44  淫ら

 ようやく素肌が触れ合うと、不意に浅葉が千尋の後ろに回った。正面の鏡の中で、美しい裸の男が背後から千尋の腹を抱いていた。鏡の中で視線を合わせたまま、左手を千尋の右胸に伸ばすと、乳首の根をそっとつまんだ。千尋は、触れられている感覚以上に視覚に気を取られていた。


 浅葉は折り重なった千尋の膝の下に両手を入れ、左右にぐいと引いた。鏡に向かって大きく足が開く。千尋はその奇妙な光景に見入った。


 浅葉には何度も見られているともちろんわかっているが、自らの当たりにすることはそうそうない。わずかな羞恥心と違和感の一方で、独特の興奮を覚えた。


 浅葉の右手が繊細なひだを縦になぞると、そこはすぐに潤った。親指に開かれて薄紅が覗き、中指が千尋の中に消える。何度か往復した後、そこに隣の指が加えられた。千尋は、荒くなりそうな呼吸を抑え、自分の体が愛される音に耳を澄ました。


 浅葉の唇が、右の耳からうなじへと下る。肩に歯が立った瞬間、乳房に添えられた手の血管がそれに応じるように波打った。


 食い入るように見つめていると、鏡の中の自分にやきもちを焼いたらしい浅葉が、千尋の前に回って視界をさえぎった。


「そろそろ集中してもらおうかな」


 千尋を押し倒し、熱心に首筋をしゃぶり始める。


 時間があるのをいいことに、今日の浅葉は一段と入念に奉仕した。ふと、浅葉が遠くなった。いや、これでもかというほど千尋に触れてはいるのだが、随分下の方にいる。と思った瞬間、太腿の付け根がべロンと舐め上げられた。千尋の喉が瞬時に縮み、かすれた音を立てた。


 その足の内側から伸びてきた手が千尋の腰骨を捉え、膝が横に倒された。熱い舌がV字の際をなぞり、下腹を渡って反対側の太腿を下る。外堀から徐々に迫ってきた温かい息が、ついに最もデリケートな部分にかかり、千尋はみぞおちを震わせた。


 谷の奥に分け入ってくる舌と、腰骨をがっちりとつかむ手、そして、そんなところに浅葉の頭が密着している光景とが三つどもえに入り乱れ、千尋は図らずも欲情を燃やしてしまう。


 惑わすようにうねり、触れたかと思えばすぐに逸れてしまう舌と唇に振り回され、たまらず思い切り喉を絞る。もはや恥ずかしいなどという感情は失っていた。

 

 浅葉は千尋の手を緩く握った。舌は核に留まり、押しては引き、わずかずつ位置を変えながら微調整に入っていた。ある一点で全身が反応し、千尋が咄嗟に手に力を込めると、浅葉の手はそれを優しく握り返し、舌の方はそこに集中した。


 今にも行き着いてしまいそうな感覚に、千尋は腹の底からえた。その道のりは想像以上に遠かったが、見事なまでに諦めを知らない浅葉には、やめないでと頼む必要もなかった。


 長らく漂流した後、体とは別のところで千尋の脳が陸地の片鱗へんりんを捉えていた。すがる思いでたぐり寄せる。


 ようやく手が届くと確信した瞬間、握った手に思わず爪を立てていた。浅葉は黙ってそれに耐え、あくまでペースを維持した。


 千尋の予想に反し、そのとてつもないエネルギーはまず内に向かった。押さえ付けられるような序章を経て、やにわに解放される。浅葉の手を握り締めたまま、全身が激しく揺さぶられた。この世にはまだ見たことのない景色があったのだと知った。


 千尋がようやく上陸に至ると、浅葉は全体をゆっくりと平たく舐めて締めくくった。千尋はその余韻にしばらく声を上げ続けた。


 天に昇った女の表情を味わっていた浅葉は、千尋がうーんと伸びをして寝返りを打つと、


「ねえ、何これ。いってー」


 親指の付け根に付いた爪の跡を見せる。皮が剥け、薄く血がにじんでいた。


「えっ? それ、私?」


「私に決まってんだろ。そのうち血管切られんじゃねえか、俺」


「ごめんね。あんまり気持ち良くって、つい」


と照れる千尋に、浅葉の頬がますます緩む。


「お陰様ですっげーかわいかったけど」


 千尋はそれが褒め言葉であり愛情表現だと知りながらつい赤面した。

 

 浅葉は鞄から取り出したペットボトルの水をぐいとあおり、千尋に差し出す。千尋は何だか身を起こすのも今は億劫おっくうで、首を横に振る。


 浅葉は再びボトルを傾けて水を口に含むと、腰をねじって唇を重ね、その隙間から千尋に与えた。


「ん……おいしい。もっと」


 浅葉は千尋のおねだりに気を良くし、嬉々ききとして何度でもそれに応えた。




 そのうちふと、千尋の頬を手の甲で擦りながら覗き込んできた。どこまで回復したかをはかろうとしている顔だ。


 浅葉は千尋に時間を許しながらも間近に寄り添ってその身を包み込み、冷める隙を与えなかった。千尋の髪を撫でていた手が首筋を這って鎖骨を覆うと、この上なく官能的なキスがそれに続いた。


 千尋が吸い寄せられるように浅葉の分身にそっと手を触れると、ぴくんと反応が返った。浅葉は、深く吸い込んだ息を千尋の耳元で吐き出しながら、太腿をゆっくりと手でしごき、瞬く間にその気を起こさせた。


 千尋は、自分の肉体的な限界を考えれば、ここから先は浅葉のための時間だとばかり思っていたが、内側は意外にもまだ手付かずの感度を保っていた。


 浅葉はいささか荒々しく突き上げながらも外を刺激せぬよう気を配り、きっちりとツボを押さえて千尋を再び登頂させた。しかも巧みにタイミングを合わせ、時同じくして自らもそつなく全うしていた。


 浅葉は夜通しでも求め続けてきそうな勢いだったが、千尋の「満腹感」を見て取り、ここらで手を打つことにしたようだ。千尋の隣にごろりと横になって伸びをする。


 千尋はそのまま眠りにつきかけたが、ふと思い出して言った。


「そういえば……」


「ん?」


「長尾さんは、気付いたのかな? 私たちのこと」


「ああ、あっちが先に気付いた」


「そっか。大丈夫?」


「まあ、いずれはわかることだし、誰かが知っててくれた方が何かと都合がいいこともあるからな。長尾でよかった。あいつは数少ない融通が利く人間だ」


「そう?」


 護衛の仕事はとっくに終わっているのだし、何も悪いことをしているわけではない。だが、仲良くホテル街を歩く意外な男女の組み合わせを長尾はどう受け取っただろうか。


 そこへ先ほどの光景を思い出し、ちょっとからかってやりたい気持ちが生まれた。


「まあ、長尾さんこそ、二人も連れ込んじゃって。なかなかイジりがいありますね」


 しかし浅葉の顔は笑っていなかった。少し伸びた顎の髭をしばらく撫で、やがて迷いを断ち切るように言った。


「あいつのは、仕事だ」


「えっ?」


 仕事で、一体どうして化粧の濃いミニスカートの女性を二人も連れてホテルに入り、今頃何が起きているというのだろう。


 以前浅葉が口にした、内偵ないてい捜査という言葉を思い出す。知らないふりをしてくれというのは、仮の姿でまさに捜査中の可能性があるからということか……。


 それっきり黙り込んでしまった千尋をそのまま放っておくような浅葉ではない。くるんと寝返りを打って向き直り、まっすぐに千尋の目を見つめた。


「大丈夫。あいつはそう簡単に取って食われやしないよ。このことはもう忘れろ」


 千尋はふうっと息をついた。その拍子にかしいだ頬を浅葉の掌がそっと受け止める。


「心配か? 俺もああいうことしてんじゃないかって」


 千尋はそんなことを問いただすつもりなど毛頭なかった。心配という感情とは違っていた。もし仕事でそういうことをしているとすれば、それは千尋ごときがどうこうできる問題ではない。だから考えたくなかった。黙って首を横に振った。


「何もセックスまでするわけじゃないよ。いろいろと規定もあるし、基本的には情報が欲しいだけだからさ」


 じゃあ、その手前まではするのね、とは聞けなかった。頭の中では、先ほど見た長尾の顔が浅葉の顔にすり替わっていた。


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