第16話 道端の雑草が如く

 ドンドンドンドンドンドドン。擬音にしたらこんな感じか。朝早くから玄関のドアが叩かれて、うるさくて眼が覚めた。

 ベッドから起き上がったら、床で寝ていたリムが眼を閉じたまま起床している。


「おいバカ神、この音は何だ? 誰も玄関のドアを整備してくれなんて頼んではないよな」


「おはようございます稔様、開口一番ドクズですね。ドアの整備は頼んでません」


「だよな、だとしたら客か。ここに来る奴なんて、渚以外に居る筈なかったんだが……」


 家庭訪問にでも来た教師……な訳がない。大学生にもなって何故教師に自宅訪問されなきゃならないんだ。

 先に覗き穴で確認しておけばよかった、と、ドアを開けてから悔やんだ。居たのは高畠だった。


「何の用だまだ六時だぞ。まだ授業開始とかの時間じゃない」


「まさか寝てたの? それに授業開始時間に出たら既に遅刻じゃん、寝惚けてる?」


「そういうことにしてくれ。じゃあな」


「ちょっと待ってよ!」


 ドアを閉めようとしたら腕を滑り込ませて来たから、急ブレーキをかけた。危なく腕が惨事になるとこだったぞ何してんだこいつ。

 にっ、と口角を上げた高畠は、ドアノブを掴む俺の左腕をがっしりと捕らえた。嫌な予感がする。


「説得したのは自分なんだから、一緒に来てよね。学校行くよ!」


「待て引っ張るなマジで待て! お前の速度で引っ張られたら腕死ぬ! それより着替えるから、待て! 行くから! 逝くから!」


 玄関のドア枠に手をかけて、必死に抵抗したはいいがもう既にスタミナが尽きかけだ。ついでに両腕力が入らない。

 ……何でこんなことになりやがった。確かに説得したみたいにはなったが、部活に戻ると言いだしたのは自分だろうが。

 腕が痛くてリムに着替えを手伝ってもらい、無事登校した。


「着替えとか言って部屋に籠るかと思ったなぁ。結局女の子に着替え手伝ってもらうとか、色々と凄いよね」


 昇降口で靴を履き替えている途中、隣で高畠が囁いた。リムはアホみたいに周りの視えない連中に変顔を向けている。何がしたい?


「つーか、手伝ってもらったのはお前のせいで腕を痛めたからだバカ畠。何が凄いんだよ」


「リムちゃんによく言ってる『クソ神』みたいだね」


「何で嬉しそうな顔してんだ」


「因みに何が凄いかというと、リムちゃんみたいな性欲強めな女の子に身を委ねられる度胸かな。好きにして? って感じ?」


「お前も残念な頭をしてるんだな、さっさと部活に行け」


 朝からうざい高畠の背中を押して、陸上部の部室に向かった。背後からリムが「高畠様には優しいんですねぇ」とか腹立つ口調で言って来た。勿論殴ったが。

 その間、高畠は部室のノブに手をかけず立ち止まっていた。


「どうした高畠、入らないのか? さっさと入って着替えなきゃ、部活が始まってしまうぞ」


「まだちょっと時間はあるよ。……だけどさ、殆ど何もしないで逃げてた部に、戻ってもいいのかな、なんて」


「そんなことか。たく、世話の焼ける連中だ」


 世話の焼ける連中に、俺自身も一応含んであるが。

 いつ頃だったかは忘れた。だが恐らく、渚が亡くなった日だった気がする。その日部の応援練習で聞いた様な気がしたことを、高畠に伝える。


「陸上部の連中はお前を待ち望んでる。何度拒否されても、ずっと待ってたみたいだぞ。教授が主にだが。期待の新人だとか、そういう看板は重たいだろうがな」


「看板は越えなきゃ、ね。じゃあちょっと、行ってみるよ。ありがとう、稔君」


「何かした覚えは無いが」


「ううん、充分だよ。──稔君」


 手を振った高畠に背を向けて、殴られて凹んでるリムの前に腰を下ろした。……ん? 今、呼ばれたか? 高畠か? 俺を呼んだよな。

 しつこいなと少し苛立ちつつも振り返ったら、眼の前に高畠の顔が見えた。両手が俺の頬に添えられて──


「……お礼になるかな? えと、バイビ」


 口元を覆った高畠は、手を振って半ば強引な感じで部室に逃げ込んだ。

 俺が唇に触れた柔らかい感触に疑問符を浮かべていると、顎でも外れたのか口を開いたままのリムが隣に座った。


「稔様、ちゅー、されちゃいましたね」


「……ああ、みたいだな。何故だ?」


「そりゃ稔様、アレですよアレ。『アイラブユー』って意味でしょ」


「お礼って言ってたが」


「そんなもん口実に決まってんでしょ、童貞だから分からないんですか? 直接『好き』って言うのには結構勇気が要るんですからね?」


「俺には必要無かったが?」


「稔様は感情が無いので」


「俺は機械か何かかよ」


 俺とリムは二人揃って立ち上がり、二人揃って腰に手を当て、二人揃って背伸びした。

 スタジアムの方へ向かって、適当に席を探した。珍しく陸上部顧問が口出しして来ない。

 リムは座っていても誰も視えないが、本人は「座ってるのに座られたら気分が悪い」と席に着くことを拒否した。今も立っている。


「稔様、返事はしなくていいので、ただ聞いてくれますか?」


 それにどう返せというんだこのバカ神。人前だから返事しなくていいって言ってんだろうが、だとしたら質問すんな。

 どっちにしろ続けるつもりだったのか、俺が呆れるのを他所にリムは微笑んだ。


「高畠様、既に皆さんと打ち解けていますね。楽しそうに、笑ってらっしゃいます」


 当然だ、アイツは友達がいないわけじゃないからな。俺と違って。寧ろチャラい奴の部類に入る。

 だから、俺は初めの頃アイツが大嫌いだった。大学に遊びに来てんのか、とも考えた。俺は真面目にやらない奴が嫌いだからな。

 勉強以外は真面目だろうが何だろうがどっちだっていいが。


「こんなことを訊くのは野暮だとも思います。稔様の捻くれた性格を考えれば、答えも自ずと見えて来ます。だけど教えていただけませんか?」


 だから質問されても答えられねぇってんだよこの無能神。面倒な奴だな。

 真剣な雰囲気のリムには一切眼を向けないで立ち上がった。それに気がついた教授が、豚の様な笑顔を見せてくる。


「おーい相葉! まぁたサボるつもりかお前!」


「ちげぇよ、別のことにも決着つけて来なきゃなんないってだけっス」


 すれ違い様にそっとリムの手に触れて、二人で応援席を後にした。


「高畠様の練習、見ていてあげなくていいんですか?」


 スタジアム内一階の自動販売機前で、リムは小首を傾げた。ここは意外にも人が溜まらない。今は応援練習中だろうから人も居ないし話しやすい。


「お前が訊いたんだろうが」


「答えてくれるんですか? 予想しますね。『俺には関係ない』ですね」


「じゃあ何の質問なのか答えろ。正解したらジュース奢ってやる」


「マジっすか。本気ですね?」


「何だお前は本気で。いいから言え」


「はい、ではではゴホゲホ」


 わざとしい咳をしたリムは、何故か祈るの様に両手を握って、先程中断した質問を出した。


「稔様は、友達作らなくていいんですか?」


 ──つまり、「もう直ぐ死ぬのにこのままでいいのか」、ということだろう。だとしたら基本的にリムは正解だ。

 だが、一部だけ違うと言える。その質問の仕方では、正解にはならない。


「残念だな、大外れだ。質問の内容をよく考えるべきだったな」


「嘘ぉ⁉︎ 稔様が友人関係を必要無いと思っていなかったとは……!」


「そもそも渚が友達だからな、よく考えろバカ」


「あ、オーマイガー」


 その友達も、先にあの世へ行ったが。

 渚だけじゃない。御琴は友人ではなく『姉』だ。それとは別に、もう友人と呼べるだろう者が


「お前が、俺にとっての友人だ」


 指差されて、リムは何故か振り返る。


「誰?」


「お前だクソ神リム」


「うぉおい⁉︎ ……って、うぉおい⁉︎」


「何だうるさいなお前は」


 リムは何故か驚愕した顔で、もっと言えば化け物でも見た様な顔で俺から後ずさる。ぶん殴ってやろうか死神。

 俺から三メートル程離れたリムは、両手を顔の前でぷるぷる震わせ、口も震わせる。不気味な動作だ。


「だって、だって稔様ですよ⁉︎ 私が友達⁉︎ 何それどうしてそんな悪質な冗談を思いついたんですか⁉︎」


「……嫌だったんなら、今直ぐ解消でいい。俺にとって一番ふざけあえるのが、お前だっただけだ」


「いえいえいえいえ!」


 ぶんぶんと顔と手をそれぞれ別方向に振るリムは、涙眼で一気に接近して来た。近い。


「嬉しいです! 稔様にとってもでしょうけど、私にとって初めての友達です! 本当、認めてくれて嬉しいです!」


「だから俺には渚がいたっつぅんだよ。それに、高畠のことだってそう思ってる」


「そうでした。もっとハッキリ言っちゃって下さいよぉ! と・も・だ・ち! って!」


「お前には言わない方が得だったかも知れないな。めちゃくちゃうぜぇ」


「酷いっ⁉︎ でもこの距離感が友達⁉︎ うーん、でもやっぱり酷い様な……」


 ごちゃごちゃとうるさいリムを無視して、応援席に戻った。後々追って来たリムが涙目で抗議してくるが、勿論反応はしない。

 視えない者と会話なんてしたら不気味がられてしまうからな。

 時々下から高畠が呼んできて、手を振ってくる。それに対応して手を振ってやったら、「あの二人付き合ってるのか⁉︎」とか馬鹿げた声が聞こえてきて居心地が頗る悪かった。

 ──全ての授業を終え、高畠に昇降口で呼び止められた。


「何でしょうね高畠様。着替えてくるから少し待ってて〜ってまた戻って行っちゃいましたけど」


 靴箱の上でクルクル回転しているリムを反対側に突き落として、俺は溜め息を溢した。


「こっちとしてはさっさと帰りたいんだけどな」


「いってぇなちくしょー。でもでも、もしかしたら告白! だったりするかもですよ?」


「くっだらねぇな」


 告白だとしたら返す言葉は全て同じだ。一度だけ、小学校高学年の頃に告白された時に使用したセリフを使えばいい。

 俺が今現在まで信条として使って来たと、自分では思っている言葉だ。


「お待たせ〜! んじゃ帰ろう!」


「ただ帰るだけじゃねぇかクソ神」


「うわっ! 期待してた? 期待してたんですね稔様! 興味ないとか言っておいて! あはは!」


「おい、口をピンで留めてやるからこっち来い」


「だから痛いから嫌ですってば⁉︎」


 リムは一足先帰った。つーか逃げた。本気でやる訳ないだろうが。

 不意につんっ、と背中をつつかれて振り返ると、高畠がキョトンとした表情で首を傾げていた。


「何の話? 何か期待してたの?」


「いや、期待はしていなかったんだがな? する意味も特に無いし。……あのクソ神が、高畠が告白してくるとかなんとか言ってやがっただけだ」


「あーそういうこと。私ね、告白はしないでおこうかな」


「……あ?」


 要するに好きだというのは本当という訳だろうが、告白はしないというのがよく分からなかった。

 例えば俺は数ヶ月後にはこの世を去る。だとして、告白しないで死なれたら後悔するんじゃないのか?


「普通はね、後悔しちゃうよね。だけど私は、稔君に告白して振られて、そのまま死なれちゃうのはちょっと嫌だから」


 告白自体はしていなくてもその言い方だと伝えてるも同然だと思うが。


「つーか、振られるのか」


「まぁ、稔君だし振るっしょ? 何だっけ? いつも言ってた、アレ。自分は──」


「道端の雑草の様に地味〜に生きていけりゃいい、だな。よく分かってるな高畠、リムより評価出来る」


「あはは! ありがと!」


 笑う高畠は、強引に俺の右腕に抱きついた。物凄い痛いから、せめて優しく掴んで欲しい。ネイルが刺さって痛いんだマジで。

 交差点に着いたら、リムが座り込んでいた。独りで帰るのは寂しかったらしいが、俺からしたらどうだっていい。お前が勝手に独りで行ったんだろ。


「お帰り〜! お風呂にする? おトイレにする? それとも夜の営みいっちゃいます〜⁉︎」


「邪魔だ。お前も一緒に帰って来たろ。何が『お帰り』だアホ神」


「今日は数々の蔑称を聞く羽目になってドン底気分です」


 家に帰ってもどっちにしろうるさいリムを突き飛ばし、自分の部屋に入った。鍵を閉めても当然、リムも入って来る。

 おい、何で口笛吹いてんだ。殴るぞお前。


「よく考えたらおトイレはそんな時間かかることでもないですよね、言うだけ無駄かも」


「何の話か一瞬分からなかったわ。それとまだ夕方で『夜の営み』も何も無いだろ。飯ももう少し後だ」


「じゃあまだ明るいけどやっちゃいますか!」


「何をだ。俺は今から勉強するから、下でDVDでも観てろ」


「またジ◯リ⁉︎」


 いや有るもん適当に観ろよ。うちにはどうせ俺ら以外居ないんだから自由でいい。

 やたら騒ぎながらDVDを観ているであろうクソ神に、今度からは恋愛物でも見せてやろうとも考えた。この家、少ししたら誰も居なくなるのにな。


「いやいっそ、アイツとバカみたいに一年楽しむのも有り……か」


 シャーペンを机に置いた俺は、何となくホラー映画のDVDを持って一階に降りて行った。

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