君と語りたいこと

美紗の先輩

「ごめんな、血止まったか?」


「はい、もう大丈夫です。

 すみません。ついてきてもらって」


 俺は鼻にティッシュを詰めたまま答える。目の前には両手を合わせて謝る小林先輩。

 10分ほど時を戻すこととする。

 俺たちは部活をしていた。ただ、俺は手紙のことで集中できていなかった。そのせいで小林先輩から回ってきたパスを顔面で受け止めてしまったのだ。

 時を戻す間でもなかった。センテンスにして4行だった。

 そんなこんなで俺は給水スペースで涼んでいる。注意力散漫。いかにも美紗に怒られそうな話だ。

 ……ダメだ。そういうところが集中力がないのだ。


「……と?……ことっ?」


「へっ?」


「眞琴!」


 我に返ると目の前に部長の顔があった。思わず情けない叫びを上げて後ろに倒れ込む。


「どうした?考え事?」


 その様子を楽しそうに見つめながら部長は尋ねてくる。腹黒そう。それが俺がこの人に抱いている感想である。バレないようにしなければならない考えだ。


「いや、ちょっとあ──」


「もしかして」


 俺の言葉を遮って部長が俺を見据える。


「美紗ちゃんのこと?」


「えっ?」




 帰り道。俺と部長はフードコートに立ち寄っていた。部長の目の前にはハンバーガーと柑橘系の炭酸飲料。俺の前にはアップルパイとストロベリーシェイク。そして2人の間には山盛りポテト。

 そんなウキウキな食べ物に対して俺たちの醸し出す空気は重々しかった。


「えっと、先輩は美紗がどうなったか知ってるんですか?」


 オドオドと切り出すと、先輩は暗い面持ちでポテトを口に運ぶ。そしてそれをタバコの要領で口にくわえたままゆっくり頷く。


「そう、ですか……」


 話し出したはいいものの、何を聞くべきか分からない。聞きたいことの優先順位はまだ決まってはいなかった。

 先輩はストローを噛むようにして炭酸飲料を吸う。そして気まずそうに口を開いた。


「それから、眞琴のこととかも話には聞いてたよ」


 だから部活の勧誘に話しかけてきたときは驚いたと、静かに笑う。


「でね、俺は眞琴に見せたいものがあってさ。見たからって、どうってことないかもしれないけど」


 先輩は白いリュックサックの中からスケッチブックを取り出した。その表紙には白いペンで「やりたいことリスト」と書かれていた。とても見覚えのある几帳面な字で。


「美紗ちゃんのやりたいことリストって言うか、日記というか……。とにかく、美紗ちゃんが書いてたやつ。

 ……眞琴はこれ、見たい?」


 先輩は首をかしげてこちらを見つめてくる。真剣に、どこか不安げな眼差しで。

 俺は少し躊躇ったものの、首肯する。

 それを見た先輩は視線を落として、スケッチブックの表紙を開いた。そこには「しっかり生き抜く」と真ん中に大きく書かれていた。

 そのページのまま、先輩はスケッチブックを持ちかえて俺に渡す。

 ページをめくると、行きたい場所が箇条書きで書き出されていた。ニューヨーク、ロンドン、アラスカ、遊園地に水族館。さらにページをめくると、やりたいことが細かくリストアップされていた。学園行事、寄り道、手紙を書いておく、出来る限り思い出を作るという意志が見て取れた。それは具体的な方法なども交えたもので、十数ページにわたっていた。そして最後の行にいつかのプリクラが貼られていた。

 ──また3人で出かける。

 この文を見たとき、俺は美紗が生き抜こうと思っているというよりも、死ぬことへの恐怖とこの世への未練を誤魔化そうとしているように感じた。本当に出掛けたかったなら、いくらでも誘う時間はあっただろう。なのにそうしなかった。部活をする体力はあったのに。──美紗、これじゃまるで諦めてるみたいだよ。

 そう思ったからだろうか。


「……じゃあ、なんで美紗は俺に何も言ってくれなかったんですか」


 思っていたことがつい口から零れ出た。静かに。そして、まるで八つ当たりのような口調で。


「俺のこと、誘えばよかったじゃないですか。なんで先輩なんですか。なんで俺や、夏美じゃないんですか」


 どうしようもないことが次々と浮かび上がっては口から逃げ出す。

 その様子を先輩は静かに見つめていた。

 その態度につい苛立ちが募る。


「なんでこれを先輩が持ってるんですか。

 そもそも先輩は美紗の何なんですか。

 答えて下さいよ!」


 苛立ちは声色にも影響した。視線にも影響した。

 先輩はそれをただ、受け止めた。静かに。


「俺じゃダメだったんですか。そんなに俺は頼りないですか。信頼ないですか。もっとちゃんと言ってくれればよかったのに……。なんで、なんで……」


 苛立ちを帯びたその声は、段々と湿り気を帯びてきた。そして糾弾は、後悔と疑問に移り変わる。

 やりきれない思いだけが募っていく。自分じゃダメだったのか。彼女は、自分を頼れなかったのか。その疑問は1つの答えに収束する。自分はそれほどまでに不甲斐なくて、そして──。


「違うよ」


 その考えを見透かしたような先輩の優しげな声が俺の言葉の羅列を止めた。


「俺はこのことを無理に聞き出したようなものだし。それに美紗ちゃんは眞琴のことを本当に大事に思ってたし、1種の拠り所のように感じてたんだと思う」


 ただ、俺は


「美紗ちゃんは、君がいてくれて良かったんだと思う」


 この優しげな声に、後悔が滲み出ているように感じた。

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