42 ガールズトーク
六月十日。浅葉の携帯から電話があった。
「よう、寝ぼすけ」
「それを言うなら、眠れる森の美女、でしょ?」
「お目覚めですか、お姫様?」
「あの日はちゃんと起きて、授業も出ました。目覚ましありがとね。タイミングばっちり」
「そりゃよかった。俺の
実際はもちろん、千尋の支度にかかる時間と、大学までの移動時間を計算した結果に決まっている。
「王子様は久々にご帰還ですか」
「それがさ、ちょっと必要なものがあって寄っただけ。今また出るとこ」
「そうだ、鍵……よく入れましたね」
「ま、自分ちなら二秒ってとこかな」
「何それ。捕まりますよ、そんなことしてると」
「そりゃ、よそんちでやったら捕まるけどな。ところでさ、お前、誕生日はどうすんの?」
千尋の誕生日は七月七日。もちろん浅葉がそれを知らないはずはないし、知っていながら忘れるはずもない。
「どうすんのって……そりゃあ、できれば彼氏と過ごしたいなと思ってますけど」
「うーん、彼氏は……なんと、三日だったら夕方六時から翌朝まで
「三日って、金曜日か。それは素晴らしく優秀ですね」
「で、どんなバースデープランをご
千尋はしばし考えた。
「なんか、渋いとこ行こっか」
「渋い? 縁側でカポーンみたいな?」
「何それ、じーさんみたいの、やめてよ。そうじゃなくて、こないだがとってもお洒落だったから、打って変わって全然違う方向性がいいかなと思って。敢えて気取らない感じで、でも汚くはなくて、やかましくもないけど程良く賑わってて、しっかりつまみながら結構しっかり飲んじゃう感じ」
浅葉が
「何だって? 全部おぼえられたか心配だな」
「要するに、テキトーでいいってこと」
「オッケー。じゃテキトーに考えとくよ」
「ねえ、そういえば、浅葉さんのバースデー……は?」
浅葉といるとついその場を楽しむことに夢中になってしまうし、浅葉の方は千尋のことなど何でも知っているせいもあり、ごく普通の情報収集が千尋側からは全くと言っていいほどできていなかった。
「六月二日」
「なんだ、過ぎたばっかりじゃない。どうして言ってくれないの?」
「ちゃんと祝ってもらったよ、先週」
誰に? と聞き返そうとして、はっと気付く。先日のフレンチデートは六月四日だった。
「あ、あれって……」
「自分の誕生日なんて気にしたことなかったけど、お前がいると思ったら何かちょっと特別なことしてみたくなってさ。当日は休み取れなかったけど、近い日付で」
「私……ごめんなさい、あの日、ぐっすり寝ちゃって」
「いや、いいんだ。幸せだった。お前の寝顔がたっぷり見れて」
「でも、もともとはそのつもり……だったんじゃない?」
「え? あ、うちねえ、セックス禁止なんだ。隣に丸聞こえだから」
浅葉はそう言って、ははは、と笑った。千尋もあの晩に隣家から聞こえてきた話し声はおぼえているが、浅葉は千尋の罪悪感を
「じゃあ、彼女呼んでも、いつもお預けってことね」
とからかってみる。浅葉はふと黙り、やがて静かに言った。
「うちには誰も入れたことなかった。お前だけだ」
そんなことを聞かされては、
「ありがとう。本当に……素敵な夜を」
「よかった、楽しんでもらえて」
「それから……お誕生日、おめでとう」
「ありがと。お前のも楽しみにしてる」
千尋は、誕生日
六月二十二日。夕方五時から飲み始めた六人組は、顔色こそさまざまだが一様に
サークルの同期での女子会となれば、話題には事欠かない。二軒目に突入してからは、最近バイト先で「いい感じ」の人ができたという
「自分でもえー? って思ったけどさ、草食系も意外と悪くないんだ、これが」
「そのガゼル君はさ、ぐいぐい引っ張る代わりに何をしてくれるわけ?」
鋭いツッコミが飛ぶ。ぐいぐい引っ張ってくれる人、は孝子が口癖のように公言してきた理想のタイプだった。
「んー、何だろ。基本
「あ、それ重要」
「やっぱそこだよね。かゆいところに手が届く男」
「ま、なかなかいないけどね」
一同
「千尋も結構『俺様系』タイプじゃなかった?」
「もともとはね。でも、さすがに学んだかな」
確かに千尋はいわゆる草食系には興味がなく、
といっても、そういう男が必ずしもうまくリードしてくれるかというと、それはあくまで理想であって、大抵は千尋の気持ちにろくに気付きもせず自分の希望を通そうとするのが現実だった。
「今の彼は?」
と一人が尋ねた。そうくると思った。千尋は、ここぞとばかりに自慢したくなる気持ちを何とか抑えた。
「うん、お陰様で」
無難にかわしたつもりだったが、その照れた表情を彼女たちが見逃すはずもない。
「ちょっとちょっと、やたらイケメンだってのは聞いたけど」
「その上、何、かゆいとこにまで手が届いちゃうの?」
「彼、三十一とかだっけ? 包容力ありそう」
「まあ……そうね」
千尋はあくまで控え目に肯定する。
「ちょっとぉ、千尋までガゼルデビュー? みんな流行に乗りすぎだって」
職場の規則を無視して電話番号を渡し、初デートに温泉を選ぶような男が果たしてガゼルに分類されるだろうか。千尋はそのイメージのギャップに、遠慮なく笑った。
「いや、どっちかというと肉食な気がするけど」
「ぐいぐい?」
「うん。積極的に誘ってくれるし、引っ張る力はあって、男らしくて……でも優しいし、私のことすっごくよくわかってくれてて……」
「そんな人いんの? どこの次元に?」
と孝子が目を丸くする。
「なんかそれってさ、かなり慣れてるってことじゃない?」
一人が率直に見解を述べると、一瞬空気が凍った。しかし千尋は特に気を悪くはしなかった。
「まあ年も年だし、モテそうだから、経験は豊富かもね。でも過去は過去。私だって別に初めての人ってわけじゃないし。お互い様」
それは千尋の本心だった。
「すごいね千尋、愛されてるぅ」
孝子は純粋に羨ましそうな声を出した。千尋はそれに応じるように、日頃の疑問をつい口にする。
「ま、時々思うけどね。なんでここまでしてくれるんだろうって」
それをのろけと受け取ったのか、女たちは口々に好き勝手を言い出す。
「やたら尽くしてくるのも、ちょっと怖いよ。後ろめたさの裏返しとかじゃなきゃいいけど」
「まさか二股かけられたりしてないだろうね」
確かに、私だって話だけ聞いたらそんな印象を受けるかも、と千尋は思った。でも、そんなことはない。そう言い切れるのだ。あの目を見れば……。
「ちょっと、やめなよ。世の中そんな男ばっかじゃないよ」
と一人がフォローに回った。
「うちのお姉ちゃんの彼氏もさ、できすぎっていうぐらい優しいし、お姉ちゃんのこと超大事にしてるけど……彼、高校時代に付き合ってた人を事故で亡くしてるんだって。それがあるから慢心しないっていうか、つい尽くしちゃうみたいなとこあるんだと思う」
「そっかあ。誰だっていつどうなるかわかんないし……」
「寿命まで添い遂げるにしたって、いつかは別れの時がくるわけだもんね」
「ま、千尋の彼がそのケースだとは限んないけどさ。優しさイコール罪悪感ってわけじゃないから、心配いらないよ」
「大丈夫、心配してない。ほらほら、みんな手止まってるよ。次、頼も」
千尋は笑顔で応え、手を上げて店員を呼んだ。
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