最終話 グッバイ人生

 ──月額九千円とかいう怪しい動画サイトの、今月分の利用料金を支払って来た。そして、しっかりと退会したことを確認する。

 大丈夫だ、これで心配事は何もない。

 季節は春。しかし既に桜は散り、早くも梅が開花しつつある町の景色。月日というのはせっかちなものだ。


「稔様ー! お待ちしておりました! 今日は高畠様に会いに行くんですよね⁉︎ 愛しの高畠様の元へ! 会いに!」


「相も変わらずうるさいのな、リム。勘違いしてんな、会いに行くんじゃなくて、観に行くだけだ」


 俺とリムが出逢ってから、ようやく一年が経つ。……いや、『もう』と表現すべきか。月日というのはせっかちなものだ。

 この一年間、バカみたいに忙しかった。もう少しゆっくりしていたかったものだ。


「結局高畠は陸上に復帰し、全国優勝。オリンピックに呼ばれたが、それは完全に拒否した。──絶句する人生だな」


「ええ、オリンピックって何だか知らないんですけどね」


 高畠は主に自ら参加し、リムを入れた三人で行動することが多々あった。

 リムの知らないこの世を見て回ったり、死神の癖にリムが怯えるお化け屋敷に入ったり、川に流されて滝壺に垂直落下したり。

 色々、あり過ぎて頭が痛い。


 ──俺達と距離感は近かった高畠とは、ここ一ヶ月一度も会っていない。陸上に専念していて、会う時間が足りないのだ。

 トップアスリートとして期待に応えていく様は、かつて陸上から逃げた高畠を忘れる程尊敬出来る。

 今日は、高畠の練習を観に行ってみることにした。


「いつも何処から入っていたか……」


 高畠が普段陸上の練習をしている、大したサイズは無いドームの前で、俺は呟いた。リムが細い腕を回して、俺の身体を引き寄せる。


「こちらです、稔様。安心して下さい、困った時は私がお助け致しますから」


「……すまん」


 死の予兆とも言えるか……二ヶ月程前、俺は突如道端で倒れたらしい。そこから一週間程入院した記憶も未だ新しい。

 俺の人生の期限は、もう間近に迫っているんだ。


「稔様、コーンスープ飲みません? 今日ちょっと冷えますよね」


 ドームに入って直ぐ、リムは自販機の前で肩を震わせた。俺は全くそう感じない。


「恐らく、このドーム内のクーラーが効き過ぎてるんだろ。俺はそんな寒くないが、飲みたきゃ買ってやる」


「あざます」


「普通に返事しろ」


「了解ッス」


 コーンスープ(130円)をリムに手渡して、飲み干すのを待つ。思った以上に時間がかかるので、進みながらにした。

 途中、「お行儀悪くないですかこれ」と細かいことを気にしたリムを睨む。お前はいつも行儀悪いだろうが、と。

 観客席から眺める高畠は、初対面の時とは比べ物にならないくらい真面目な表情をしている。時々、別人かと錯覚することも無くはない。


「一番疑問なのは、高畠のフルネームだが」


「いや一年前に聞きましたよね⁉︎ ていうか同じクラスですよね⁉︎ 稔様!」


「大学で同じクラスだとしても、同じ授業に出るとは限らないからな」


「それでも、フルネームくらい覚えましょうよ!」


「お前は俺のフルネームが分かるのか」


「貴方の魂を刈りに来た死神ですからね私! 相葉稔様!」


 よく覚えてんな、コイツ。どうだっていいが。

 周りの連中が俺を見て、「何だアイツ」みたいな顔をしてる。そりゃ当然だ。他の連中にリムは視えていないんだからな。独り言をぶつくさ喋ってる奴だと思われるだろう。

 だがその代わり、リムを視ることが出来る奴には早々気づかれる。


「あ! 稔君! 来てくれたんだ?」


 高畠が俺に気づいて、手を振る。俺の名前しか呼ばないが、一瞬リムの方に目を向けて微笑んだ。ちゃんと視えているらしい。

 久々の再会だが、俺達は互いに見るだけ。練習中には無駄口を中々叩けない。

 コーチが怒鳴るからだが。


「高畠、俺もう帰っていいだろうか」


「稔様、私はリムです。高畠様はあちらのメス犬でごさいます」


「あれは人間だ」


「人間なら、『あれ』なんて指差さないであげて下さい」


 とうとう名前を間違えたか。まるで軽めの認知症にでもなった気分だ。

 かなり違和感がある。今の俺は、誰から見ても障害者だろう。自分でそう思うしな。

 よく考えれば、俺は医者に絶対安静と命じられていたかも知れない。


「高畠悪い、あと数分見たら帰る。そろそろ、タイムリミットが近いからな」


「えっ、もうそんな時間ですか……? まだ、まだ高畠様を観ていても大丈夫じゃ」


「この後親父達に会おうと考えていた。行くぞリム。電車が無くなる」


「まだまだ有るので大丈夫ですけどね。確かに時間はギリギリになるのかも知れませんし、行きましょう」


 またまたドームの入り口を忘れた。正確に言えば出口だが。

 今回はハッキリ『分からない』訳じゃないのを感じた。単純に道を忘れたんだ。情けない。

 電車は何か不安だったため、結局徒歩で実家に向かった。俺を出迎えたのは、シャツがはだけて最早乳首が丸見えの御琴だった。

 俺の顔を見た御琴は、じんわりと涙を浮かべて、ラグビーのタックルが思い浮かぶくらいの力強さで抱きついてきた。


「物凄い苦しかったぞ今」


「だって稔が帰って来たんだもん〜! 倒れたって知った時、本当怖かったんだからね⁉︎」


「……ああ、悪い」


 この後、二度と動かなくなるがな。

 そんなことを心の内で考えて、家に上がる。親父がアホ面で仁王立ちしていた。


「お前……えっ、えっ⁉︎ 何で帰って来たんだ⁉︎」


「帰って来たら何か不味かったのかじじい」


「いや寧ろ逆だ! 倒れたんだし、早く椅子にでも座れ。ちょっと飲み物探してくる」


 肩を掴まれて強引に着席させられた。立っていても平気なんだがな。

 つーか、平気じゃなきゃ退院なんて許されないだろう。

 リムはこの家に来ると高確率で隅に縮こまる。アイツの心境が知りたい。何がしたいんだ。


「稔、茶でもいいか? 麦茶だ」


 ペットボトルを見せてきた親父に頷いて、麦茶を貰う。飲む訳ではないんだがな。

 御琴がじっと俺を見つめる。正面から笑顔で見つめられると気が散って仕方がない。


「何だよ、今日帰って来たのはお前らの様子を覗くためであって、御琴と遊ぶためではないんだからな」


「なーんだ、そっかぁ。稔帰って来てくれたから、凄い嬉しかったんだけどなぁ」


「知ってるよ。じゃなきゃ抱きついて来ないだろう」


「えへへ、照れますなぁ〜」


 本気で恥ずかしがってる、珍しい御琴の頭を撫でてやった。嬉しそうに、頬を緩ませているのが可愛らしい。

 これ本当に姉かよ。義姉だとしても姉だと思えねぇよ。ペットだろこれ。


「可愛いお姉さんと一夜を共に過ごせば、マチガイは確実だと思うんですよね。自分を好いてくれてる女の子なら絶対。でなきゃ男じゃないですよね」


 隣でリムが意味不明なことをぼやく。涎滲ませてるのが気味悪い。

 残念だったなリム。俺に今夜なんてものは無い。


「そろそろ、家に戻るかな」


 実家に戻って十分程で、俺はそう呟いた。

 親父も御琴も分かりやすく暗い表情になる。そんなに帰って欲しくないのか。

 ……仕方ないだろ。俺の胸が今、ピリッとした感覚に襲われたんだから。


「んじゃあ親父、御琴、元気でな。今までありがとう」


 初めてかは知らんが、心からの感謝を伝えた。親父には悟られなかったが、御琴はドアの前までついてきた。


「今までって、何? もう会えないの? 稔」


 泣き出しそうな子供を思わせる切ない顔で、御琴は俺の手首を掴む。


「どうだろうな。明日になればきっと分かる。御琴、大好きだからな。元気でいてくれ」


「私も、稔大好きだよ」


「ああ、知ってる」


 御琴の頬に伝う涙を指で拭って、笑顔を見せた。これが御琴の見る最後の俺だといいが、そうはいかないだろう。

 自宅に帰った俺とリムは、互いに顔を見た。俺が笑って、リムが首を傾げる。


「稔様、何か、お困りですか?」


 何かを察したらしいリムは、そう微笑む。


「そうだな、そろそろ、疲れが溜まったのかも知れない。お前のせいで」


「最低っすね最後まで」


 笑いながらいけた方が得じゃないか? と、言おうとしたがやめた。リムは得しないしな。

 現時刻は午後三時十一分。俺の死亡予定時刻の、四分前だ。

 胸に違和感を覚えた俺は、リムの肩を抱いて部屋に連れ込んだ。


「リム、寝させてくれるか? 膝枕──いや、今度こそ太腿枕で」


「……ぜひ、そうさせていただきます。こちらへどうぞ稔様」


 リムに誘われて、ベッドの上で横になる。力無く落ちた俺の首を持ち上げたリムは、自分の自信満々な太腿へと乗せた。

 そして俺の頭を優しく撫でて、心地の良い静かな声で囁く。


「後の言伝とか、ございますか? 私から高畠様などに伝えておきますが。例えば『全財産を貴女に譲ります』とか」


「要するに遺言か。そうだな、『達者でな』にしておこう」


「畏まりました。……最期まで、私が癒して差し上げますね、稔様」


「ああ、お前と会えてよかったよ。最後に伝えとく。ありがとう、な、リム」


「いえ、こちらこそ……」


 リムの掌が顔の前に翳されて、強制的に眼を閉じることになった。その一瞬の間に、リムの泣き顔が眼に映り込む。

 アホ過ぎる死神だな、お前。人間との間に、友情を芽生えさせたら生きにくいだろう。

 ──本当にポンコツ死神、だな。


「相葉稔様──その魂、天にお返し致します」

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