3.陰に生きる賢者として








 ――男は走っていた。

 仲間たちはすでに奴に倒された。

 息を切らせて、心臓が酸素を求めて悲鳴を上げても、それでも生き残るために走っていた。今回の任務は大したものではなく、首尾よく終わるはずだったのに、どうしてこうなったのかと――そう、思いながら……。


「はっ……はぁっ……!?」


 男を追ってきているのは、どう考えても化物だった。

 そう考えないと説明がつかない。ヴィクトル王都学園を優秀な成績で卒業し、一流の剣士と呼ばれてきた自分が、まるで歯が立たなかったのだから。


 それだけではない。いま男を追ってきている者は、他に何人もいた彼の仲間を容易く屠ってみせた。いずれも彼が所属している組織の中でも手練れとされている、一線級の戦闘力を持った者たちだ。それだというのに、赤きローブをまとった正体不明のそいつは、息をするように次々と……。


「ひぃ……!」

「あぁ、やっと見つけた。お前が最後の一人だな?」


 その時だった。

 男にとっての終わりが訪れる。

 夜の街中――その路地裏の角を曲がった先に、そいつはいた。全身を赤で包み込み、フードを目深に被っているために顔は分からない。手に持つのは特別な力が秘められているとも思えない、極めて一般的な一本の短剣だ。


 齢は十代半ば、であろうか。

 まだまだ小柄な、年若いと感じられる背丈であるが、しかし男の目には大きく映った。放つ威圧感、迫力、そのすべてが男の力量を上回る。


 だから、男はそう表現したのだ。

 こいつは――化物だ、と。


「それにしても、どうして強盗行為なんてしたのか。そんなことをしなくても、お前には十二分に価値ある才が眠っているというのに」


 赤き少年は、唐突にそう言った。

 その声にはどこか残念そうな、男を憐れむような響きが込められている。


「う、うるせぇ!? てめぇに、俺の何が分かるってんだ!!」

「…………………………」


 それを侮辱と受け取ったらしい。

 男は思わず声を荒らげて、敵わない相手に剣を向けた。

 しかし少年は答えず、短剣を構えもしない。ただその場に立って、男を観察しているようであった。そうして、しばしの沈黙が続いた後に――。


「う、うわああああああああああああああああああああああああっ!?」


 ――男が、とうとう堪え切れずに剣を振り上げて走った。

 そして、赤き人物へと向かって振り下ろす。だが、まるで手応えはなかった。

 空を切り、気付けば男の視界は歪んでいる。腹部に鈍痛が走り、世界が空転していた。それはすれ違いざまの、少年による一撃で。


 男の意識は、そこでプツリと途切れるのだった……。



◆◇◆



 僕は意識を失った男を見て、ふっと息をつく。

 手加減して戦うのもなかなかに大変だ。一歩間違えば命を奪ってしまいかねない。そうなっては、いくら何でもやり過ぎだった。

 今回の男たちは、単純な強盗犯。

 それ以外に余罪はあるかもしれないが、こちらの仕事はここまでだった。


「さて、それでは僕もこの辺りで退散を……ん?」


 彼らが奪った品々も、すでに回収して分かり易い場所にまとめてある。

 だから通行人がやってくる前に、レッドとしてはお役御免と、その場を立ち去ろうとした。――が、その際に。視界の端に、気になるものが引っ掛かった。


「これは――教団のエンブレム? いや、少し違うな」


 それは、今ほど倒した男の肩に付けられたエンブレム。

 ヴィクトル教団のものによく似たそれは、しかし若干の違和感があった。数秒考えて気付く。なるほど、反転しているのだ。

 正式な教団のそれは、剣と杖を交差させたもの。

 だが男の付けているこれは、それが上下左右入れ替わった形をしていた。


「もしかして、教団と関係のある組織が悪さをしているのか?」


 僕はそう推理して、呟く。

 まだ憶測にすぎないが、これは憶えておく必要があるかもしれない。

 人知れず人々の生活を守る賢者として、そのような存在は無視できなかった。情報を集めて、なにか対応を取るとしよう。


「あぁ、そろそろ人がくるな……」


 と、その時だ。

 こちらに人がやってくる気配を感じた。

 僕は自身の痕跡を残さないよう、細心の注意を払いながらその場を立ち去る。僕の存在、僕の正体は誰にも知られてはいけないのだから。



◆◇◆



 リードが立ち去った後、そこに数名の兵士が現れる。

 彼らは倒れる男を見てすぐに駆け寄り、息があることを確かめた。それと並行して手を拘束し、遅れてやってきた一人の女性に報告する。


「レイアース隊長! 間違いありません。この者も反ヴィクトル教団の者です!」

「そうか、分かった」


 レイアースと呼ばれた女性は、それを聞いて短く答えて顎に手を当てた。

 黒き髪に金の瞳をした騎士である彼女は、こう考えを漏らす。


「やはり最近、反ヴィクトル教団の動きが活発になってきている、か。早急に対策を打つ必要がある――だが、それにしても……」


 レイアースはおもむろに、倒れる男に近づきこう言った。


「誰だ? 誰が、この者たちを……?」


 それは、当然の疑問。

 反ヴィクトル教団に所属する者たちはいずれも、腕が確かな者たちだった。今夜もまた周到に騎士団の警備を出し抜いて、重要な文献を盗み出したのだ。

 だが、そんな者たちがいずれも無抵抗に倒れ伏している。

 目立った外傷はない。それこそ、一撃でその意識を刈り取られたかのように。


「まさか、な。正義の味方など、子供染みたマネではあるまい」


 ふと浮かんだ自身の考えに、レイアースは自嘲気味に笑った。

 しかしすぐに表情を引き締め、最後にこう呟く。



「敵か味方か、はたまたどちらでもない、か。注意が必要だな」――と。


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