7.新時代の担い手




「馬鹿な……私の傀儡魔法がこれほど、いとも容易く破れるわけがない!」

「驕りも甚だしいな。これは単なる【ディスペル】だ」

「なにぃ? そのような、低級魔法ごときに……!?」


 僕は崩れ落ちたアンジェリナ、そしてクリスティナの傍に立つ男に告げた。


 【ディスペル】――いわゆる解除魔法。

 対象に自らの魔力を送り込むことで、その者にかけられている魔法を破るものだ。体内に循環している魔力の流れを正確に理解し、かつ効率的に対抗魔力を巡らせることによって可能となる。基礎魔法の一つではあったが、強力な魔法に対しては無効と云われてきた、俗にいうハズレ魔法だった。


 しかし先に述べたことを理論立て、突き詰め、加えてこの身体に込められた膨大な魔力。それによって、男の使う魔法をも凌駕した。

 才なき前世――ヴィクトル・アレクサンドロスとして生きた頃の財産と現在、リード・シルフドとしての力の融合だ。


「貴様――何者だ?」


 怒気を孕んだ声。

 認識阻害魔法で顔を隠した男の、忌々しげな言葉に僕は答えた。


「僕はレッド――」


 ヴィクトル、リードに続く、もう一つの自分の名前。



「赤き賢者レッドだ」――と。



◆◇◆



「赤き賢者、レッド……?」


 アンジェリナはうずくまりながらも、自らを救った者の名を口にした。

 赤き賢者レッド――聞いたことのない名前。それでも、何故かは分からないのだが、その人物の言葉からはハッキリとした力のようなものが感じられた。

 そして分かるのだ。彼は間違いなく、自分と姉の味方である、と。


「ふん、何が賢者か。この世で賢者といえばヴィクトルただ一人」

「それはどうかな? 時代とは、変わるものだ」


 黒き始祖の言葉に、赤きフードを目深に被ったレッドは言った。

 時代は変わる、と。その言葉は意図したものかどうか、それは分からないが――まるで、アンジェリナとクリスティナの未来を指しているように思われた。


「アン、ジェリナ……?」

「お姉、さま……!」


 その時ふいに、彼女の耳に姉の声が届く。

 若干苦しげではあったが、命に別状はない様子だった。意識も先ほどより明瞭になってきているようであり、その瑠璃色の瞳には明るさが戻ってきている。

 クリスティナもまたレッドを見て、そして静かに息をついた。


「あの方が――赤き賢者レッド」

「お姉さま? もしかして、ご存じなのですか……?」


 そして、次に出た言葉にアンジェリナは驚きの声を上げる。

 クリスティナはそんな妹の声に、静かに頷いてこう語るのだった。


「辺境よりやってきた大賢者。真紅の衣に身を包み、悪を滅ぼし人々を救う。正体不明ながらもその存在は確かなりて、またその力に並び立つ者なし。彼の賢者、ヴィクトル・アレクサンドロスを超えし者であり、それを過去とする者。すなわち彼は――」


 友人の語ったその雄姿を思い出し。

 その存在を、このように定義するのだった。



「新たなる時代の担い手」――と。



「新たなる、時代……」


 アンジェリナは姉の言葉を繰り返し、再びレッドの姿を見た。

 すっかり日の落ちた外の景色。その中に悠然とたたずむ彼の姿は、その背丈以上に大きく見えた。それは強者の放つ威厳とはまた異なる。

 言うなれば、信念在る者のたたずまいだった。


「赤き賢者、レッド……!」


 アンジェリナはその姿に見惚れる。

 何故なら、その在り方はまさしく自分の憧れに違いなかったから。

 己の信念を貫き、その先にある目標を見据えているであろうレッドの姿。それはまさしく、揺れ動いてきた自分の中に出た答えを肯定する。

 その思い描いた未来に、違いなかった。


「ククク、そうか。それは面白い――!」


 一連の話を聞いた黒き始祖が、唐突に笑う。

 そこにはレッドの存在そのものを嘲るような響きがあった。そして――。


「ならば、この状況くらいは乗り越えてもらわなくてはな!!」


 指を一つ、パチンと鳴らす。

 すると倉庫の物陰という物陰から、黒い影が姿を現した。

 アンジェリナにはそれが何か分かっていた。その影はすべてが、黒き始祖の手によって生み出された傀儡だ、と。さらに、その傀儡に秘められた戦闘能力はいずれも計り知れないものである、と。


 一体で手練れの騎士団員を三人――否、それ以上を相手にできる。

 そんな傀儡が、おおよそ十余体。これでは多勢に無勢、敗北の二文字しか見えなかった。だがしかし、レッドはその敵を目の前にして微かに笑うのだ。


「まさかこの程度、か?」――と。


 まるで、なんの冗談だと、そう言うように。

 静かに短剣を取り出しつつ、それをくるくると回して遊ぶ。


「なに……?」


 余裕綽々。

 その言葉を体現したかのようなレッドの態度。

 黒き始祖は、あからさまに不快そうな声を漏らした。しかしすぐに、


「まぁ、いいだろう。精々、生き残ってみるがいい――賢者崩れが」


 そう邪悪に笑いながら口にした。

 直後に、傀儡たちが一斉にレッドへと躍りかかる。


「あ……っ!」


 短い悲鳴を上げたのは、姉妹のどちらであっただろうか。

 しかしその判別がつくよりも先に、こんなレッドの声が聞こえた。



「『偽りの』黒き者――お前は、いったいどこを見ている?」



 それは、すぐ間近から。

 アンジェリナはその声のした方へと振り返った。すると、そこには――。


「が、は……っ!?」



 黒き始祖の喉元に、短剣を深々と突き立てるレッドの姿があった。

 傀儡たちは数秒遅れに霧散する。男の苦悶の声が、倉庫の中に木霊していた。


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