第3話


 クラス中がうんうんと唸りを上げる異様な雰囲気の中、ある女子生徒が声を上げた。


 彼女は三好玲香と仲の良い者の一人。


「全然、事件と関係ないかもしれないんだけどさ、玲香いつから金属アレルギー治ったの?」



 その意外な言葉に三好玲香は明らかな動揺を示すも、


「治っていないわ。アレルギー反応が出るのはシルバーとゴールドなの。だから、お店で売ってるほとんどのアクセサリーは身に着けられないんだけど、この前お母さんがプラチナ製のピアスを買ってくれたの」


「プラチナ製って……ずいぶん高かったんじゃないかい? 優しいお母さんだね」


 長谷部智也の同情がクラス全体を感傷の渦へと引き込む。


「ピアスの穴もまだ空けてないんだけど、嬉しくてつい自慢したくなっちゃって……。まさか、こんな事になるなんて思わなくて……」


俺はざっとクラス中の女子の耳を確認するが、穴を開けているものはいなかった。


そうしている合間も、気のいい奴らが彼女に同情の声をかけていく。


 しんみりした空気の中、俺は窓のレールの金属の部分を指でなぞっていた。

 冷たい、というより痛い。

 外の気温はだいぶ低いようだ。


 ああ、早く止まないだろうか。



 空気に逆らうような俺のそんな願いは叶わず、事件はそれ以上進展を見せぬまま時間が過ぎていった。


 休憩時間中や放課後に怪しい人物を見たというものはいなかったのだ。



 そして、いよいよ事件は迷宮入りかという頃、三好玲香は早くも最後のカードを切り出した。

 

「ねえ、智也。智也の能力を疑うわけじゃないけど、もう推理で見つけるのは難しいと思うの。だから……」


 すいぶんと回りくどい言い方をしているが、要するに手荷物検査をしろという事だ。


 彼女への同情も相まって、それも仕方なしという空気が出来上がってしまっている。




 ……はあ、仕方ないな。




「一ついいかな」


 俺は席に座ったまま、彼らへと言葉を投げかけた。ごく自然に、何気ない感じで。


「三好さんのその白いマフラー。端に赤い染みがついてるけど、確か昨日はそんな染み無かったよね……って、事件と関係ないか。ごめん、やっぱり気にしないで」



 俺が途中で発言を撤回したのは、『はあ、あんた何言っての?』という彼女の剣呑な表情に臆したからではない。


 事件を解決に導くのは俺の役目ではないからだ。


「ちょっと待ってくれ、もしかしたらそれは重要な手がかりかもしれない」


 長谷部智也は突然、天啓を授かったかのように声を上げた。



 ようやく気付いたか。



「もしかしてその赤はあの橋で付けたものじゃないかい?」


 ひゅっと息を飲み込む彼女に気付かぬまま、名探偵は推理をひらめかせる。


「あの橋は昨日塗り直されたばかりでまだ十分に乾いていない。注意書きの看板も立ててあった。もし、直接触れればべったりとした赤がついているはずだけど、玲香のマフラーに残っているのは水彩でぼかしたような赤。そして今朝は小雨が降っていた。さらに橋の手すりはひざ元までしかなくて、普通に歩いててそのマフラーが当たるとは考えにくい。これらの事から推理すると、玲香は登校途中に橋の下によったと考えられるんだ」


 その通りだ。流石、警視総監の息子。

 まあ、クラスの様子を見る限り、俺の出したヒントからこの事に気が付いた生徒は他にもいた。

 なんなら隣の席の藤原ふじわら君の方が早く気づいていた。あからさまにもしやって顔してたからな。


 さてこの指摘に対して三好玲香はどうでるか。



「……」



 なるほど、沈黙か。


 橋があるのは校門の手前。登校する生徒は必ず通る道。橋の下に降りていく、あるいは戻ってくるところを誰かに見られている可能性は高く、下手に『行っていない』などと言うのは得策ではない。

 なぜ嘘をついたのかと不信感をいだかれるからだ。


 逆に言えばこの沈黙こそが彼女が橋の下に立ち寄った事を証明している。


 では、彼女はそんなところに寄り道して何をしていたのか。



 その先に真実があるのだが、俺にとってはどうでもいい。


 なぜなら寄り道をしたという事実こそが重要だからだ。



「ひょっとしたら、そこで落としたんじゃないかい?」


 長谷部智也が俺の代わりに提言する。


 そう、初めから犯人などいなかった。

 単なる紛失。いつもと同じ、事件とも呼べないような取るに足らない出来事。

 これはそういう話でいい。



 さて、動くなら今がベストか。


 俺は重い腰を上げ、カバンを提げてゆったりと教室の出入り口へと。


「ちょっと、勝手にどこに行くのよ!」


 ちっ、だめか。雰囲気で押せると思ったのにな。

 俺は扉にかけた手を下す。


「もう帰ってもいいかと思って。雪も止んできてる事だし。他にも用事があるやつがいるんじゃないのか?」


 まあ、俺は別にないんだが。


 しかし俺の言い分はごく自然なものだと思う。その証拠に公平性の塊である長谷部智也はどっちを擁護すべきか決めかねている。



 だが、もう時間切れだ。


 沈黙から反論は無いと判断した俺が再び扉に手をかけた時――。



「待ってくれ!」


 どうやら彼は葛藤の末、三好玲香を支持すると決めたらしい。

 


「上手く説明できないが、これはただの紛失事件じゃない気がするんだ」



 ほう、面白いことを言う。


「それはつまり生徒の中に犯人がいると?」


「……ああ」


 なるほどな、つまり単なる紛失だとする俺の推理が間違いだと言いたいわけか。





 まあ、実際に間違っているんだが……。


 

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