~、整理しないとなぁ、さてさて……っとと、あったあった。どうぞ、ウエハラと申します」

 ウエハラと名乗った男は何やら呟きながら、肩に掛けた灰色の鞄をまさぐり、その中から名刺を一枚取り出し、俺に渡してきた。


〈探譚社〉


〈記者〉


〈上原創二〉


 名刺には上から順に横書きでそう記されていて、その下には携帯番号と、メールアドレスが手書きで書かれていた。

……探譚社……聞いた事がない……雑誌かな……新聞ではなさそうだ。

 何の用で来たのだろうか。

 取材だろうか。

 それとも……。

 好奇心と共に言いようのない不安感が湧き上がり出し、鼓動が少しばかり速くなった気がした。

「へぇ。上原さんか、記者ですか……えーと……たん、たん、しゃ?」

 俺が名刺に書かれた単語を確認するように読み上げると。

「惜しい! たん、だん! 探譚社です!」

 いきなり、上原さんはパチンと軽快な音で指を鳴らすと、笑顔を浮かべながら、しゃがれ声を大きくして答えた。

「は、はぁ。探譚社、ですか……あの、それで?」

 意表を突かれた返しに少しばかり戸惑いを覚えつつ、俺は名刺と上原さんを交互に見ると、頭を掻きながら改めて質問した。

「ああ、すいません。少しばかり、加藤くんから話を伺いたくてですね。取材というヤツです、いいですかね?」

 上原さんは鞄を掛け直しながら、人の良さそうな笑顔を浮かべた。

……やっぱり……取材か……でも、何の?

 上原さんの言葉を受け、一つ息を吐くと、手にした名刺で頬を掻きながら視線を宙に浮かべる。

……俺が……取材される……。

 取材の対象になっているということは……。

 何に対しての取材か……。

 話す事はあるだろうか。

 何かしただろうか。

 分からない……。

「取材って、俺は何を話せば?」

 頭に浮かぶいくつもの疑問符を振り払うように、軽く深呼吸をすると、上原さんにそう答えた。

「ああ、はい。それはですね。SICマンションについてなんですが、いいですかね?」

 上原さんは左右を窺う素振りを見せると、顔を近づけ、しゃがれ声のトーンを落として、そう言った。

……SICマンション……。

 俺が新聞配達で回っているマンションの名前だ。

 正しくは、〈SICマンション・タイプWB〉という名前。

……もしかして……三号棟の……あの件か?

 当たり前のように、〈あの顔〉が脳裏に甦る。

 しかし、不快感はあまり湧かなかった。

 あのマンションで新聞配達をしている時も、同様。

 約1ヶ月前のあの件が境になっていると思う。

 エレベーターに倒れていたスーツの男。

 男の人命救助に関わった事によるモノなのかもしれない。

 死体を発見したマンション。

 同じマンションで人命救助。

 俺の中で、相殺されるように、何かが吹っ切れていた。

……記事になるのか……どっちの件だろうか……どちらでもいいかな……。

 俺はいつの間にか消えている不安感の代わりに、高揚してきている期待感を抑えつつ、上原さんを見据えた。

「わかりました。いいですよ」

「そうですか! ありがとうございます! えーと、それでは」

 俺の言葉に上原さんは笑顔でお礼を述べると、部屋の中を覗き込むように首を突き出して、俺をチラチラと見た。

「あ、どうぞ。はは、散らかってますけど……どうぞ」

 俺はそう言って、上原さんを部屋の中へ招くと、手にした名刺で頭を掻いた。

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