第15話 お前が多分、大事なんだろうな

 今の俺達は心底怪しい。例えば、妖しくて怪しいと書く『妖怪』よりも怪しい。

 夜中にアパートの階段をスローモーションで上がって行くのは、誰がどう見ても怪しい。変人だろこんなの。


「稔様、私達これ何やってるんですかね……高畠様のお部屋はまだまだ上なのに、この速度では時間が」


「なるべく喋るなバカ神。お前は高畠以外には聞こえないからいいだろうが、お前と会話する俺はただのイカれた野郎だろ。あと、高畠には部屋から逃げられる訳にはいかないんだ。分かったら口をピンで留めておけ」


「絶対痛いから嫌です」


 本物の変神の鼻を摘んでやったら、豪快に息を吐かれてやらなければよかったと後悔した。背後から殴られまくるが、うるさいので殴ってやめさせた。


「稔様がモテる訳ないですよね、最低ですもん。女の子の頭を容赦無しに殴って来ますもん」


「モテたいなんて一瞬でも思ったことないな。別にどうだっていいことだし。それより黙れって言ったんだから黙ってろお前」


「退屈にも程があるじゃないですか。せめて一階下くらいまでは普通に行きません? 足つりそう……」


「何で脚だけスローにしてんだ」


「いぃそぉぐぁぁぬわぁいぃとぉ……」


「言葉はスローにすんな」


 静かにしなきゃならない訳じゃないならぶん殴ってるからなクソ神。こいつ連れて来たのが間違いだっただろうか。

 階段をなるべく近くまでは普通に上がって行くというのには賛成し、高畠の部屋の一階下の階段まで普通に上がり、そこからまたスローモーションに移行した。


「あっ……っっ! 急に変えたから足つったぁ」


「お前な……」


 ガチャリ。

 足手纏いな睨みつけようと思ったら、直ぐ上から鍵のかかる音がした。

 絶対高畠だ。俺達が来たのに気づいて、鍵を閉めやがったんだ。まぁリムは入れるが。

 今回は俺が入れなきゃ無駄なんだ。何とかして開けさせなきゃな。


「おいリム、お前高畠を説得して俺と話出来る様にしろ。すり抜けて行けるだろ」


「中々なかなか難度が高〜い気がするの私だけですかね?」


「だとしたら今のお前は真の足手纏いというだけだな、失せろ」


「分かりましたよぉ、もー」


 リムはドアをノックすると、元気よく挨拶して不法侵入して行った。一瞬、高畠の驚いた声が聞こえた。

 俺は上に続く階段に腰掛け、高畠の部屋に耳を澄ましてみる。何故か何も聞こえなくて、数分後リムが出て来た。


「おいどうしたアホ面して」


 何故か惚けているリムに話しかけると、首だけこっちに向けてへたり込んだ。


「あのコ寝てましたぜ」


「んな訳あるかクソ神。寝たフリが百パーだろうが、悲鳴上げてたろ」


「んじゃちょっともう一回行って来ます」


「何なんだお前は本当に」


 リムはさっきよりも長い時間中に居て、すぅっと戻って来た。何故か毎度アホ面している。

 コイツはさっきから何がどうしたんだよ? ドアが開く気配はないし。


「あのコ、やっぱ寝てましたよ。おっぱい揉みしだいても目を開けませんでしたし」


「何してんだお前は」


「下に手を突っ込もうとしたら流石に涙目で抗議されましたけど」


「今起きてんじゃねぇか!」


「本当だ⁉︎」


 このクソ神はクソ神でバカ神でアホ神で能無し神だからな、ことごとく役に立たない。仕方なく、実力行使といくか。


「開けろ高畠! 本音ぶち撒けさせろ!」


「稔様時々思いますが絶対頭悪いですよね⁉︎ 凄い近所迷惑!」


 ドアノブをガチャガチャ動かして叫んだらリムがビビってこけた。やっぱこいつにはツッコミすら任せられないな、そこかよ。

 ……ん? ドアノブが回り難くなったぞ。


「……高畠、そこに居んなら聞け。まず」


「どうもすみません奥様! うちの者が夜中に……!」


「何だうるさいなどうしたバカ神……あ」


 反対側の家の人がリムを抜けて俺を睨んでいる。やべぇ、と頭を下げて謝罪しておいた。迷惑をおかけした。

 そう言えばリムはスルーされるのか、俺と高畠以外には見えないんだし。あの人にバカって言った様なものか本当すみません。


「何か用かな……? 前と同じ質問なら、もう答えたからいいでしょ?」


 ドアの向こう側から、沈んだ高畠の声が聞こえた。

 ドアノブをもう一度掴んで捻ってみると、まだ力が込められている様なのが確かめられた。まだそこに居る。


「今度は質問じゃない。俺は一度聞けば充分だと思うしな。訊きに来たんじゃなくて、言いに来たんだ」


「何を……?」


 高畠は少し興味を持った様な声だった。だが、ここでは言わない。


「中に入れてくれ。まず、階段で騒いでいたらまた睨まれてしまう。だから頼む」


「説教するの?」


「もしかしたらな」


「じゃあヤダ」


「稔様絶対バカ」


「何だとクソ神」


 ドアノブが込められていた力が弱くなった。まずい、逃げられる。


「待て高畠! 説教の可能性があるのは、俺の口調が原因だ! 実際はそんなつもりはない! 俺の本心をぶち撒けに来ただけだ!」


「さっきから思い切り本音ばかりですね。稔様、オブラートに包むってこと、覚えては如何でしょうか」


「今お前と話してる余裕は無いんだよクソ神黙ってろ!」


「……」


 高畠の返事を待っていたら、またガチャリと音が聞こえた。手に微振動が伝わる。ドアノブが俺の手首を危ない方向に回して行く。

 痛いから手を放すと、ゆっくりとドアが開いた。少しだけ顔を見せた高畠が、俯いたまま口を開く。


「中、入っていいよ。中澤さん達の迷惑になっちゃうし」


「中澤さん方どうもすみませんでした」


「笑えるシーンに遭遇しました」


「ぶん殴るぞクソ神」


 通信機器みたいな物で俺が頭を下げる動画を撮ってやがったリムからそれを奪い、高畠の家に上がる。やはり心地いい香りが広がっている。

 三人で寝たことのある、やたらと記憶に残るベッドがある部屋に誘われ、二つのベッドにそれぞれ腰をかけた。


「えっと、私どちらに座ったらいいですかね?」


「リムちゃんは、隣の部屋でDVD観てていいよ」


「まさかの部屋から追放⁉︎」


 高畠にかの高名なジ◯リ作品のDVDを手渡されたリムは、しくしくと涙ながらに部屋から出て行った。

 俺もリムが居ない方が話しやすくていいし、まぁまぁ有り難いな。


「それで、稔君の本心って?」


 ベッドの上で正座した高畠は、少しだけ緊張した面持ちで俺の顔を覗く。こっちが緊張するから覗くな。


「まず、お前の悩みについてなんだが……」


「結局その話じゃん」


「それについての俺の本心だ」


「もう一度挑戦してみろ、とか教授みたいなことでも言うつもり? 絶対嫌だから」


「ゔぁーーーー!」


「ふっ、甘いな」


 隣の部屋から悲鳴が聞こえたが、この雰囲気を壊したくないので強引に続ける。

 俺の本心はきっと俺にしか予想出来ないものだ。自分だから予想も何もないが。

 それ程、個性的な本心だ。


「教授に文句でも言え」


「……えぇ?」


 怪訝そうな顔が行き過ぎて「何言ってんだこいつ」みたいな顔になったな高畠。まぁ誰だってそうなるってのは自覚してる。

 普通なら、ここで「お前ならやれる」「自信をつけてリスタートしてみろ」的な励ましの言葉を伝えるものだろう。

 だが俺にそんな常識は期待しないでほしい。俺は元々、地味〜に生きることが目的だった人間だ。そんな面倒なこと自分がしたくない。


「教授に、『やらねぇって言ってんだろこのハゲ』と文句を精一杯ぶつけてやれ。そして中指立てて去れ」


「内申に響いたらどうするの」


「大学生が内申もクソもないだろう。それに、俺ならやるな、絶対に。本気でやりたくないものを何度も勧められて、腹が立たない訳がないだろう」


「でも……」


「それとも、そこまで拒否する程嫌ではない……か?」


 俺がそう言った瞬間、空気が死んだ様な気がした。大丈夫だ呼吸出来る。

 高畠は少しだけ口を結ぶと、情けない顔を俺に向けた。


「そこじゃなくて、私そんな汚い言葉使いたくない!」


「おおおおおお……その回答は予期していなかった」


 要するに、文句を言うことに異議はないということか。分かりやすくていいな。返事は分かり難かったが。

 ここで「じゃあ明日文句言いに行くぞ」と言うのは簡単だが、俺にはまだ伝えていない本心が残っている。ちゃんと全て吐き出したい。


「俺はお前が好きだな」


「ほぇっ⁉︎」


 高畠が真っ青になった。何でだ。

 そして忘れていた。


「多分」


「何なの⁉︎」


 今度は真っ赤になった。仕方ないだろ、後ろにつけ忘れたんだからな。

 高畠が俺にとってその様な存在になった経緯を、何となく話してみる気になった。


「俺にとって御琴は『好き』よりは『大切』だな。家族として、守ってやりたい」


「誰それ」


「俺の姉だ。そしてリムは、『好き』ではなくて『うざい』だな。他より面白味はあると思うが、限度を考えてほしい」


「仲良いのか良くないのか分からないね」


「俺もだ。……高畠、お前は『好き』で間違いない」


「へっ、あっ、あはは……う、嬉しいよ。うん、ありがと」


「お前程一緒に居て腹が立たない奴がいない。お前となら、『友達』でもいいかもな」


「……え?」


 高畠が恥ずかしそうな顔から一変して無表情になった。その眼が死神なんてものより大層恐ろしい。

 だが、俺は俺の本心を伝えているだけだ。、高畠には大いに好意を抱いているだろう。珍しいことだ。


「最初はただやかましいだけのバカとしか考えていなかったが、後々自分の方がバカだと知った。そしてお前は唯一俺に絡んで来る同級だから、競い合うライバルとなり得るかも、とも思った」


「……うん?」


「運動では無論敵うことはないだろうがな。俺は今、自分で自分に驚いてる。何が道端の雑草みたいに、だ。ここに! 自分が認めた友人となり得る人間がいるじゃないか、とな」


「そっか……うん……」


 高畠は俺に認められたのがそれ程嬉しいのか、満面の笑みを浮かべた。

 右手が徐々に上昇して行き、


「稔君、歯、食いしばってね」


「は? うごぁあっ⁉︎」


 ──ぶん殴られた。どうやら何かが気に入らなかったらしい。

 ベッドの上で溜め息を溢した高畠は、何故かあかしそうに笑う。頭がおかしくなったのだろうか?


「もういいや、復帰しよ。陸上」


「俺の本心全否定⁉︎」


「そうじゃなくて」


 高畠はあははと笑うと、俺の眼を見て微笑んだ。


「復帰して、本当にまだ嫌なんだって分かったら、教授が諦めてくれるまで拒否し続ける。まだやれるって思えたら、頑張ってみようかなって」


 意外な考えだな。一度スポーツから離れてしまえば、戻るなんてかなり厳しい答えだろう。それなのにそっちを選ぶか。

 何でその答えを出したのか知りたいが、何かしつこい奴みたいで嫌だな。


「知りたいなら、そう言えばいいのに」


「よく分かったな。教えてくれるなら、教えてくれ」


「うん、勿論」


 高畠は星座を崩して、俺に向き直る。それから上から下まで眺められて、何か変な気分だ。

 高畠は静かな声で、申し訳無さそうに微笑んだ。


「だって、私はまだまだ生きられるんだもん。……稔君と違って、人生終わりじゃないもん。何もしないで終わりは、何か嫌でさ」


 なるほど、俺のことを気にしてくれたらしい。

 俺はあと一年も経たずにこの世を去るサダメだ。小説の道に戻るなんてこと、絶対に不可能なんだ。夢は諦める他無い。

 既に諦めていたが。


「そうか、別に何だっていいが」


「じゃあ何で知りたかったの」


「何となくだ。それと復帰するって言うなら、明日にでも始めろ。人生は有限だからな。俺はもう帰る」


「あ、うん」


 隣の部屋を覗いたら、テレビに映る幽霊の様なもの(アニメだが)に怯えるリムが居た。

 ──お前死神だろうが。冥界に住んでんだろうが。幽霊なんて見慣れてんじゃねぇのか。


「稔様、高畠様、どうでした? ちゅーとかしました?」


「本気で何故その質問が連なるのか理解出来ないぞクソ神。どうもこうも、あいつは陸上に復帰するらしい」


「ずっとですかね……?」


「そんなこと、俺が知るか。本人に訊け」


「もうちょっと優しく言うこと、出来ないんですかね稔様」


 長い時間下らない口論を続け、俺が一人暮らしをしていた家の前に着いた。

 ふと、隣に居た筈のポンコツ死神が消えたことに気がついた──と、思ったら背後にいた。


「あ、あの……」


「何してんださっさと入れクソ神。お前の家は、俺が死ぬまではここだろうが」


「……っ! はいっ!」


 リムは涙ぐんで、それを拭って、笑顔を弾けさせた。ブサイクな顔してんな、いいから入れ。

 久し振りにリムと同じ家に居る。同じ遊具には入ったが、同じ部屋に入るのは数日振りだ。全然久しくない。


 ベッドを見つめて、倒れた渚を思い浮かべる。それを目を瞑って削除した。

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