02. 癌
伊万里が競技を始めたのは四歳の頃だった。地元のスポーツクラブで、習い事の一つとして始めたものだった。
すぐに伊万里の才能は周囲を圧倒した。恵まれた体線の美しさと体のしなやかさは群を抜いていた。十一歳を迎える頃には、県内トップの成績を収め、周囲の期待も指数関数的に増していった。
スポーツを題材とするドキュメンタリーでは、しばしば師弟関係というものが美しく描かれることがある。強い信頼で結ばれ、二人三脚で大きな目標に向かって歩む姿は、わかりやすく感動を誘う。
絶対的な信頼を置き、忠実に師の教えを守って着実に結果を残していく弟子と、厳しい指導を振るうことに葛藤を覚えながらも、心を鬼にして愛の鞭を繰り出す師匠。古来から使い古されたこの構図は、今でも幅を利かせている。しかし、師弟関係というこの関係性は、徐々に綻びが生じている。
この綻びは非常に見えにくい。見えにくいが故に、静かに進行を続ける癌細胞のように、着実にスポーツ界を侵食している。伊万里は、まさにこの綻びの被害者だった。厄介なのは、被害者自身も被害者だと認識し難いことだ。
教え子は、指導者の技能や知識の入れ物である。
技能、知識、思想、価値観など色々なものを指導者から教え込まれる。次第に入れ物は指導者のエゴで満たされる。教え子は指導者を信じてやまない。教えられるがままに、指導者を受け入れる。
そして指導者は、教え子にとっての絶対的な神となる。
指導者で満たされた教え子は、教えに従うことが絶対的な正となり、競技こそが生きる場所と規定される。そこに疑いの余地は無い。其れは其れで生きやすい世界かもしれない。生きる世界が規定された人生。正解が明確な人生。指導者こそが正解であり、従うことで道を外れる心配は無い。
しかし、いつか教え子たちは気づく。これが洗脳であると。教えられた正解は正解ではないし、生きる場所は他にもあるのだと。
伊万里の競技成績が下降し始めたのは、長らく教えを請った指導者の元を離れた大学入学の頃だった。
伊万里は気づいた。自分の中に満ちていたものが、癌であると。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます