最終話

「本能的な欲求で作れそうな欲求を選び、そして実行する」


そう前もって決めていて、鉛筆でメモに書いた言葉は


『死にたいという欲求』 だった。


「死にたいという欲求」は本能的であるのだろうか。


いや、本能は死にたくないはずだ。


でも、死にたいと言う欲求はどうして出てくるのだろう。発作的に命を自ら絶ってしまう人、老齢で死を待ち望む人、頭の中で電子音が鳴っていたのではないだろうか。鳴ったからこそ死にたいと思ったのか、死にたいと思ったから鳴り始めたのか、どちらも考えられるからこそ、武田はこの死への電子音だけは確かめたいと考えていた。


メモを睨みながら、死を願うようにした。薬の影響か、頭がズキンッズキンッと脈打ってひどく痛い。


試しに息を止めてみた。


頭の中でこもっている音の全部の音量が上がっていく。リズムと言うよりコンサートホールのざわめき、もしくは、滝つぼ近くの音に似ている。



『ブチッ』


と頭の中で回線が切れたような音が聞こえた。


薬とお酒により血流が激しくなったからか、クモ膜下出血を引き起こしていたのである。


その瞬間、一旦全ての電子音が聞こえなくなった。


「よし、DNAをだまらせたぞ」


武田は薄れゆく意識の中でも分析を続けていった。


そこで、今までに聞いたことのない単調な電子音が聞こえてきた。


プッシュ回線で表せば「0,1,0,1、0,1……」となるのであろうと推測できた。


「これが死にたいという欲求の電子音なのか……。こんな単純な電子音じゃ解読しようがないな」


武田の脳は出血によりどんどん圧迫されていった。同時に、脳内ホルモンのドーパミン、β-エンドルフィンがドクドクと分泌されていった。武田は脳内麻薬で恍惚さを味わいながら、確実に死に近づいていく。


「あれ、鼻血だ……。 俺は本当に死ぬのだろうか。いや、ちょっと待ってくれ。まだ死にたくないんだ……」


机の上に、赤黒い鼻血が広がっていく。


「死にたい」と武田の意思をDNAは受け入れたと言うのだろうか。


「0,1,0,1,0,1,0,1,0,1……」 


死にたいという欲求はもうないはずなのに音は止むどころか、どんどん音量が上がっていく。


「死にたいという欲求が叶えられそうになっているわけであるから、欲求に満足したら音量は下がっていくはずだ。それなのに上がっていくということは、この電子音は『死にたくないという欲求』の音調に違いない」と解析を続けながらも、武田は血溜まりの机にうつ伏せてしまい、浅い息を繰り返していた。


「はぁ、はぁ……。この電子音が流れたから俺は死にたくないと思ったのだろうか?


死にたくない……。この電子音に従っていれば死なないで済むのだろうか?


助けてくれ……。雅美」


雅美の顔を思い浮かべた途端、電子音が一瞬収まったような気がした。意識がなくなりそうになっていっているだけなのか。


武田は雅美がまだ見ぬ自分の子供を抱いている姿を思い浮かべた。だんだん電子音が弱まっている。


「雅美、俺はもうダメだ。すまん、本当にすまない……」


涙が机の血に混じっていく。


雅美との理想の家族像が頭からなくなり、自分の死に様を想像した途端、ものすごい音量とリズムで


「0,1,0,1,0,1,0,1,0,1……」と鳴り始めた。


「電子音が俺を殺そうとしているのか。自分達がもう苦しみたくないから……。 いや違う!この音調はもしかして……」


「『子孫を残すことができなかった』というDNAの断末魔の叫びだったんだな」


と、ようやく解読できたときには、電子音を意識し解読できるたった一つの生物はこの世からすべての音を消していったのであった。


おわり

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

電子音 ボルさん @borusun

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ