SECTION-12-逃亡

「怪我はないか?」


 いるはずのない人間の顔を見た時、レンゲの瞳からポロっと涙が零れた。


「っ!? どこをやられた?」


 険しい顔で問いかけるグローブに対して、レンゲは無言で何度も首を横に振った後、目の前の胸に飛び込んだ。

 グローブは一瞬驚くも、自分の胸の中にいる少女が凍えたように振るえているように気づくと、少し躊躇いがちに、頭をできるだけ優しく撫でる。


「安心しろ。君は俺が守るから、大丈夫だ」


 かつて誰かに言われた言葉を、グローブは目の前の少女に誓うように言った。


「悪いが長居する暇はない。手荒だが我慢してくれ」


 そう言いながら、グローブはレンゲの頭を撫でていた手を放すと、そのまま彼女の腰に手をやって、しっかり固定するように自分の体と強く密着させる。

 それで一気に心臓の鼓動が暴れるように高鳴ったレンゲを連れて、そのまま倒れる男たちを踏み越えながら、外に脱出する。

 既に夜になっていた外は、肌寒い風を靡かせながら、雲によって月明かりもない暗い空間だった。

 レンゲは闇に飛び込むような不安を抱いたが、直ぐに自分の近くにある温もりを思い出し落ち着く。

 彼女は何故グローブがここに来たのか分からない。自分を助けに来てくれる理由が想像もつかなかった。

 ただ、乱暴ながら自分を放さないようにと抱え込まれる腕と、すぐ近くにある胸に挟まれながら、とても安堵していた。もはや、霞むほどになった両親との記憶。かつて触れていた温もりと比べ、少し違うと不思議な気持ちになる。


「これは、どういうつもりだカイム4ッ!」


 そんなまどろみの様な気持ちから引き戻したのは、どこからか現われたフーフ9の怒声。

 フーフ9は顔を赤くしながら、今この瞬間にでも襲ってきそうな形相で二人を、グローブを睨んでいる。


「どうもこうも、見てのとおりだが?」


 レンゲを腕で抱いたまま、グローブは涼しい反応で返し、更にその態度がフーフ9の神経を逆なでた。


「見て理解出来んから訊いてるのが分からんのか!?」

「見て理解できないほど、アンタの目は悪いのか?」

「貴様ッ!」


 そこでようやくレンゲも気づく。

 暗がりの中、どうやらこの場所は渓谷に挟まれた道のようで、そこに並ぶようにして自分が乗っていたトラック以外が、なにやら焼かれたように黒ずんでいる。

 中からは時より呻き声が聞こえて人の気配を感じさせるが、外に出ようとするものはいない。当然ながらこれらも全てグローブの仕業だった。


「トラックの外から《錬成者》なら死なない程度で感電させただけだ。まぁ、アンタのように痺れてでも動ける自称ランクBもいるようだが」

「舐めるな! 俺はランクAだ!」


 フーフ9の言葉にグローブは一瞬真顔になり、再び呆れ顔になって相手を見る。


「自己申告、真に受けるほど俺の目はまだ落ちていないつもりだ。アンタが状況によっては都市を落せる戦力だと? 一騎当千のBランクに届いているかも疑わしいな」

「はっ! 馬鹿な調整ばかり受けた貴様と一緒にするなよ? この俺は《イクシード》の最先端技術で精製された最高の《錬成者》だ。貴様のようなとち狂った裏切り者など、一瞬で駒切れにしてくれるわ!」


 フーフ9は憤怒で歪ませた顔で叫び、既に持っていた自身の得物を構える。

 それはまるで宝石のように輝く蛇。握り拳の程のダイヤモンドが連なった鞭は、主の高ぶりを表す様に畝りながら、夜にある僅かな明かりで煌き、旋風を巻き起こす。


「グローツラング、か」


 第二世代L・Aグローツラング。

 グローツラングとは底なしの洞窟でダイヤモンドを守護するという蛇の名。伝承の存在の名を持つ鞭は堅牢な強度を持ち、一薙ぎで鋼鉄すら粉砕することが可能だ。使い手であるのならば、厄介な相手だったとグローブは思う。


「ソレを放して貰おうか。それとも助けた女を盾にして戦うつもりか?」

「ぬかせ。その武器の使い手ならば、彼女に害を与えず俺の首のみを落としてみろ」

「吼えたな、三下!」


 フーフ9は奇声をあげながら、手に持っていた鞭を横に振るう。

 大気の悲鳴、ダイヤモンドの鞭は空気を切断しながらグローブの首に向かい、対するグローブは一歩も動かない。

 狂喜の色に染まるフーフ9の顔を、グローブは挑発を簡単に受け取ったまぬけ面のように思いながら、レンゲを抱えている腕とは逆の手で握っていた自身の武器である大剣を、そのまま放り投げた。

 その行為を愚直と受け取ったのか、フーフ9の顔に侮蔑が宿る。グローブが放り投げた大剣は円を描きながらフーフ9に向かうが、その途中で空中を斬っていたダイヤモンドの鞭にからめとられて、そのまま大地に突き刺さる。

 愚かなことに自らの武器を捨てた敵を嘲笑しようとした時に、フーフ9の眼前に、いつの間にかレンゲを放して近づいていたグローブ。

 慌てて自身の武器を引き戻そうとするも既に遅い。大剣を絡め取った鞭は直ぐに戻らず、その前にグローブが疾風を生み出す。

 顔面に一撃。握った拳を叩き付けたグローブは、フーフ9に悲鳴を上げさせる暇もないまま、地面に伏せさせる。

 完全に気絶するフーフ9を見て、疲れたように溜息を吐きながら、単純な相手で助かったと安堵する。

 自分の挑発に乗らされたままの攻撃だったから簡単に見切ることができた。仮にレンゲを離して戦闘をした場合、彼女を守りながら闘うことなども考えたが全ては杞憂だったようだ。

 グローブはワザと鞭に絡めさせた自分の剣を回収すると、先程放したレンゲを見る。

 できるだけ怪我をしないように放したのだが、放心したように尻もちをつく彼女を見て、一瞬疑問を抱きかけ、直ぐに納得する。

 彼女の動体視力がいかほどかはグローブも知らないが、《錬成者》の域まではないだろう。

 彼女からしたら、いきなり自分を抱いていた男がいなくなり、目の前で脅威を曝していた男が倒れるという摩訶不思議な現象のように感じたはずだ。

 だが、もしかしたら自分が放した時に失敗して、脚でも挫いたかもしれない。


「すまない、いきなり放して。痛くなかったか?」


 グローブは彼女に近づき、身を屈めて訊ねる。するとレンゲは座ったまま、ゆっくりとグローブを見上げる。


「貴方って、すごく強いんだね!」


 興奮した眼差しに、とりあえず怪我の心配は不要だとグローブは判断した。


「その《錬成者》? というの、まだ良く分からないけど、本当に強いんだ。私なんかよりも凄いと思うよ!」

「いや、《錬成者》は成ろうと思えば成れるものだ。それにさっきは相手がよかっただけで、本当に強い奴がいたら危なかったかもしれない」

「えっ?」


 途端、不安そうに顔を曇らせるレンゲを見て、グローブは内心慌てて言い繕う。


「さっきも言ったが大丈夫だ。仮に今の俺では敵わない相手が来ようとも、君だけは守って見せる」


 できるだけ励ます様に言ったつもりだったがレンゲの顔は晴れない。どうしたものかとグローブが思悩んでいると、少し黙っていたレンゲのほうから声をかけてきた。


「どうして?」

「ん?」

「どうして来たの? あの人たちは貴方の仲間、なんでしょう?」


 レンゲも状況を冷静に考えたらしい。

 確かに、グローブは彼女を危険に合わせた人間の仲間であり、その仲間を討ち倒して、彼女を守ったのだからレンゲも困惑しても仕方ない。


「・・・・・・言い訳になるが、俺は君がどんな扱いを受けるか知らなかった」


 情けない言葉と分かっていても、グローブは贖罪の言葉を選ぶ。


「知らずに君を連れてきてしまった。だから、償いになるかどうか分からないが、君を守らせてほしい」

「・・・・・・・・・・・・、どうして?」


 グローブの言葉を受け取ってから、レンゲは再び訊ねる。


「どうして、私を助けてくれるの?」


 その質問にグローブは戸惑う。それは当たり前過ぎで、どう答えていいものか判断つかなかったが、覚悟を決めて正直に打ち明けた。


「君が泣くのは嫌だと思った。それでは君を守る理由にはならないか?」


 そんな言葉で答え、逆に訊ね返すグローブを、レンゲはまるで信じられないモノでも見るような顔になると、そのまま俯いてしまう。

 グローブは自分なりに正直と話したつもりだったのだが、こんな単純な理由では彼女も納得しないのであろうと彼は判断した。

 だが、悩む時間はない。自分達は直ぐにでも行動しなければならないのだから。


「悪いが、考えるのは後にしてほしい。いずれアイツらも復活するかもしれない」


 ちらりと気絶したフーフ9を一瞥する。腐っても《錬成者》だ。生きているならば、常人を遥かに超えた速度で再起しても可笑しくは無い。

 グローブは背中に備えつけていたケースに剣を納めると、座ったままのレンゲの膝の反対側と背中に手を廻し、彼女を持ち上げる。


「え? ええええ? えええええ!?」


 突然持ち上げられた事に驚き、更に自身の状況を見てから、益々驚きながら絶叫した。


「すまない。抱えられるのは嫌だろうが、ここを離れないといけないんだ。悪いが、ここのまま大人しくしてくれ」

「いや、その、べ、別に嫌じゃ?」


 抱えられたレンゲは顔を赤くしながら、自身でも訳が分からなさそうに首を傾げる。しかし、生憎とグローブはそれに構う余裕がなかった。


「話は後だ。口を閉じてくれ。じゃないと舌を噛むぞ」

「え? きゃああああああああ!?」


 グローブが走り出すと、レンゲは先程とは比べものにもならない悲鳴を上げた。

 彼女に知識があるなら、ロケットに括りつけられるのはこんな感じなのか? と想像したかもしれない。

 そうやってグローブはレンゲを抱えたまま、尋常ない速度でその場を走り去った。


  ‡


「くぅ・・・・・・」

 

 フーフ9が意識を取り戻した、グローブ達が離れてから一分にも満たない時間だった。


「!? あの、男め!!」


 自身の敗北を悟り、苦渋は一瞬の内へ憤怒へと変わり、すぐさまグローブの復讐を企てた。

 既に彼等はいなかったが、空を見れば、それほど時間が経っていないことが分かる。

 それほど遠く離れていないのであれば、トラックのコンテナに積まれたモノを使えば直ぐに追いつけるだろう。

 次は後れを取らない。完膚なきまでに倒し、今度は向こうに地面の味を御馳走しよう。

 しかも、ただでは殺さない。こんなことをしてまであの《恩恵種》を奪ったのだから、それなりに気にっているのだろう。

 ならば、動けないあの男の目の前で凌辱をすれば、どれほどの苦悶と絶望を与えられるだろうか?

 まるで自分たちが敵対する下賤なテロリストのような行為であり自身の趣味ではないが、己を侮辱した相手への報復ならばいた仕方ないだろう。

 くつくつと笑いながら、フーフ9が立ち上がろうとした時、その男はやって来た。


「あれ? 起きたんだ?」


 男は起き上がったフーフ9を見ると、まるで面倒そうに顔を顰める。

 フーフ9といえば、その男を見た途端、火がついたように顔を赤くした。

無論、激怒の感情で。


「貴様、今の今まで何をしていた!?」

「ああん? 野暮用だよ、野暮用。というか、お前こそ何してんの?」

「カイム4だ! カイム4が《恩恵種》を連れ去ったのだ! あの裏切り者が!」


 罵るように叫ぶフーフ9を五月蠅そうにしながら、やって来た男は「で?」と訊ねる。


「お前はあの小僧におめおめと負けた訳だ。同じランクAなのに」

「くっ! あ、あれは油断していただけだ! そ、そうだ! 近くに《恩恵種》がいたから手加減しただけだ! 次はこうはいかない!」


 そんなフーフ9の傍から見ても見苦しい言い訳を聞き、男は暫く黙って、にっこりと笑った。


「ああ、それ絶対無理だ」

「なに!?」

「アイツの劣化の、更に劣化した小僧に負けてるなんて、お前、マジ弱いわ」


 ケラケラと笑う男を目の前に、フーフ9の理性が途切れた。


「き、貴様!」


 そうやって怒りに身を任せて、自身の鞭を目の前の男に叩きつけようと振り上げる。

 パン! と、空気が小さく弾ける音がした。


「だから、お前もいらねぇよ」


 そして、フーフ9は、いや、フーフ9だった肉塊は、振り上げた姿勢のまま、背中から地面に倒れる。その額からは血がどろりと流れる様子を愉快そうに男は眺めた。


「そもそも、こんな至近距離でただの拳銃を見切れない奴が、条件が合えば都市一つ陥落できるランクAなんて胸糞悪いだろ? やっぱ、コネやらで成り上がったメッキとじゃあ張り合いがないわマジで。ホント、《イクシード》も潮時だな」


 男はそう言いながら、その場を後にし、グローブによって停車されたトラックの場所まで脚を運ぶ。奇妙なことに、先程微かにあった人の気配は既に存在せず、代わりに生臭い匂いが充満していた。

 そんな奇怪な場所を、男は周りの状態も気にもせず、口笛を吹きながら脚を進め、トラックの一つに積まれているコンテナの前に立つと、パネルを操作してから中の荷物を確認した。


「おっと! OKOK。流石にあの程度の電気じゃあ御釈迦になってねぇな」


 数分後、トラックがあったその場は紅蓮の炎に包まれた。

 連鎖して起こった爆発の中で、その場にあったものは全て炎に飲まれながら、跡形もなく四散し吹き飛ぶ。

 暗い荒野の中、炎が高く燃え上がる。

 上空から見れば、地上の星と賛美されるかもしれないが、地上から眺めれば、辺りを無差別に焼き尽す様子はまるで地獄ようだった。

 

 その炎の地獄から、這い上がるように一つの人影が現われる。

 

 確かに人影と表現してもいい。確かにそれは人の様な五体をしていた。

だが、ソレは人にしてはあまりにも大きく、そして何よりも凶悪だった。

 それは黒い騎士。まるで西洋の甲冑がそのまま動きだしたかのようなソレは、炎を背にして、暗い夜空へと飛び立つ。

 向かう先は、グローブが走り去った方角だった。

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