6.姉妹








 アンジェリナは、クリスティナの双子の妹だった。

 同じ日に、少し遅れて産声を上げた生命。しかしその、ほんの数秒が二人の運命を大きく分けた。王家には双子を忌み嫌う風習があるからだ。

 それは、後継ぎを決める際に争いの火種になりかねないため。

 明確な差を感じさせない双子という存在は、ただの兄弟姉妹とは異なっていた。


「ホント、馬鹿な習わしもあったものよね」


 青髪の妹は眠り続ける姉の隣に座り、そう誰に言うわけでもなく口にする。

 それは幼い自分を、身分の低い分家の養子にだした王室への不満なのかもしれない。だがそれでも、その声にはどこか他にも思いが込められていると感じられた。


「でも私は、貴女のことが――きっと、許せない」


 曖昧な恨み言を述べるアンジェリナ。

 数日前のことだ。自身の教室を訪ねてきた少年の言う通り、彼女はクリスティナと二人で話をしていた。中庭で口論になったのである。

 いや。正確には、妹が一方的に声を荒らげていただけだが。

 内容はなんてことのない、世間話の延長線だったはず。最近の王家はどうかとか、そんな何気ない会話のはずだったのに。どうして自分は腹が立ったのか――。


「――その理由が分かったら、私も苦労しないわね」


 自嘲気味にアンジェリナが声を漏らした。

 結局のところ、彼女自身も自分がどうしたいのかがハッキリしないのである。

 憎しみはある。たしかに少女の中にはその気持ちが、王家や王族、そういったものへの恨みが渦巻いていた。それでも、どうしても彼女はクリスティナを殺せない。いまのように、簡単に首を手折ることが出来る状況でさえも。


 姉の首に手を伸ばし、触れる妹。

 たしかに彼女が『反ヴィクトル教団』に籍を置くのは、いまの王家が憎いからだった。さらに言えば、現在のこの国――ガリアの旧態然とした体制が許せない。

 だから、王女であるはずのこの女は――殺すべき対象のはずだった。


 それだというのに……。


「殺せない、か?」

「……本当に、神出鬼没ね。薄気味悪いったらないわ」


 その時だった。

 唇を噛むアンジェリナに声をかける者があったのは。

 その者は全身黒尽くめの異様な男だった。何かしらの魔法によるものなのか、顔もまったく分からない。見えてはいるはずなのだが、認識が阻害されるのだ。


 この男が、アンジェリナを『反ヴィクトル教団』に誘った張本人。

 自身のことを『黒の始祖』と称する、怪しげな存在だった。アンジェリナの知る限りでは、この組織の創設にかかわった者だということ。

 それ以外に分かるのは、圧倒的な力を秘めている、ということだった。


「ククク、やはり姉妹の情というやつか?」

「そんなんじゃないわよ。ただ、もっと惨たらしく殺したいだけ……」

「その言葉が真実ならば、こちらとしては嬉しい限り。王家の血を持つお前が我々と行動すること以上に、お前自身が覚悟を決めたという事実が重要だ」

「覚悟……? 馬鹿にしないで。そんなの、ここにきた時から決まってる」

「クク、そうだと良いがな」

「………………」


 男の言葉に、沈黙するアンジェリナ。

 拳を握りしめて震わせた彼女は、何かを言おうとしながらも、乾いた音しか発せられなかった。そうしているうちに、男は少女を押しのけて王女に手をかざす。

 立ち上がる形となった青髪の妹は、目を見開いてついに声を出した。


「ちょっと、なにをするつもりなの!」


 それは、悲鳴に近かった。

 しかしそんな彼女の悲痛な思いに構わず、黒の始祖は小さく詠唱する。


「……ん、ここ……は?」

「なっ!?」


 すると次の瞬間。

 今までどうしても目覚めなかったクリスティナが、苦悶の声を漏らした。

 アンジェリナは息を呑み、対して黒き男は小さく笑い声をこぼす。そして妹の方に向かって、このように言うのであった。


「さぁ、感動のご対面だ。私は少しだけ席を外すとしようか」――と。


 直後、黒の始祖の姿が掻き消えた。

 残されたのは、別々の道を歩んできた姉妹だけ。


「もしかして、そこにいるのはアンジェリナ……なのですか?」

「………………」


 まだ視界が判然としていないのだろう。

 クリスティナは、どこか手探りな声色でそう呟いた。

 だがそれに、アンジェリナは答えられずに肩を震わせるだけ。

 しかしその息遣いだけで王女には理解できたのだろう。小さく、それでいて慈愛に満ちた表情を浮かべて、クリスティナはこう語りかけるのだった。


「そう、そこにいるのですね。アンジェリナ――貴女には、本当に苦労ばかりかけてしまって……」


 曖昧な思考だからだろうか。

 いや。それでなくても、おそらく彼女はそう言っただろう。



「申し訳ございません」――と。



「――――――――――っ!?」


 妹はそれを耳にして、瞳を潤ませた。

 そして、まるで何かに突き動かされるように叫ぶ。


「また――また、またまたまたまた! どうして貴女は、そんなことを言うの!? 私はこんなにも、貴女が憎いといっているのに! そのはずなのに!!」


 それは中庭での口論の再現だった。


「どうして貴女は、私に対していつも『申し訳ない』だの『すみません』だの、そんな言葉を投げかけるの!? とっくに切り捨てたはずの、私に対して!!」


 それは今までの二人の再現だった。


「貴女がそんなことを言わなければ! 私は――」


 そして、それは……。



「――貴女を心のままに、殺すことが出来るのに!!」



 涙混じりの、嘆願だった。

 もしも貴女がもっと残酷な人だったら、こんなに苦しまなくてもいいのに。

 アンジェリナの心はそう叫んでいた。殺したいほど思っているのに、憎み切れないそんな人――ほんの少し先に産まれただけの姉、クリスティナへの素直な心。


 子供のように泣きじゃくりながら、アンジェリナは叫ぶ。

 そしてそれに対して、クリスティナは――。


「――あぁ、もう少しなのです」

「え……?」


 おもむろに、そう口を開いた。

 その言葉にアンジェリナは瞬間、言葉を失う。

 静寂に包まれた倉庫の中に、ハッキリとしたクリスティナの声が響く。



「もう少し。もう少しで、貴女は王家に帰れるのです」――と。



 それは、信じられない言葉だった。

 妹は姉のそんな言葉に、声を詰まらせることしかできない。


「もう少しでお父様を、王族全体を説得できます。アンジェリナ――」


 そんな彼女に、クリスティナはまた優しく微笑み、言うのだ。



「私の、大切な、可愛い……たった一人の、妹」――と。



 それは、今までの感情をすべて溶かすような。

 美しい響きだった。


「お姉、さま……?」


 アンジェリナの頬に、涙が伝う。

 それは、今までため込んできたすべての感情。

 そしてそれこそ、本当の彼女の心だった。そう、彼女はただ――。


「ごめん、なさい……!」


 ――姉と一緒に、また仲良く暮らしたかった。

 いつのまにか歪んでいた。いつの間にか見えなくなっていた。

 そんな感情に、思いに、いまになってようやくアンジェリナは気付いた。



 そう、戻ればいい。

 もう戻ろう。一緒に帰ろう。

 私たちの、本来いるべき場所へ……。



「そこまでだな、アンジェリナ」

「…………っ!?」


 そう、思った時だった。

 背後から、あの薄気味悪い男の声が聞こえたのは。


「い、いつの間に……!?」

「ずっと、さ。本当に二人きりにさせてもらえると思ったのか?」


 アンジェリナは呼吸を忘れる。

 そんな彼女に向かって、黒の始祖はこう言った。


「さて、そろそろ頃合いか。では役立ってもらうぞ、アンジェリナ」

「え……? うそ、手が勝手に……!?」


 その直後である。

 アンジェリナの身体に異変が起こったのは。

 ゆっくりとだが確実に、そして思いに反して彼女の手はクリスティナ――彼女の細い首に向かって伸びていった。まるでこれから、それを手折るかのように。


「なに……!? アンタ、私に何をしたの!?」

「言っただろう? 役に立ってもらう。お前には、深き絶望を味わってもらう」

「いや、やめて! こんなの、望んでいない! 私は……お姉さまを殺したくは!!」


 アンジェリナの叫びとは裏腹に。

 とうとう、その手は姉の喉元へと到達した。

 そして徐々に力が込められ、いよいよ骨が軋みを上げようと――。


「きゃ!?」

「――っ!? いったい何者だ! 私の魔法を解いたのは!?」


 その時だった。

 短いアンジェリナの悲鳴と同時。

 クリスティナの身体が地に落ち、男が忌々しげにそう言った。


 

「そこまでだ――さぁ、王女を解放してもらおうか」



 そして、その直後。

 そんな声が、倉庫の中に響き渡った……。


 

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