第2話 夢じゃないですよ

 うう、頭が痛いぞ。そうか、そりゃそうだな。昨日、本当に金沢さんが死んでしまって葬式に出たんだからな。あの死神は、本物だったってことなんだな。

 出来れば夢であって欲しかったな。


「夢じゃないんですよねそれが」


「寝ている人間の腹に座ってるんじゃない。腹が押し潰されてかなり苦しいぞ」


「それはそれは大変ですね」


「くたばれクソ神」


 自称死神の女性、リムは昨日と丸っ切り同じ頭巾を被っている。ブーツは履いていない辺り礼儀は砂粒程は持っているのかも知れないな。

 人に乗るなと注意しているのに降りようともせず、更には脚をぶーらぶら。ぶん殴るぞクソ神。


「そういえばスルーしかけましたが私うんちじゃないです」


「黙れ変人クソ神」


「死神ですって」


「黙れ無能変人クソ神」


「段々増えてませんか!? もうこれ以上言わないようにしよ」


 リムは頭巾を外すと俺の箪笥に突っ込んだ。おい何してるんだ。邪魔なら初めからつけてるんじゃない。

 それにしても、死神だという割には物凄いラフな服装をしているし何より──髑髏ではないんだな。容姿はただの銀髪の女性だ。


 幼い頃から読書は好きで、現在いまに至るまでで合計三百冊程読み終えている。その内に死神が登場するストーリーも含まれているのだが、どれも骸骨が大きな鎌を持つ描写が使用されている。


 だが今目の前で勝手にうちのドリンクをいただいている死神は、普通の人間に見える。


「これ、いちご牛乳って名前なんですね。美味しいです。甘くて甘くて、いい匂いでそして……甘いです」


「語彙力皆無か。日本語は流暢に思えたが語彙は限りなく足りない様だな」


「苺がすり潰された苦しみを怨念を撒き散らし、牛の痛み悲しみそして怒りが味によく滲み出ていて美味しいでございます」


「恐ろしい感想だな。もう全部飲んで構わないぞ」


「うわぁ! ありがとうございます!」


 あんなふざけた感想を零しておいて何食わぬ表情で一気飲み出来る姿に惚れ惚れしてしまうくらい呆れていた。


 廊下まで誘導し、突き飛ばして部屋の鍵を閉めた。これなら入って来られないだろう。

 だが待てよ? 俺は確か昨夜も鍵を閉めておいた筈だ。それなのに何故リムは部屋の中に居た?


「おい、お前変な能力とか無いだろうな」


「ありますよ〜。これでも神の一種ですから」


 神に一種とか、そもそも種類など有るのか? 親指を立ててまるで勝ち誇っている様子だが、特に何も悔しくない。


 もし、リムが危険な能力を他に扱えるというのならば、なるべく態度は悪くしない方が良いだろう。彼女はいつでも俺の魂を刈る事が可能なんだ。


 ……神様には様々な種類があるじゃないか。忘れていたぞ恥ずかしい。


「それより、いいんですか?稔様」


「は?」


 心臓を握られる様な低い女声が扉の向こうから聞こえてきた。まさか、持っている能力で俺を脅そうというのか!?く、卑怯者が。


「私を締め出しちゃって」


「いや構わんが」


「またまた〜。知ってるんですよ?稔様が女の子の生脚が大好物なこと!毎日毎日ギャルの娘達の露出された白い脚を眺めてるんですもんね〜?」


「……何か物凄い勘違いされてるようだな」


 正直なところ生脚なんかに興味は無い。冷え込む季節になると、寒くないのか気になる程度だ。それと別に女なんかどうだっていい。

 だから、このクソ神を部屋から追い出したところで何の罪悪感も湧かない。清々するだけだ。


 だが一つ、まずい事を思い出してしまった。確かにクソ神を廊下に出しておくのは得策ではないな。

 何故なら──


「早く入れ!クソ神!」


「ほらほら、生脚が見たいんでしょう?それと私は死が……」


「んなものに興味は無い。いいから入れゴミクソ神!」


「酷っ!」



「ねえ、何騒いでるの?稔」


 一階と繋がる階段から、ハキハキとして大人っぽい女の声が聞こえる。コイツだ、コイツのことなんだ。


「稔、朝からうるさいよ?好きな娘への思いを解き放つのはいいけどさぁ」


「誰がいつそんなことした!?」


 半袖半パン。ヘソや肩も露出されているダラしのない服装で大欠伸をして見せるのは俺の姉だ。

 いや、姉という表現は間違っているな。義姉だ。


 猫目がチャームポイントらしい義姉は、父とその再婚相手が連れて来た女だ。アンテナが立つ様なアホ毛が目立つ綺麗なブロンドの髪で、顔は整っている方だ。

 年齢的には俺と同級生なのだが、数ヶ月先に産まれていたから姉となった。


「御琴、お前今起きたのか。服装をしっかりしろ恥ずかしい」


 今起きたばかりの俺も言えたものではないがな。


「あれぇ?照れてるんだ?そうかそうか〜。やぁっとお姉様の魅力に気が付いたかぁ」


「ダラしなくて家族として恥ずかしいんだバカ」


「ふぎっ」


 ……何か引っかかるな。何故だ?何故知らない筈のリムがここに居る事に突っ込まない?何も言わない?馬鹿すぎてどうとも思っていないのか?


 気づかれていないなら好都合だ。さっさとリムを部屋に戻そう。

 リムを無理矢理部屋に押し込み、ドアを閉めた。すると義姉・御琴は予期していなかった疑問をぶつけて来た。


「何やってんの?空気の入れ替え?廊下でやっても意味ないと思うけど」


「……は?何、言ってんだ御琴」


「だって、誰も居ないじゃん」


 誰も居ないだと?今、確実に見えていた筈だよな、俺の動作を確認出来ているんだから。なのにリムが見えなかったのか?

 ──どんだけ目が腐っているんだ。


 失礼な疑問も、室内から右腕を鷲掴みにして来たリムに因って解決することになった。


「稔様、私は貴方以外から見えていないんですよ。そこのおっぱい大っきな羨ましい女性にも勿論見えていません」


「嘘だろ……」


 リムが神性な証を裏付ける更なる事実が俺の目の前で発生してしまった。リムは、他の人間に見えない、のか。どうりで家に浸入出来た訳だ。

 だが、問題も発生した。御琴は今俺の動作を目撃していた上に、俺はリムと小声だが会話をした。彼女の目の前で堂々と。


 どう誤魔化せばいいのか、思考が正常に働かない。

 いや待て。人間は見えないものを信じようとはしない。なら真実を伝えても適当に済ますだろう。この女は特に。


 俺はアホを真似る様に両手を大きく広げ、神聖なものを讃える様に説明をした。


「ここには今、神がいる。神と言っても、死神だがな。神はこう言っている。『おっぱい大っきい』と」


 流石に信じなそうな上に俺が胸に注目しているみたいで気分が悪いな。

 御琴はポカンと口を小さく開け、頭を掻きながら停止した。間抜けなポーズだな。


 脳で粗方整理がついたのか、御琴を頭を掻くのを止め、今度はパンツに手を突っ込んだ。そして今度は股座を掻き毟る。アホだな。


「そうなんだ?まあとにかく稔がおっぱい好きなのは分かったからいっか。触りたかったら許可取ってからにしてよー?」


「いや触らないわ」


 アホは階段を降りていき、恐らく朝飯でも食べに向かったのだろう。俺はその場で頭を抱えた。

 誰がおっぱい好きだ最悪だ。んな脂肪の塊興味無いぞ。


 御琴が去ったのを確認したリムは静かにドアを開き、俺の前に仁王立ちをした。


「いやぁ、あの人痴女ですね。まさか自分で触っていいと許可するなんて」


「お前、昨日自分が俺に言ったこと思い出せ。太腿堪能出来るぞとか言ってたろ」


 リムが家族に見えない存在だというならば、家での会話は極力避けた方が良さそうだな。変な奴だと思われるのは流石に嫌だ。

 ……早く朝飯を食べにでも行くか。絶対このクソ神リビングまで付いてくるよな。食事に集中しなくては。



 部屋に向かうと、反対側の椅子に着席している父がテーブルの下から何か本の様な物を贈って来た。「神乳特集 R18」と記されている。


「男は皆、好きだから照れるんじゃないぞ。それをやるから後で使いなさい」


「何を言ってるんだあんたは」


 ふざけてんのか?冗談だよな? これはアレだろ?後で処分しておいてくれって意味だよな? 息子も自分と同じ巨乳好きだと喜んでいる訳ではないよな? 一緒にするなよじじい。


 渡された本を隣の空席に置いておいたら、リムがこっそり覗きに来た。お前は女なのに胸が好きなのか? まあそういう人間も存在はするだろうが。


「ちっ、皆デケェな」


 口調が変わっていることに思わず突っ込みそうになったが、父が視界に入り踏み止まれた。このクソ神、油断も隙も有りはしないな。


 無言で食事を進めていると、先に来ていた筈だが見当たらなかった御琴が廊下からふらふらと歩いて来た。何をしていたんだろうか。

 大欠伸を恥ずかし気も無く発動させた御琴は、自身の席に置かれた写真集を手に取った。


「え、これ稔の趣味? 私流石にここまで大胆にはなれないよ?」


 これまた恥ずかし気も無く開いた義姉は、ヌードの女性を指差した。俺に見せるな。


「別にならなくていいし俺の趣味じゃない。そこのエロ親父の趣味だ」


「いやぁ〜」


「「褒めてない」」


 俺と御琴の軽蔑した視線と口調がハモった。親父の変態趣味を息子に植え付けようとするな。それより何て内容の本を渡してくれてんだ殴り飛ばすぞ。


 御琴は椅子を俺の座る椅子に密着させ、自身は俺に接近し挙げ句の果てには抱きついてきた。食いづらいんだよどけクソ姉。


「そうだよね〜。稔は私のおっぱいが好きなんだもんね」


「何! そうなのか! ダメだぞ、家族なんだからな」


「既婚者に言われたかない。そして俺は胸に興味など無いって、何回言ったら分かるんだ馬鹿共!」


 流石に苛立って即食事を修了させた。五分すら経過していない為、普段食べている量の半分も食べれなかった。

 誰だって嫌だろう? 幾ら否定しても理解すらしない親父と義姉に挟まれていたら。


「おっぱい大きなお姉様に密着されて誘惑されて、夢の様な生活じゃないですか」


 バカは羨ましそうに言葉を漏らした。おい馬鹿。馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿。何も嬉しい事なんて無いんだよ、ウザいだけだ。

 何か一つでも喜べる事を挙げてみろと指示されるのならば、俺は迷わず引き篭もりを貫けると答える。コイツらが引き篭もりの様なものだからな。


「これが夢じゃないから、疲れるんだろうな」


「だから私が癒してあげますって〜。おっぱい触ります? 私もそこそこ有りますよ痛たたたたたた」


「よかったな」


「ちょ、割り箸でおっぱい掴まないで下さいよ。痛いでしょ!」


 そんなに触って欲しいのなら御琴と共にそういう店にでも勤めればいいだろう。俺は気にしないぞ。

 リムは視認出来ないので無理だが、御琴はダラけなければ出来る仕事だぞ。


「それ、兄弟が勧めるべき進路ではないですよね」


「俺は気にしないんだ」


 触られたいなら彼氏でもつくって毎日毎日好きなだけ触らせてやれよ。親父が言っていたことが真実なら大抵の男は好きなんだろ? きっと喜んで触ってくれる。


 鞄でリムの顔面を殴り、玄関の扉を閉めて外に出た。今日も学校だからな。



 ──一時限目の科学で担当の教師が実験を失敗したのが今日のピックアップニュースとなった。

 ピックアップニュースは毎日三回更新される様だ。三時限目まで、五時限目まで、そして放課後の三回。


 つい先程までは校長先生が朝礼でお漏らしをした事が記されていた。教員達はこのニュース紙を発行する新聞部が取る行為を黙認している。

 稀に生徒の悲惨なニュースまでピックアップされる為、評判は校内最低だ。



「あ、稔様。稔様。前方から貴方が嫌いな女子生徒がやって来ますよ!」


「ああ、あのチャラチャラした失礼でふざけた女か」


 俺もリムも昨日キツめに追い払った為今日は話しかけて来ないだろうとスルーしようとした。脳が正常ならここで会話は始まらない筈だ。


「あ、おはよう相葉君。今日はちょっと遅かったけどどうしたの? 心配したじゃ〜ん」


 物凄く自然に話しかけられた。コイツに記憶力というものは存在するのか? 昨日の今日で何故こんなに軽い。

 予期せぬ事態に脚を止めてしまった為、仕方なく女子生徒の顔へ目線をやった。ちゃんと顔を見たのは初めてだが、意外と好みだった。嫌だ嫌だ。


「私も今日ちょっと遅れちゃったんだ、仲間だね!」


 女子生徒は左目を伏せ、立てた親指を突き出して来た。こんな変な奴とは仲間になりたくないな。


「一緒にするな。どうせ寝坊とか下らない内容だろ」


「酷いなぁ。生まれてこの方一度も寝坊したことないよ? 実は事故に遭った猫ちゃんを病院に運んでました! 路地で自転車に轢かれちゃったみたいでさ、急いで連れてったの。命に別状は無いってさ」


「そうか」


 訊いてもいないのに何故こんなペラペラと会話を続けられるのだろうか。しかも意外とマトモな理由で驚愕したぞ。てっきり遊んで寝不足とかかと。

 チャラチャラした奴らは案外こういう情が厚い部分も有るらしいな。単に猫が好きなのかも知れんが。


「他には何も無いよな、じゃ。授業遅れんなよ」


「サンキュ! あ、でもちょっと待って?」


 何だ今度は。俺もあと数分で授業開始なんだぞ。遅刻したら教授がうるさいんだよ。


 溜め息を溢し、振り返ると女子生徒の視線は俺とは別の場所に向いていた。俺の左脇、壁により近い方──


「その娘、誰? 凄い違和感あるカッコしてるけど。この学校の生徒じゃないよね〜」


 ──女子生徒が指差したのは、リムだった。


「……おい、見えないんじゃなかったのかよ。それとも夢か?」


 俺が一歩下がって小声で訊くと、リムは高速で何度も頷き、驚いている。リムの姿が見えている。この女、何者だよ。


「それと、稔様。何度も言ってますが全て夢じゃないですよ、今のところ……」


「ん? どしたの?」


 死神であるリムを視ることが出来る人間は居ないんじゃないのか? 死が約束されている、俺だけが視えるんじゃないのか? もう、訳が分からない。

 頼むから、この名も知らない女子生徒とこれ以上関わりを持たせるのはやめてくれ。神よ。


 隣に居る神のことじゃないぞ。コレはただのポンコツクソ神だ。

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