SECTION-5-蓮華


「その、落ち着いた?」


「…………」


 グローブが訊ねると少女は彼が貸したコートに羽織って蹲りながら、無言で頷く。

 あの後、グローブは泣き叫ぶ少女を何度か宥めようとしたが、彼女は気が動転して聞く耳を持っておらず、そのままその場を立ち去ろうとした。

 だが、「服! 服!」と言いながら彼女はキョロキョロと視点を移すと、途中で表情を強張らせながら、見る見る内に顔を青くする。

 どうやら、着ていた服が風で飛ばされたようで、これからどうするべきか恐怖に震えながら困惑していた。そこでようやく状況を察し、見るに見かねたグローブが自分の着ていたコートを彼女の頭から被せたのだ。

 彼女は最初、戸惑うようにグローブを見たが、「とりあえず池から出よう」というグローブの指示を素直に従った。

 それでもグローブと視線が重なった途端、自分の裸体を見られたことを思い出したのか、再び顔を赤くし、落ち込むように貸されたコートで自身を包みながら蹲り、そのままシクシクと泣き出す。

 その反応にグローブは頭を傷ませたが、内心仕方ないことだと納得する。

 年頃の少女が、見ず知らずの異性に自分の身体を見られたのだから、ショックするのも当然だ。

 観念したグローブはとりあえず、彼女が落ち着くまでその場に待つことにした。仮にそのまま立ち去った場合、彼女は猥雑な人間の餌食になっていただろう。

 グローブはしばらく待っていると、少女の泣き声が徐々に小さくなるのを見計らって声をかけると小さい反応した。

 僅かばかりの安堵と、同時に大きな悩みを抱える。

 

 さて、これからどうする?

 

 十中八九、彼女は自分たちが探していた少女に違いない。

 写真と印象は違っていたが、あれだけの容姿なら見紛うことはないだろう。

 このまま保護する、悪い言い方をすれば確保するのは簡単だが、気が引ける。

 そもそも、グローブは何故彼女を保護するのか理由が分からないのだ。

 彼女の様子や、任務の内容に討伐の類がないことで、なにかしら彼女自身が害を与えるものでないことは想像できるが、ではいったい彼女はなんなのか?

 これがただの仕事人間ならば、疑問を持っても黙って報告し、そこで任務終了。

 しかし、グローブはそうできなかった。彼女自身が何者であるかという好奇心もあるだろうが、このまま彼女と別れるのはグローブにとって後味が悪かったのだ。

 女の子を泣かせたまま、というのは彼の信条として論外なのである。

 このまま保護するにしても、下手に警戒されないためにグローブは彼女に歩みよろうとする。

 中途半端な刺激で、余計事態を面倒な展開になることも恐れたが、それ以上にグローブは彼女に興味を惹かれていた。


「さっきはすまない。その気はなかったとはいえ、その……見てしまって」


 まずは謝罪、そうやってグローブは頭を下げた。

 最後の「見てしまって」と言う部分で、少女の体が電撃でも喰らったのようにビクッと震えたが、おずおずと羽織ったコートから顔を出す。


「えっと、その、私もこんな場所で水浴びをしたのが悪かった――ですから、頭を上げて――ください」


 たどたどしくも、自分を気遣う少女の言葉にグローブはほっとして顔をあげると、忽ち彼女は顔をコートの中に隠した。


「えぅ! あ、あの、あんまり、見ないでほしい――です……」


 どうやら、彼女のショックは根深いようだ。

 だが、手応えを感じたグローブは慎重に次のステップを踏む。


「とりあえず、君の服をどうにかしないといけないな……。飛んでいった服の代わりを俺が用意するから、一先ずここから離れようか?」


「え?」


 驚く少女に対してグローブはばつの悪い顔で言う。


「その、許されないとは思うけど、見てしまったせめてのお詫びと思ってほしい」


「…………」


 少女は不思議そうにグローブを眺めながら首をこてん、と横に傾げる。


「いいの――ですか?」


「良いも悪いも、君がそれでよければ」


 少女はしばらくグローブの眼を見つめた後、覚悟したように頷く。


「それじゃあ、お願い――します」


 その反応にグローブは一先ず安心する。

 彼女は自分を警戒している。防衛本能としては正しい。

 見も知らない相手を、向こうに非が有るとはいえ、お詫びと称してその行動を信用するのは些か無防備過ぎる。

 ここが平和な街中ならばそうでもないだろうが、ここはスラム街の中でも地元人が避ける場所。そこに現われた人間を信用しろという方が無茶な話だ。

 だが、少女もこのままではいけないと分かっているだろう。

 仮にグローブとこのまま別れた場合、次には自力で服の調達が待っている。それならば多少の覚悟をしてでも、グローブの提案に乗る方が賢い選択であろう。

 更に、これはグローブの頭にはなかったことだが、仮に淫らな行為が目的ならば、既に襲っていても不思議ではない絶好の状況である。

 そこで何もしてこなかったり、自分の服を貸したりする行動を見て、少女は中ではグローブに対して僅かに警戒心は和らいでいる。

 もっとも、自分に対してまったくそんな意欲が湧かないとなれば、別の意味で悲しいという複雑な乙女心もあったりした。


「……? ……いゃああああ!?」


 少女そう考えるとグローブが自分の上の服を脱ぎ出し、緩めていた警戒心を全開まで戻して、悲鳴を上げながら後ずさる。


「ん? どうした? 虫でもいたか?」


 対するグローブは少女の突然な挙動に首を傾げながら、上を黒シャツ一枚にした、先程脱いだばかりの上着を少女の目の前に差し出す。


「へ?」


「とりあえず、それだけというのも恥ずかしいだろうし、コートの下にこれを着たらどうだ? 俺は向こう向いているから」


 少しの間硬直していた少女が差し出された服を見つめて後、ゆっくり動作でそれを受け取るとグローブは直ぐに背中を向けた。


「その……すみません」


「いや、気にしなくていい」


「いえ、本当にすみません」


 妙に心が籠った謝罪をグローブは怪訝に思いながら着替えを待つ。

 そんなグローブを余所に少女は受け取った服を急いで着こみ、その上からコートを羽織った。


「もういい――ですよ」


 その言葉を合図にグローブが振り向くと、首から膝下まで前を閉じたコートにすっぽり収まった少女がいた。

 これなら上着の必要はなかったと一瞬考えたが、なにかの拍子でコートの中が見えるかもしれないので保険と思っておく。

 かなり不格好で一目につくだろうが、直ぐに店に入れば問題ないだろう。


「よし、なら行こうか」


「は、はい」


 グローブは降ろしていたケースを背負い、少女と共に街へ向かう。


「そういえば名乗ってなかったな。俺の名前はグローブ・アマランス。君は?」


 裸足の少女が散乱とした足元に傷つかないか気を使いながら、グローブは思い出したように自分の名前を名乗ってから少女の名前を聞いた。

 比較的楽な道を選ぶグローブの後ろを着いてきていた少女は、すぐに返答する。


「レンゲ―――です」


  ‡


 街に到着するとグローブ達は女性衣料店を探し出した。

 途中のスラム街では奇異な視線に少女――レンゲが怯えながらグローブの裾を掴んで離さなかったが、余計なトラブルはなく無事二人は街に辿りつき、幸いなことに女性専門の服屋も直ぐに見つかる。

 衣服を纏っているとはいえ、その下は裸同然なので、先ほどよりも人が多い中をレンゲに歩かせるのは酷な話だろう。

 小奇麗な内装の店に二人が入るとグローブが女性店員を呼び止め、適当な言い訳を伝えてからレンゲを店員に任せた。綺麗な作りや自分達以外の客の人数を見る限り、ここは流行りの店のようなので、プロに任せておけば問題ないだろうとグローブは判断した。

 待つこと数十分、女性の身支度は長いことを呆れながら思い出していたグローブの所に彼女がやって来る。


「お、お待たせ――しました」


 水色のテーラードジャケット、その下には袖やスカートの端にフリルをあしらった襟つきの白いシャツワンピース、靴はベージュのウエスタンブーツといった、動きやすそうな服へとコーディネートされたレンゲが立っていた。

 こうして見ると愛らしい少女にしか見えないのだが、自分が所属する《イクシード》は彼女の身柄を欲している。

 態々、《フェイバー》などと呼称しているあたり、皇族の類ではないと思う。

 やはり、グラジオラスは否定したが、秘密裏に作製された新型の《錬成者》と考えるのが妥当か? 

 色々と考えながらグローブがレンゲを見ていると、彼女は困ったように顔を沈める。


「あの、似合ってない――ですか?」


 予想外の言葉にグローブは目を丸める。

 レンゲからしたら、自分の姿を見た途端に顔を顰められたら、そう思われているのではないかと苦悩しても仕方ないだろう。

 驚いたグローブが呆けて黙っていると益々レンゲの顔が暗くなり、ようやくグローブは慌てて謝罪した。


「すまない。少し、考えことをしていた。服はよく似合っていると思う」


「本当――ですか?」


 取って付けたような賛辞にレンゲは訝るように目を細め、じとー、とグローブを見る。その視線に冷や汗を感じながらも、グローブは首を縦に振った。


「俺は詳しくないが、君の印象に沿った、可憐な感じがする。本当だ」

「……まぁ、とりあえずは、それでいい――です」


 満点ではないがギリギリ及第点とレンゲは評価した。

 その採点にグローブは本日何度目かの安堵を覚えた。彼女に出逢ってから妙に気苦労が絶えない気もするが、最初の出会い方が出会いなのでこれも仕方ないことなのだろう。


「それじゃあ会計を済ませるから、入口近くで待っててくれ。それと、貸したコートを返してくれると助かる」


「あっ、はい!」


 そこで近くに置いて在った畳まれたコートを取り、レンゲは渡そうとしたが、その手がびたっと止まる。


「うん? どうかしたか?」


「え、えっと、少し濡れているのにここまま渡すのは申し訳ないというか――」


「別に気にしない」


「あ」


 グローブはレンゲの手から自分の服を取るとその場で着こんだ。

 確かに少し濡れていて若干不快感は拭えないが、素材がいいので直ぐに渇くだろう。

 どことなく甘い香りが漂うが、おそらくレンゲが店のものから借りた香水の匂いでもついたのだろう。

 何故か恥かしそうに顔を伏せるレンゲを置いて、グローブは会計を済ませてから一緒に店の外へ出る。

 ちなみに服に支払った金は、予めグローブが現地の通貨を多めに用意していた。

 金はあればあるほど困ることは無い。無暗矢鱈多く持つ趣味はないが、必要な時に必要な分だけ払えるようにとグローブは普段から大目に金銭を持ち歩いている。


「さて、これからだが――」


 店を出たグローブは後ろを振り返ると。

 くぅぅぅぅ、と何やら可愛らしい音と共に、顔を赤くして俯くレンゲを目撃する。


「食事にするか」


 その言葉にレンゲは黙って頷いた。

 適当な飲食店に入り、料理を注文してから二人はオープンテラスの席を選ぶ。

 昼間の人通りは相も変わらずであり、グローブ達と同じように昼食を取ろうとする人間を多く見かける。

 空は快晴で、昼時な故にオープンテラスはどんどん混み合っていく。グローブたちがすんなりと席に座れたのは単に運が良かったのだろう。


「そういえば――」


 料理を待っている中、レンゲが思い出したようにグローブへ訊ねた。


「さっき、服のお店でどんな風に私を説明したの――ですか?」


 どんな問い掛けが来るのであろうかと少し覚悟をしていたグローブは、少し拍子抜けしながらも、レンゲが想った当然な疑問を何でもないように答える。


「君がお風呂に入っている間に服が全部盗まれた。サイズに合わない服を買うのも無駄なので、仕方ないから自分の服を貸して店まで来た。あとは頼む、てところか。少々無茶な言い分だが嘘はついてないだろ?」


 おどけた様にわざと肩をくすめるグローブを見て、レンゲは思わずクスリと笑みを溢す。


「なら、次は俺だが……、君は何であんな場所で水浴びをしてたんだ?」

「それは――ですね」

「待った」


 何と説明したら良いのか分からないのか困った顔をしたレンゲを、グローブが止める。


「さっきからだが、話す時は無理に堅苦しい言葉を使わなくていいぞ」


「え?」


「付け加えたように丁寧に治す必要はないと言ったんだ。歳もそう変わらないようだから、普通に喋って貰ってもかまわない」


「歳も変わらないって……、私そんなに老けて見える!?」


 愕然とするレンゲを見たグローブは不満そうに口をへの字にした。


「その言葉は逆に、俺のほうが老けて見える、と言ってるように聞こえるんだが?」


「え!? いや、あの……大人っぽいと思ってますが、そんな老けてるとかまでは……」


 気まずそうに両手の人差し指をくっつけながら目を逸らすレンゲを見てグローブは思わず溜息を吐く。


「俺はまだ十七になったばかりだ」


「見えなッ!!」


「ほっておけ」


 むすりとグローブは不機嫌そうに口をへにする。自身でも分かっていることだが、あまり年相応に見られることは少ない。


「いや、その、ごめん――なさい。じゃなくて、ごめん? 落ち着いてるし、まさか、同い年とか思えなくて」


「むしろ君が俺と同じ歳のほうが、こちらには驚きだ」


「むぅ、私、子供じゃないよ……」


「まぁ――」


「あっ! いま何を考えた!? 忘れて! 思い出しちゃダメぇええええ!」


「何も想像してないから静かにしたらどうだ? 周りに迷惑だろ」


 先程の光景を思い出していたグローブは白々しくそんな事を言い放ち、顔を真っ赤にして椅子から勢い良く立ちあがったレンゲを落ち着かせようとする。

 グローブの言葉でレンゲは周りの視線が集まって来ていることに気づき、慌てて席について顔を隠すように俯かせる。


「それで? 自称十七歳は、結局なんであんな場所で水浴びをしたんだ?」


 難を逃れたグローブは、改めてレンゲに先程の質問を繰り返す。


「自称じゃ……もう、いいや。えっと、最初この街に来た時に、怖い人たちに目と逢ってね。どこかに連れてかれそうになったから慌てて逃げたの」


 レンゲの言葉にグローブは納得する。自分の想像の範疇であり、これだけの容姿ならば目をつける男もいるだろう。その中には善からぬ行動を企む者も含まれる。


「それで何とか逃げ切れたんだけど、逃げた時に汗やら汚れやらで体が酷くて。そこで丁度あそこの大きな水たまりを見つけて、軽く洗おうとしたんだけど……」


「不用心だな」


「ごもっともです」


 自分の非を認めているのか、落ち込んだようにレンゲは頷いた。確かにあの場所は人気は少ないだろうが、皆無というわけでもないだろう。

 たまたま通りかかったのがグローブだったから幸運だったものの、逆にレンゲを追っていた輩であるならばそのまま彼女はその場で餌食になっても不思議ではない。


「え、えっと、それじゃあ、貴方はなんであんな場所にいたの? 見たところあの辺りの人に見えないけど」


 話題を逸らすようにレンゲが渇いた笑みで問いかけると、グローブは鼻で笑った。


「分からんぞ? 身なりを綺麗にして、信用させた上で、逃げ場のない場所に君を連れていく悪い人間かも――って、待て待て待て、冗談だ。逃げるな」


 席を立とうとしたレンゲの腕を慌てて掴む。


「本当だったらこんなことも話さない。だから、少しは信用してくれ」


「むぅ、じゃあ、なんであの場所にいたの?」


「仕事だ」


 膨れ面で席に戻るレンゲに対し、グローブは正直に答える。


「俺はこの辺りの人間ではない。人探しであの辺りにいた」


「探偵さん?」


「時にはそういうこともするが、まぁ、何でも屋みたいなものだな」


 嘘はついてなかった。

 《イクシード》の任務内容では探偵擬のものもあり、基本は紛争鎮圧などが主だっているが、中にはくだらない任務もある。

 迷子のペットを探す、ということもした。もっとも、そのペットは大物が飼っている血統証付きの犬であり、グローブ自身に入る報酬もよかったのだが。

 今回も似た様な内容であるが、目標である当の本人にはそのことを話さない。

隠したいわけではない。

 仮に素性を打ち明けた途端、本気で彼女は逃げ出すかもしれないのだ。

 不鮮明過ぎる今回の任務をグローブは良く思っていない。自分以外の誰かに捕えられ、目の前の彼女が酷い目に合うことだけは避けたかった。

 

 女の子を泣かせるもんじゃない。


 憧れの男の言葉を、ふっと思い出す。ああ、確かにそうだ。それはかっこ悪い。

 《イクシード》が何を隠しているかは知らないが、できるだけ彼女と会話をして素性を探り、判断して、場合によっては逃がすことも考えよう。

 これは列記とした命令違反だが、彼は別に《イクシード》に忠誠を捧げていない。

 恩はある。居心地も今のところは悪くない。

 けど、それ以上に自分のやりたいことをする上で、都合が良かったから在籍しているのだ。それを脅かすなら、いる意味はないだろう。

 

 一瞬、仲間たちの顔が過るが、心の中で笑う。

 

 どうせ、直ぐに命果てて会えなくなる我が身だ。ならば、仮に命令違反で消えてしまったほうが、らしいと思われるだろう。


「どうしたの?」


 そんな思考をグローブは一瞬巡らせていると、レンゲが心配そうな顔で窺っていた。


「なにがだ?」


「えっと、何か寂しそうだったから……、今のお仕事嫌い?」

「そんなことはない」


 彼女の質問に対して、グローブはすぐに否定した。

 命をすり減らしながらの日々であったが、それだけする価値をグローブは見出している。


「自分で選んだ道だからな。嫌いとかそういうのはないさ」


「そう……だったら、良かったね」


 レンゲは安心し、どこか羨望に満ちた顔を浮かべ、すぐに消沈したように顔を俯かせる。


「私にはそういうの……ないから」


「ならば、これから探せばいいだろう」


 まるで当たり前のことを話すかのようにグローブは言った。


「君は若い。なら、だ先があるだろう? 人生はこれからだ。やりたいことなんてすぐ見つかる」


「そう、かな?」


「ああ」


 曖昧な表情のレンゲに対して、グローブは力強く頷く。

 先が短い自分と違い、年相応の少女には未来があるはずだ。時間があれば、選択肢もそれだけ多く見えるだろう。


「こんな俺でも見つけられたんだ。怠けなければ、大概の事は見つかる」


「うん……、だと、良いな」


 そう言ったものの、レンゲの表情は浮かない。

 当然だと内心グローブは諦観する。今日出逢ったばかりの他人に月並みの台詞で励まされるのも安過ぎるだろう。

 自分も探すのを手伝うと言えば、少しはマシかもしれないが、生憎とその言葉はグローブにとって無責任にも程がある。自分と彼女には残された時間が違いすぎる。

 そもそも、二人の邂逅はこれだけで、再会する保証もない。

 だからこそ、一期一会の逢瀬かもしれない時で、グローブはできるだけの言葉を贈る。


「勿論、すぐにやりたいことは見つからないだろう。だが、探さなければ見つかるものも見つからない。まずは俯かず、前を向くことから始めたらどうだ? それならば誰にだってできる」


 そこまで言ってようやくレンゲは泳がせていた視線を、グローブに向ける。

 確かに前を向くことは、誰だってできるだろう。求め、探すならば、まずはそれが始まりなのかもしれない。


「……わかった。何をしたいか分からないけど、まずは顔を上げることからする」


「ああ、それがいい」


「お待たせしました」


 そこでようやく注文した料理が二人の席まで運ばれて来た。


「わぁ……!」


 レンゲが小さく感嘆の声を上げる。

 目の前にあるのはレタスにトマトなど野菜が詰ったサラダ。コンソメスープにカットされたフランスパン。メインは白身魚のポワレと、この辺りではありきたりな料理なのだが、レンゲはまるで御馳走でも見るかのように目を輝かせていた。


「よほど腹を空かせたようだな」


「むぅ、わざわざ言わなくてもいいと思う」


 グローブのからかいにレンゲが拗ねたように口を尖らせる。

 そして、なにを思ったのかグローブが閃いたように言う。


「ああ、ほら見つかった」


「ん?」


 訳が分からずレンゲが首を横に捻った。


「君が前を見たから、目の前の料理が見えた。そして食べたいと思った。ほら、やりたいことなど直ぐに見つかっただろ?」


 それを聞いたレンゲが忽ちに白い目でグローブを見る。


「それって、絶対違うと思うけど……」


「同じ事だ。では、早速食べよう」


「う~うん、ああ、もういいや。じゃあ、いただきます」


 納得がいかない顔をしながらも、レンゲは目の前にあった料理を見つめていると、食欲が刺激された。

 どことなく悔しいが、確かに今の自分が目の前の料理を食べたいと思っている。

 漂う香り誘われながら、レンゲは備えていたスプーンを手にとって、メインである白身魚のポワレを口に運んだ。


「どうだ?」


 見れば誰もが分かるであろうことを、グローブはあえて口にして訊ねる。


「うん、美味しい」


 そこには朗らかな笑みを浮かべる少女がいた。

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