43  誕生日デート

 七月三日。駅前で待ち合わせ、今日は浅葉も電車でやってきた。一足早く千尋のバースデーを祝う日。


 千尋は例によって行き先を知らないまま、浅葉に連れられて混み合った歩道を歩く。


 駅からほんの五分ほど歩いた賑やかなエリアで浅葉に促され、引き戸が開いたままになった入口の暖簾のれんをくぐると、まず目に飛び込んできたのは赤ちょうちん。ビルのワンフロアをぶち抜いたようなエリアに、大小のあらゆる屋台風の店が所狭ところせましと並んでいた。その熱気に食欲をそそられる。


「わあ……」


「お前が言う『渋い』はこれかなと思って」


「うん。すごーい」


 焼き鳥におでん、ラーメン、海鮮、有機野菜の一品料理まで種類も豊富だ。


 端から順番に見て回り、千尋が選んだのは台湾風小皿料理。座面の縁が破れた丸椅子に座り、コンクリートの地面をガリガリと引っ掻いてカウンターに引き寄せる。こうして浅葉と並んで座ると、向かい合うのとはまた別のドキドキ感があった。


 千尋はコーリャン酒というものを初めて飲んだが、これは気合いの入った酒だ。こってりした料理にはちょうどいい。ストレートで飲みながら、水を別にもらった。浅葉は水割りにしてレモンを搾っている。


 料理は薬膳スープに炒め物の肉料理各種、イカにエビ、ギョーザ、チャーハン、ビーフンと、どれも少しずつ出してくれるのがありがたい。まあいざとなれば浅葉がいるのだから、料理を残してしまう心配はないのだが……。


 千尋はコーリャン酒のお代わりをもらってすっかりいい気分だった。時折浅葉を突っついてみたり、肩にもたれたり、膝に手を置いたりして甘える。あのおしゃれなフレンチと浅葉の見事なエスコートにはすっかり魅了されたが、気楽に飲み食いしながら適当にいちゃいちゃできるこういう環境も必要だ。




 大満足で店を後にし、まだまだ眠る気配のない夜の街を歩く。お腹がこなれ、程良く酔いがめてきた頃、浅葉がその問いを口にした。


「お前、今日は?」


「ん?」


「ご体調は?」


 この「事前のお伺い」に、千尋はふふっと微笑む。二人はちょうど先ほど、いかにもといった雰囲気のネオンがひしめくエリアに足を踏み入れていた。


「いいですよ」


 腰骨に浅葉の手が回った。


「……ご気分は?」


「うん。いいですね」


「じゃあ、ホテルとか行っちゃう?」


「うん、行っちゃう」


 二人してククッと笑う。


 浅葉が頬に唇を寄せてきた瞬間、千尋の視界の端に、ちょうど差し掛かった十字路の右手から歩いてくる人影が映った。見覚えのあるその髭面ひげづらは、見るからに派手な女を二人従えた長尾だった。


「あれ?」


 声を上げた千尋の視線をさえぎるように、


「あ、ここ、いいんじゃないかな」


と手近なホテルを指す浅葉。脇に抱えられるようにして入口へと連れ込まれながら、


「あれって……」


と言いかけて、千尋は慌てて手で口を押さえた。見かけても無視する約束だ。それでも千尋はつい振り返ってしまう。三者連れ立って、ホテルの一つへと消えていくところだった。


 見てはいけないものを見てしまったのだろうか。いや、長尾の性格上、この程度のことをいちいち隠すとは思えない。第一、独身なのだし、決まった相手もいないと言っていた。誰とホテルに行こうと、何人で行こうと、自由ではないか。


 エレベーターの中で、


「ねえ」


と、探るように浅葉の方を見上げると、返ってきたのは静かな、長いキスだった。なぜだかわからないが、浅葉はこの話題を避けたがっている。


(まあ、それならそれでいいか)


 浅葉とのラブホテル体験など、めったにあるものではない。こっちを楽しまなくちゃ、と千尋は頭を切り替えた。




 その大きなベッドは、左側と足側の二辺を大きな鏡に囲われていた。それ以外はいたってシンプルな作りの部屋で、千尋好みだ。妙に色のついたライトだの、特殊な空間だの、テーマパークさながらの仰々ぎょうぎょうしい演出にはどうもえてしまう。


 千尋がトイレを済ませ、手持ちのウェットティッシュで肝心なところを清めて出てくると、浅葉は洗面所でオペ前の外科医のごとく、熱心に手を洗っていた。その「出陣準備」っぷりに、千尋のテンションもつい高まる。


 浅葉は手を拭いたバスタオルをベッドの上にぽんと投げた。千尋はそれを見て今さらながらはにかむ。浅葉と事に及べば自分の体がどうなってしまうかは十分学習済みだ。


 浅葉は後ろから千尋を抱き締めた。ベッドの向こうの鏡がそれを映し出す。


「なんか……見られてるみたいでドキドキするね」


 浅葉が鏡の中から千尋を見つめ、


「ほんとだ。エッチだなあ」


などと煽るものだから、余計にエッチな気分になってくる。


 浅葉はゆったりとしたチュニックの上からたっぷりと千尋の体に触れ、額、頬、唇へと軽くキスした。


 千尋が改めて唇を求めようとすると、浅葉の舌がにゅっと伸びてきて千尋の唇を端から濡らしていく。もてあそばれるようなその感覚にすっかり高揚させられ、千尋は浅葉の腰をつかんで唇を舐め返した。


 浅葉はそれを切り返すかに見えたが、結局敗北を認めて唇を押し付けてきた。千尋は舌を絡めながらじりじりと押されて後ずさり、ベッドに乗り上げる。


 浅葉は千尋の体を両手でじっくりとでながら、例によってその肌を露出させる過程を長々と楽しんだ。

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