第12話 逃げたんだよ
高畠は喋らず、こちらを見てもいない。
待っていようとは思ったものの、こんな無反応では腹が立つだけだ。俺は高畠にズカズカと歩み寄り、左腕を引っ張った。
予想外だったのか、高畠は目を見開いて驚いている。
「もう一度訊くぞ、ちゃんと答えろ。何してるんだ?」
今度は眼を見て問いかけたが、高畠は眼を逸らして黙り込むだけだった。
これではまるで意味が無いな。本当に人間というのは面倒な生き物だ。
……まさかとは思うが、リムも俺を面倒臭がっていたのではないだろうか。
普段から俺は、相手の言葉をしっかり聞こうともしない。その上本当のことであっても否定して、認めようとしない。
現状の俺と心境が似ていたのではないだろうか。
リムは間違えてしまった為に俺の心を安らげよう、などと考えていた筈だ。それを俺は幾度となく無下にしてきたが、それは全て「リムが悪い」と自己中な考えを持っていたからかも知れない。
俺はたった今、何故か逃げた高畠を追い事情を知ろう、などと考えている。それを無言で躱そうとする高畠は、「稔君には関係ない」と自己中な考えを持っているのだろう。
全く、状況が似ている気がするんだが。
俺はいつも面倒事には関わらないでおこうなんてリムを躱してきたが、リムは今の俺と同様、「だったらそんな辛そうな顔するな」などと苛立っていたのかも知れない。
俺は毎日、我慢し続けた。道端の石ころの様に地味に生きていたいのは事実だが、そんな簡単に生き残れる程この世は甘くないということだって知っている。それ故辛くもあった。
そんな時、高畠と初めて言葉を躱し、生きているんだと実感したんだ。
俺はもう直ぐ死んでしまう。一年なんてあっと言う間だ。
出来れば最後に、楽しい思い出が欲しい──などと必死だったのだろう。我ながら小恥ずかしいが。
だからこそなのだが、俺が生きたいと思えた『理由』そのものが、俺を無視するんじゃない。
かなり自己中な考えだが、それでも構わないだろう? 死ぬ前の我が儘だと思ってくれ。
「高畠、お前が答えるまでいつまでも訊くぞ。俺にとってお前は、道標でもあるんだからな」
天国までのな。下手しなら俺はこのまま地獄行きとなる可能性もあるからな。
他人の為なんて殆ど考えたことも無かった俺にこんな心を持たせたのはお前だ、高畠。感謝している。
だから、お前の苦しみを教えてくれ。俺はお前の心を癒してやりたいんだ。
「道標……?」
漸く声を出した高畠は、不思議そうに首を傾げている。そりゃ分からないだろうな。
「ああ、俺が他人を救いたいと思える様になったきっかけがお前だ。高畠、俺に救わせてくれ」
自分的に有り得ない台詞だったが、本心ではあった。
渚や御琴よりも大切に思える存在は、高畠になった。アイツらは幼馴染みと、義弟として助けてやろうとは思ったが、高畠は今年初めて出逢った人間だ。あの二人とは違う。
疲れ切っているのを悟られない様に真剣な表情を取り繕い、じっと高畠の顔を見つめる。
高畠は高畠で俺を上目遣いで見て来るが、何だろうな……目を逸らしたくなる。
暫くしてまた俯いた高畠は、今度はしっかりと口を開いた。
「分かった、話すよ」
「ああ、話してくれ」
漸くか、なんて思ってはいけない。恐らくは大変な事情の為に口を閉ざしていたのであろう相手に呆れるのは厳禁だ。幾ら面倒でもな。
高畠も──リムもずっと堪えていたのだろうから。俺に対して。
今更だが罪悪感が凄いよな。本当に。
「私は、高校まで陸上部に入ってたんだ」
「あ、ああそうなのか」
急に始まったからちょっと困惑したぞ。反応に遅れてしまって悪いが、それ以上に相槌を打つのが下手ですまないな。
しっかりと聞いているぞ? 決して適当に流したりなんかしていないからな? 信じてくれよ。
少しだけ不安が溢れる程に自分のコミュニケーション能力が低いが、それでも言葉を紡ぐ高畠から目を背けなかった。
「高校で、常に一位で、大会でも優勝して、将来を期待されてたんだ」
改めて聞くと凄いなコイツ。同級生と思えない程速いとは思っていたが、負け知らずというレベルだったか。
何度も頷いて必死に相槌を打つが、次に高畠が続けた言葉によりそれを止めた。
「だから、私は陸上をやめた」
それ以上、まだ溜めているのか言うつもりが無いのか、他に思いつかないのかは知らんが、高畠は口を結んだ。
高畠の言う、「だから」の意味は理解出来ない。陸上を辞めた理由が、少しも理解出来なかった。
沈黙を掻き消す為と真実を知る為、俺は高畠に向かって質問を投げた。
「何故辞めた? 将来を期待される程凄かったんだろ? そのまま続けていればプロも夢じゃ……」
「期待され過ぎても、ろくな事がないんだよ。私は走れなくなったんだ、もう」
「走れなくなった?」
何を言ってるんだコイツ。前に思い切り追いかけて来ただろ。獣みたいな速度で。
お前が走れることなんて誰だって知ってる。だからこそ教授だの全校生徒だのが期待して待っているんだろう。
「そもそもそれなら、何故大学でも陸上を続けてるんだ?」
もう一つの疑問を簡単に口に出すと、高畠は激しく首を振った。絶対脳が揺れるからやめておけ。
「ほら、あるでしょ? プレッシャーに潰されて上手く走れなくなるとか。それに私大学じゃ陸上やってないよ」
「プレッシャーに潰されて……スランプとかそんなとこか? てか、じゃあ何故教授はお前を待ってる?」
「多分、そう。教授は私が陸上続けてるって勘違いしてるだけ。もう二度と陸上をやることはないよ」
「そうか……」
「私は、陸上から逃げたんだよ」
俺の気が緩んでしまった隙に、高畠は全力で駆け抜けて行ってしまった。
プレッシャーに潰される選手は、幾らでもいるらしいな。期待される程に『結果を出さなければ』という気持ちになって自滅するのだとか。
それで見放され、落ちぶれてしまう。周りの自己中さが、選手達を潰していくんだろうな。
ただ、高畠の今の心境は俺には理解出来ない。俺は全く期待されていないし、プレッシャーなど感じたことがないからな。
……俺は本当に、これでいいのか? 人間として、こんな生き様でいいのだろうか。
「走れてんじゃねぇか、思い切り……」
既に姿が見えなくなっている高畠に対し、そして人間らしく生きていなかった自分に項垂れた。
こんな時、こんな状態になって漸く人恋しくなるんだな。今の俺は二人と距離が離れてしまっている。
特に、近い筈の二人とな。
その後応援に戻ったが、どうしてもやる気が出ずその上周囲の声さえ感じなくなった。
完全に魂が抜けたように黙り込んだ俺は教授に促され、自宅に戻った。
結局俺は何も出来ない、本当に石ころの様な人間だったんだな。クソみたいな気分だ。
「ああ、そうだったな。今は一人暮らしに戻っていたんだった。だからマジで誰もいない。完全に一人になった……か」
少し前までは隣の部屋に御琴が居た。一階に降りれば母が居た、エロ親父が居た。
──そもそもこの部屋には、リムが居た。
ベッドに横たわり、何も考えずに天井を見つめる。暫くして俺は深い眠りに就いた。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「起きなさい、何寝てんのまだ昼よ?」
(※ここから消えたので内容が変更されました。五度も消えたので)
下腹部を思い切り殴られて、悶えたいのを堪えながら眼を開けると、視界に渚の顔が映り込んだ。
渚は吐息が完璧にかかる程顔を近づけてきていて、動いたら絶対口が当たる。
「何をやってんだお前は」
「勝手に上がってみたら寝てたからちゅー出来るかなって」
「何故勝手に部屋に入ってんだ。てかどうやって入ったんだ」
「家はストー……色々あって知って、部屋は偶然合鍵を拾って使って入ったのよ」
「俺は合鍵作った覚えないぞ」
まさかストーキングされていたとはな、何て事してくれてんだコイツ。
上体を起こそうとベッドに手をつくと、腹の上に跨られた。重……くはないが、とにかく退け。
「こうやって腰動かして擦りつければ……んっ」
「何をやってんだお前は。腰を動かすのやめろ、揺れて吐き気がして来るから」
「大丈夫よ、パンツ脱いで連結すれば気持ちよくなれるから」
「何が大丈夫なのか微塵も分からないぞ?」
本当に気持ち悪くなって来たので渚を振り下ろすと、懲りずにまた向かって来る。
暫く攻防を繰り広げ後、ベッドから降りた渚は小さな身体で暴れるから疲れたのだろう。肩で息をしている。
あー、ここにも俺なんかより余程苦労している人間が居るよ。
成長が止まった身体、か。俺には少しも想像出来ないほど辛いだろうな。
渚は神妙な雰囲気を出し、死体の様に動かない俺のパンツを脱がしていた。そんなことにも気付かなかった俺は本当に情緒不安定だな。
触れた手が冷た過ぎて、正直ビビった。
──待て、何故こんな冷えてる? 低体温症でもこうはならないだろ。お前死んでる訳じゃないよな?
「稔、何かあったんでしょ? 相談にならいつでも乗ってあげるから、言ってみなさい」
「俺がゴミクズみたいな人間だったってショック受けてるだけだ。それよりお前何してる?」
「そう、でも分かるわ。私だってこんな身体じゃ出来ることなんて限られてて、いつになったら稔に処女膜破ってもらえるのかなぁなんて考えたりするだけよ」
「質問に答えろよ」
「シコシコって……」
「今直ぐやめろ」
「でも、こうしたら元気になるかなって」
「ならねーよ。やめろっつってんだろが」
怒られてシュンとした渚は手を放し、また跨ってきた。ヤバいぞ、今度はパンツ穿いてない。
俺は赤ん坊を扱う様に渚を持ち上げ、隣に座らせてパンツを上げた。悔しそうに睨まれたが、自分が何をしてたか分かってるのかお前は。
「舐めたい舐めさせてよ」
「はいどーぞなんて言うと思ったか?」
「舐める!」
「やめろ!!」
隙あらば股間に飛びついて行く渚を引っ張る。それを繰り返していたら、渚は急に俺の顔に眼を向け──そのまま唇と唇を重ねて来た。
突然の事だったので直ぐには対処出来ず、引き離そうとしても抱きつかれて失敗。渚は更に舌を侵入させて来て、初めて受けた感覚に困惑するも抵抗する。
三分ほど経って漸く渚は口を放した。苦しかったぞ、マジで。
渚は火照った身体で、蕩けた眼をしており今にも暴走してしまいそうな恐ろしさを持っていた。
「ね? エッチしよエッチ。いっぱいちゅーしたいし、突いて欲しい。抱き締められながら感じたいよぉ」
「いや、しないが……」
「なぁんでぇ?」
「お前何処かのクソ神と同レベルだぞ!?」
「クソ神?」
「いや、何でも」
渚がこんな口調になるのは、身体が幼いまま成長しないからだろうか。だとしたら本当に可哀想と思えてしまうんだが。
「あのね、稔。私多分もう直ぐ……死ぬわ」
「え……?」
渚は俺の肩に倒れ込んで来た。その身体は、氷の様に冷たかった。
「え!? 待て渚! お前、何だこの冷たさ! どうなってる!?」
瞳を閉じて、かいていた汗が殆ど見えなくなってきていて、渚は口も開かない。
俺は背中をさすって毛布を巻きつけた。それでも尚、渚の体温は下がっていく一方だ。
このままじゃ死に一直線だぞ! 救急車でも呼ぶか? だが何しても温まらないなら、どうしようも……!
何重にも布団を被せていると、瞳を閉じたままで渚が口を開いた。振り絞る様に声を出し、
「今日、あの時の死神が……私の眼の前に現れたわ。『お前は今直ぐ死ぬ』って、告げて行ったの……」
「死神が……!?」
あの時の死神とは、恐らく過去に渚の魂を刈り取った骸骨の死神のことだろう。それが今になって再び現れ、渚が死ぬと告げた。
それなら、もう彼女が助かることはないのではないだろうか。
それは嫌だ。俺にとって大切な幼馴染みであり、俺を好いてくれている渚を見殺しにしたくはない。
無駄だと頭では分かっていても、温めるのをやめなかった。
「死ななかったからかも知れないわね……。でもだから、私はここに来たの。最期は稔の傍に……いたか……たの……」
渚はその言葉を最後に、口を開くこともなく動かなくなってしまった。
心臓の音も、少しも聞こえなくなっていく。
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