SECTION-14-遠い記憶

 レンゲは走っていた。息を切らしながら走っていた。胸の苦しみを抑えて走っていた。 

 体力が尽きたわけではない。《恩恵種》という種族は、無限のエネルギーを精製できるゆえか、活動時間に限界はなかった。

 だが、辛くないわけでない。永延に動いていても、空腹は感じ、眠気も襲う。それらを押しのけて、動けるだけだ。そして、今、レンゲは胸の痛みを耐えていた。耐えて、走った。

 胸に抱える痛みは、先程自分が置き去りにした青年によるもの。

 邪魔だ。という言葉は本当にそうだとしても心臓が抉れるように痛かった。それが自分を逃がすためにわざと言った言葉と分かっていながら、悲しかった。

 そして、先程まで自分を包んでいた温もりは感じられない。少し前まで、自身も望んでいたはずの状況なのに、実際なってしまうと心細く、不安で一杯になる。いや、一人だから、不安なのではなく、グローブがいないから不安なのだ。

 自分を助けてくれた人。今だって自分のために戦ってくれている。縁も所縁もない相手のために、命がけで戦っている。

 火傷だらけの体で、自分を守る様にして立ち上がった背中を思い出すと、引き返したい気持ちが込み上がり、それを必死に抑える。

 彼は後を追うなどとは言っていない。それでも、自分が走り去った先に、急いで駆けつけてくれる姿を思い描く。その後は自分を放り投げたことや、冷たい言葉に対する抗議をするのだ。きっと、彼は困った顔で謝ってくれるだろうから、私は――

 そこまで考えて、レンゲは自分がいかに不謹慎で恥かしいことを妄想していたことに気づき、走りながら頭を横に振るう。だが、それでも、願わずにはいられない。必ず彼は自分の後を追ってきてくれるのだろう。そうでない結果など、考えたくもなかった。

 頭の中がぐしゃぐしゃだ。仮に自分のところに来た場合、彼へ更に迷惑をかけることを知り、それが嫌なのにもかかわらず、また会いたいと求めていた。矛盾な思考を巡り合わせ、胸を御抑えながら、それでも走り続けた。止まってしまったら、それこそ自分は彼に対して顔向けができない。

 どれくらい走っただろう? 十分か、あるいは一時間か。レンゲが気づいた時には、目の前に深い森が広がっていた。犇くように生い茂る木々たちは夜の中で深い闇を作りだしている。確かにここに紛れれば、簡単に見つかることはないだろう。

 しかし、レンゲは森に入る前にその場で立ち止った。崖だった。彼女の辿りついた先は崖であり、その下に樹海が広がっている。これではどこかで迂回してからではないと森に入れない。

 そこで彼女は直ぐ崖の近くにある傾斜に気づき、再び走りだそうとした時だった。

 轟! と風が靡く。後ろから来る追い風で転げてしまいそうになるのを踏ん張り、レンゲは思わず振り返る。

「あっ――」

 そこには自分達を襲ってきた黒い騎士がいた。漆黒の《ÜG》エリゴスは空高く舞い上がっていた機体を地上へ砂塵を撒き散らさせながら着地させる。

『おし、そこまでだ。悪いがこっちに来てもらおうか?』

 ラウレルの言葉が響くが、レンゲには届かない。この黒い騎士が目の前にいるということは、身を呈して自分を守っていた彼が倒れたということだ。

『おいおい、無視かよ』

 呆然と立ち尽くすレンゲに対し、ラウレルは苛立ちの声を上げる。が、しばらくすると、エリゴスの胸のハッチが開き、そこから這い出るようにして、中に乗っていたラウレルが外に姿を現す。

 見るからに危険な風貌だったがレンゲは無反応。

絶体絶命の状況であったが、彼女にとって、それどころではなかった。 

彼が、もういない。

声が聞こえない。温もりを感じられない。真っ直ぐなその瞳を見れない。

 胸が痛い。喉が渇く。心臓が苦しくて叫び出しそうだ。瞳の奥が燃えたように熱い。

「さてと、まぁ、大人しくしてるんだったら、話は速いな。怪我したくなかったら俺の言うとおりにしな」

 目の前の誰かが何かを言っている。しかし、それはレンゲにはどうでもよかった。

 この痛みを無くすにはどうしたらいい? その答えをばかりを追求し、レンゲの思考は奈落にまで堕ちていく。

 そんな呆然と立ち尽くすレンゲをラウレルは面倒そうに見ながら、彼女の腕を掴もうとする。

「おっ!?」

 突如、ラウレルは弾かれるように後ろに下がった。

青い閃光が横切る。それは自分が倒した男のモノだと気づく前に、ラウレルはすぐに飛び込んできた男を見て、口の端を釣り上げる。

しかし、現われた男はラウレルには目もくれず、立ちつくしていたレンゲを抱き寄せ、彼女が驚く間もなく、自身の体ごと崖から飛び込み、下に広がる樹海の中へと姿を消した。

「確認したんだが、あの小僧、生きてたとはね」

 火事場の糞力というやつだろうか? 確かに息をしてなかったグローブが、どういうわけだが復活した。そして自分の後を追うと自身のL・Aを投げつけて、《恩恵種》と共に森の中へ姿を暗ました。

 根性論というのをラウレルはあまり信じていなかったが、自身が好敵手と認めていたサルトリ・イバラという男は絶体絶命の局面で何度もそれを目撃した。その彼の弟分であるあの青年にも、そんな精神が引き継がれていても可笑しくはないだろう。

 だが、彼にできたことは捨て身の特攻のみ。

本当に少しでもまともに動けたのであれば、武器を投げ捨てて注意を逸らさず、そのままラウレルと対峙すればいい。

エリゴスから降りた今のラウレルならば先程と、比べるまでもなく勝機が存在しただろう。しかし、それをしなかったのはほとんど蟲の息だったゆえに、自分が助けた女を逃がすだけを考えて行動したのだ。

 間抜けなことに心中はないだろう。ここまで生い茂っている森ならば、木々がクッションになり、最悪でも《錬成者》の体を盾にして《恩恵種》だけでも無事にさせるはずだ。

 ラウレルは再びエリゴスに乗り込み、起動させて、樹海の中央まで巨体を飛び上がる。

 このエリゴスは、搭載できるだけの最大限の火力、運動性を追究しているが、その分、最低限の索敵能力しか積んでいない。あまりにも巨大過ぎると、幾ら直接神経が繋がっていようが、対応速度は鈍いままだった。ゆえに、求められた性能だけを機体に納め、残りは気持ち程度。

 ここまで深い森であれば、エリゴスでの探索は厳しい。

だが、このまま帰るわけにもいかない。

自分の目的のためには、今日ここで《恩恵種》の鹵獲が最低限の課題だ。

 ラウレルはエリゴスの背中のハッチから、数弾のミサイルを放った。無論、着弾場所に生命反応がないか確認したが、索敵能力が低いため、もしかしらた巻き込む可能性がある。

 だが、それで死んでしまえば、それは自身に運がなかっただけだと諦めよう。

 確かに争いを引き起こす可能性を持つ《恩恵種》を失うのは惜しいが、その他にも戦争を勃発する計画は幾つかあるのだ。

 数個の爆発の後、森の到るところが燃える。しばらくもすれば、森全体が燃え盛る炎に飲み込まれて、暗い夜に灯りを照らす。

 この火事から逃げるために《恩恵種》が森の中で脱出すれば良し。燃える炎の森の中でそのまま生き延びたとしても、障害物である木々があらかた灰に変わった状態ならば探索もしやすいだろう。

 そうやって燃え広がる森を見下ろしながら、ラウレルは獲物が逃げ出す時をゆっくり待つ事にした。

 彼の頭の中では既にグローブのことなど存在しない。あの傷で、あの落下ならば、もはや命はないだろう。再び合いまみえることのない相手のことなど考えるだけ無駄だ。

 森が紅蓮に包まれる。災厄を招いた黒い騎士は夜に溶け込むように、空で地上の惨事を傍観していた。





SECTION Ⅳ  天を断つ


 別れの時は、いきなり訪れた。

 いつもどおりの戦場。いつもどおりの相手。違っていたことは、背中を預けていた男が、既に限界を迎えていたことだった。

「兄貴、どうしてそこまでして最後まで戦ったんだ?」

 雨。戦いが終わった場所で、二人の男は背中合わせにして座り込んでいた。

自分は男に訊ねる。

「ああ、それはなぁ……」

「良い歳して、何を恥ずかしがっている? どうせ最後なんだから吐いてしまえ」

「おまっ!? 死にかけの俺に随分と厳しくないか?」

「優しくしてほしいのか?」

 そう訊ねると、イバラの顔が途端に老けこんだようにげっそりする。

 もっとも、粗雑な態度のグローブだったが、その頬は濡らしていた。幸いなことに、雨が降っていることや、背中合わせでイバラはグローブの様子には気づいてない。

 悲しくないはずがない。でも、それで涙を流し、最後の最後で醜態を曝したくなかったから、ただの強がりで暴言を吐く。

 そんなグローブの内心を見透かしているか分からないが、イバラは呆れたように溜息をする。

「……、やっぱいいや。そのほうが辛気臭い。ああ、最後まで戦った理由か? 笑うなよ?」

「時と場合による」

「そこは笑わないと言っておけ! まぁ、あれだ。子供のころな、正義の味方に憧れたんだよ」

「……」

「なんか言えよ! せめて笑え!」

「笑うなと言ったのはそっちだろ? だが、正義の味方になりたいなら、警察にでもなったらいいだろうに。なんで傭兵になったんだ?」

 その言葉にイバラは苦笑する。

「俺さ、お前たちみたいに戦争で親を亡くしてんの。都合のいい正義の味方なんていなくて、ある日突然いなくなった。で、いないなら俺がなってやるって思った。そんで一人で何でもできる力が欲しかったから《錬成者》になった。まぁ、才能がないのに欲張ってこの様だけどよ」

 そう言いながらイバラは渇いた笑みを浮かべる。だが、自分には見えなかったが、その瞳には後悔の色はなかっただろう。自分が知る男は、そんな人間だ。

「警察とか、正規軍じゃないのは、できるだけ戦場に脚を運びたかった。できるだけ、多くの間違いを正したかった。私欲を尽くす悪を多くこの手で斬りたかった。

 いや、ホントは、正義の味方なんて建前なんだよ。俺はただ、自分の大切なものを奪った奴らに復讐したかっただけだ。正義の味方とカッコつけて、自分の勝手で人殺しをしただけだ」

 死に間際だからだろうか、珍しくイバラは自虐する。らしくない、とは思うものの、それは本来彼がずっと抱えていたものだと、この時自分は知った。

 失望はない。ただ、自分はありのままの感じた事実を語る。

「それでも、俺はアンタに救われた。俺以外にも多くの命をアンタは救った。アンタ自身や他の誰かが罵ろうとも、俺やそいつらはアンタに感謝してる。俺たちにとって、アンタは間違いなく正義の味方だ」

 今でも覚えている微笑みを思い出す。確かに自分はあの時、助けられたから自分はここにいるのだ。誰かを救うことが、悪でないならば、それは逆の正義であるはずだ。

 雨音だけが二人の間に響く。自分の言葉を聞いてなにを想ったのか、イバラはしばらく沈黙すると、安心したように息を吐いた。

「―――俺は正義の味方になれたのか。なら、悪くない人生だ」

 未練を感じさせない、清々しい声だった。彼がずっと蟠りを持っていて、それが解消できたのならば、少しは恩を返せたのだと、自分も悪くない気持ちで胸が満たされる。

「ならさ。お前はなんで《錬成者》になったんだよ? 俺の背中でも追いかけたのか?」

 イバラの茶化すような声に、自分は少々不満を感じながらも、直ぐに答える。

 考える暇もない。自分はいつも、それだけを胸にして戦っていたのだから――。


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