03. 光

 男と出会ったのは、伊万里が競技に対しての熱を失って数年が経った頃だ。

 伊万里の今までの人生からすると、男の小説家という職業は、ほとんど関わることのない存在だった。故に薄っすらと、希望のような、救いの様な、そんな何かを男に感じていた。


 男が小説家であることを知ったのは、確か5回目の夜を迎えた頃だろうか。当時の男の行動からは、小説を書いている様な素ぶりは全く感じられなかった。何せ毎晩飲み歩き、毎晩違う女を抱き、堕落の限りを尽くす姿は、伊万里の小説家像を大きく覆すものだったからだ。

 伊万里が男の小説を開いたのは、その5回目の夜明けだった。ちょうど日が登り始めた午前6時。伊万里は、男と過ごす夜は決まってこの時間に目が覚める。いつもと違ったのは、男の小説が手元にあったことだ。


 ベッドの横に腰掛け、伊万里はページをめくっていった。男が伊万里に手渡した小説は、2作目だった。爆発的な人気と世間の話題をさらった処女作ではなかった。男のことも、小説のことも疎かった伊万里は、何も不思議に感じることなく、2作目の小説を読み始めた。




 小説の出だしはこうだ。


『光。そう、僕はこの世に生きる希望の光を見つけたんだ...。』


 今の伊万里には、少しばかり胸焼けのする一文だった。伊万里には、漠然とした空虚と喪失、自分への失望、他人への不信感など、ありとあらゆる負のイメージが取り巻いていたからだ。


 続きを読むことを少し躊躇ためらいながらも、わずかな期待を胸に、伊万里は読み進めることにした。




 その後も、途中吐き気を催す感覚を覚えながら読み進めると、この小説に登場する人間たちは、皆、素直であり、実直であり、夢や希望に満ち溢れていた。

 半ば人生を諦めた様な、自堕落な生活を送る男が、なぜこのような綺麗な物語を書くのか、伊万里は不思議に思った。

 この、男の生活と、男が創り出す物の落差に、伊万里は疑問を持つと同時に、かすかに不思議な魅力を感じるようになっていった。




 数日をかけて2作目の小説を読み終えた伊万里は、男に処女作を見せて欲しいと懇願したが、男は頑なに拒んだ。


 伊万里は、一番のヒット作である処女作を読ませない男を不思議に思ったが、処女作のことに触れると男の様子が一転してしまうので、これ以降、処女作に触れることはしなかった。




 しかし、処女作が気になって仕方がなかった。

 伊万里は、もっと男のことが知れるのではないかと思った。

 今までは、空虚を埋める為だけに夜を共にする相手でしかなかった男に対して、2作目の小説を読んだその日から、少しずつ男の奥深くを知りたいという欲求を抱くようになっていった。

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朝焼カーテンレール 杜未來 @ringoknhr

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