第11話 仲違い
朝早い時間に、俺は別段やるべきことは無い。だから休日は大抵寝て過ごしているのだが、今日は起きておく。
頬に痣を作って睨みつけてくるクソ神が威圧感半端ないからな。
つーか絶対に恨んでる。
ベッドで横になる俺を左側から睨むリムは自分の青く滲んだ頬を摩り、恨めしそうな低音ボイスで呟いた。
「女の子の顔を傷つけるなんて、最低ですね。普通痣になる力で殴りますか。幾らち◯ぽ弄ったからってこれは無いですよね。男ならむしろ受け入れるべきじゃないでしょうか。こちとら美少女ですよ、この童貞」
「……」
反論する気も失せるような、超下らない内容だった。コイツはどこまで馬鹿なら気がすむんだ。
直ぐに防いだが、どさくさに紛れてまた股間を掴もうとして来たぞコイツ。怒られる理由分かってるんだよな?
「舐めてやりますかいっそ無理矢理。あまりの気持ちよさに昇天しますよ童貞。口の中に出したくなりますよ。犯したくなりますよ童貞」
「いちいち童貞を挟まなきゃいられないのかお前は」
「うるさいです童貞。おっぱいでいきたいですか? 童貞。それとも手? 足? 口ですか? ◯◯◯◯ですか? 変態童貞」
「さっきよりも頻繁に入れて来たな」
顔に痣を作られたのがそんなに嫌だったのか、今にでも殺しにかかりそうな恐ろしい瞳をしている。かなり恐怖だ。
まさかこのクソ神に恐怖心を抱くことになるとは。
それと、怒ってるのは分かるが、発言のせいでかなり台無しになってるぞ。最早呆れてしまう。
突然手を叩いたリムは怪しげに口角を上げると、転がる俺に重なった。重いわ。
「私じゃダメなんですね、分かりました。もう手段は選びません。高畠様の眼の前で手コキしてあげますよ、見えるように。間違いなく勃っちゃいますよね? 高畠様大好きですもんね〜。ち◯ぽペロペロされたいですか?」
「別に高畠のこと好きなんて言った覚え無いが」
リムは外れるのではと不安になる程全力で首を振った。髪の毛が時々当たるから痒い。
つぅか人の上で暴れるな。
「稔様は高畠様大好きです! 間違いないです! 何もやること無かったら直ぐに高畠様にお電話して、家まで押しかけて……ストーカーですか!?」
「ぶん殴るぞお前」
「そうだこうしましょう! 自分がやられるのが嫌でも、眼の前で高畠様が辱められたら勃起しちゃうでしょう! 縄で手足押さえられて、◯◯◯◯おっぴろげられちゃう彼女を想像してみてください! あ! 無理か童貞ですもんね! 女の子の身体なんて想像出来ませんね!」
「別にどうだっていいが、いちいち腹立つなお前は」
会話の内容は常軌を逸しているので、そろそろ冥界にでも文句のメッセージを送りたい。『おたくのリムさん、死ぬ程迷惑です』とな。
今更になって訂正させてもらうが、俺は別に男も女もどうだっていい。かと言って暴力は好かない。
お前に暴力を振るうのは有り得ない程にうざいからだ。しかも人間じゃないからな。
このクソ神は俺に変態になってほしいのだろうか。だとしたらかなり難題だな。俺はそんなのに大した興味を持ってない。
昔から渚のセクハラを受けているので、ちょっとやそっとのことじゃ何とも思わないんだよ。
別に童貞を捨てたいとか、誰かと結婚がしたいなどとも考えていないしな。
「ぺろん」
「ぺろんじゃねぇよ。極自然に人のパンツ下ろすなクソ神。たくっ」
「包茎ち◯ぽの癖にサイズは中々のものですね」
「知るかド変態」
「因みに高畠様はC、渚様はB、御琴様はD、私はEです。どうよ!」
「いや知らないってんだよ」
俺は身体を捻ってリムを落とした。その隙に下げられたパンツを上げ、頭を抱えるリムを見下ろす。
つぅか見下す。
こんなバカさえ居なければ、俺は今もストレスが溜まらずに済んだんだろうな。そう考えた直後には、言葉が溢れていた。
「出て行け、クソ神」
「……え?」
悶えるのを中段したリムは大きく目を開き、戸惑いを隠せない様子でいる。
あたふたした後に正座し、俺の顔色を窺って来ている様だが、俺は一度言えば訂正はしない。
態度を改めたつもりなのか、大人しく座るリムに追い討ちをかけた。
心の底から、冷めた声を絞り出す。
「失せろ。もう帰って来るな邪魔くさい。お前が居ると俺はストレスが溜まってしまう。もしかすると、一年後の死はストレスが原因かも知れないからな。お前の所為で」
精一杯睨みつけると、リムは肩を竦めて萎縮した。身体が震えているから、恐らくキレた俺に怯えているのだろう。
もっと怯えろ、出て行け。俺の視界から消えてくれ。
何かを思い出した様に顔を上げたリムは、焦りながら震えた声を出した。
一瞬、胸の奥が締め付けられたかの様な苦しみを覚えたが、心を鬼にして無視する。ここで情けをかけてはいけないからな。
「稔様、でも私は貴方の魂を刈り取らなければならないんです! ですから……」
「分かってる。だがそれは一年も先のことだろう。だから、一年間ここには来るな。俺が死ぬ時、お前は帰って来ればいい。仕事はこなしているのだから文句はないだろ」
「でも……!」
「消えろって言ってんだクソ神。今直ぐな!」
「……っ!!」
俺が声を上げるのに反射して立ち上がったリムは、その場でお辞儀をくれ部屋から飛び出して行った。
飛び出しても走ってはいないのでまあいいとしよう。
それにしても、きつく言い過ぎたか? いや、こうでもしなければストレスが溜まって仕方がない。間違ってはいないんだ。
窓から外を歩くリムを見下ろし、そっとカーテンを閉めた。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
リムが家出て行った当日は暇で暇で、普段より格別に静かで、疲労感もあまり無かった。
無さ過ぎて、今日は早めに寝ることにした。
御琴に心配されたのだが、早寝早起きはいいことだろう? 早起きが出来るとは限らないのだが。
明日は大学に行かなければならない。面倒くさいことに、全国の大会などに出場するらしいサークルなどの応援練習が待っている。
別に何処が勝とうが負けようが、俺には関係の無いことなのだが……人の夢は、応援したくなる。
おかしいな。俺は他人と関わりたくない筈だ。道端の草みたいに生きていければそれで良かった筈なのにな──。
決して今まで通りではない気持ちに疑問を抱きつつ、午後九時二十二分就寝。
──そして午前七時二分頃起床。
有り得ない程長時間寝たな俺。周囲を見渡して、普段なら共に出かける奴を捜す。
が、勿論見当たらない。見当たる訳がないんだ。
ああ、なるほど。
「アイツが起こしてくれなかったから、俺は今日十時間近く寝てしまった訳か」
後悔は決してしていないつもりだが、何となく胸に異物が突っかかってる気分だ。
荷物は殆ど大学に置き去りにしてあるから、手ぶらで迎える。何も入っていないリュックなら背負って行くが。
金目の物もあるし。スマホとか、財布とか。……財布って金目の物って言うのか?
「ん? 棚が……。ここは、一人暮らしした後の俺の家か? いつの間に、寝てる間にか?」
無事自分の家に帰って来れたので、リムとは縁が切れたのだろうと一人納得する。軽い気持ちで部屋を出て行くが、足を止めた。
踵を返し部屋を最後まで覗き続けたが、時間がまずいので、先に進むことにして扉を閉めた。
勿論鍵も閉めているぞ。
違和感ばかりだな。まだ一週間過ごしたかどうかくらいしか居なかったじゃないか。
なのに何で、こんなにも消失感と罪悪感を抱いてしまっているのだろうか。あんなストレス溜まる奴が居ても邪魔なのにな。
よく分からないモヤモヤした心を何とか無視し、大学に足を運んだ。
今日は応援頑張るぞーなんて一切考えていないぞ。俺だからな。どうだっていい。
サークルだなんだと別に興味はないからな。大学で部活なんてやるとこもあるみたいだが、アホらしい。
そんなに熱心にやりたいならプロでも目指せって話だ。何も大学のサークルを作らなくてもいいだろう。
まあ、それは陸上部ただ一つなんだが。
「わー頑張れー。頑張れ頑張れファイトーおー」
「こらそこ! 有り得ない程秒読みじゃないか! 応援する気はあるのか!?」
「無いですね。今時大学どうしの大会なんてあまり見ないし、やめた方がいいんじゃないかと」
「何を言ってるんだ! うちには超期待の新人が居るんだぞ! 応援しなければならんだろう!」
へーへー、よく言うよ。どうせその期待の新人とやらが優勝でもして有名になったら顧問として、自分が育てたと言い張ってお零れ貰おうとかそんな魂胆だろうが。バレバレなんだよ。
それに陸上部の走りを見た感じ、スプリンターはいれどオリンピック出場者並みの人間は見当たらないぞ。
一体何処に期待の新人なんかが──。
呆れ溜め息を吐いていると、背後から視線を感じて振り返った。
その視線、後ろ向きでも分かる程穏やかではない暗いものだ。背後には誰も見当たらないが、一体誰の?
まさか、リムが付いて来た訳ではないだろうな。
「……って、な訳ねぇよな」
応援席を強く殴り注目を集めてしまったが、そんなことは気にも留めず立ち上がった。
先程視線を感じた後方、応援席に出るスタジアムの扉に向かって走って行く。
「こら! 突然何だお前は! おい相葉!」
「すまんね教授。俺は今、あんたらにとって最も大切な筈の人間の元へ向かう。帰って来たら適当に張り切るから待っててくれ」
「何!? というかそれやる気ないだろ!」
「当然だろう。俺は、目立ちたくないんだからな」
そう言って誰の制止も聞かぬまま廊下に飛び出し、左右を見渡す。姿は見えないが、確かにここにアイツが居た筈だ。
元から身体能力が低い俺や、死神だがポンコツなリムが全力で逃げたところで敵わない。息切れ一つ無しで追いつかれてしまう様な、そんな天才がな。
スタジアムの中はひたすら廊下が続くだけ。たまに水道やトイレが見えるが、今は一ミリも関係がない。
このスタジアムだけでなく、殆ど全てのスタジアムがそうであることが一つ。いや一つじゃないかも知れないが。
とにかく分かっているのは、円形のスタジアムは歩いていればいつか同じ場所に戻って来ること、だ。生憎このスタジアムは円形じゃなく途絶える形なんだが。
だったら、この形状のスタジアムは円形とはまた別の方法で確実に人を見つけられる。
端がいつか見えるのなら、両端のどちらかに捜し人が確実にいるってことだ。
「現在地は中心からやや右にズレた位置だ。人間は隠れたり逃げたりする際、本能的に短い道を選ぶ。隠れるのが早くなるからな。だからアイツが居るのは、右だ」
独り言で推理を決め、遅い足で駆け出す。スタジアム内走って悪いな。
そして思ったことがあるが、正面からスタジアムを見れば右側だが、俺から見たら左だな。うん。
時々人とぶつかりそうにもなるが、何とか急ブレーキをかけて助かっている。……お前ら何故応援練習をしていない? 俺がバカみたいじゃないか。
端から端までカーブしかないが、確か千メートル程は有るんじゃないか? スタジアムはデカいからな。
だが幾ら遅い俺でも、数分で着く。スタミナ回復の為時々休むがな。
その内にでも逃げられないのが、このスタジアムの形状だ。
出口は一箇所しかない為、必ず一方通行にはならないからな。絶対に出逢う。
こんなにも早く姿が見えなくなるという事は、恐らくアイツは俺が追いかけて来るのを知っている。そして俺がスタミナ無い上根性も無く、脚が遅いのも知っているということだ。
──そりゃそうだよな。一度俺とリムのことを追いかけて、その上平行線で『屋上』に飛び出したもんな。
俺の性格だって知ってるんだろう。当然な。
大学から三人で抜け出したし、家にはお邪魔させてもらってリムが悪いことしたし、料理は教えてもらったしな。短い期間でも、結構一緒に居た時間が多い。
お前が何で俺から逃げるのか、または陸上から逃げているのかはよく分からん。というか大して興味も湧かない。
他人の事情なんてどうだっていいからな。面倒臭いし。
だが、お前には散々世話をかけた。世話になった。その礼をしたい。
打ち明けて、くれないだろうか。
──スタジアム正面から見て右端までやって来た俺は肩で息をしていたが、そのままある一点を見つめた。
こちらを横目で見る金髪の女子生徒は窓から陸上部の練習を覗いていた様だ。普段のチャラけた装飾品などは、何処に置いてきたのか見当たらない。
ゆっくりと近づき、逃げられない様地味に手を広げる。気づかれない程度にな。
「高畠、お前何してるんだ?」
陸上部だった、と言っていたよな。高畠。
何があったのかは知らないが、部に顔を出さないのは何故だ? そして、今はもうやっていなかったんじゃ?
数々の疑問が浮かび上がって来るが、それらを自重して押さえ込み、高畠が口を開くのを待った。
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