第45話 撤退




 滋賀、熊本に続き、自分たちも退却を始める。

 しかし、撤退を始めてから、割と早く限界がやってきた。

 オークを倒しきれずに、攻撃をかわしながら森の中を少しずつ後退するので手いっぱいになった。


 蘭華も疲労からか動きに精彩が無くなり、有坂さんは集中力を切らして攻撃を外すことが増えてきた。

 俺たちのパーティーですら敵の数がなかなか減らせない。


「もう限界だ! 伊藤、なんとかしてくれよ!」

「しっかり集中して。危ないわよ」

「魔法撃つよ!」


 京野と小宮が不意を突かれそうになって、有坂さんが魔法で庇った。

 作戦地域を離れたのに、追ってくるオークは一向に減る気配がない。

 船橋のリーダーは動けなくなった奴に肩を貸していてもう戦えていないし、自衛隊も霊力を使った回復でなんとかしのいでいるような状況だ。


 敵を倒せているのは俺だけになっている。

 このままだと他の皆も、せっかく蓄えた霊力を枯らしてしまうか、回復が追い付かない奴から殺されてしまう。

 先に撤退した奴らも、クリスタルは残っていなかったから、霊力を消費してしまっただろう。


 まだ移動できているだけマシと考えた方が良さそうだ。

 視界が塞がれたことで、オークが俺たちの位置を見失ったから逃げられている。

 しかし、集まってきたオークが森の中を走り回っていて、思わぬ不意打ちを食らってしまう。


 その頃になって、やっと遠くの方でファイアーボールの光が上がった。

 撤退が完了した合図だろう。

 しかしもう、俺たちの方に撤退するだけの力が残っていない。


 それに周りが暗くなってきて、これ以上の移動は危険だった。


「伊藤さん、なんとかなりませんか」


 返り血なのか、負傷者の血なのか、赤く染まった山口さんにもそんなことを言われる。

 確かに敵が見えなくなる前に撤退を完了するのは無理だろう。

 あまり大円天幕の存在は知られたくなかったが仕方ない。


「蘭華、天幕を設置してくれ。有坂さんはマナを温存してください」


 俺がアイテムボックスから出した天幕を地面に放り出すと、蘭華はそれを拾って森の中に入って行った。


「帰るのは諦めるのかい」

「ええ、もう無理ですよ」

「僕はまだ戦えますよ!」


 そんなことを言っている相原もカラ元気なのは明白だった。

 森の中から、出来たわよという蘭華の声が聞こえた。


「山口さん、自衛隊から天幕に入ってください。中にいればオークには見つかりません」

「わ、わかりました……」


 その間に、俺と相原で敵を引き付ける。

 俺たち以外の全員が入りきったのを確認したら、有坂さんに魔法で見えている敵を一掃してもらって、俺たちも一目散に天幕を目指した。


「おい、相原。さっさと入れ!」

「仕方ないですね。今日の所はこのくらいにしときますよ」


 どこからそんな体力が出てくるのか知らないが、相原は俺と同じくらいには体力を残しているようだ。

 天幕に入ると、たき火の暖かい光が目に入って凄く癒された。

 その炎を囲むようにして、赤ツメトロ、ふなっしー、自衛隊で固まっていた。


 絨毯があるあたりに、俺たちもチームでひとまとまりになって座った。

 周りでは赤ツメトロの女性陣が、ボロボロになった服を着ていて目のやり場に困る。

 自衛隊も探索を志願したのは独身者が多いらしいから、目の毒だろう。


「これすげーな。これ、伊藤が出したのかよ。売らねーのか」

「あんまり騒ぐなよ。ただのカモフラージュだから、敵に突っ込まれたら終わりだぞ」

「マジかよ……。やばいじゃねーか」


 しばらくしたら、血の汚れがひどい人には無限水瓶で汚れを落としてもらった。

 無限という割に、入るのは100リットルかそこらなので、洗えたのは数人だった。

 他人の血液が付いたのを、そのままにしておくのは危険だと思うが仕方ない。


 横になりたかったが、天幕の中は、ギリギリそれだけの隙間がなかった。

 蘭華に膝枕してもらえるなら、横になれるかもしれないというくらいの隙間だ。


 自衛隊はどうにかしてベースキャンプと連絡が取れないか、なにやら相談しているようだった。

 さすがに向こうもぎりぎりで逃げきっただろうから、助け出そうなどと無理な行動はとらないはずだ。


「俺が持ってる街じゃ駄目なんですかね」


 船橋のリーダーがそんなことを俺に聞いてきた。

 担いでいた男は、桜のヒールを受けて動けるようになっている。


「柵を守る必要があるから大変だぞ」


 迷宮なら三日くらいは敵がリポップしないが、この状況では使い物にならない。


「どうして、そんなことまで知ってるのよ」

「か、考えたらわかることだろ」

「そう。疲れているでしょ。横になったらどうなの」

「そんなスペースないんだよ」


 蘭華も顔色がよくない。

 ここじゃ気持ちが休まらないのだろう。

 深夜になって外に出てみたら、オークが荒らし回って、周りは滅茶苦茶になっていた。


 それでも、走り回っているようなのはいなくなったので、猫目が使える俺を先頭にして、ベースキャンプへと戻ることになった。

 森の中を手探りで歩いて、帰る頃には夜が明けかけていた。


 寝ずに待っていた面々に迎えられ、十数時間ぶりにまともな食事にありつけた。

 食べ終わったら汚れも落とさずに、俺は泥のように眠った。




 昼近くに起きたら、周りはまだ静かだったので風呂のぬるま湯に浸かる。

 そしたら装備も一緒にその場で洗って、穴だらけになった革の服を新しいものに替えた。

 風呂から出たら、食料テントから缶詰を持ち出して食べる。


 もう昼を過ぎたというのに、誰も起きだしてこない。

 これで怖気づく奴はいるのだろうか。

 探索なんて、もとより命がけでやってきたはずだから、昨日の経験などまだマシなんじゃないかとも思える。


 人間の一部が飛び交うというような光景だって、探索者なら慣れているはずだ。

 ダンジョンは運が悪いだけで簡単に死ぬ、というのが世間の認識である。

 確かに、ほんの少しの敵の気まぐれでも、命を落としかねないような状況はある。


 俺も山本に庇われていなければ、オークに挟まれてどうなっていたかわからない。

 内臓の一つも飛び出していた可能性だって十分にありえる。

 しかし、ステータスにある体力の数値によって、即死だけはしないように守られているような気がした。


 俺が缶詰を食べていると、一人の男が起きだしてきて、食堂テントの隣に出店のような物を作り始める。

 確か琵琶娘に所属する土屋とかいう男だ。


 彼は準備を済ませて、いらっしゃい早い者勝ちだよ、装備には限りがあるよなんてやりだしたら、ゾンビのような顔をした奴らがテントから這い出してきた。

 そして壊れた装備品を買いなおそうとする奴らで、出店の周りには人だかりができてしまった。


 怖気づくどころか、美味しいと感じている奴の方が多そうでなによりだ。

 昨日は霊力を減らしてしまったというような愚痴も聞こえる。

 俺は山本に礼でも言っておくかと、琵琶湖のテントを訪ねた。


「なんや、お礼なんていらんのに。アンタがやられたら全滅やってんからな」


 テントの中では七瀬が大の字になってまだ寝ていた。

 そんな姿を俺などに見せてしまっていいのだろうか。

 ダンジョン産の鎧は着心地がいいとはいえ、さすがに金属の鎧まで付けて寝ている姿は普通ではない。


「装備を替えた方がいいんじゃないのか。どっちもボロボロだろ。替えなら沢山あるんだからさ」

「なに言うてんの。商売のネタに手を付けるわけないやろ。ボスから出た鎧は、あくまでもデモンストレーションやってんからな」


 よくわからない話だ。

 自衛隊はクリスタルと人員の補充をすると言って忙しそうに動いているから、まだ作戦は終わりではないようだった。

 俺は心配事の多さに、一人でダンジョンに入っていた頃が恋しくなってきていた。


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