第4話 私のね……

 はっきり言うぞ。何度も言っているが、俺はアホなリムが嫌いだ。そしてチャラチャラしてて能天気な高畠も好かない。

 そんな好意を抱けない二人にどう世話されても、癒されやしない。むしろストレスが溜まる予感がする。


 『予感』というのはつまり、リムと高畠の二人が俺を癒そうなどと下らない目的を胸に抱いているということだ。露見しているが。

 普段は閉鎖されている裏口から大学を抜け、俺とリムは帰宅する事にした。


「さて、ここからなら防犯カメラにも映らない事は確認済みだ。早く出るぞ」


「何でですか。何で知ってるんですか。まさかカメラの映像把握してるんですか?」


「ああ。全てな」


 真顔を崩さずに呆れるリムを気にせずに堂々と打ち明け、手を引いて扉を開ける。扉を開ければ直ぐ壊れた柵があるので、脱出が可能だ。

 この壊れた柵、去年辺り生徒が喧嘩して割れたんだとか。物騒な輩もいる者だ。


 ──ん? 手を引いてる? 誰のだ。


「授業サボってからの脱出! ドキドキだね、燃えるね!」


「何でお前までついてきてんだよ!」


 リムと手を繋ぐなんて事はまずない、と思っていたがまさか自分から握っていたとは。自分で驚愕だ。

 静かに戸惑いの叫び声を上げた俺にビックリした様に肩を竦める高畠は、


「だって気になったし。相葉……じゃない。稔様のお世話もしたいし?」


 と頭を傾ける。同時に頬に触れた仕草がまあまあ可愛らしいものだった。眼の錯覚だろうがな。

 ついて来たものは仕方がない。ここで追い返したら俺が早退した経緯を暴露されてしまう恐れもあるしな。


 繋いだ手を放さず、一層強く握って柵を越えた。

 他意はない。逃げられないようにした、だけだ。


「稔様、手、繋いだままでいいの?」


「逃げられたら困るんだよ。それと、稔様って呼ぶな」


「じゃあ稔君にするね。手、ちょっと照れ臭いね」


 溜め息を吐いた俺は、繋がれていない右手で髪を弄る高畠に軽く視線を向けた。


「全然照れない。お前だって普段男と手を繋いだりしてるだろ」


 俺が冷たい態度を取ると、高畠は頭を左右にブンブンと振った。それから向けた視線から眼を逸らすと、小さな声で呟いた。


「繋がないよ。私、繋ぎたい相手とか、そんないる訳じゃないし……」


「そうかよ。まあどっちだっていいけど、嫌なのか? ハッキリ言え」


「嫌じゃないよ」


 照れるんじゃなかったのか? と溜め息を溢した俺は、並木道を抜けて大通りの裏道へ駆け込んだ。

 正直、この辺はよく教授達も行き来する。表で営業中のファストフード店の店員達とも顔馴染みになってしまったしな。


 帰宅目的で大学を抜け出したのに何故駅に向かわなかったのか、と質問されれば返す言葉は少ない。

 この時間帯に駅になど向かえば、必然的に大学へ報告が入る。俺達は無許可で帰宅しているのだから当然だ。

 後日教員から罵倒を受ける羽目となるに決まっている。自由に行動出来ないものでな。


「さて、ここまで恐らく目撃者は無関係の人間以外に居ない筈。どうやって時間を潰すべきか」


 大抵の大学生は一人暮らしを始めているのだろうが、俺は大学も近かった為未だ家族と住んでいる。一人で暮らせる自身も無いのだが。


 狭い路地裏で腰を下ろし、休憩というか策戦を練るというか、とにかく時間潰しが可能な事を考える。

 俺の独り言に反応した高畠がぐいぐいと腕を引っ張って来た。


「ゲーセン行かない? ゲーセン。そこなら時間潰せそうじゃん?」


「金が無い。却下だ」


「お金無いんだ?」


「そう言ってんだろ」


 一度で聞き取る事も出来ないのかコイツは。やはり癒しにもなりはしないな。無駄だ無駄。


「さっきから二人だけの世界、ズルいです。私も混ぜて下さい。置いてけぼりにしないでくださいっ」


 泣きそうな程顔を顰めてリムが言った。お前が勝手に会話に参加して来ないだけだろうが。


 立ち上がったリムは俺の右側に位置取り、腕を強く抱き締めて来た。凄い痛いんだが、何してんだ。

 顰めた顔を直し、その代わりフグの様に膨れ上がったリムは高畠を睨む。


「稔様は私のものですっ! 横入りダメ、絶対!」


 このバカは一体何を血迷っているのだろう。誰がお前のだクソ神。

 更に顔を四方八方に振るリムは息を上げながら、空気の抵抗を受けながらも高畠に対して異論を続けた。


「私は役目として稔様を癒すんです! プライドがあるってばよ! そして見てください、私ならこの広大な海の様に柔らかなおっぱいで色々癒せるんですから!」


 一つ教えておいてやろうか、リム。海は確かに広大だが、柔らかさなど持っていない。下手すれば身体は抵抗も虚しく攫われて行き、挙げ句の果てには帰還不可能まで追いやられる。水は最大の敵とも呼べるとな。


 リムが太鼓を叩く様にその胸に手を当てると、高畠は少しだけ苦笑。そして何故か俺の腕を更に抱き締めた。


「私だって、そんなデカくないけど胸あるし! こうやって腕挟んだり、ナニか挟んだりだって出来るし!」


「あ! それはズルいですっ。私も!」


 バカに何を対抗してるんだ高畠。そして対抗に対抗して真似するな。人の腕で遊ぶな。

 俺が無言の内に騒ぐ左右の二人に呆れた俺は、服に入れられた腕で内側から服を掴み、持ち上げた。


「え? あれ、稔様? おっぱい見えちゃいますって」


「ちょ、あれ? これ照れるよ。結構大胆だったっていうか……」


 ──そして地に叩きつける。


「あぶっ! 歯、歯を打ちました痛いです稔様!」


「痛い、痛いよ稔君! 何で!?」


「人で遊ぶな。それと尋常じゃないくらいやかましい」


 二人の服から両腕を抜き取り、俺は一足先に移動を開始した。

 背後の二人は「ごめんなさい」と一言謝罪すると、直ぐ後について来た。悪いと思ってないだろコイツら。


 帰路の途中に普段は来ないアパートを発見し、その屋上に身を隠す事にした。が、屋上への扉は鍵が開いておらず、もう一度外に出た。


「あー、暇だな。普段から暇なのにこの時間は更に暇だ。最低でも四時までは時間潰したいんだが」


「ですね。たく、この足手纏いさんが居なければ」


「一番の足手纏いは恐らくお前だクソ神」


「死神ですって!」


 怒鳴るんじゃない。大学生になってもまだ子供みたいな成りきりごっこしてるのかと笑われるぞ。軽蔑されるぞ。ところでお前幾つだよ。

 まあ、死神だから何百歳とか行っているのだろうが、今の自分の発言で気になった。


 俺は気になる事は先延ばしにしたくないので、その場でリムに質問してみた。


「二十三歳ですよ」


「かなり年齢近かったな」


「歳上のお姉さんですよ? しかも身体つきエッチぃですよ? ムラムラしませんか? ね? ね?」


「バカがバカなこと言ってるな。さて、どうしようか」


「スルーは痛い。スルーは痛いです」


 だから、「バカがバカなこと言ってるな」と答えてやっただろう。ちゃんと聞け。

 そんな下らない事よりも、圧倒的にこの時間をどう過ごすかが重要だ。難題なんだよクソ神。


 リムが俯いてるのを無視し、俺は恐らく一人で時間を潰す方法を探す。流石に立ちっ放しも疲れたんだよなぁ。


「あのさ、私から提案あるんだけど、いい?」


 意外にも、高畠が案を出すと言う。何も考えないでついて来ているだけかと思ったぞ。


「何だ?」


 高畠は「あそこ」と呟き、小さく人差し指を挙げた。その先には、先程より少しだけ離れたアパートが建てられている。

 2号と記されたアパートを指差した高畠に向けて俺は首を傾げた。アパートがどうしたのか、不明なんだよ。



「私の住み、あそこなんだけど来る? 一人暮らしだし、誰も居ないよ?」


 高畠の誘いに、俺とリムは顔を合わせた。

 今、現状四時まで六時間以上も余っている。このまま何もせずに突っ立っているよりは、絶対に誘いに乗った方がいい。


「頼む。何も出さなくていいから招いてくれ」


「うん、お茶とかは出すから大丈夫だよ。じゃあ、ついて来て」


「ああ、行くぞアホ神」


「アホになった!」


 何処か余所余所しく感じる高畠に続き、俺達は2号棟の階段を上って行く。

 まさか偶然高畠の住むアパートの付近に到着するなんてな。適当に歩いていた訳でもなく、帰路に沿っていただけで着くという事は、案外家近いな。


 先に部屋に入った高畠に頼まれて暫くの間玄関の前に佇む。恐らく、物を片付けたりしているのだろう。


 数分経ち、小さくドアが開かれ高畠が顔を覗かせた。


「じゃあ、二人共いいよ入って。何か緊張しちゃうけど」


「ああじゃあ、お邪魔するな」


「失礼しま〜す」


 中に入ると、玄関から既に我が家には無い心地いい匂いが広がっていた。恐らく靴箱の上に設置された芳香剤のおかげだろう。

 芳香剤には、紫陽花の香りと記されているが全く別の匂いに感じる。これ花の匂いじゃないだろ。


 先程掃除でもしていたのか、廊下も汚れている形跡は無く、清潔感がある様に思えた。

 これもまたうちのバカ義姉とは違う。アイツの部屋はゴミ山だ。


「じゃあ、お部屋にどうぞ」


「何か余所余所しくないか? 高畠」


「えっ、う、ううん全然! ほら! いつも通りだよ〜」


「わざとらし過ぎるだろ」


 リビングに連れて行かれた俺達は、座椅子に座る。人が来る予定でも有るのだろうか? 既に三つは置かれていた。

 それとも、わざわざ俺達用に持ち出したのか。


 ──アクセサリーなどが大量に置かれた部屋を想像していたのだが、目につくのはベランダに置かれた花の数々だ。

 花の種類は恐らく全て別で、見える位置だけで二十種類はある。花が好きなのだろうか。


「ん? ああ、お花? 私お花好きだよ〜。それぞれが違う容姿、違う香り、色を持ってるから、何か綺麗だなぁって思うんだ」


「香りも綺麗に入るのか」


「花は綺麗だよ。水をあげれば、何よりも輝くんだもんっ」


「へぇ……」


 花について語る高畠は、普段のチャラい雰囲気を紛らわせ、花の美に影響されてか綺麗に見えた。

 だが、花というものは寿命が短いものが多いと聞く。それを知っていて世話を一ミリのズレも無く行っていたとしても、枯れる日が来るものだ。


 それに対して高畠はどう思ってるのか。


「花の命は、儚いものなんだよな? 高畠」


「うん」


 俺の質問に高畠は頷いて返す。そして花にそっと優しく触れながら、言葉を続けた。


「でも儚い命だからこそ、こんな風に綺麗に咲けるんだと思う。長い年月をかけて美しくなるんじゃなくて、一瞬の美で人を魅了するんだよ」


「なるほどな」


 高畠が花を愛する心の深さを知り、俺は少しだけ癒された様に感じた。花も、いいものだなと。

 きっとこの色鮮やかな花達を語る綺麗な横顔に、心を動かされたんだとは思うが。


「私花粉症酷いんです。ぐしゅっ」


「最っ低だなお前」


「仕方無いじゃないですかぁ」


 ティッシュを遠慮なく葬っていくリムに安らぐ心を切り捨てられ、彼女を刺す様に睨みつけた。

 微笑する高畠は花にお辞儀をすると立ち上がり、部屋の中へ移動した。


「なら、窓を閉めておくだけでもしとこうか。少しは軽減されると思うし」


「悪いなクソ神の奴が」


「全然っ! 私も昔は花粉症だったし気持ち分かるよ。窓閉めても花は大丈夫だし」


 窓もカーテンも閉められ、花を眺める事は不可能になったが、高畠は気にしていない様子だった。

 それにしてもリムの空気の読めなさは異常だな。殴りたくなる程に。


 折角花に関心を持って来てお前の言う「癒し」というものを感じていたのに、何なんだ。ムードもへったくれも無いぞ。



 お茶を冷蔵庫から持ち出した高畠は、箱から新品のコップを二つ取り、それにお茶を注いだ。

 それぞれのコップにはお茶を淹れる直前に下部に名前を書き、テープで止められた。つまり、俺達専用のコップになった訳だ。


「お前、よく一人暮らしでそんな金貯まるな」


「変な事聞くねぇ。私適当にバイトしてるだけだよ? 掛け持ちだけど」


「掛け持ちか」


 花の世話もして、まず自分の生活費にも当て、客用にも幾つか物を揃える。金が尽きないのが驚きだ。

 大学の費用もかかる筈なのに、それでいて掛け持ちをするとかバイタリティが俺とは格別だ。俺は無理だ。


「稔様、あーん」


「茶くらい自分で飲めるわ。お前は絡んで来ない方が疲れない。癒したいなら絡んで来るな」


「癒しに行きたいのに行ったら疲れるという矛盾っ。私泣きそうです!」


「よりストレス溜まるわ」


「あはは、じゃあ私も。あーん」


「そもそも飲み物なのに飲ますのも、『あーん』なのもおかしい気がするんだが」


 高畠からコップを受け取り、自分で飲む。他人に飲まされるなんて飲み辛さ最高だからな。

 菓子とか飯とかならまだ分かるが、飲み物は頭悪いとしか思えない。


「……急な話になるが、お前も一人で頑張り過ぎるなよ、高畠。俺がどうこう出来る内容ではないが」


 そもそも俺は地味に生きていたいのであまり関わりたくはない。人付き合いも所詮上っ面だけのものだと勝手に解釈しているからな。

 リムが俺をターゲットにしなければ、こんな面倒な事にはならなかったというのに。


「それって、私の旦那様になるから俺を頼れ! ってこと? 稔君大胆だね〜」


「ヤバイぞ。俺の周り日本語を理解しない奴しか居ない。マシな人間と会話したいぞ俺早く」


「あ、ご結婚されるのですか? よかったじゃないですか稔様。童貞卒業出来そうですね」


「黙ってろクソ神」


 おばさんみたいに頬に左手を当ててもう片方の手で俺を扇ぐ高畠と、拝むリムに腹が立ってきた。

 やはり俺は、コイツらと関わるのは嫌だ。


「そうだ、今すぐにでも捨てたらどうですか?」


「え!? ちょ、ちょっとそれは私の心の準備が……」


「普通に冗談だって断らなければそのクソ神はしつこいぞ」


 俺は頭を抱えたまま高畠に忠告した。

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