SECTION-15-想いと共に


 気がつくと、目の前に彼がいた。

 周りは何時の間にか炎に包まれていたが、不思議と不安にかられることはなく、触れる温もりに安堵した。

 胸に込み上げてくるものを感じながらも、しっかりとその姿を目にして、血の気が引く。

 右肩から斜めに大きな切り傷。両足もボロボロで。体中に数え切れないほどの傷や火傷を負っており、傷口から未だに血が流れている。

 傷ついた体のはずなのに、自分を庇うようにして、倒れる姿に、涙を零した。


「なんで、こんなこと……」


 レンゲには訳が分からなかった。

 何でこんなに傷ついてまで自分を助けてくれるのだろうと。

 彼がここまでする義理はないはずだ。

 泣きながら見つめると、彼の瞼が少し持ち上がり、喜びも束の間、咽び上がり、口から赤い血を吐き出した。


「あっ!?」


 声を上げる。

 自分でも分かるくらい彼の体は過酷な状態だった。このままでは死んでしまうことなど誰もが想像できてしまう。

 体が震えてしまう。これが周りを徐々に焼き、自分達に近づく炎への恐怖ではないことは分かる。炎が怖いなら今すぐ逃げ出してしまえばいい。

 それをしないのは、きっと、目の前の青年がいるからだろう。

 ふっと、青年の瞳が潤む。レンゲはこんな時ばかりは涙を流すのかと思った矢先だった。


「!」


 信じられないものを目にした。

 頬笑みだった。初めて見る彼の笑顔。泣きかけた顔で、傷ついているのは自分のほうなのに、気遣うような優しい微笑みをグローブはレンゲに向ける。

 動くのも辛いはずなのに、自分の背中に回していた左腕でまだ火の気のない場所を示す。

 こんな時まで彼は誰かの身を按じているのだ。

 そこで、ようやくレンゲは一つ悟る。

 彼が何を考えて行動しているのかなんて分からない。

 分かったのは自分の気持ちだ。

 彼はどこまでも優しいのだ。

 初めて出逢った時も、食事のときも、街での出来事でも、山の道でも、夕暮れの別れのときも、再び助けてくれたときも、いつも自分を気遣ってくれた。

 街の一件では、他の誰かのために戦う姿に目を奪われていた。だから、彼の助けになりたいと想い、隠すべく秘め事を打ち明けた。

 誰かのために戦う姿を敬慕する。自分に向けてくれる優しさが堪らなく嬉しかっ

た。


 ──心地よかった。


 だから、迷惑かけることになると分かっていても、心のどこかでは離れてほしくないと想い、傷つく彼の姿を見て、胸がこんなにも苦しくなるのだ。

 失いたくないと想う。どんなことをしても助けたいと願う。

 いや、願うだけではなく――必ず助けるのだと決意する。


「うん」


 自身を鼓舞するようにレンゲが頷くと、彼は安心したように目を閉じる。

 その閉じられて見えなくなった瞳をもう一度見たいから、なぜ自分を助けてくれたのか、どうしてここまでできるのか、もっと色んなことを他にも知りたいから助けるのだ。

 これは身勝手な思いだろう。

 けれど、それはお互い様だ。

 彼も自身の思いだけで自分を助けたのならば、今度は自分が自分の思いだけで彼を助ける番だ。

 これからすることで、もしかすると彼は自分に畏縮するかもしれない。

だが、それでもいい。

 嫌われたって、それはそれで辛いが、いなくなるほうがずっと悲しいから、彼女の行動に迷いはなかった。

 彼の頬に手を添える。周りの熱さと違って、その体は徐々に冷たくなっていく。

 冷え切っていく体へと自身の温もりを吹きこむように、レンゲは自分の唇を重ねた。


  ‡


 これが走馬灯なのだろうと、グローブは想う。今まで自身に起こった軌跡が瞬く間に巡る。

 顔も覚えてなかったはずの両親と過ごした思い出。

 それが急に失われて、幼馴染と一緒に助けられた出来事。

 全てを失った自分達を温かく迎え入れ、優しく包んでくれた孤児院。

 恩返しのために、《イクシード》の《錬成者》になろうと努力した日々。

 自分と同期であり、何度も任務と重ねる内に友情を育んだツルバキア。

 最初の出会いは悲しいものだったが、いつの間にか共に語り合う様になったプラム。

 人をからかってばかりのアイリス。その被害者のモモヤと交わし合った馬鹿げた平穏。根暗な自分が、騒がしくも心地よい日々を送れたのは彼女達のお陰だ。

 嫌な仕事だと想いながらも、要望どおり調整した主治医のスギ。彼には感謝している。

 そして、憧れたイバラとの最後の時。

 正義の味方になりたいと言った彼が、逆に自分に対して何故錬成者に成ったのだと問いかけられた時、自分はこう答えたのだ。


「俺は誰かを救いたかった」

「ほうほう、つまりは俺様に憧れて、俺と同じ正義に味方になりたかったわけだ」

「違う」

「は? 違うの?」

「別に世の中の悪を無くしたいわけじゃない。

 正義の味方になりたいわけじゃない。

 どうしたって、人の思いの数だけ考え方があって、すれ違いがあれば戦争は捲き起る。

 それを解決手段はもしかしたらあるのかもしれないのだろうが、そんなことを考える前に、俺は目の前の誰かを救いたかった」

 

 泣かないでいい人間が泣かないために、泣いた人間の涙を晴らすために。

 自分が憧れたのは、それができたイバラの姿。

 だから、自分は《錬成者》になって力を手に入れた。多くの任務をこなし、金を欲したのも、自分を育ててくれた孤児院の恩返しの他にも、傷ついた誰かが癒せる場所を守れるようにと願ったからだ。

 ああ、そうだ。正義ではなく―――泣いている人間の味方になりたかったのだ。

 だから合理的ではない判断を犯す。犠牲は零にすると途方もない願いを叶えようとする。

 謂れもない理由で哀しむ誰かを見るのは嫌だから。その我儘を押し通すために、自分は力を求めたのだ。


「そうか――」


 先程とは違う声色、だか、とても穏やかな声でイバラが呟く。


「なら、最後までそうなるために、お前は全力で生きろよ」


 そのまま、イバラは眠る様に生涯を終えた。

 彼がいなくなった後も、自分は自分の想うまま戦い続ける。身を擦り減らすことも厭わず剣を握りしめた。傷つきながらも、何度も立ち上がり駆け抜けた。

 そして、最後に浮かんだのは、自分が助けた少女の笑顔。


  ‡


「グローブ……」


 最初に耳を疑った。

 次に自分を見つめる少女が幻影でないことに気づく。


「レンゲ?」


 呼びかけると忽ち彼女は瞳から涙を溢れさせてから、グローブに抱きついた。


「グローブッ! グローブッ! グローブッ!」


 何度も自分を呼びかける彼女を宥めるために頭を撫でる。

 そういえば名前を呼んでもらうのはこれで初めてだなと思いながら、そこで自分の体が正常に機能していることにグローブはようやく気づく。

 ボロボロになった服はそのままだが、服の間から覗かせる肌は傷一つなく、動けなかった右腕でレンゲの頭を撫でていた。


「俺は、死んだはずでは?」


 自分は確かに果てたはずだ。

 だが、今の体はまるで問題が全く感じられないように軽い。

 グローブが疑問で困惑していると、抱きついていたレンゲが頭だけを放し、申し訳なさそうな顔で見つめてくる。


「私が《恩恵種》の力で治したんだよ」

「なッ!」


 信じられないように顔を強張らせるグローブを目の前に、レンゲは補足するように語る。


「正確にはグローブの体の再生機能に力を与えて、自己再生してもらったかな。仮に時間が経っていれば力を与えても間に合わない。本当に手遅れにならなくて、良かった……」


 涙ぐむレンゲを前に、グローブは未だ信じられないように呆然する。


「それでも、蘇生をしたということは事実なのか……」


 無限の資源を与える、と他の人間たちは言っていたが、《恩恵種》の力とは彼らが予想している以上に万能なものらしい。

 むしろ、知っているからこそ、彼女を利用としているのかもしれない。

 そんなことを考えながら、ふと暗い顔をするレンゲに気づく。


「どうかしたか?」

「その、怖くない? こんな普通じゃできないことされて、嫌じゃない?」


 なにを思っているのかグローブには理解できなかったが、不安げなレンゲを前にして彼は首を横に振った。


「普通じゃないのはお互い様。それより、君は俺を助けてくれたね。ありがとう」


 素直に感謝をすると、レンゲの顔が真っ赤になり恥かしそうにグローブの胸に顔を埋める。妙に気恥かしい気持ちになりながら、グローブは周囲を確認した

「しかし、ここまでは危ないな。レンゲ、立てるか?」


 依然と炎に包まれている周りを見渡しながらグローブが訊ねると、レンゲは今の状態に気づき慌ててグローブから離れて立ち上がる。


「大丈夫そうだな」


 もじもじとさせるレンゲを不思議に思いながらも、グローブも立ち上がって改めて自分の体の調子を確かめる。

 五体は正常に動き、まさに絶好調というべきだろう。

 むしろ力が溢れるそうなくらいだった。

 これならば――と、確信してからレンゲを見る。


「さて、これからだか、レンゲはまだ火の気のないあっちに向かってくれ。君が全力で走れば、森が燃えきる前に脱出できるはずだ」


 グローブがそう言うとレンゲはしばらく黙り込み、そして不安げな声で訊ねる。


「グローブ、は? 一緒じゃないの?」

「俺はアイツを倒さないといけない」


 グローブはラウレルがいるであろう空を睨む。

 どの道このまま逃げ出したところで、ラウレルは追ってくるだろう。逆にラウレルがこの場を去った場合、更なる追手がレンゲを襲うことになる。

 ラウレルがこれから生きていた場合でも、更なる戦火を撒き散らすことになるだろう。自分が逃げ出したせいで、取り逃がしたせいで、泣かないでいい誰かが泣く。グローブにはそれが許されない。

 

 ゆえに、いまここで決着をつける。

 

 レンゲという少女が少しでも平和な道を歩めるように戦う。

 しかし、レンゲはグローブの言葉を聞くと、驚愕し、そして叫んだ。


「駄目ッ!」

「レンゲ?」

「駄目ッ! 絶対に駄目ッ! グローブが怪我をするのは嫌ッ!!」


 癇癪を起した幼児のように唸るレンゲにグローブは戸惑いながらも説得を試みる。


「気にしなくていい。この身は戦うためのものだ。君が心配する必要はない」

「――」


 レンゲの顔が凍り付く。

 次の瞬間、レンゲはグローブの頬を叩いた。

 ぱちん、と軽い音が響くものの《錬成者》であるグローブはまったく動じず、レンゲのほうが痛そうに叩いた手を撫でていた。


「大丈夫か?」

「大丈夫じゃない!」


 涙で目を潤ませながら、レンゲはグローブを睨む。


「そうやってグローブが傷つくのが嫌なの! 嫌だから私はグローブを助けたの! お願いだから自分の命も大切にして! 死ぬことがどうでもいいような顔しないで! 自分が生きることを諦めないで!」


 泣きながら叫ぶレンゲの言葉にグローブは呆然とした。

 彼女の言葉一つ一つが胸に突き刺さる。

 ああ、思えば、両親を失ったあの時、既に自分の生に対する執着は薄れていたのかもしれない。だからこそ、我武者羅に今まで生きて、戦い続けて来られたのだ。

 だが、自分が死ぬことで、目の前の少女が泣くのなら。

 それは、自分は抗わないといけない。

 彼女に助けてもらった命だ。

 ならば、自分の意志だけで放棄することも許されないだろう。

 グローブはそう思いながら、涙で濡れるレンゲの頬へ手を伸ばす。

 驚く彼女の瞳を見つめたまま、これ以上目の前の少女が泣かないように心の中で誓う。

 彼女の泣顔は何故か他の誰かのものより苦しいから、自分の誓いを声に出して宣言した。


「分かった、レンゲ。俺は死なない。生きることを諦めない」

「グローブ……」


 涙で目を腫らしたまま見つめてくるレンゲに、申し訳なさそうにしながらグローブは付け加える。


「けど、やっぱり俺は戦うよ。アイツをあのままにはできない。アイツがいたら君や他の人たちがまた泣く。それを許すことは俺には無理だから、絶対に戦う。

 だから待っていてほしい。必ず戦いが終わったら、君の所に戻るから――信じて欲しい」


 柔らかな声で真っ直ぐ見つめてくるグローブをレンゲはしばらく眺めた後、悲しげに、それでも勇気を振り絞ってこくりと頷く。


「うん、信じる。約束だよ?」

「ああ、約束だ」

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